消えてしまった私の恋。
2020年9月20日
一
あのウイルスが世界中に拡まってから数ヶ月。激動の一年が終わろうとしていた。
六月と七月は平常登校とオンライン授業を組み合わせた、世間だとハイブリッド授業という手法で一学期が終わる。そして、肝心の夏休みはどうなったかと言えば、少し日数が減らされ、八月下旬から学校が始まるという異例な事態となった。
まだジリジリと太陽の光が容赦なく照りつける中、私も含め、うちの学校の生徒は汗をダラダラと流しながら学校に通った。中にはマスクを外し登校している生徒もいたため、近所の、いわゆるマスク警察がその人達を厳しく取り締まっていた。
そんな中、九月が到来する。
最近で言えば、長期政権であった安倍政権が持病の悪化の為に退陣、当時の官房長官であった菅義偉が安倍元総理の後を引き継ぎ、菅内閣として安倍路線を引き継いだ。
私はあまりニュースを見ない方だけど、菅総理が就任直後から携帯料金の引き下げなど、まさに自身が言っていた通り〝国民のために働く内閣〟なんだなって政治に関心のない私でもそう思った。
下旬になれば気温は少しずつ下がり始めていた。
「これが冬になれば一気に寒くなるのか~」
極度の冷え性でもある私は手を摩りながら登校していた。
アスファルトの道を歩いていると、マスク姿ではあるものの、最近まで誰もいなかった道に人が歩いていると、少しだけ心がホッとする。まあ、それは誰にとっても同じ、なのかな。
学校に到着し、下駄箱で上履きに履き替えていると、ある手紙が足下に落ちてきた。
「なんだこれ?」
その手紙を拾い中身を見てみると、そこに書かれていたのは恋文だった。自分はあなたのことが好き。好きだから放課後、下に書かれている場所に来て欲しい、と。
「ラブレターかぁ……」
そもそも私はラブレター自体を貰った経験がなく、これが初めての経験で何だか古臭く思えた。
――ラブレターって、何だか昭和のイメージ。
そう思いながら階段で四階にまで上がり、廊下を歩いて教室に入る。
白く綺麗な教室。邪魔なものはあまり置かれていない、無機質な教室。そんな教室をキュッキュッと床を鳴らして歩いていると、ある友達が後ろから驚かす。
「……あれ? 驚かないの?」
二年の時に友達になった女子――河和茉奈夏が言う。
「驚かないでしょ、普通。だって、教室のドアに潜んでいたんでしょ」
「ギクッ」
彼女が効果音を付けて驚いていると、私はさっさと自分の座席に歩く。窓際の最前席。そこが、私の席。
「ねね」
「ん?」
鞄を机の横に掛けていると、茉奈夏が話しかけてくる。
「亡くなったあの男子生徒のこと、知ってる?」
声を潜めて言うと、「うん、まあ」と私が言う。
「あの人、どういう経緯で感染したかも?」
「うん、まあ」
「知ってるんだ。でもなんで?」
「……誰にも言わない?」
私がこっそりと言うと、彼女は頷く。
「高一の頃、付き合ってた」
「へぇ⁉」
思わず声を上げて驚く茉奈夏に、私は唇に人差し指を添える。
「ごめんごめん。でも、付き合ってたんだ」
「うん。でも、あんまり出かけたりはしなかったんだけどね」
「そうなんだ。……あっ、あれやった? あの、カップル恒例の」
「え? カップル恒例のって?」
「キスだよ、キス。ほら、よく恋愛小説でよくあるじゃん」
「ああ~、よくあるよね」
「あったの?」
興味津々に彼女が聞くので、私はこっそりと頷いた。
「まじ? すご~い。私も一度で良いからしてみたいなぁ」
(どんな会話になってるんだろ、これ)
内心ツッコみながら、茉奈夏の何かと楽しんでいる様子を笑顔で見守った。
ある生徒の愛の告白を丁重に断った、放課後。
私は茉奈夏と一緒に駅前にあるカフェに来ていた。私たちが来ている駅前のカフェ、『リ・コンドルシュ』は元々『リ』という文字はついていなかったが、コロナ禍が始まって一度店を閉じてまた最近になって開けている、ということから『リ』がついているということだった。
店の外観はよくある洋風なカフェ、内装はチェーン店のような装いだった。スタバやスターバックスを彷彿させるような内装。それが、私たちも含まれるけど、今の若者に受けているとかなんとか。
