悲劇のフランス人形は屈しない3
玄関の方で何やら話す声が聞こえて、まどかたちが帰宅した。腕いっぱいにぬいぐるみやカラフルな風船を抱えているのを見ると、遊園地でかなりはしゃいで来た様子が伺えた。暗闇の中、息を潜めて待ち伏せし、蓮見が電気を点けたのを合図に、飛び出してクラッカーを鳴らした。
まどかは呆然としたまま立ちつくしていたが、私が前に出て「誕生日おめでとう」と言うとすぐさま状況を把握したようで、笑顔になった。
サプライズパーティーは見事、成功をおさめた。お金はそこまでかけていない食事に感動していたし、特にリンゴのバラケーキを見た時には文字通り言葉を失っていた。まどかの隣に座っていた蓮見も同じような反応をしていたが、すぐさまスマホを取り出し、写真を撮っていた。
「このローストビーフ、海斗が作ったの?美味っ!」
蓮見は大喜びでローストビーフを口に運んでいる。
「こんな特技、隠してたのかよ!天才だな!」
「僕も手伝ったんですけど」
五十嵐が口を尖らせながら言った、
「どれ?」
「これ、バラ」
「やるな!」
「ちょっと甘さが足りないな」と榊が言うと、天城が「ほらな」という視線で私を見た。
それを無視して、私は隣に座っている妹に小声で聞いた。
「チョコは渡せた?」
まどかはチーズフォンデュを口いっぱいに頬張りながら頷いた。
「美味しいって言ってくれたわ」
「良かったね」
小さい妹の頭を撫でる。まどかは食べ物を飲み込むと、立ち上がりみんなに向かって言った。
「皆さん、今日は私の為にありがとうございました。一生忘れません。本当に素晴らしいサプライズパーティーでし…」
しかし、本当のサプライズはここで終わらなかった。
いきなりドアの方から解錠の機械音が聞こえたと思ったら、「何なのこの匂いは…」と呟く母親の声が聞こえた。私とまどかの体が緊張して固まった。
「は、早くない…?」
「クルーズチケットはディナーショーまで付いて、終わりが夜10時のはず…」
まどかが早口で私に言った。
自己中心的で我儘な母親が、クルーズを途中で抜け出して来たのは明らかだった。
扉を開け、いつもは整理整頓されているリビングが、パーティー仕様に様変わりしているのを見て母親は開いた口が塞がらないようだった。
「おや。お客さんが来てたんだね」
母親の後ろから正装の父親が姿を現した。私たちを見てもそこまで驚いた様子はなく、嬉しそうな顔をしている。
「まどかの誕生日パーティーをしていました」
私は一歩前に出てそう言うと、母親はかっとなって言った。
「貴女、そんなこと一言もそんなこと…!」
皆の前で顔をぶたれるかと覚悟したが、母親の平手打ちは飛んでこなかった。
母親はテーブルについている面々を見ると、慌てて上品な笑顔を作った。
「まぁ。天城さんのご子息や、蓮見さん、五十嵐さん、榊のご子息まで!なんで前以て言ってくれなかったのよ。もっと丁重におもてなし出来たというのに…」
「僕たちが出る幕じゃないよ。若い子たちに任せよう」
空気が読める父親は、母親の肩を抱くと自室へと引き上げて行った。
「焦った…」
私は席につくと、ふうと息を吐いた。
「こんなに早く帰って来るとは思わなかったわ」
隣でまどかもため息を吐いている。
「逃げ道がないように海の上にしたのに、計画が台無しね」
「途中で抜け出すなんて、小舟でも出してもらったのかな」
腕を組みながら私がそう言うと、まどかはクスクスと笑った。
「お母さまが小舟で帰ると思う?もっと大きい船じゃないと乗らないわ」
「確かに」
「…そうしてると、本物の姉妹みたいだね」
目の前に座っていた五十嵐が、頬杖を付きながら言った。
「え、どういうこと?」
真っ先に未央が話に食いついた。
私は五十嵐を睨みつけた。
「む、昔は二人の仲が悪くて、他人に見えたってこと!」
すぐさま蓮見がフォローに入った。
未央は私と妹の顔を交互に見比べていたが、やはり似てない部分を見つけられなかったのか「そう」とだけ呟いた。
「寂しくなるな、来月から。アメリカに行っちゃうんだろ?」
甘さが足りないと文句を言いながらも、まだケーキを食べている榊が言った。
まどかの頭を撫でながら私は頷いた。
「もう少し一緒にいたかったな」
「休みの度に帰ってくるわ」
