桜の嫁入り 〜大正あやかし溺愛奇譚
45、中田夫妻の思い出のワルツ
「ねえ。ねえ~~、あたくし、用事があって話しかけてますのよっ」
困った様子であれこれ話しかける咲花を見かねて、桜子は助け舟を出した。
「京也様、京也様」
「ん」
桜子が話しかけると、京也はすぐに現実に意識を切り替えた。
「その、咲花様がいらしています」
「おお?」
「あたくし、とても存在を軽く扱われた気分ですわっ」
咲花は悔しそうにしつつ、頭を下げた。
「以前の謝罪とお礼にきましたの」
「ああ、世間で話題のゴーストライターの件?」
京也は「他の九人の気持ちは知らないが、俺については報酬ももらっていたし、謝る必要はない」と明言した。
「あたくし、後悔しています」
咲花は言いながら京也の向かいの席に座った。
「他のみなさまが実力で勝負なさっていたのに、あたくしは自分の力だけではかなわないと思って、勝負をせず、他人の力で結果をもぎとったのです」
客たちは耳をそばだてて、「おい、聞いたか」「おおよ」と視線を交わし合っている。
「努力していた方々を蹴落として……同じコンテストで、あたくしの作品のせいで賞を逃した方には、あらためてお詫び申し上げるつもりです」
陰口を叩いていた客たちは「わかってるじゃねえか」「反省して詫びても、おれは許さん!」などと言っている。
ミケが伸びをしながら足元に寄っていく。
咲花はミケを抱っこして、真剣に言葉を続けた。
「でも、十人のお知恵と腕前をお借りできたおかげで、それをしなかったら絶対に届かなかった完成度で、読者のみなさまに愛される『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は生まれたのですわ」
咲花は、ここで客たちに視線をめぐらせた。
悪意や敵意を向けてくる客たちと目を合わせるのは、とても勇気が必要なことだろうと桜子は思った。
「これまでと同じクオリティでの続編を望む声も、いただいていますの。あたくし、その一点においては後悔をしません。よい作品を世に出せたことを誇りに思いつつ、共同著者名を書くことにしましたの」
「ほう」
耳をそばだてていた客たちが顔を見合わせ、「共同著者名だって」「続きが読めるんじゃないか?」とささやきを交わしている。みんなの声は、嬉しそうだった。
「この反省と決意は、後日新聞にも掲載されますの……ご参考までに京也様、著名のご用意は」
「ない」
そうすると春告宮殿下がゴーストライターだとばれて、またとんでもなく世間で騒がれるのでは――桜子と咲花は顔を見合わせたが、京也は「話題になっていいのでは? あれは十一人と編集者たちの才能と情熱の結晶なのだ。よい作品は世に広めていかねばな!」と笑った。
後日、二世乃咲花とゴーストライターたちの話題が世間をおおいに騒がせた。
記者の取材に応じた咲花は誠実な態度で謝罪と決意を繰り返し、共同著者たちに最大限の敬意を払っての作品の完結を世間に誓うのだった。
* * *
『皇子妃の真実――運命の番である桜子様には、承仕師の家のご令嬢で、術者としての才能も!?』
『二世乃咲花、大胆宣言! 十一人の共同制作をオープンに!』
『ゴーストライターの一人に皇族の名が……!』
ゴシップ記事の束を整頓して籠状の新聞置きに入れ、中田のお父さんは店の入り口に閉店の札をかけて鍵をかけた。
「にゃあん」
看板猫のミケが身体の側面をお父さんの足にスリスリと擦りつけて懐いている。
「今日も店がお前にとって居心地のいい空間となれていたら、幸いだ」
中田のお父さんはそう言って、血管の浮いてごつごつした手でミケを抱き上げた。ごろごろと喉を鳴らすミケは、満足そうに眼を細めている。
「よし、よし」
中田のお父さんがカウンター席に座ってミケの顎の裏を撫でていると、中田のお母さんがミルクとお茶を用意してくれる。
「このお店をしていると、いろいろな人と知り合えるわねえ。たくさんの良い人と縁を結べたのも、ミケのおかげね」
「……母さんとも知り合えたしな」
「まあ」
中田のお父さんは、今まであまりお母さんに好意を伝えない人だった。だが、感情表現がストレートな若者たちの影響か、最近は好意を今までよりも伝えようとするようになっていた。
「居ついてくださる化け猫様のおかげで、うちは代々、店を頑張ろうと思えるんだ。ほんとうにありがとう」
中田のお父さんの小さく、はっきりした声に、『化け猫様』――ミケは一瞬ぴくりと耳を揺らした。愛らしい猫の眼を、ぱちくりと瞬かせた。
そして。
「みゃーあ!」
猫らしく、親愛の情をたっぷりこめて、鳴いたのだった。
蓄音機がメロウな曲を奏でだす。中田夫妻の思い出のワルツだ。
二人はどちらからともなく微笑みを交わし、やがて店の中で手をつなぎあい、ゆっくりゆっくり、ワルツのリズムにあわせて身体を揺らし始めた。
照明につくられ、伸びた二人分の黒い影は、ゆら、ゆらと曲に合わせて楽しげに踊り。
化け猫ミケは尻尾の先でリズムを取るようにして、大切な家族であるふたりをじっと見守ったのだった。