窓際のテーブル席に向かい合って座る。私は普通のコーヒー、茉奈夏はカフェラテを頼む。カフェスタッフが店の奥へと消えるのを見計らって、私たちは会話を交わし始める。
最初は学校で起きる何気ない会話をして過ごしていたけど、次第にコロナ禍に関する話題へと変化していった。
「コロナ、いつ終息するんだろうね」
茉奈夏が運ばれてきたカフェラテを一口飲み、マスクを掛けてから言う。
「うん。普通、蔓延したウイルスって変異していく度に弱体していく一方だけど、今流行っているコロナウイルス、あまり変異しないよね。どうなってんだろ」
私がコーヒーを飲み、マスクをかけてから言う。
「あれじゃない? そもそもコロナは無かったとか」
「そんな陰謀論者みたいな発言は言わなくて良いの」
「テヘッ」
茉奈夏がおどけて言うと、「まあ本当に無かったら無かったで、一体何だったんだって言う話なんだけどさ」と目線を窓に向けて話し続ける。
「うん。もし本当に無かったとしたら、経験したことがないぐらい大騒ぎになってたかもね。でも」
「でも?」と彼女が首を傾げる。
「でも、今はマスクをしている。それってつまり、まだウイルスが蔓延しているからじゃない、かな?」
「確かに。うーん、でも、ウイルスは死滅しているのにマスクが未だ呼びかけられていた、としていたらどうなるんだろ」
「何だか陰謀論者みたいなことを言うよね、茉奈夏って」
「いやぁ~、何だかこういうことを話していると陰謀論者っぽく言いたくなるよね」
――同情を誘ってくる言い方だけど……、変人なの?
内心困惑をしていると、「巴ならどうする?」と聞かれる。
私は腕を組み唸る。
「うーん。私だったら、こう答えるかな」と言い、コホンと喉を鳴らして口を開ける。
「今こうして外に出られるのって、自らがマスクをして身の安全を確保していることだけじゃなくて、医療従事者の方々の頑張りもあるからだと思う。そのおかげか、日本は先進国の中でも被害が最小限にまで食い止められているでしょ? それが、ウイルスがいないだの、政府による茶番だの、そんなの言われても妄想癖が強い人だと思うんだよね。私にとって。だから、この数ヶ月間犠牲者が世界中より少ないのは、医療従事者の方々が最前線でウイルス、しかも未知とのウイルスと戦ってくれたおかげだと思う」
長く言葉を発し、乾いた口腔内をコーヒーで水分を満たす。
「……何だか、良い言葉だね」
微かにだけど茉奈夏が目に涙を浮かべる。
「え、なに泣いてんの?」と少し困惑して言うと、彼女が「うん」と頷く。
「だってさ……。巴の言う通り、この数ヶ月間あたしたちが合法的な引きこもりをしている中、一生懸命、致死率が分からなくて、まだ謎が多いウイルスに医療従事者の方々が頑張っているのか、と思っていたら急に涙腺が緩んじゃって」
「……涙腺緩っ」
唇の端を少し上げて苦笑いをしていると、「あそうだ」と彼女が隣に置いていた鞄をまさぐる。
「何か思い出したのかな……」
聞こえないように小声で呟くと、「はい、これ」と私に茉奈夏がある封筒を渡してくる。そこには私の名前が記されてあった。
「私の名前……? 誰からだろう」
「舞子って言う人から受け取ったんだけど、それ、巴の彼氏からだって」
「えっ」
思わず目を見開く。まさか、彼氏が私宛に遺言を遺すなんて。
「……どうしたの?」
茉奈夏が顔を覗くように言う。私は顔を振って「ううん」と誤魔化す。
涙腺が緩んできた。
やばいやばい。
今にも震えそうな手で封筒を開け、入っていた手紙を読み始める。
『拝啓、巴さんへ。
この手紙を読んでいるということは、もう僕は死んでいるということです。新型コロナで亡くなったのか、それとも喘息の発作で亡くなったか、それはこれを書いている時点で分かりません。けど、恐らくコロナで亡くなっていると僕は思います。
さて、本題に入りたいと思います。
僕が君に宛てて書いている理由はただ一つです。
それは、あなたに感謝しているからです。
え? なんで感謝しているのって?
