消えてしまった私の恋。
2019年4月7日
 

 
 
 
 桜が舞い散る校門。
 そこに、桜丘高等学校という名前が記されており、その前でこれから充実した高校生活を送ろうとしていた女子高生が写真を撮っていた。
 「はい、チーズ」
 巴の母――邑井麻由美が巴の真新しい制服姿を写真に収める。
 「いよいよ高校生だな」
 巴の父――邑井一郎が、巴が三年間通う校舎を見上げながら期待して言う。
 「三年間、頑張れよ」
 一郎が巴の肩を叩いて言うと、「うん、頑張る」と彼女が言う。
 桜丘高等学校。巴が通う学校で、西東京市で上位を争う程の名門私立学校。理事長は最近脱税容疑で逮捕され、そのせいか一時期桜丘高等学校の悪い噂が飛び交った。両親や中学の先生が一時期反対したこともあったが、巴はそれでも桜丘高等学校を目指し、こうして入学式という晴れやかな日を送ることが出来ているという。
 「おぉ~、さすが名門校。校舎が綺麗かつ、設備が整っておる」
 一郎がお爺ちゃんのような台詞を口にしているのを巴は横目で見る。そして、彼らはこれから入学式が行われる体育館へ歩いて行った。
 「入学式、頑張って!」
 麻由美が声を張りきって言うと、巴は大きく頷く。
 巴は体育館に入り、受付に向かう。
 「邑井巴です」
 緊張して声が強ばっているのを感じながら、自分の名前を言う。
 「邑井巴さん。事前にクラスがお手元の資料に記されていると思われますので、そちらを見ながら自分のお名前が記された椅子に着席するようお願いします」
 受付の方が慇懃に言い、頭を下げる。
 巴も同じく頭を下げ、『一年四組』と書かれたプラカードを探す。
 ──みんな、もう友達が出来てる。内気な私でも、出来るかなぁ。
 巴は会場内で既に出来ている話の輪を不安に思いながら、ビニールで出来た緑色の絨毯を踏み、前に進む。
 ──ここか。
 『一年四組』と書かれたプラカードを一瞥した後、彼女は自分の名前が記された椅子に腰を下ろす。
 ──緊張する……。
 周囲を忙しなく見ていると、「こんにちは」と横から声を掛けられる。
 「あ、はい!」
 思わず声を上ずって出してしまう。緊張して。
 「一年四組はここで合ってますか?」
 ショートカットで、鼻筋がよく通り、少し背丈が巴より高い女性が言う。
 「ああ、はい」
 「良かった。あなたも1年4組?」
 女性が座りながら言うと、私も同じような動作をして女性の方に顔を向ける。
 「そうです」
 「そうなんだ! 私、岩元舞子って言うの。岩に元で、舞うに子どもの子。よろしくね」
 「こちらこそ。私、邑井巴って言います。おおざとと書いて、井戸の井。巴戦の巴。よろしくです」
 「巴さん。漢字ってどう書くの?」
 舞子がそう疑問に付すと、巴は空中に筆を下ろして自分の名前を書いた。
 「へぇ~、そう書くんだ」
 「人からはよく珍しいねって言われます」
 巴は少し恥ずかしがって言うと、舞子は「確かにね」と言う。
 「巴さんは部活動入るの?」
 「うーん、入る予定ではあるけど、まだ決めてないかな」
 眉間に皺を寄せながら彼女がそう答えると、舞子は「そうなんだ。私だったらもう決めているかな」と空を見上げて言う。
 「どういう部活に入るんですか?」
 「女子ソフトボール部。私、小さい時からソフトボールをずーっとやってて。それだから、この高校にソフトボール部があると分かって、すぐに入りたいと思ってこの高校に入ったの。この高校のソフトボール部、かなり大会歴があるみたいだし」
 「そうなんですね」
 「タメで良いよ。お互い同級生なんだし」
 「ああ、じゃあタメで」
 「あとさ、なんと呼べば良いの?」
 「うーん。よく中学の同級生からは、〝巴ちゃん〟って呼ばれてたかなぁ」
 「そうなんだ! じゃあ、巴ちゃんってこれから呼ばせて貰うね!」
 「うん! 舞子さんはなんて呼べば?」
 「私は〝舞子〟ってただ呼び捨てして貰えれば良いよ。小学校、中学校でそう呼ばれ続けていたし」
 「じゃあ、遠慮無く呼び捨てでいきます」
 「じゃあ、よろしくね! 巴ちゃん!」
 「うん! よろしくね! 舞子!」
 彼女らはお互い笑顔で見つめ合って、その後も何気ない会話を過ごした。
 
 
 

 
 
