悲劇のフランス人形は屈しない3
意識が戻ってからというもの、とにかく病室が騒がしかった。
昏睡状態の私が寂しくないようにと、独学でギターを始めた榊が毎日のようにやって来ては、うろ覚えで下手くそな演奏をしては帰って行く。学校があるにも関わらず、天城や蓮見、五十嵐も時間を見つけては、ベッドにいる私を放ったらかしにして、まどかとトランプをして楽しんで帰って行く。
病室にまどかの笑い声が響き、私は笑みがこぼれた。
私の意識が戻ったと知ったその日は、ずっと泣いていたらしい。大声で泣きじゃくる妹を初めて見た、母親を含む周りの大人たちは相当当惑していたと聞いた。なだめ方を知らない大人たちの代わりに、蓮見や榊が筆頭となってまどかを慰めてくれた。そして、私が目覚めた夜以外の日は、ほとんど一睡もしないでベッドサイドにいたと教えてもらった。
私が「おはよう」と、寝起きのまどかに声を掛けた時の、彼女の表情は言葉では言い表せられない。その場にいた蓮見と榊が思わずもらい泣きするほど、たくさん泣いて、私はたくさん謝った。
妹は私が今までと同一人物かどうが、何度も確認して病室内のみんなを困惑させていた。「最初に作ってくれた朝食は?」「私がお姉さまにあげた手作りのプレゼントは?」など、事故前の私から変化していないかどうか、執拗にチェックしていた。数日も過ぎると安心したのか、奇妙な質問の嵐は止み、学校が終わるとすぐに病院に来ては、私が一人で寂しくないようにと蓮見たちと遊ぶようになった。
「まどか。そろそろ帰ろうか」
時計の針が21時を回ったところで、私はトランプ大会からジェンガ大会に変わっている一同に向かって声を掛けた。
事故を通して皆に大切にされていたことが確認できたことは嬉しい事だった。そしてもう一つ収穫があった。私の事故を機に、まどかは“子供らしさ”を覚えたのだ。私が退院するまで、一切の習い事をお休みすると言い出し、激怒する母親に逆切れする始末だった。
「まだ、ここにいたいのに…」
残念そうに言う妹に私は首を振った。
「子供は早く寝るの。蓮見さん、お願い出来る?」
遊び足りない蓮見も眉尻を下げたが、ジェンガのブロックをテーブルに置くと、自分の鞄とまどかの鞄を持った。
「行こうか」
「…はい」
蓮見が差し出した手を渋々つかみ、まどかは立ち上がった。どこか不満そうに口を尖らせている様子を見ると、やっと小学生らしくなってきたと思う。
「お姉さま、いつ帰って来るの?」
ベッドサイドにやって来て、私の腕を触った。
「お医者さんは、来週には退院できると言ってたよ」
妹の小さい頭を撫でた。
「分かった」
妹の背中が病室のドアから消えるまで見送ったあと、未だソファーでくつろいでいる天城と五十嵐に目を向けた。
「あの、お二人もお帰りになったら…?」
二人は互いの顔を見合わせた。
「どっちの担当だっけ?」
「俺」
「そう。じゃあ、また明日」
五十嵐はそう言うが早いや、立ち上がると私に手を振ってから病室を出て行った。
部屋の中に沈黙が流れた。
天城はソファーに足を上げて、本を読んでいる。
(え、何で帰らないの…?)
「あの~…」
私が声を掛けると、天城は本から顔を上げずに言った。
「何」
「いや。なぜ、いるのかな~と」
「気にするな」
(気になります…)
「お前が寝たら帰る」
「寝てるところを見られたくないのに」
私は小さく呟いたつもりだったが、天城がふっと小馬鹿にしたように笑った。
「何をいまさら」
(いや、そうなんですがね!)
