悲劇のフランス人形は屈しない3
次に目を覚ました時には、体の重さはだいぶ軽減され、瞼もすぐに開いた。口元についていた呼吸器を取り外し、体を起こした。真夜中なのか、部屋の中はしんと静まり返り、薄暗かった。しかし、あり難いことに枕元の電気はついている。
ベッドサイドにいた榊はいなくなり、代わりにベッドに顔を伏せて天城が寝ていた。テーブルを囲んだソファーの椅子では、蓮見とまどかが仲睦まじそうに眠っている。
その時、病室の扉が開く音がして思わず肩をこわばらせた。
買い物袋を下げたその人物は、私の姿に気がつくと、一瞬立ち止まったが、足早にベッドサイドにやってきた。
「五十嵐。見舞いに来てくれ…」
そこまで言いかけて、気がつくと五十嵐に優しく抱きしめられていた。
「良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった」
安堵したように言う五十嵐の声に、心から心配してくれていたのが伝わって来た。
「ありがとう」
私は五十嵐の腕の中で、そう言った。
「…でも、そろそろ離してくれると嬉しい」
中々離れようとしない五十嵐の腕を叩いた。
「だって数か月ぶりなんだよ。もっと充電させて」
「いや、充電と言われましても…」
男の力を引きはがすほどまだ体力が戻っていない私は、どうしたものかと考えを巡らせていたが、その心配も一気に消えた。別の腕が伸びて来たと思ったら、五十嵐の腕からいきなり解放された。
「そこまで」
いつ起きたのか、眉間に皺を寄せた天城が右手で五十嵐の腕を掴んでいる。
「えー」
ベッドサイドの椅子に座りながら、五十嵐は口を尖らせた。
「そういう自分もちゃっかり手握ってるくせに」
そう言われて、私は自分の右手が天城の左手にしっかり握られているのに気がついた。
私は慌てて天城の手から自分の手を引っこ抜いた。
「大丈夫か?」
天城が聞いた。相変わらず無表情だが、その瞳の奥に様々な感情が渦巻いている。
「ええ」
それから蓮見の隣でぐっすりと眠っている妹へ顔を向けた。前より痩せている気がする。
「まどか、心配かけちゃったかな…」
私はぼそりと呟いた。
「僕たちもだいぶ心配したけど」
どこか不満そうに五十嵐が言った。
「でもま、妹ちゃんが教えてくれなかったら発見も遅かったし、解決も出来なかったからね」
「まどかが…?」
「うん。君が階段から落ちたのを真っ先に教えてくれたのは、妹ちゃんだよ。壮真(そうま)の電話にかけて来たんだっけ」
五十嵐が天城に聞き、彼は頷いた。
「電話番号教えたことがないって言ってたけどね」
のんびりと言う五十嵐の言葉に、一瞬背筋が凍った。
(まどか、また裏の手を使ったんじゃ…)
「それでね」
私の焦りに気づいていない五十嵐は言葉を続けた。
「妹ちゃんが音声と映像を持っていたおかげで、突き落とした犯人は捕まった」
「西園寺を」
無表情のまま天城が言った。
(気づいてくれた。あの音声…)
まどかからの電話を切らずにそのまま西園寺と対面した。
賢い妹なら気づいて対策を打ってくれると信じていた。あの音声が、西園寺が私を突き落としただけでなく、他の数々の虐めの背景にもいる常習犯であることを示す証拠になると。
私は、はたと止まって五十嵐を見た。
「ちょっと待って。映像って言った?」
(確か監視カメラは西園寺が前もって止めていたんじゃ…)
「それがね~。妹ちゃん、ハッキングしてカメラを起動させたみたい。犯行の現場がばっちり映ってたから」
私は天使のような寝顔の妹に顔を向けた。
(カメラの死角に入っていたはずなのに、あの短時間でカメラを動かすプログラミングまでしたの?)
あまりの天才ぶりに畏敬の念を感じると共に、今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られた。しかし私は再度、はたと止まった。
(え。ちょっと待って…)
「今、ハッキングって言った?」
「うん。透も知ってたでしょ?」
「い、いや…」
(知っていましたけど!)
手に力がこもる。
(とうとう警察沙汰に…?)
「大丈夫だ。すでに学校側とは話がついている」
私は顔を上げ、天城を見つめた。
「お前が寝ている2か月の間に色々あった。お前の妹は、今後一切ハッキング行為をしないと約束し、学校に謝罪文を出した。陰湿な虐めに気がつかなかった学校側にも非があるとして、このことは公にしないことになった」
珍しく天城はつらつらと話をしている。
「西園寺家は、親戚である理事長も含め学校から手を引き、家族全員で海外へ移住することが決まった。数週間前にはもう立ったはずだ。向こうには腕のいい精神科医がいるから、治療も開始するだろう」
「そっか」
私は掛布団に目を落とした。
やっと終わった。これで、全てが。
(藤堂と郡山なんか、相手にならんし)
待ち受けるのが可愛いイタズラだけだと思うと、心も少しばかし軽くなった。
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