この場にいる全員が、この冬が過ぎたら別々の進路になることを理解している。未央も榊のアメリカ行きを寂しく思っているのか、俯いていた。
最後はどこかしんみりした風を吹かせながら、まどかの誕生日会が幕を閉じた。

パーティーがお開きになった時、時計の針はまだ7時を指していた。私は未央を近くの駅に送るがてら、友代の様子を見に、バレンタインのチョコを持って西園寺の家に行こうと決めていた。近所に住んでいる天城は徒歩、その他は車で帰るそうだ。しかし「やっぱり話があるから榊の車に乗って帰る」と未央が言い出したので、私は必然的に天城と歩くことになった。
私と天城を二人きりにしたくないとごねていた五十嵐の車を最後に見送り、帰り際に父親に呼ばれた天城を待つこと数十分。どこか暗い表情の天城がマフラーを首に巻きながら出て来た。
「長かったね」
歩き出しながら私は口を開いたが、天城は無言のままだった。
「お父さまに何か言われたとか…?」
父親が天城に何の用だったのだろうか。一抹の不安がよぎった。
天城の家の近くまで来た時、彼はやっと口を開いた。
「婚約の件だった」
先を話すように顔を見つめると、天城は少し眉をひそめた。
「数年前、俺は親父に婚約を破棄したいと言った。そのことが最近になって親父からおじさんに伝わったらしい。さっき、おじさんから言われた。あれは、自分たちが酔った勢いで言い出した口約束だから、白紙にして問題ないと。親父から話を聞くまでは、俺が婚約者であることも忘れていたらしい」
(まぁ、そうでしょうね。父親は特に)
私は腕を組んだ。
そもそも親同士の口約束なだけで、学校全体に広まること自体がおかしい。その他の財閥勢を牽制するために誰かが広めたのだろうか。そもそも白石家も天城家も影響力のある財閥なのだから、政略結婚を計画する必要もないはずだ。
(母親が権力を持つ財閥との繋がりを絶ちたくなかっただけな気もするし)
過去に母親に参加を強制された財閥同士の“付き合い”を思い出していた。考えてみると母親から「婚約者なんだから」と言われたことは一度もない。
「お前はどう思う?」
いきなり質問を振られて驚いたが、答えはすでに出ていた。
私は天城の目を真っ直ぐ見つめた。
「前に言ったこともあると思うけど、あなたには“白石透”から解放されて、自由に恋愛を楽しんでほしい。ずっと長い間、それが許されなかったでしょう。次こそ人目を気にせず、自由に人を好きになって欲しい。特に同じような世代の子を」
「それを俺が望んでいなくても?」
突然手首を掴まれ、ぐっと天城の方に引き寄せられる。至近距離に彼の顔があり、自分の顔が赤くなるのが分かった。
「どこまで拒絶したら気が済むの?」
「拒絶してるんじゃなくて…」
はち切れそうな心臓の音に気がつかれたくなくて、私は距離を取ろうとするが、離れようとするたびに天城の手がさらに引き寄せる。
「そこまで高校生が嫌なの?」
「嫌です」
しばらくの間、二人は至近距離で睨みあっていた。
先に諦めたのは天城の方だった。手を離すと、やれやれと頭を振った。
「どうせ長期戦になるのは覚悟してたし」
「長期戦…?」
天城に掴まれたところを無意識にさすりながら、私は聞き返した。
「時間はある」
片方だけ口角を上げた天城の顔は、なぜか西洋の物語に出て来る悪魔を思い出させた。
(こんな奴だったっけ…?)
全身の鳥肌が立った。
「これからどこへ行く?」
私が持っている小さな紙袋を見ながら天城が聞いた。
「チョコを渡しに行…」
「誰に?」
まだ全文言い終わっていないというのに、天城が言葉をかぶせてきた。
「知り合いの人よ」
「誰」
天城はその場から一歩も動いていないというのに、じりじりと追い詰められているような感覚に陥る。私は渋々口を開いた。
「西園寺の…おばあちゃん」
「は?」
一瞬にして眉間に溝が出来た天城に、事のいきさつを簡単に説明した。
「――ということで、このままの状態でいるのが心苦しいから、チョコを持って行って、私の気持ちを伝えようかと。全てが友代さんのせいではないし…」
口ごもりながらそう言うと、天城が長いため息を吐くのが聞こえた。それから言った。
「俺も行く」
「え!なんでよ!」
さすがに一緒は気まずすぎると抗議の声を挙げたが、天城は無視して歩き始めた。
(あんたが事件の種なのに~!)