不思議だよね。だけど、僕にとって不思議じゃない。
だって、君自身、意識していないことだから。
感謝をしたのは四月頃になります。
あの時の僕は、どうにかしてた。一言で言ってしまえば。
僕、下に一歳差の弟がいるんだけど、その人がまあワガママで。それで、三月にどうしても家族と旅行に行きたいだの騒いで結局旅行することになったんだけどね。そうしたら、コロナと被って。最初は母親も父親も揃って止めようとしたんだけど、弟が近所にいる陰謀論者みたいなやつに吹き込まれて、ワガママを押し切ったみたい。それで、あの場でも言った通り、僕だけ家に取り残されて旅行に行って。どうしようもない弟だったよ。ない根拠を並べて、まるで妄想癖のある人のように新型コロナウイルスについて語り初めて。どうしようもなかったよ。
それで、僕は家族をマスク姿で出迎えたよ。もしかしたらコロナに感染しているかもって。それに、持病のある人って重症化するリスクが高いんだっけ? だから、僕は余計に警戒した。もし感染したら死ぬつもりぐらいの。
両親は僕の考えに理解してくれたんだけど、陰謀論者に考えを吹き込まれた弟はなかなか理解して貰えなくて。両親はマスクをして貰えたんだけど、弟が何もしてくれなくて、結局僕も含めて一家全員感染してしまった。
こうなった以上、弟の責任だよね。うん。
星野家の汚点だよ。いや、人類の汚点、なのかな。そんな気がする。
それで、僕の感染がまだ確認されていないとき、精神を病んでしまった。こんな弟がいるせいで家族が滅茶苦茶にされたんだって。誰も会いたくなかった。本当に。
だけど、なぜか君に会いたくなった。
なんでかは知らない。
本当に。
なぜ急に君に会いたくなったのか、よく分からない。
だけど、これだけは言える。
僕は、君のことが好きだ。
好きだから、会いたい。
よく言うよね。もうすぐ自分が死ぬ時にもう一度会いたい人がいる場合、それは家族や友人、恋人などの大切な人になるんだって。
実感したよ。
僕は君のことが好きだから、会いたい。
だからあの時、メッセージを送ったんだ。
それで実際に君と会ったのは良いんだけど、その時の君は僕に驚いてた。
そうだよね。僕、変わりすぎたよね。
窶れて。
髪がボサボサで。
マスクで隠れているから分かんないと思うけど、髭もボーボーだった。
一瞬だけ落ち込んじゃった。ごめん。
その後も謝らないといけないよね。
突然暴力を振ったり、抱きついたり、キスしたりして、ごめん。
典型的なダメ男の例だよね。これ。
あの時の君が言ってくれた言葉、本当に僕の心に響いた。
大切な何かを失いかけていた気がする。
最期に君に向けてお別れの言葉を伝えたいと思います。
巴へ。短い間だったけどありがとう。
初めて出会ったのは確か、入学式の頃だったかな? あの頃はちゃんと面と面を交わしていなかったから会ったかどうかは分からないけど、僕としては会ったことにしてます。あの時、僕は君に一目惚れをしました。一瞬だったんだけど、あの時輝いていた君に僕は一目惚れをしました。
だけど、その時一つ欠点がありました。
それは、君と僕とは互いにクラスが同じだけど、席が離れていたという点。(気持ち悪いと思わないで)離れて見た君、本当に可愛いなぁって、見てました。勝手に。
それで、帰り際に連絡先でも交換しようかなって思ったんだけど、中学の頃から同じ友達に誘われて部活を見ることになって、何やかんやあって君と会うのが夏になっちゃった。
夏頃の君は最初見た頃より美しかった。何だか、大人の魅力が少し加味されていたような。化粧のせいかな? そのせいか、可愛く、少し大人っぽかった。
そして、あの時の告白は緊張したよ。人生で初めての経験だから。
だから、あの時君が僕の告白を受けて入れてくれて、本当に胸がホッとした。そして、これが〝恋〟なんだって、同時に思ったりもした。