しばらく天城を睨みつけていたが、一向に動く気配のないので諦めることにした。
布団を頭からかぶり、横を向いて瞼を閉じた。
しかし中々眠気がやって来ない。
(睡眠薬貰えばよかった…)
数日前、鍛えていただけあって回復が早いと、医者に褒められたのを覚えている。早々に点滴を外され、食事も普通食になった。大きな事故だったにも関わらず、頭にも骨にも異常がないのが不幸中の幸いだと言われた。しかし2か月も昏睡状態だったこともあり、様子を見たいと数週間の検査入院が決まった。
しかし体力が回復してくると、エネルギーの発散不足で眠れなくなる。昨晩までは睡眠薬を貰っていたが、数日後には退院出来そうなのでそろそろ薬の服用をやめようと言われたのが今日の午後。
時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
目を閉じてからたいぶ時間が経った気がする。天城が動く気配がして、静かに病室から出て行ったのが分かった。
掛布団をはがし、部屋の壁に目をやると、ちょうど時計が12時を指したところだった。
「少し歩いて来るか…」
医者からも病院内のウォーキングを勧められていた。寝たきりが長かったせいで、最初は一人で歩くのに苦労したが、数日で全く問題なくなった。やはり、筋トレを毎日欠かさず行っていたおかげだろうか。
私はベッドから出ると、院内用のスリッパを履き、病室の外へと出た。
最初は手すりに掴まりながらゆっくりと足を進め、それから手すりを離して歩く。
(うん、問題ない)
足元を見ながら慎重に私は歩みを前へと進めて行く。しかし、しばらくしたところで、足を止めた。後ろを振り返り、一気に歩いて来てしまったことを後悔した。
夜の病院内は、そこまで暗くはないものの、人の気配がない廊下は寒々しいものがあった。トイレとナースステーションだけは、夜間でも煌々と電気が付いており、常に人の話し声がする。しかし、VIP室に寝かされているせいか同じ階にナースステーションがなかった。
下の階に行けば良かったと後悔の念が私を押し寄せる。手すりに掴まり、ふうと大きく深呼吸をした。
(病院なんて怖くない)
私は来た道を戻ろうと、くるりと向きを変えた。その時、後ろでカタと音がした気がした。思わず足を止め、耳を済ませた。窓の外で風が吹いているだけだ。
(大丈夫、大丈夫)
呪文のように心の中で何度も言い聞かせながら、歩みを早めた。誰も後ろにいないというのに、誰かが付いて来ているのではと自分の想像に勝手に恐怖する。
行きの数倍も早く病室に着き、すぐさま扉を閉めた。
スライド式のドアの取っ手を両手で握ったまま、肩で息を整え、頭の中で反省会を開く。
(私の馬鹿。暗闇恐怖症のくせに、なんで夜に散歩なんかアホなことを…)
その時、いきなり肩に手を置かれ、まだ悲鳴を上げる力がなかった私は、膝から崩れ落ちた。
「お、おい」
焦った声が降って来た。顔を上げると当惑した表情の天城の顔が私を見下ろしていた。
「な、なんだ…、天城か。びっくりしたじゃない…」
私はため息交じりに呟いた。
「どこに行ってた?」
天城は私を立たせようと腕を掴んだが、足に力が入らず中々立ち上がれない。
「こ、腰が抜けたみたい…」
苦笑いしながら私がそう言うと、天城は小さなため息を吐き、いとも簡単に私を抱え上げた。
(げ…。またか…)
クリスマスパーティーの夜のことを嫌でも思い出してしまう。そして、自分の非力さも。
(子供にお姫様抱っこを二回もされるとは…)
ベッドまで運んでもらい、気まずい空気の中、私は下を向いたまま言った。
「ど、どうも。ご迷惑をおかけしました」
「出歩いてたのか?」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、天城が聞いた。私が小さく頷くと、やれやれと首を横に振った。「暗闇が怖いくせに」
その言葉を聞いて、私は顔が熱くなるのが分かった。
(その件で天城の前では恥を晒しまくりだ、私)
「か、帰ったのとだとばかり思ってました。人がいるとは…」
私は顔を上げ、暗闇が怖かったのではなく人が後ろにいたから驚いたのだと目で訴える。
「一人にはしない」
「え?」
思いがけない天城の言葉に聞き返してしまった。
階下にあるコンビニ行くために少し席を外していただけらしい。まだ使い込まれていないコンビニの袋からお茶を出して私に渡した。
「一人でいるのは心細いだろ」
天城がコーヒー牛乳にストローを差し込み、飲んでいる様を凝視する。
(天城ってこんなに優しい雰囲気だったっけ…)
「何」
私の視線に気がついた彼は、すっと眉根を寄せた。
どこかで誰かが言っていた言葉がふと脳裏に蘇った。
―彼を変えたのも貴女なのよ。
(私が変えた…?)