少し先で私の道案内を待っている天城に向かってそう言いたい気持ちをぐっと堪えた。
(友代さんが倒れたらどうしよう…)

しかし、そんな私の心配は杞憂に終わった。
私は玄関ドアに紙袋を下げて帰ると言い張ったが、天城は私の言葉を無視するとチャイムを鳴らした。玄関口に立っていた友代は、天城の顔を見ると驚いた様子だったが、いつぞやは本当にお世話になりましたと頭を下げた。二人で積もる話があるだろうと、私は玄関から出て行こうとすると、友代がそれを止めた。
いつもの和室に通され、天城が西園寺の母親にお線香を立てているところを見守っていた。
「最後に貴女にお会い出来て良かったわ」
温かいお茶を長テーブルに置きながら、友代が言った。
「最後…?」
お盆を持ったまま老女は寂しげに頷いた。
「明日にはここを発とうと思うの」
「ど、どこへ行くんですか?」
そう言ってからすぐさまこれは愚問だと気付いた。友代の表情を見ればすぐ分かることだ。
「西園寺さんのところですね」
「ええ。今度こそ、あの子のそばにずっとついてやらないと。この家を離れるのは寂しいけど、娘が残した孫を大事にしないと、それこそ娘に怒られてしまうわ」
そう言いながら友代は、仏壇に飾ってある女性の写真へ顔を向けた。
「今、西園寺はどうしていますか?」
挨拶が終わった天城が、私の隣に座ると聞いた。
「腕の良い精神科のお医者様がいるところに入院しているわ。実は、体の方はもうほとんど回復しているのよ。天城さん、あなたのおかげでね」
友代はふふっと笑うと、理解できない様子の天城に言った。
「あなたが現れてからというもの、学校へ通いたい一心で、一生懸命治療したのよ。辛い薬物治療にも耐えて。だから、今回アメリカに戻る時も体力的に問題がなかったの」
「そうですか」
(西園寺の世界の中心にはいつも天城がいた…)
隣に座っている無表情の彼の横顔を見た。
「今は先生のおかげで、精神状態も安定している。新しい学校にも通い始めていて、何だかんだ楽しんでいるみたい」
常に大事に持っているのか、袖に入れていた写真をテーブルの上に置いた。そこに写っている西園寺は、また少しばかし痩せたように見えたが、美しさは衰えていなかった。そして、驚いたことに、写真の中の彼女は笑っていた。あの引き攣った作り笑いではなく、心の底から楽しんでいるような、そんな笑顔で。
「西園寺は今、幸せでしょうか?」
私は写真を見つめながら尋ねた。友代が軽く息を吸う音が聞こえた。そして、写真を触りながら言った。
「ええ。きっと」
「…良かった」
私はほっと胸をなで下ろした。
西園寺は最後まで私にとって脅威の存在だった。それでも、西園寺と対面したときに垣間見えた乙女の顔を見せる彼女が忘れられなかった。違う出会いだったら、一途に誰かのことを想う彼女の真っ直ぐさに憧れていたかもしれない。そう心のどこかで思っている自分がいるのも事実だった。
部屋の時計が8時を指しゴーンと鳴る音で私は我に返った。
「あ。私、友代さんにお渡ししたいものがあって来たんです」
「あら、何かしら」
友代がそっと涙を拭うのを見なかったことにして、私は持って来た紙袋を取り出した。
「今日作ったチョコなんですが。良かったから」
「ありがとう。何でもできるお嬢様なのね」
紙袋を受け取りながら、友代は天城の方を向いた。
「この方を離したら一生後悔しますよ」
「あ…」
私は友代の勘違いを訂正しようと身を乗り出したが、天城の言葉の方が早かった。
「はい。離さないつもりです」
(何を言っているんだ…)
半ば呆れながらも、私は友代に向かってお辞儀をした。
「こんな時間にお邪魔してすみませんでした。体調を崩されませんよう、ご自愛ください」
「いえいえ。今夜お二人に会えて本当に嬉しかったわ。本当に」
寒いから見送りは大丈夫と言ったにもかかわらず、友代は私たちの姿が見えなくなるまで、玄関口でずっと頭を下げていた。
結局、天城に自宅まで送られる羽目になった。私が玄関前で「ありがとう」と呟くと、天城はすぐさま背中を向けて帰って行った。しかし、私が門に手を掛けた時、なぜか走って戻って来た。
「どうしたの?忘れ物?」
天城は私の顔を真っ直ぐ見た。
「やっぱり、俺はお前が好きだ」
「はい?」
私はあんぐりと口を開けたまま、無表情の彼の顔を見つめた。
「あのね…」
「宇宙人の話はもういい」
そう言われて私はぐっと喉を鳴らした。
「返事は要らない。時間をかけて、お前を落とすことに決めたから」
それだけ言うと、何事もなかったかのように暗闇の中に姿を消した。
私はしばらくの間、その場から動けなかった。

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