消えてしまった私の恋。
2019年8月17日
一
「わっせわっせわっせ……」
巴は浴衣姿で人混みの中、走る。
八月十七日。この日は地域で行われる花火大会であり、巴にとって、雅にとって三回目のデートをする日。
この一年で大きく開かれるイベント、ということあって、人出が多く巴が歩いている橋の上も人がごった返していた。
「わっせわっせわっせ……」
巴は耳の横にできた触角を揺らしながら、下駄を鳴らして走る。
カツンカツン。
その音がアスファルトに響かせると、目的の人――雅がいた。
彼もまた、淡い青で彩られた市松模様の着物を着ていた。
巴は彼に近づくと、雅は「来たね」と一言言う。
「うん。待った?」
「ううん。全然。――着物、可愛いね」
雅は巴の、淡い赤で彩られた、扇柄の着物を見て言う。
「そっちこそ、決まってるじゃん」と巴は茶化して言うと、雅はふふと口の端を上げて笑う。
「行こっか」
そう言うと、雅は巴の襟を掴む。
「どうしたの?」
彼女が少し首を傾げると、雅が少し恥ずかしがってこう口にした。
「……あのさ、人混みが混雑しているからさ、逸(はぐ)れないように手繋ごう?」
「……ああ、うん」そう言い、巴は雅の手を握る。「良いよ」
「ありがと」
雅は一旦深呼吸をした後、二人で人混みの中アスファルトを歩いた。
出店が並ぶ橋を歩いていると、巴が話し出す。
「ねぇね」
「ん?」
「なんかさ、買わないの?」
「あー、うん。買おっかな。何にする?」
雅が道の横にズラッと並ぶ出店を一瞥した後、巴を見る。
「うーん。定番のあれにしようかな」
「定番?」
「うん。あれ」
そう言い、巴は綿菓子を売っている出店を指す。
「なるほどねぇ。花火大会と言えば、やっぱそうだよね」
そう言いつつ、二人は綿菓子の出店に向かう。
数分掛けて並ぶと、「いらっしゃい!」という威勢の良い店主の声が聞こえた。
「綿飴二つで」
雅が指で二を作って言うと、腕まくりをしたおっさんが「はいよぉ!」と元気の良さそうな声を出す。
「……綿飴、好きなんだよね」
巴が木の棒に綿が纏わり付いてくるその工程を見ながら、目を輝かす。
「ん? そうなの?」と雅。
「うん」
「どんなところが?」
「うーん。フワフワしているところ、かな」
巴が首を傾げながら答えると、「ふーん」と雅が相槌を打つ。
「雅くんは?」と巴が上目遣いに雅を見る。
「うーん。僕は好きか嫌いかって言ったら、好きな方かなぁ。甘いもの好きだし、綿飴独特の食感が好き。あと、作る工程とかもね」
「作る工程?」
「うん。棒に綿がくっつくのを見るとさ、何だか運命的だなぁって」
「……ロマンチストだね」
二人で他愛のない会話をしていると、「お待たせ!」と店主が二人に綿飴を渡してくる。
綿飴二人分に見合った金額を店主に支払い、その出店から離れていく。
人混みの中、暫く歩きながら綿飴を食べる。
「……美味しいね」
巴がパクッと女子らしいような素振りを見せる。
「うん。美味しいね」
「あのさ」
「ん」
「そっちの綿飴って、どんな味?」
「……え?」
どちらも同じ味を頼んだことを巴が忘れているのか、雅は少し困惑する。
「おんなじだと思うんだけど……」
「ううん。それでも、そっちのも食べたい」
「……しょうがないなぁ」
雅は自分の綿飴を少しちぎり、それを巴の口に運ぶ。
「……美味し」と巴は頬を緩ませる。
「私のも食べる?」
「……遠慮無く」
そう言い、雅は巴の綿菓子から少しだけちぎってそれを口の中に入れる。
「確かに、美味しいね。巴の味がする」
「なにそれ」
「そのまんまだよ」
二人でふふと微笑み合っていると、空高く花火が打ち上がる。
