悲劇のフランス人形は屈しない3

卒業

天城の思いがけない告白から数週間も経たない内に、卒業式がやって来た。桜が満開なるにはまだ早い、3月上旬。私は最後まで着慣れることのなかった丈の短い制服を見に着け、講堂へと向かった。
新しく就任した理事長や校長の言葉、在校生の言葉が数時間にも及ぶ。隣に座っている榊は、理事長が開会式の言葉を話し始めた時にはもう完全に寝ていた。しかし、私は講堂内に並ぶ赤い椅子に座った時から、涙が止まらなかった。
(るーちゃん。私、卒業したよ!)
白石透が参列することのなかった卒業式。この体に転生した時から、心に決めていた目標を達成することが出来た。感慨深さと同時に、とても清々しい気持ちで満たされていた。
「泣きすぎ」
右隣に座っている天城が紺のハンカチを渡して来た。
「ご、ごめ…」
嗚咽まで漏らし始めた私に呆れたように、ため息を吐いている。天城の隣に座っている五十嵐もすでに、腕を組んだまま眠っているようだ。
その時、堂々と壇上に登り、卒業生の代表に選ばれた成績優秀者の蓮見がスピーチを始めた。意外にも感動的なスピーチに、卒業式に飽きていた生徒たちも静まり返り、ところどこで洟をすする音が聞こえ始めた。
「…―高校生活で得たものは沢山ありますが、その中でも一番の宝物は友人です。友人がいたからこそ、僕たちは苦難にも立ち向かえました。これから各々の道を進んで行きますが、これだけは忘れないでください。人は見た目で判断してはいけないこと。第一印象とは反対に、気の合う一生の友になることもあります」
「榊だな」
隣で天城がぼそりと言った。しかし、当の本人は爆睡している。
「そして、人は変わることができる、ということです。誰かを傷つけたことがある人は、このことを特に忘れないで欲しいです。後からそのツケが回って来た時に、手遅れになることもあります。僕たちの場合は、恵まれていました。僕たちを受け入れてくれたある人に、ここで謝罪とお礼を言いたいと思います」
そこでいったん言葉を切った。
「ごめんね、そしてありがとう」
蓮見の言葉は、自分に向けられていると自然と分かった。
「もういいわよ」私は小さな声で呟いた。
彼のスピーチが終わると、講堂内は溢れんばかりの拍手で包まれた。
どこの学校ともメロディーがあまり変わらない校歌を歌い終わり、感動の卒業式が終わった。

講堂の廊下は外で待っていた家族の姿でごった返していた。両親だけでなく親戚も呼んだのか、大勢に囲まれた藤堂の姿があった。大量の花束を渡されて涙を浮かべながらも、嬉しそうに写真を撮っている。私は新鮮な空気を求めて、人混みをかき分けて外へ出た。まだ冬の名残がある冷たい空気が頬を撫でた。私は講堂を振り返った。
(これで“悲劇のフランス人形”も終わり)
ハッピーエンドを迎えたことに対して、誇らしく思う。
思い返すと、生前の学校生活よりかなり波乱万丈なことが起きた。それを乗り越えられたのも周りの協力があったからだ。
ふとここにはいない、妹の姿を思い出した。途端に目頭が熱くなる。
目を瞑り、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
その時「おーい!」と私を呼ぶ声がした。
蓮見が講堂の近くで私に手を振っている。蓮見の近くには、深い緑色のドレスを着た女性と、ネクタイの柄が特徴的な男性が立っていた。
(あれが蓮見の両親か…)
思っていたより若いお母さんにお辞儀をして挨拶をする。間接的に関わったことはあるものの、直接顔を合わせたのは初めてだ。
「初めまして。白石透です」
緊張しながらも挨拶をすると、蓮見の母は豪快に笑いながら私の背を叩いた。
「何言ってるの!何度か会ってるでしょ!」
「とは、言ってもだいぶ昔だけどね」
急いで蓮見がフォローした。
「透ちゃん、こんなに可愛くなっちゃって。おばさん、腕が鳴るわ~。今夜も楽しみにしておいてね!」
それだけ言うと、静かな父親を連れて知り合いを見つけに行った。
(今夜…?)