ショッピングモールで一緒に行ったり。
学校の図書室で一緒に本を読んだり。
花火大会の時に恋愛小説でよくありがちなことをやったり。
僕にとって、大切な思い出。
僕にとって、君は大切な人。
本当にありがとう。
星野雅より
いつ振りだろう。
涙腺がこんなにも、緩くなってしまったのは。
此の世に未練を残し去ってしまった彼氏。
いや、正確にはもう彼氏と呼べない。
元彼だ。
だけど。
だけど。
だけど。
彼は、私のことを信頼してた。最期まで。
なのに、私は最後の最期まで信頼していなかった。
自分勝手で、中心的。
これじゃあ、自己中心的じゃん。
雅くんが悲しむ。
脳裏に彼の笑顔が霞む。
そして、目から頬を伝って涙が零れる。
「……ねぇ、涙」
茉奈夏のその声を聞いて現実に呼び戻される。
「あ、うん。……ごめん」
「……良いよ。ほら、ハンカチ」
そう言われ、私は彼女からハンカチを受け取って涙を拭く。
「……ちょっと、お手洗い行ってくる」
彼女がそう言うと、鞄から予備のハンカチを持って店の奥へと消える。
――うぅ……。
どうしよう。泣いてしまう。
マスクが濡れちゃう。
けど、止まんない。
止められない。
どうして?
どうして、涙が止まらないの?
なんで?
どうして?
ううううぅぅ……。
マスクで覆っているはずなのに、口が塞がらない。
そして、そこから呻き声が出てしまう。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……。
……そうだ。
水を飲もう。
マスクを外し、涙で震えた手で透明な液体が入ったプラスチックの容器を持つ。
しっかりと。
しっかり。
両手でホールドし、口に運ぼうとする。
だけど、震えてなかなか飲み込めない。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……。
水が零れる。
そして、私は上半身だけが崩れ、テーブルに落ちる。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼ うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼ うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼
一気に涙腺が崩壊した気がした。
こんなに泣いたのは初めてのような気がした。
ダメだ。我慢したらもっと出る気がする。
うっうっうっ……。
うっうっうっ……。
うっうっうっ……。
そう小さな隙間から漏れ出す声を出していると、誰かが私の背中をポン、と触る。
温かい。
ただ、温かい。
だけど、それ以上。
言葉では上手く言い表せないほど。
そんな感じがした。
涙でグシャグシャになった顔を後ろに向ける。
そこには、友人の茉奈夏がいた。
「もう……、一人で抱え込まなくて良いんだよ」
彼女のその言葉が、私の心に優しく溶け込む。
そして、涙腺が緩み。
緩み。
緩んで。
緩みまくって。
視界が透明な液体でぼやけ。
ついには。
目から涙をいっぱい、零した。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼
私の泣き声が、カフェで漂う優しい〝何か〟に溶け込んだ。
一
あのウイルスが世界中に拡まってから数ヶ月。激動の一年が終わろうとしていた。
六月と七月は平常登校とオンライン授業を組み合わせた、世間だとハイブリッド授業という手法で一学期が終わる。そして、肝心の夏休みはどうなったかと言えば、少し日数が減らされ、八月下旬から学校が始まるという異例な事態となった。
