桜の嫁入り 〜大正あやかし溺愛奇譚
14、俺のこともあやかし族のことも好きになってもらいたい

 自分の中の暴走しがちな情動と葛藤(かっとう)すること、しばし。京也のそばに、ふわりとあやかし火が寄ってくる。

 天狗皇族の操る天狗火と色合いの異なる薄紅の炎は、妖狐の狐火だ。見れば、庭に立っている妖狐の少年がこちらを見上げている。
  
「京也様。夜這いはなりません!」

 小声でたしなめた少年は、犬彦という名前だ。

 犬彦は毛先が少しカールがかったチョコレヱト色の髪が特徴で、『天水(てんすい)()』という名家の少年。きつね耳と尻尾を持つ妖狐族だ。親しみの湧く、優しい顔立ちをしている。
 侍童(じどう)と呼ばれる従者だが、京也にとっては友人や弟に近い。

「夜這いではないぞ犬彦。ただちょっと、夜間の見守り警備をしていただけで」
 
 言い訳をしながら窓から離れ、忍びやかに庭に降り立てば、犬彦は射貫くような眼差しで京也を睨んだ。

「そんな誰でもわかる嘘ついて。いけません!」
「ほんとうだぞ。俺は不埒な真似はしない。き……嫌われてしまうではないか」
「さようです。嫌われます」
「そうだよなぁ。そう思っていたんだ」 
「じーっ」
「こいつ、信じてないな」
 
 『桜子に嫌われたくない』――これは、京也にとって冗談抜きに大事なことだった。
 
 京也にとって桜子は『運命の番』。
 無条件に溺愛し、喜んでその生涯を捧げ、大切に一途に尽くす存在だ。
 理屈ではない。本能のようなものが、想いを駆り立て、そうさせるのだ。
 
 だが、桜子にとってはそうではない。

 あやかし族は人間の伴侶に運命を感じてその存在に溺れるように愛を捧げてしまうのだが、人間の側は、あやかし族に運命を感じたりはしないのだ。これは、過去の『運命の番』たちが証明してきた事実である。

 あやかし族には、その悲劇がいくつも伝えられている。
 
 『運命の番』である人間のうち、ある者はあやかし族を拒絶し、逃亡した。
 ある者は最初のうちこそ相思相愛であったが、別の男と浮気してしまった。
 また別の者は、何年も愛を拒んでいたが、少しずつほだされてあやかしを受け入れた。しかし、愛情は釣り合うことなく、惜しみなく注いだ愛は一方通行気味だったという。

「いいですか京也様? 京也様は、なんでもできます。惚れさせたいなら、惚れ薬でも飲ませればいいです。権力を使って脅してもいいですね。もちろん、力にものを言わせて強引に相手を襲ってもいいんですよ。……真実の愛情の通わぬ虚しいご関係でもよいなら、ですけどね!」
「い、いやだ。俺はちゃんとお互いのことを知って、相思相愛の夫婦になるんだ」
「それでしたら、振る舞いには気を付けないといけませんよっ」
 
 犬彦は(さか)しげに言って、京也を建物の中へと引っ張っていく。

「作戦会議をいたしましょう、京也様。『どうやったら桜子様に好かれるかの対策会議』です。接し方を決めたら、練習をなさるのもよいでしょう」 

 なんと頼もしい従者だろう。
 
 いつの間にか、『どうやったら桜子様に好かれるかの対策会議本部』と書かれた札がかけられた部屋まで用意されていた。
 犬彦は後ろにひっくり返りそうなほどふんぞり返って、どや顔で説明する。
 
「ボク自身、恋愛経験がないものですから。ここはみんなで京也様のために知恵を寄せ合おうと思いまして!」
  
 そこには、京也の配下であるあやかし族たちが揃っていた。
 河童に目玉のおばけ、くねくねと全身をくねらせる畳、唐傘を背負った狸男……。
 
 集まったあやかし族の配下たちは、「桜子様の好みはなんだ?」「人間の乙女に好まれる接し方とはどんなものだ」「おいらも嫁っこ欲しい」と唾や目玉を飛ばしながら熱く討論しており、筆のあやかしが意見を紙にまとめている。
 