「白石ちゃん、姿が見えなくなったから、探してたんだよ」
蓮見は私の先導しながら、足を進めた。校舎の方に向かっている。
「きっと驚くと思うよ」
そう言った向こうに、数人が立っているのが見えた。
「う、嘘…」
そこに立っていたのは、私服姿の伊坂と卒業式を一日早く終わらせた未央。そしてその二人の後ろには、誰よりも身長が高く、黒髪を結い上げた人がいた。卒業式に合わせたのか、ストライプのスーツを着ていた。手には大きな花束を抱えている。
「伊坂さんから連絡があって、白石ちゃんを…」
蓮見の言葉を私は最後まで聞かずに駆けだしていた。
「るーちゃん!」
自分よりも20センチも高い凛子に私はしがみついた。伊坂と未央は顔を見合わせて驚いている。
「私、卒業したよ。卒業した…」
涙がどんどんと溢れて来る。
「うん、ありがとう。本当に嬉しいわ」
頭の後ろを撫でながら凛子は落ち着いた声で言った。腕の中で震えている私をぎゅっと抱きしめてくれる。
「本当に貴女に出会えて良かった。感謝しきれないくらい感謝してる」
凛子の声も微かに震えていた。
卒業式にも嗚咽をもらすくらい泣いたというのに、またもや言葉に出来ないくらい泣き出してしまった。いつからこんなに涙腺が弱くなってしまったのだろう。中身はここにいる誰よりも年上なのに、まるで幼い子供のように泣いてしまった。
「白石さん、大丈夫…?」
未だに凛子から離れようとしない私に向かって伊坂がおそるおそる聞いた。やっと涙が落ち着いて来た私は、途端に羞恥心に苛まれた。
「お、お見苦しいところを…」
「りっくんとこんなに打ち解けていたなんて知らなかった」
伊坂が私と凛子を見比べている。
「ちょっとした仲なの」
凛子が伊坂に向かってウィンクしている。
「透、卒業おめでとう!」
思い出したように未央が花束を渡した。それに続いて、伊坂や凛子も私に渡す。
「ありがとう…」
「俺たちには?」
いつの間に合流したのか、榊が口を尖らせながら言った。天城も五十嵐も花束を持っているが、榊は手ぶらだ。
「あんたにはこれ」
未央は不機嫌そうな顔をしながら、私のより一回り小さい花束を渡している。しかし榊は貰えると思っていなかったのか、大喜びだ。
(ツンデレ…)
未だにしかめっ面を戻さない未央を見ながら、私はやれやれと頭を振った。
「この後、卒業パーティーがあるけど来る?」
蓮見が伊坂と凛子に話かけている。
「いいの?」
伊坂が嬉しそうに飛び跳ねた。
「真徳の卒業パーティーは規模が大きいって聞いていたから楽しみにしてたの。ドレスも持って来たよ!」
私の方を見ながら伊坂が笑顔で言った。
きっと以前買ってあげたドレスを持って来たのだろう。確かにあのドレスを着た伊坂は可愛かった。一度しか日の目を見ないなんて勿体ない。
「凛子さんは来ねぇの?」
榊が凛子に向かって言った。同じ秘密を共有しているせいか、親近感が沸いているのだろう。伊坂は、榊と凛子を繋げるものが思いつかず、首を傾げている。
凛子は、私たちを一度見渡すと首を振った。
「私はこれで失礼するわ」
「もう帰るの?」
私が聞くと、凛子は残念そうに眉尻を下げた。
「早乙女くんが待っているから」
「順調なんだ」
未だに頼りない後輩と結婚したことが信じられない。
「ええ。幸せよ」
そう言って照れたように笑った顔は、今までになく満足そうだった。
「凛ちゃんも、幸せになるのよ」
後ろに立っている天城を見ながら、凛子が小声で言った。
「時には自分の心に正直になるのも大事よ。頭ではなくね」
「え?」
聞き返そうとした時、蓮見が私の腕を掴んだ。
「白石ちゃん行くよ。君のコーディネートは蓮見家が任されているんだから」
「はい?」
笑顔で手を振っている凛子に後ろ髪を引かれる思いだったが、蓮見に引きずられるようにしてその場を後にするしかなかった。