「ねえ。ねえ~~、あたくし、用事があって話しかけてますのよっ」
困った様子であれこれ話しかける咲花を見かねて、桜子は助け舟を出した。
「京也様、京也様」
「ん」
桜子が話しかけると、京也はすぐに現実に意識を切り替えた。
「その、咲花様がいらしています」
「おお?」
「あたくし、とても存在を軽く扱われた気分ですわっ」
咲花は悔しそうにしつつ、頭を下げた。
「以前の謝罪とお礼にきましたの」
「ああ、世間で話題のゴーストライターの件?」
京也は「他の九人の気持ちは知らないが、俺については報酬ももらっていたし、謝る必要はない」と明言した。
「あたくし、後悔しています」
咲花は言いながら京也の向かいの席に座った。
「他のみなさまが実力で勝負なさっていたのに、あたくしは自分の力だけではかなわないと思って、勝負をせず、他人の力で結果をもぎとったのです」
客たちは耳をそばだてて、「おい、聞いたか」「おおよ」と視線を交わし合っている。
「努力していた方々を蹴落として……同じコンテストで、あたくしの作品のせいで賞を逃した方には、あらためてお詫び申し上げるつもりです」
陰口を叩いていた客たちは「わかってるじゃねえか」「反省して詫びても、おれは許さん!」などと言っている。
ミケが伸びをしながら足元に寄っていく。
咲花はミケを抱っこして、真剣に言葉を続けた。
「でも、十人のお知恵と腕前をお借りできたおかげで、それをしなかったら絶対に届かなかった完成度で、読者のみなさまに愛される『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は生まれたのですわ」
咲花は、ここで客たちに視線をめぐらせた。
悪意や敵意を向けてくる客たちと目を合わせるのは、とても勇気が必要なことだろうと桜子は思った。
「これまでと同じクオリティでの続編を望む声も、いただいていますの。あたくし、その一点においては後悔をしません。よい作品を世に出せたことを誇りに思いつつ、共同著者名を書くことにしましたの」
「ほう」
耳をそばだてていた客たちが顔を見合わせ、「共同著者名だって」「続きが読めるんじゃないか?」とささやきを交わしている。みんなの声は、嬉しそうだった。
「この反省と決意は、後日新聞にも掲載されますの……ご参考までに京也様、著名のご用意は」
「ない」
そうすると春告宮殿下がゴーストライターだとばれて、またとんでもなく世間で騒がれるのでは――桜子と咲花は顔を見合わせたが、京也は「話題になっていいのでは? あれは十一人と編集者たちの才能と情熱の結晶なのだ。よい作品は世に広めていかねばな!」と笑った。
後日、二世乃咲花とゴーストライターたちの話題が世間をおおいに騒がせた。
記者の取材に応じた咲花は誠実な態度で謝罪と決意を繰り返し、共同著者たちに最大限の敬意を払っての作品の完結を世間に誓うのだった。
* * *
『皇子妃の真実――運命の番である桜子様には、承仕師の家のご令嬢で、術者としての才能も!?』
『二世乃咲花、大胆宣言! 十一人の共同制作をオープンに!』
『ゴーストライターの一人に皇族の名が……!』
ゴシップ記事の束を整頓して籠状の新聞置きに入れ、中田のお父さんは店の入り口に閉店の札をかけて鍵をかけた。
「にゃあん」
看板猫のミケが身体の側面をお父さんの足にスリスリと擦りつけて懐いている。
「今日も店がお前にとって居心地のいい空間となれていたら、幸いだ」
中田のお父さんはそう言って、血管の浮いてごつごつした手でミケを抱き上げた。ごろごろと喉を鳴らすミケは、満足そうに眼を細めている。
「よし、よし」
中田のお父さんがカウンター席に座ってミケの顎の裏を撫でていると、中田のお母さんがミルクとお茶を用意してくれる。
「このお店をしていると、いろいろな人と知り合えるわねえ。たくさんの良い人と縁を結べたのも、ミケのおかげね」
「……母さんとも知り合えたしな」
「まあ」
中田のお父さんは、今まであまりお母さんに好意を伝えない人だった。だが、感情表現がストレートな若者たちの影響か、最近は好意を今までよりも伝えようとするようになっていた。
「居ついてくださる化け猫様のおかげで、うちは代々、店を頑張ろうと思えるんだ。ほんとうにありがとう」
中田のお父さんの小さく、はっきりした声に、『化け猫様』――ミケは一瞬ぴくりと耳を揺らした。愛らしい猫の眼を、ぱちくりと瞬かせた。
そして。
「みゃーあ!」
猫らしく、親愛の情をたっぷりこめて、鳴いたのだった。
蓄音機がメロウな曲を奏でだす。中田夫妻の思い出のワルツだ。
二人はどちらからともなく微笑みを交わし、やがて店の中で手をつなぎあい、ゆっくりゆっくり、ワルツのリズムにあわせて身体を揺らし始めた。
照明につくられ、伸びた二人分の黒い影は、ゆら、ゆらと曲に合わせて楽しげに踊り。
化け猫ミケは尻尾の先でリズムを取るようにして、大切な家族であるふたりをじっと見守ったのだった。