 
 一時間で入学式は終わり、巴は入学祝いで買って貰った携帯を使って両親に連絡をする。
 「あ、もしもし? 入学式終わったよー。これからホームルームに行ってきます」
 『うん。じゃあ、終わったら言ってね』
 電話の中で麻由美がそう言い、「それじゃ」と巴は電話を切る。
 真新しい鞄を持ち、出入り口に向かう。
 ローファーに履き替え、外に出た時、巴の心がドクンと波打った。
 ──え? なにこの、感情。
 彼女が目にした景色――ある男の背中が彼女の瞳の中で眩しく輝いていた。
 「かっこいい……」
 (まるで少女漫画に出てきそうな顔つき……。鼻が高くて、目がキリっと。そして、長髪……)
 巴が独り言のように呟く。
 
 キーン。
 コーン。
 カーン。
 コーン。
 
 「あいっけね‼」
 巴は急いで駆け出し、履き慣れていないローファーに痛みを感じながらある男を追い抜いていき、自分のクラスの教室へ急いだ。
 「……?」
 その男――星野雅は鞄を肩に掛けながら、追い抜かれた巴の背中を見て不思議に思った。
 (……何だったんだろ。まあ、気にすることはないか。――にしても、可愛かったなぁ……)
 雅は友達に呼ばれ、止めていた足を友達に向けて動かした。
 
 巴はギリギリ何とか間に合い、自分の教室に入って席に座る。
 (間に合った……)
 息を整えて机に伏せていると、扉の開く音が教室に響く。
 巴は教室に入ってきた坊主頭のスーツの男性を見る。
 「体育系の先生か……」
 気分を落ち込ませていると、坊主頭の男――担任だと言うーーが黒板に自分の名前を書いて教卓に手を置く。
 「わぁたくしの名前は近藤宏と言いますぅ。俺はこの君たちのクラス担任だぁ。よろしくお願いしまぁあす‼」
 (意外と癖がある先生だった‼)
 歌舞伎の真似事をしている宏を巴は内心ツッコんでいると、コホンと宏は空咳をする。
 「ええ、おふざけはここまでにしといて。これから一年間、一年四組の担任を務めることになった近藤宏だ。みんなと一緒に最高のクラスにしていこうなっ!」
 元気を込めて宏が厚い胸板をバンッと叩く。そのせいか、教室には低い音が空気を伝って響いた。
 「よし、まずは……、初めての学級通信を配っていく。配られたら後ろに回すようにー」
 宏がプリントを配りながら言う。
 巴は配られたプリントを前から受け取り、一枚取って後ろに流す。一番上に『学級通信』とでかくプリントアウトされているプリントを一瞥しながら、内容を見る。ごくごく普通の内容で、入学をお祝いしているような感じだった。
 「よし。次は一年間、いや三年間共に過ごしていく仲間と話そう。それじゃあ、まずは近くの人達と固まってお互い自己紹介をしてくれ」
 そう言い、宏は皆に向かって会話を促す。
 各々が近くの人と話をしている中、巴もまた隣のひ弱な男と話していた。
 「名前は? なんて言うの?」と巴。
 「……えーっと。吉田真樹と言います。吉田に、真面目の真、樹木の樹」
 「正樹くんね。私、邑井巴。漢字はこう書くの」
 そう言い、彼女は空中に筆を走らせた。
 「……ふむふむ。というと、巴さんの漢字ってこんな漢字?」
 正樹はさっき走り書きをしたメモ帳を巴に見せる。そこに、ちゃんと『邑井巴』と書かれていた。
 「そうそう! 〝巴ちゃん〟って呼んでも良いよ」
 「じゃあ……、巴ちゃんで。僕は普通に正樹って呼び捨てで良いです」
 「うん。でも、何だか正樹を見ていると、あだ名をつけたいなぁ」
 「あだ名?」と正樹が首を傾げる。
 「そう。君のような、目がクリッとしている男を見るとあだ名をつけたいんだよねぇ~」
 「えぇ~、そうかな」
 「そうだよ~」
 恥ずかしそうに正樹が視線を泳がせながら言うと、巴がその反応を見ながらはにかむ。
 「例えばさ、僕だったらどんなあだ名が付けられるの?」
 そう言われ、巴は正樹をじっと見つめる。
 (目のクリクリ。童顔。マッシュルームのような髪型。小さな手。長い脚)
 脳裏に浮かぶ数々のあだ名の候補を選び、巴はそれを口に出す。
 「マッシュルーム!」
 「失礼な!」
 二人でゲラゲラと笑い合っていると、担任の宏が皆に向かって「そろそろ良いかー?」と言う。
 「時間だね」
 「うん。後でLINEでも交換しない?」
 「そうしよ。じゃっ、また後で」
 そう言い、巴は自分の座席に戻った。すると、担任が教壇でパンパンと手を叩いて視線を自分に集める。
 「楽しい会話を遮って悪いが、時間が押してきているので、今度はこの学校について軽く説明をする」
 担任が低い声で教室に響かせると、クラスの雰囲気がさっきの明るい雰囲気からうって変わって、一気に重くなる。
 「そうだな……。最初は校則の話をしよう。うちの学校、桜丘高等学校はここの地域では有名な私立の名門校だ。そのため、校則が他の学校と比べて厳しいところがある」
 「それってどんな校則なんですかー?」
 丁度真ん中に位置するクラスメートが挙手をして言う。
 「それはだな……」宏が言葉を一旦切ると、皆が固唾を呑んで見守る。
 「〝普通に生きる〟ことだ!」
 宏が力強く言うと、あまりにも抽象的な内容に皆がシーンと静まりかえる。
 (……〝普通に生きる〟ことってなに? どういうこと?)
 誰でも思っていそうなことを巴は心の内で言っていると、宏がせき払いをする。
 「だろうな。お前達なら、そう反応すると思ったよ。実はな、この学校が出来た頃は戦時中だったんだ。その時はみんなの知っている通り、〝普通に〟生きられない時代。どこからか焼夷弾が降ってくるかも知れなかったし、いつ空襲警報が鳴っても助かるようにあちこちに防空壕があったんだ。勿論、その跡形がこの学校にもある。そして、戦争が終わって戦後になってすぐに〝普通に〟生きられるかと思いきや、すぐにアメリカとソ連の大国どうしで睨み合いが始まって、キューバ危機という人類の終焉が差し迫った出来事が起きたり、国内だとオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたりと、あまりにも現実とはかけ離れた出来事が続いたものだから、当時の校長は〝普通に〟生きることを願って欲しい、そう言う思いがあってこの校則が出来たんだ。だから、君たちには〝普通に生きる〟ことを常に意識してこの学校での高校生活を楽しく営んで欲しい」
 そう言い、宏が口を閉ざす。
 (……何だか、普通に良い校則)
 巴が少し感慨深く思っていると、宏が「以上で担任の話は終わる」と言って「起立!」と声を上げる。
 その合図と共に皆が一斉に立ち上がり、ピシッと姿勢を整える。
 「これから一年……」と担任である宏がそう言ったのち、息を吸う。
 「よろしくお願いしますっ‼」
 宏がクラスに響かせると、皆も「よろしくお願いします」と担任と同じような声量でクラスに放たせる。
 晴れやかな気分が、巴のこれからの人生を明るくさせた。
 そして、教室に差し込む日光が巴の横顔を照らした。
 