その後に五十嵐が続き、榊と未央、そして伊坂も凛子に別れを告げると門に向かって歩き始めていた。しかし天城だけは、しばらくその場に残ったままだ。
「では、私もこれで」
そう言った時、天城が動いた。
「待て」
凛子は淡々とした表情の天城を見つめた。
(昔の思い出ね。もうときめいてはいない)
自分の胸に手を当てて確認する。
(あんなに好きだったのに、時間って凄いわ)
いつも嫌悪も露わにし、負の感情を隠すことのなかった彼が、今では攻撃的な様子を一切見せない。そんな彼の姿に、驚きながらも嬉しい気持ちになった。
「白石透か?」
落ち着いていた心臓がドクンと跳ねた。
凛子は微動だにしないまま、天城の顔を見つめる。
天城はどこか言いにくそうに口を開いた。
「アイツから全部聞いた。今までお前がどうやって過ごしていたかを。そして、どんな最期を迎えたのかも。謝って済むことではないが…」
凛子は手でその先を言うのを制した。
「一度も謝ったことのない海斗さまが謝罪なんて。ここまで変えた凛ちゃんは凄腕ね」
ふっと笑った顔は、幼少期の白石透の面影を思い起こした。
「俺は何も知らなかった。お前が苦しんでいたことも、周りから酷い扱いを受けていたことも。知らなかったで、許されるとは思わないが、俺は…」
語尾が小さくなっていく天城に向かって、凛子は軽く首を振った。
「私はもう過去を捨てて、前に進んでいるの。だから謝罪なんていらないわ。それより、これからの凛ちゃんのことをお願いするわね。誰よりも大事にしてほしい」
凛子は天城の方を向いた。
「私にとって本当に大切な人なの。泣かたりしたら…」
「アイツが泣くとも思わないが」
ぼそりと呟いた天城の言葉に凛子は、くすりと笑った。
「それもそうね。凛ちゃんは強いから。私の何倍も」
凛子は遠くに見える透の背中を見ながら言った。
「どんな時も一度も泣かなかったものね」
(母親に虐げられても、クラスメートに苛められても)
「・・・まあ、意外と怖がりだけどな」
そう言いながら口角を上げる天城の顔を見て、凛子は目を見開いた。
(私の前で笑ったの、初めて)
二人はゆっくりと門に向かって歩き出した。
この瞬間、二人は知らず知らずのうちにただの幼なじみに戻っていた。
「おじい様は元気?」
「ああ。時々遊びに行っている」
「そう、良かったわね。またおじい様の手料理を食べたかったわ」
「そっちは、上手くいっているのか?いきなり26になって」
「中身はまだ高校生だけど、何とかやってるわ。ただ問題だったのは、運転ね」
凛子は小さくため息を吐いた。
「凛ちゃんは、車はもちろん、大きなバイクもよく乗っていたみたいで」
「想像できるな」
天城はぼそりと呟いた。
「さすがに怖くてバイクは売ってしまったわ。凛ちゃん、怒らないといいけど」
「車、運転してるのか?」
天城に問われて、凛子は首を振った。
「無免許で運転なんて、やっぱり危険じゃない?今は早乙女くん…旦那さんに全てお願いしているの」
そう言った時の凛子の頬が緩んだのを見て、天城は言った。
「順調なんだな」
「ええ、とても」
門まで来ると、車の外で待機していた早乙女が凛子に向かって手を振った。凛子は彼に軽く手を振り返し、天城に向き直った。
「では、これで」
「ああ」
もう二度と会わないことをお互い知っているかのように、最後に一度だけ視線を合わせると、別々の車に乗り込んだ。
「大丈夫?」
早乙女が助手席に座った凛子を見た。
「ええ。過去と決別して来たわ」
どこか悲しい色を含めながらも、凛子は満足そうにほほ笑んだ。
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