まだジリジリと太陽の光が容赦なく照りつける中、私も含め、うちの学校の生徒は汗をダラダラと流しながら学校に通った。中にはマスクを外し登校している生徒もいたため、近所の、いわゆるマスク警察がその人達を厳しく取り締まっていた。
そんな中、九月が到来する。
最近で言えば、長期政権であった安倍政権が持病の悪化の為に退陣、当時の官房長官であった菅義偉が安倍元総理の後を引き継ぎ、菅内閣として安倍路線を引き継いだ。
私はあまりニュースを見ない方だけど、菅総理が就任直後から携帯料金の引き下げなど、まさに自身が言っていた通り〝国民のために働く内閣〟なんだなって政治に関心のない私でもそう思った。
下旬になれば気温は少しずつ下がり始めていた。
「これが冬になれば一気に寒くなるのか~」
極度の冷え性でもある私は手を摩りながら登校していた。
アスファルトの道を歩いていると、マスク姿ではあるものの、最近まで誰もいなかった道に人が歩いていると、少しだけ心がホッとする。まあ、それは誰にとっても同じ、なのかな。
学校に到着し、下駄箱で上履きに履き替えていると、ある手紙が足下に落ちてきた。
「なんだこれ?」
その手紙を拾い中身を見てみると、そこに書かれていたのは恋文だった。自分はあなたのことが好き。好きだから放課後、下に書かれている場所に来て欲しい、と。
「ラブレターかぁ……」
そもそも私はラブレター自体を貰った経験がなく、これが初めての経験で何だか古臭く思えた。
――ラブレターって、何だか昭和のイメージ。
そう思いながら階段で四階にまで上がり、廊下を歩いて教室に入る。
白く綺麗な教室。邪魔なものはあまり置かれていない、無機質な教室。そんな教室をキュッキュッと床を鳴らして歩いていると、ある友達が後ろから驚かす。
「……あれ? 驚かないの?」
二年の時に友達になった女子――河和茉奈夏が言う。
「驚かないでしょ、普通。だって、教室のドアに潜んでいたんでしょ」
「ギクッ」
彼女が効果音を付けて驚いていると、私はさっさと自分の座席に歩く。窓際の最前席。そこが、私の席。
「ねね」
「ん?」
鞄を机の横に掛けていると、茉奈夏が話しかけてくる。
「亡くなったあの男子生徒のこと、知ってる?」
声を潜めて言うと、「うん、まあ」と私が言う。
「あの人、どういう経緯で感染したかも?」
「うん、まあ」
「知ってるんだ。でもなんで?」
「……誰にも言わない?」
私がこっそりと言うと、彼女は頷く。
「高一の頃、付き合ってた」
「へぇ⁉」
思わず声を上げて驚く茉奈夏に、私は唇に人差し指を添える。
「ごめんごめん。でも、付き合ってたんだ」
「うん。でも、あんまり出かけたりはしなかったんだけどね」
「そうなんだ。……あっ、あれやった? あの、カップル恒例の」
「え? カップル恒例のって?」
「キスだよ、キス。ほら、よく恋愛小説でよくあるじゃん」
「ああ~、よくあるよね」
「あったの?」
興味津々に彼女が聞くので、私はこっそりと頷いた。
「まじ? すご~い。私も一度で良いからしてみたいなぁ」
(どんな会話になってるんだろ、これ)
内心ツッコみながら、茉奈夏の何かと楽しんでいる様子を笑顔で見守った。
ある生徒の愛の告白を丁重に断った、放課後。
私は茉奈夏と一緒に駅前にあるカフェに来ていた。私たちが来ている駅前のカフェ、『リ・コンドルシュ』は元々『リ』という文字はついていなかったが、コロナ禍が始まって一度店を閉じてまた最近になって開けている、ということから『リ』がついているということだった。
店の外観はよくある洋風なカフェ、内装はチェーン店のような装いだった。スタバやスターバックスを彷彿させるような内装。それが、私たちも含まれるけど、今の若者に受けているとかなんとか。
窓際のテーブル席に向かい合って座る。私は普通のコーヒー、茉奈夏はカフェラテを頼む。カフェスタッフが店の奥へと消えるのを見計らって、私たちは会話を交わし始める。