「聞きたいことがある」
ふと、天城が言った。
昏睡状態の私が寂しくないようにと、独学でギターを始めた榊が毎日のようにやって来ては、うろ覚えで下手くそな演奏をしては帰って行く。学校があるにも関わらず、天城や蓮見、五十嵐も時間を見つけては、ベッドにいる私を放ったらかしにして、まどかとトランプをして楽しんで帰って行く。
病室にまどかの笑い声が響き、私は笑みがこぼれた。
私の意識が戻ったと知ったその日は、ずっと泣いていたらしい。大声で泣きじゃくる妹を初めて見た、母親を含む周りの大人たちは相当当惑していたと聞いた。なだめ方を知らない大人たちの代わりに、蓮見や榊が筆頭となってまどかを慰めてくれた。そして、私が目覚めた夜以外の日は、ほとんど一睡もしないでベッドサイドにいたと教えてもらった。
私が「おはよう」と、寝起きのまどかに声を掛けた時の、彼女の表情は言葉では言い表せられない。その場にいた蓮見と榊が思わずもらい泣きするほど、たくさん泣いて、私はたくさん謝った。
妹は私が今までと同一人物かどうが、何度も確認して病室内のみんなを困惑させていた。「最初に作ってくれた朝食は?」「私がお姉さまにあげた手作りのプレゼントは?」など、事故前の私から変化していないかどうか、執拗にチェックしていた。数日も過ぎると安心したのか、奇妙な質問の嵐は止み、学校が終わるとすぐに病院に来ては、私が一人で寂しくないようにと蓮見たちと遊ぶようになった。
「まどか。そろそろ帰ろうか」
時計の針が21時を回ったところで、私はトランプ大会からジェンガ大会に変わっている一同に向かって声を掛けた。
事故を通して皆に大切にされていたことが確認できたことは嬉しい事だった。そしてもう一つ収穫があった。私の事故を機に、まどかは“子供らしさ”を覚えたのだ。私が退院するまで、一切の習い事をお休みすると言い出し、激怒する母親に逆切れする始末だった。
「まだ、ここにいたいのに…」
残念そうに言う妹に私は首を振った。
「子供は早く寝るの。蓮見さん、お願い出来る?」
遊び足りない蓮見も眉尻を下げたが、ジェンガのブロックをテーブルに置くと、自分の鞄とまどかの鞄を持った。
「行こうか」
「…はい」
蓮見が差し出した手を渋々つかみ、まどかは立ち上がった。どこか不満そうに口を尖らせている様子を見ると、やっと小学生らしくなってきたと思う。
「お姉さま、いつ帰って来るの?」
ベッドサイドにやって来て、私の腕を触った。
「お医者さんは、来週には退院できると言ってたよ」
妹の小さい頭を撫でた。
「分かった」
妹の背中が病室のドアから消えるまで見送ったあと、未だソファーでくつろいでいる天城と五十嵐に目を向けた。
「あの、お二人もお帰りになったら…?」
二人は互いの顔を見合わせた。
「どっちの担当だっけ?」
「俺」
「そう。じゃあ、また明日」
五十嵐はそう言うが早いや、立ち上がると私に手を振ってから病室を出て行った。
部屋の中に沈黙が流れた。
天城はソファーに足を上げて、本を読んでいる。
(え、何で帰らないの…?)
「あの~…」
私が声を掛けると、天城は本から顔を上げずに言った。
「何」
「いや。なぜ、いるのかな~と」
「気にするな」
(気になります…)
「お前が寝たら帰る」
「寝てるところを見られたくないのに」
私は小さく呟いたつもりだったが、天城がふっと小馬鹿にしたように笑った。
「何をいまさら」
(いや、そうなんですがね!)