花柄だった。
「綺麗だね」
巴が空を見上げて言うと、雅は「どこか、その辺で座ろっか」と言う。
巴はそれに同意し、橋を渡り切った先にある近くのベンチに座る。
「……おっと」
巴が小さく躓くと、雅が彼女を支える。
「危ない」
「……ありがと」
「どういたしまして」
彼が巴から少し身体を離し、二人で横に並んで座る。
暫し、無言が続く。
もぐもぐ。
もぐ。
もぐ。
もぐもぐ。
もぐもぐもぐ。
ドカーン。
シュー、ドカーン。
二人の間に響く、花火の破裂音。
そして、綿飴の咀嚼音。
「綺麗だね」
巴が独り言のように呟くと、雅が頷く。
「……そうだ」
そう言い、彼は巴の手を握って顔をじっと見る。
「どうかしたの?」
そう言うが、彼は何も答えず、ただ巴のことを見ていた。
その目というのは、何かを心の内で決めたような、そんな真っ直ぐな視線だった。
その視線に、巴はただ何も言わずじっと見る。
ドカーン。
花火の破裂音が二人の鼓膜に届く時――。
雅は顔を近づけ、巴の唇に自分の唇を合わす。
少しの間、雅はその体勢を維持する。
花火の光が二人の横顔を照らしている中、雅は顔を離す。
「……え?」
巴が少し驚いた声で言う。
「……気持ち悪い、かな? 急に唇を合わせたりして」
巴が何も言わずにただ雅のことを見ていると、「……だよね、気持ち悪いよね」と彼は少し目線を外す。
「ううん。別に気持ち悪くないよ。……逆に、そういうの良いと思う」
巴が雅の手をギュッと握る。
「だからさ、もう一度しよ?」
そう言い、巴は雅の顔に近づけて口づけをする。
雅も、巴の勢いに合わせて口づけをする。
花火の破裂音。
ドカーン。
彩る花火の光、それが二人の横顔を優しく照らした。
――しかし、ある〝機械仕掛けの太陽〟が二人の恋を壊すことなど……、この時はまだ知る由も無かった。
一
「わっせわっせわっせ……」
巴は浴衣姿で人混みの中、走る。
八月十七日。この日は地域で行われる花火大会であり、巴にとって、雅にとって三回目のデートをする日。
この一年で大きく開かれるイベント、ということあって、人出が多く巴が歩いている橋の上も人がごった返していた。
「わっせわっせわっせ……」
巴は耳の横にできた触角を揺らしながら、下駄を鳴らして走る。
カツンカツン。
その音がアスファルトに響かせると、目的の人――雅がいた。
彼もまた、淡い青で彩られた市松模様の着物を着ていた。
巴は彼に近づくと、雅は「来たね」と一言言う。
「うん。待った?」
「ううん。全然。――着物、可愛いね」
雅は巴の、淡い赤で彩られた、扇柄の着物を見て言う。
「そっちこそ、決まってるじゃん」と巴は茶化して言うと、雅はふふと口の端を上げて笑う。
「行こっか」
そう言うと、雅は巴の襟を掴む。
「どうしたの?」
彼女が少し首を傾げると、雅が少し恥ずかしがってこう口にした。
「……あのさ、人混みが混雑しているからさ、逸(はぐ)れないように手繋ごう?」
「……ああ、うん」そう言い、巴は雅の手を握る。「良いよ」
「ありがと」
雅は一旦深呼吸をした後、二人で人混みの中アスファルトを歩いた。
出店が並ぶ橋を歩いていると、巴が話し出す。
「ねぇね」
「ん?」
「なんかさ、買わないの?」
「あー、うん。買おっかな。何にする?」
雅が道の横にズラッと並ぶ出店を一瞥した後、巴を見る。
「うーん。定番のあれにしようかな」
「定番?」
「うん。あれ」
そう言い、巴は綿菓子を売っている出店を指す。
「なるほどねぇ。花火大会と言えば、やっぱそうだよね」
そう言いつつ、二人は綿菓子の出店に向かう。
数分掛けて並ぶと、「いらっしゃい!」という威勢の良い店主の声が聞こえた。