「お、お前たち……」

 じぃん、と、胸が熱くなる。

「ところで桜子様ってどんな御方(おかた)だ」
「肉付きが薄くて、俺が食うならもう少し太らせてから」

 不穏な会話になっている。京也はあわてて口を挟んだ。
 
「食うな、食うな、とんでもない!」 

 あやかし配下たちは、「今のは冗談です」と言いながら声を返してくる。

「わしの見立てによれば、今は可哀想なくらい痩せているが、健康的になったらありゃ化けるぞ」
「化けるって? 実はあやかし族なのかい」
「いやいや、めちゃくちゃお綺麗におなりだっていう意味さ!」

 配下の声に、京也は情緒を揺さぶられた。

「お、お前。今だって桜子さんは、めちゃくちゃ綺麗ではないか! それに、それに……健康になるのは望ましいし喜ばしいが、今でも可憐なのにこれ以上磨きがかかったら、俺の情緒が大変なことになってしまうぞ」
「楽しみですね、京也様~~!」
「それだけじゃない、悪い虫の心配だって……」
「厳重に護衛しましょうね、京也様!」
「そうだな……お前たち、頼りにしているぞ」
「はーい」
  
 いまいち締まりのない返事だが、配下たちは『打てば響く』、京也の一声(ひとこえ)でなんでもしてくれる、……と、そんな気配だ。
 
「京也様! 我らが助力いたしますゆえ、恋を成就させましょう!」
「ともにがんばりましょう!」
「えいえい、おーっ」

 配下は暑苦しいほどの情熱を持っている。

「ありがとうみんな。俺は彼女に、俺のこともあやかし族のことも好きになってもらいたい!」

 おう、おう、とこたえる声が気持ちいい。京也は配下を頼もしく嬉しく思いながら、討論に耳を傾けた。

「桜子様はうさぎ耳の女中がお気に召されたようで……」
「桜子様は式神をもみじちゃんとお呼びになり……」

(ああ! 桜子さんの話は楽しいな! 聞いているだけで幸せになる……!)

 京也の頭の中が桜子でいっぱいになっていく。

(ほっそりとしていて、いたいけなんだ。腰が折れてしまいそうなほど、細い。手首もだ。まつげは長くて、少し怯えた感じで俺を見あげる上目遣いに胸が締め付けられるんだ。今、この皇居で彼女が眠っているんだ。これからずっとそばにいるんだ)

 今すぐ寝室にいって抱きしめたい。
 そんな衝動と戦いながら、京也はいそいそと原稿用紙をテーブルの上に広げた。そして、近くに転がっていた筆の姿をしたあやかし族を掴んだ。

「京也様? 痛いでござる~」

 筆が手のうちでくねくねする。このあやかしの良いところは、筆先が常に墨で濡れているところだ。いちいち墨を筆先につけたさなくても、何文字でも想いのほとばしるまま、書ける。延々と。

『桜子という少女は十六歳。
 痩せていて華奢なからだは力をこめれば容易に折れてしまいそうで、枝にかよわく揺れる咲く直前のつぼみに似ている。
 あの花の咲くさまを見届けたい、見守りたい。守らねばならぬ。俺は崇高なる使命感を抱き、神聖なる花のもとに(はべ)るのである』

 想いがあふれて、文章になっていく。
 この抑えられぬ激情、狂おしい恋慕の情が、もう止まらない!

「あ~~、京也様に変なスイッチが入ってしまっただー」
「これはだめですね」
  
 と、周囲の配下が見守る中、執筆に没頭すること、数刻。
 
「あっ、大変だ」

 空が白みかけたころになって、京也は大変なことに気が付いた。

「桜子さんは、誕生日ではないか?」

 ――祝わねば。

「ところでお前たちは、なぜ俺の上に?」

 配下たちはなぜか京也の肩や頭の上にわらわらと載ったり、天井からぶら下がったりしている。しかも、不安定な姿勢を楽しむようにしながら西洋かるたに興じていた。

「京也様を見守っていました!」
「ほ、ほんとうかぁ……?」
「さあさあ、急いで準備いたしましょう、こうしている間にも時間は過ぎてまいりますゆえ!」
「お、おう」
 
 こうして、あやかし族たちは急いで準備を始めた。
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