しばらく天城を睨みつけていたが、一向に動く気配のないので諦めることにした。
布団を頭からかぶり、横を向いて瞼を閉じた。
しかし中々眠気がやって来ない。
(睡眠薬貰えばよかった…)
数日前、鍛えていただけあって回復が早いと、医者に褒められたのを覚えている。早々に点滴を外され、食事も普通食になった。大きな事故だったにも関わらず、頭にも骨にも異常がないのが不幸中の幸いだと言われた。しかし2か月も昏睡状態だったこともあり、様子を見たいと数週間の検査入院が決まった。
しかし体力が回復してくると、エネルギーの発散不足で眠れなくなる。昨晩までは睡眠薬を貰っていたが、数日後には退院出来そうなのでそろそろ薬の服用をやめようと言われたのが今日の午後。
時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。
目を閉じてからたいぶ時間が経った気がする。天城が動く気配がして、静かに病室から出て行ったのが分かった。
掛布団をはがし、部屋の壁に目をやると、ちょうど時計が12時を指したところだった。
「少し歩いて来るか…」
医者からも病院内のウォーキングを勧められていた。寝たきりが長かったせいで、最初は一人で歩くのに苦労したが、数日で全く問題なくなった。やはり、筋トレを毎日欠かさず行っていたおかげだろうか。
私はベッドから出ると、院内用のスリッパを履き、病室の外へと出た。
最初は手すりに掴まりながらゆっくりと足を進め、それから手すりを離して歩く。
(うん、問題ない)
足元を見ながら慎重に私は歩みを前へと進めて行く。しかし、しばらくしたところで、足を止めた。後ろを振り返り、一気に歩いて来てしまったことを後悔した。
夜の病院内は、そこまで暗くはないものの、人の気配がない廊下は寒々しいものがあった。トイレとナースステーションだけは、夜間でも煌々と電気が付いており、常に人の話し声がする。しかし、VIP室に寝かされているせいか同じ階にナースステーションがなかった。
下の階に行けば良かったと後悔の念が私を押し寄せる。手すりに掴まり、ふうと大きく深呼吸をした。
(病院なんて怖くない)
私は来た道を戻ろうと、くるりと向きを変えた。その時、後ろでカタと音がした気がした。思わず足を止め、耳を済ませた。窓の外で風が吹いているだけだ。
(大丈夫、大丈夫)
呪文のように心の中で何度も言い聞かせながら、歩みを早めた。誰も後ろにいないというのに、誰かが付いて来ているのではと自分の想像に勝手に恐怖する。
行きの数倍も早く病室に着き、すぐさま扉を閉めた。
スライド式のドアの取っ手を両手で握ったまま、肩で息を整え、頭の中で反省会を開く。
(私の馬鹿。暗闇恐怖症のくせに、なんで夜に散歩なんかアホなことを…)
その時、いきなり肩に手を置かれ、まだ悲鳴を上げる力がなかった私は、膝から崩れ落ちた。
「お、おい」
焦った声が降って来た。顔を上げると当惑した表情の天城の顔が私を見下ろしていた。
「な、なんだ…、天城か。びっくりしたじゃない…」
私はため息交じりに呟いた。
「どこに行ってた?」
天城は私を立たせようと腕を掴んだが、足に力が入らず中々立ち上がれない。
「こ、腰が抜けたみたい…」
苦笑いしながら私がそう言うと、天城は小さなため息を吐き、いとも簡単に私を抱え上げた。
(げ…。またか…)
クリスマスパーティーの夜のことを嫌でも思い出してしまう。そして、自分の非力さも。
(子供にお姫様抱っこを二回もされるとは…)
ベッドまで運んでもらい、気まずい空気の中、私は下を向いたまま言った。
「ど、どうも。ご迷惑をおかけしました」
「出歩いてたのか?」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、天城が聞いた。私が小さく頷くと、やれやれと首を横に振った。「暗闇が怖いくせに」
その言葉を聞いて、私は顔が熱くなるのが分かった。
(その件で天城の前では恥を晒しまくりだ、私)
「か、帰ったのとだとばかり思ってました。人がいるとは…」
私は顔を上げ、暗闇が怖かったのではなく人が後ろにいたから驚いたのだと目で訴える。
「一人にはしない」
「え?」
思いがけない天城の言葉に聞き返してしまった。
階下にあるコンビニ行くために少し席を外していただけらしい。まだ使い込まれていないコンビニの袋からお茶を出して私に渡した。
「一人でいるのは心細いだろ」
天城がコーヒー牛乳にストローを差し込み、飲んでいる様を凝視する。
(天城ってこんなに優しい雰囲気だったっけ…)
「何」
私の視線に気がついた彼は、すっと眉根を寄せた。
どこかで誰かが言っていた言葉がふと脳裏に蘇った。
―彼を変えたのも貴女なのよ。
(私が変えた…?)
「聞きたいことがある」
ふと、天城が言った。