最初は学校で起きる何気ない会話をして過ごしていたけど、次第にコロナ禍に関する話題へと変化していった。
「コロナ、いつ終息するんだろうね」
茉奈夏が運ばれてきたカフェラテを一口飲み、マスクを掛けてから言う。
「うん。普通、蔓延したウイルスって変異していく度に弱体していく一方だけど、今流行っているコロナウイルス、あまり変異しないよね。どうなってんだろ」
私がコーヒーを飲み、マスクをかけてから言う。
「あれじゃない? そもそもコロナは無かったとか」
「そんな陰謀論者みたいな発言は言わなくて良いの」
「テヘッ」
茉奈夏がおどけて言うと、「まあ本当に無かったら無かったで、一体何だったんだって言う話なんだけどさ」と目線を窓に向けて話し続ける。
「うん。もし本当に無かったとしたら、経験したことがないぐらい大騒ぎになってたかもね。でも」
「でも?」と彼女が首を傾げる。
「でも、今はマスクをしている。それってつまり、まだウイルスが蔓延しているからじゃない、かな?」
「確かに。うーん、でも、ウイルスは死滅しているのにマスクが未だ呼びかけられていた、としていたらどうなるんだろ」
「何だか陰謀論者みたいなことを言うよね、茉奈夏って」
「いやぁ~、何だかこういうことを話していると陰謀論者っぽく言いたくなるよね」
――同情を誘ってくる言い方だけど……、変人なの?
内心困惑をしていると、「巴ならどうする?」と聞かれる。
私は腕を組み唸る。
「うーん。私だったら、こう答えるかな」と言い、コホンと喉を鳴らして口を開ける。
「今こうして外に出られるのって、自らがマスクをして身の安全を確保していることだけじゃなくて、医療従事者の方々の頑張りもあるからだと思う。そのおかげか、日本は先進国の中でも被害が最小限にまで食い止められているでしょ? それが、ウイルスがいないだの、政府による茶番だの、そんなの言われても妄想癖が強い人だと思うんだよね。私にとって。だから、この数ヶ月間犠牲者が世界中より少ないのは、医療従事者の方々が最前線でウイルス、しかも未知とのウイルスと戦ってくれたおかげだと思う」
長く言葉を発し、乾いた口腔内をコーヒーで水分を満たす。
「……何だか、良い言葉だね」
微かにだけど茉奈夏が目に涙を浮かべる。
「え、なに泣いてんの?」と少し困惑して言うと、彼女が「うん」と頷く。
「だってさ……。巴の言う通り、この数ヶ月間あたしたちが合法的な引きこもりをしている中、一生懸命、致死率が分からなくて、まだ謎が多いウイルスに医療従事者の方々が頑張っているのか、と思っていたら急に涙腺が緩んじゃって」
「……涙腺緩っ」
唇の端を少し上げて苦笑いをしていると、「あそうだ」と彼女が隣に置いていた鞄をまさぐる。
「何か思い出したのかな……」
聞こえないように小声で呟くと、「はい、これ」と私に茉奈夏がある封筒を渡してくる。そこには私の名前が記されてあった。
「私の名前……? 誰からだろう」
「舞子って言う人から受け取ったんだけど、それ、巴の彼氏からだって」
「えっ」
思わず目を見開く。まさか、彼氏が私宛に遺言を遺すなんて。
「……どうしたの?」
茉奈夏が顔を覗くように言う。私は顔を振って「ううん」と誤魔化す。
涙腺が緩んできた。
やばいやばい。
今にも震えそうな手で封筒を開け、入っていた手紙を読み始める。
『拝啓、巴さんへ。
この手紙を読んでいるということは、もう僕は死んでいるということです。新型コロナで亡くなったのか、それとも喘息の発作で亡くなったか、それはこれを書いている時点で分かりません。けど、恐らくコロナで亡くなっていると僕は思います。
さて、本題に入りたいと思います。
僕が君に宛てて書いている理由はただ一つです。
それは、あなたに感謝しているからです。
え? なんで感謝しているのって?