「綿飴二つで」
雅が指で二を作って言うと、腕まくりをしたおっさんが「はいよぉ!」と元気の良さそうな声を出す。
「……綿飴、好きなんだよね」
巴が木の棒に綿が纏わり付いてくるその工程を見ながら、目を輝かす。
「ん? そうなの?」と雅。
「うん」
「どんなところが?」
「うーん。フワフワしているところ、かな」
巴が首を傾げながら答えると、「ふーん」と雅が相槌を打つ。
「雅くんは?」と巴が上目遣いに雅を見る。
「うーん。僕は好きか嫌いかって言ったら、好きな方かなぁ。甘いもの好きだし、綿飴独特の食感が好き。あと、作る工程とかもね」
「作る工程?」
「うん。棒に綿がくっつくのを見るとさ、何だか運命的だなぁって」
「……ロマンチストだね」
二人で他愛のない会話をしていると、「お待たせ!」と店主が二人に綿飴を渡してくる。
綿飴二人分に見合った金額を店主に支払い、その出店から離れていく。
人混みの中、暫く歩きながら綿飴を食べる。
「……美味しいね」
巴がパクッと女子らしいような素振りを見せる。
「うん。美味しいね」
「あのさ」
「ん」
「そっちの綿飴って、どんな味?」
「……え?」
どちらも同じ味を頼んだことを巴が忘れているのか、雅は少し困惑する。
「おんなじだと思うんだけど……」
「ううん。それでも、そっちのも食べたい」
「……しょうがないなぁ」
雅は自分の綿飴を少しちぎり、それを巴の口に運ぶ。
「……美味し」と巴は頬を緩ませる。
「私のも食べる?」
「……遠慮無く」
そう言い、雅は巴の綿菓子から少しだけちぎってそれを口の中に入れる。
「確かに、美味しいね。巴の味がする」
「なにそれ」
「そのまんまだよ」
二人でふふと微笑み合っていると、空高く花火が打ち上がる。
花柄だった。
「綺麗だね」
巴が空を見上げて言うと、雅は「どこか、その辺で座ろっか」と言う。
巴はそれに同意し、橋を渡り切った先にある近くのベンチに座る。
「……おっと」
巴が小さく躓くと、雅が彼女を支える。
「危ない」
「……ありがと」
「どういたしまして」
彼が巴から少し身体を離し、二人で横に並んで座る。
暫し、無言が続く。
もぐもぐ。
もぐ。
もぐ。
もぐもぐ。
もぐもぐもぐ。
ドカーン。
シュー、ドカーン。
二人の間に響く、花火の破裂音。
そして、綿飴の咀嚼音。
「綺麗だね」
巴が独り言のように呟くと、雅が頷く。
「……そうだ」
そう言い、彼は巴の手を握って顔をじっと見る。
「どうかしたの?」
そう言うが、彼は何も答えず、ただ巴のことを見ていた。
その目というのは、何かを心の内で決めたような、そんな真っ直ぐな視線だった。
その視線に、巴はただ何も言わずじっと見る。
ドカーン。
花火の破裂音が二人の鼓膜に届く時――。
雅は顔を近づけ、巴の唇に自分の唇を合わす。
少しの間、雅はその体勢を維持する。
花火の光が二人の横顔を照らしている中、雅は顔を離す。
「……え?」
巴が少し驚いた声で言う。
「……気持ち悪い、かな? 急に唇を合わせたりして」
巴が何も言わずにただ雅のことを見ていると、「……だよね、気持ち悪いよね」と彼は少し目線を外す。
「ううん。別に気持ち悪くないよ。……逆に、そういうの良いと思う」
巴が雅の手をギュッと握る。
「だからさ、もう一度しよ?」
そう言い、巴は雅の顔に近づけて口づけをする。
雅も、巴の勢いに合わせて口づけをする。
花火の破裂音。
ドカーン。
彩る花火の光、それが二人の横顔を優しく照らした。
――しかし、ある〝機械仕掛けの太陽〟が二人の恋を壊すことなど……、この時はまだ知る由も無かった。