 
 
 校門前。巴は携帯をいじりながら両親を待つ。
 (良いなぁ~。みんなは入学式当日から一緒に友達と帰れて)
 道端で遊びながら帰る、同じ学校の人達を羨ましいと思いながら巴は見る。
 「お待たせ」
 そう声がした先にいたのは、巴が一目惚れをした男だった。
 (かっこいい……)
 目を輝かせながら、友達と話しながら帰る男を見ていると、「よっ」と後ろから声が掛かる。
 そこに居たのは、巴の両親だった。
 「なに見てるの? あ、まさか、一目惚れ?」
 少し頬を赤らめている巴を見て、一郎がおどけて見せる。
 「ち、違うって」
 「あ~、その反応は~」
 「違うってば‼」
 恥ずかしがりながら反論をする巴に、一郎はクックックと笑みをこぼす。
 「まあ、良いじゃない。巴に初恋の人が出来たんだから」
 「お母さんまで!」
 巴が耳を赤く染めていると、一郎が「ところで、友達は出来たか?」と言う。
 「ああ、うん。出来た」
 頬をまだ赤らめた状態で巴は言う。
 「どんな人だ?」
 「うーん。今のところ二人友達が出来たんだけど、一人は女子で、もう一人は男子かな」
 〝男子〟という言葉に一郎の眉がピクリと動く。
 「男子? その人はどういう人なんだ?」
 一郎が低い声で言う。
 「んー。全体的に大人しいって感じの子? 眼鏡っ子で真面目そうな人だった」
 「そうなんだ」と一郎が興味なさげに答える。
 (警戒してんだろうな……)
 巴は一郎に対して内心愚痴をこぼしつつ、話を続けた。
 「あと一人の女子なんだけど、その子は入学式の会場で会ったんだよね。あっちから話しかけてくれて、話を進むにつれて段々と意気投合しちゃって。それで、既にLINEもゲットしちゃってる。ついでに言うと、さっき言った男の子もね」
 そう言うと、またもや「は? LINE?」と一郎が驚いて言う。
 「そうだけど、それが?」
 巴が首を傾げる。
 「いや、何でも無い」
 そう言い、一人で一郎は歩き始めた。
 すると、麻由美が巴に近づいて静かに話す。
 「お父さん、ああ見えて心配性だから気にしないで」
 そう言って、麻由美は一郎の側に駆け寄る。
 (やれやれ……。世間のお父さんっていつも……)
 呆れながらも、巴は二人を追った。
 
 
 
 

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