不思議だよね。だけど、僕にとって不思議じゃない。
だって、君自身、意識していないことだから。
感謝をしたのは四月頃になります。
あの時の僕は、どうにかしてた。一言で言ってしまえば。
僕、下に一歳差の弟がいるんだけど、その人がまあワガママで。それで、三月にどうしても家族と旅行に行きたいだの騒いで結局旅行することになったんだけどね。そうしたら、コロナと被って。最初は母親も父親も揃って止めようとしたんだけど、弟が近所にいる陰謀論者みたいなやつに吹き込まれて、ワガママを押し切ったみたい。それで、あの場でも言った通り、僕だけ家に取り残されて旅行に行って。どうしようもない弟だったよ。ない根拠を並べて、まるで妄想癖のある人のように新型コロナウイルスについて語り初めて。どうしようもなかったよ。
それで、僕は家族をマスク姿で出迎えたよ。もしかしたらコロナに感染しているかもって。それに、持病のある人って重症化するリスクが高いんだっけ? だから、僕は余計に警戒した。もし感染したら死ぬつもりぐらいの。
両親は僕の考えに理解してくれたんだけど、陰謀論者に考えを吹き込まれた弟はなかなか理解して貰えなくて。両親はマスクをして貰えたんだけど、弟が何もしてくれなくて、結局僕も含めて一家全員感染してしまった。
こうなった以上、弟の責任だよね。うん。
星野家の汚点だよ。いや、人類の汚点、なのかな。そんな気がする。
それで、僕の感染がまだ確認されていないとき、精神を病んでしまった。こんな弟がいるせいで家族が滅茶苦茶にされたんだって。誰も会いたくなかった。本当に。
だけど、なぜか君に会いたくなった。
なんでかは知らない。
本当に。
なぜ急に君に会いたくなったのか、よく分からない。
だけど、これだけは言える。
僕は、君のことが好きだ。
好きだから、会いたい。
よく言うよね。もうすぐ自分が死ぬ時にもう一度会いたい人がいる場合、それは家族や友人、恋人などの大切な人になるんだって。
実感したよ。
僕は君のことが好きだから、会いたい。
だからあの時、メッセージを送ったんだ。
それで実際に君と会ったのは良いんだけど、その時の君は僕に驚いてた。
そうだよね。僕、変わりすぎたよね。
窶れて。
髪がボサボサで。
マスクで隠れているから分かんないと思うけど、髭もボーボーだった。
一瞬だけ落ち込んじゃった。ごめん。
その後も謝らないといけないよね。
突然暴力を振ったり、抱きついたり、キスしたりして、ごめん。
典型的なダメ男の例だよね。これ。
あの時の君が言ってくれた言葉、本当に僕の心に響いた。
大切な何かを失いかけていた気がする。
最期に君に向けてお別れの言葉を伝えたいと思います。
巴へ。短い間だったけどありがとう。
初めて出会ったのは確か、入学式の頃だったかな? あの頃はちゃんと面と面を交わしていなかったから会ったかどうかは分からないけど、僕としては会ったことにしてます。あの時、僕は君に一目惚れをしました。一瞬だったんだけど、あの時輝いていた君に僕は一目惚れをしました。
だけど、その時一つ欠点がありました。
それは、君と僕とは互いにクラスが同じだけど、席が離れていたという点。(気持ち悪いと思わないで)離れて見た君、本当に可愛いなぁって、見てました。勝手に。
それで、帰り際に連絡先でも交換しようかなって思ったんだけど、中学の頃から同じ友達に誘われて部活を見ることになって、何やかんやあって君と会うのが夏になっちゃった。
夏頃の君は最初見た頃より美しかった。何だか、大人の魅力が少し加味されていたような。化粧のせいかな? そのせいか、可愛く、少し大人っぽかった。
そして、あの時の告白は緊張したよ。人生で初めての経験だから。
だから、あの時君が僕の告白を受けて入れてくれて、本当に胸がホッとした。そして、これが〝恋〟なんだって、同時に思ったりもした。
ショッピングモールで一緒に行ったり。
学校の図書室で一緒に本を読んだり。
花火大会の時に恋愛小説でよくありがちなことをやったり。
僕にとって、大切な思い出。
僕にとって、君は大切な人。
本当にありがとう。
星野雅より
いつ振りだろう。
涙腺がこんなにも、緩くなってしまったのは。
此の世に未練を残し去ってしまった彼氏。
いや、正確にはもう彼氏と呼べない。
元彼だ。
だけど。
だけど。
だけど。
彼は、私のことを信頼してた。最期まで。
なのに、私は最後の最期まで信頼していなかった。
自分勝手で、中心的。
これじゃあ、自己中心的じゃん。
雅くんが悲しむ。
脳裏に彼の笑顔が霞む。
そして、目から頬を伝って涙が零れる。
「……ねぇ、涙」
茉奈夏のその声を聞いて現実に呼び戻される。
「あ、うん。……ごめん」
「……良いよ。ほら、ハンカチ」
そう言われ、私は彼女からハンカチを受け取って涙を拭く。
「……ちょっと、お手洗い行ってくる」
彼女がそう言うと、鞄から予備のハンカチを持って店の奥へと消える。
――うぅ……。
どうしよう。泣いてしまう。
マスクが濡れちゃう。
けど、止まんない。
止められない。
どうして?
どうして、涙が止まらないの?
なんで?
どうして?
ううううぅぅ……。
マスクで覆っているはずなのに、口が塞がらない。
そして、そこから呻き声が出てしまう。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……。
……そうだ。
水を飲もう。
マスクを外し、涙で震えた手で透明な液体が入ったプラスチックの容器を持つ。
しっかりと。
しっかり。
両手でホールドし、口に運ぼうとする。
だけど、震えてなかなか飲み込めない。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……。
水が零れる。
そして、私は上半身だけが崩れ、テーブルに落ちる。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼ うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼ うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼
一気に涙腺が崩壊した気がした。
こんなに泣いたのは初めてのような気がした。
ダメだ。我慢したらもっと出る気がする。
うっうっうっ……。
うっうっうっ……。
うっうっうっ……。
そう小さな隙間から漏れ出す声を出していると、誰かが私の背中をポン、と触る。
温かい。
ただ、温かい。
だけど、それ以上。
言葉では上手く言い表せないほど。
そんな感じがした。
涙でグシャグシャになった顔を後ろに向ける。
そこには、友人の茉奈夏がいた。
「もう……、一人で抱え込まなくて良いんだよ」
彼女のその言葉が、私の心に優しく溶け込む。
そして、涙腺が緩み。
緩み。
緩んで。
緩みまくって。
視界が透明な液体でぼやけ。
ついには。
目から涙をいっぱい、零した。
うぅうぅぅっぁうぁあぁぁあうぅぁぁぁうぁぁうあぁぁあ……‼
私の泣き声が、カフェで漂う優しい〝何か〟に溶け込んだ。