桜の嫁入り 〜大正あやかし溺愛奇譚
終章
46、真昼と夜の帝都から
世間が二世乃咲花の騒動で大賑わいの、春。
京也が桜子をデヱトに誘ってくれたので、桜子は真昼の帝都を巡った。
京也は洋装で、ボーラーハットをかぶっている。ケープ付きの黒いアルスターコート姿がよく似合っていた。顔を隠すこともなく堂々としているので、周囲の視線がすごい。
桜子はリボン付きのクロッシェ帽と明るいミモザ色生地のダブルブレストのワンピースに、濃紺のリボンタイ姿。モダンガール、という言葉が似合う装いだ。
「見て」
「わぁ……どちらの華族の方々かしら。素敵」
周囲からそんな声が聞こえてくる。
「こうぞくです!」
「こら、もみじ」
もみじがはしゃいで、京也に窘められていた。
帝都で大人気の大百貨店は、地下1階地上5階建ての立派な建物だ。5層吹抜けの中央ホールが壮観で、店内の柱や床を大理石が華やかに彩っている。
「最初に上まで行って、買い物しながら1階ずつ降りようか」
京也はそう提案して、エレベーターへと誘った。
狭い個室のようなエレベーター内では、エレベーターボーイ、ないしはエレベーターガール、と呼ばれる係の人が忙しそうに案内をしていた。乗り合わせた来店客たちは、みんな「買い物にきたぞ、楽しむぞ」という明るい表情だ。
ブロンズ製で時計針式のフロアインジケーターが最上階を示して、人の波にのるようにして二人でフロアに降り立つと、広大な空間にいくつもの店舗が悠々と並んでいた。陳列場にはなにが置かれているかの看板が出ていて、目的の商品を探しやすい。
「桜子さん、学校用の文房具を選んではどうかな。これなんて可愛くて似合うと思うんだ。ああっ、可愛いきみが可愛い文房具を持っている――この姿は絵画にしたい」
「私の文房具は足りています。でも、可愛いですね。京也様――女性店員さんがびっくりなさっています」
「ああ、すまない」
エスカレーターで階を下ると、地方特産品や美術品の展覧会が催されていた。
品物にうっかり触れて、落としてしまったりしないように、と気を付けながら陳列棚の間を巡っていた桜子は、棚の上に置かれた茶窯にたぬきの尻尾が生えたのを見た。
「あっ」
と、言ったときには、もう仕舞われている。
「どうしたんだい、桜子さん」
「この茶釜が……」
桜子は茶窯を撫でてみた。軽く手のひらに霊力をこめてみると、「あったかい、くすぐったい、くすくす」と笑う声がする。京也はなるほどと瞬きをした。
「さては、茶窯になりすまして遊んでいるのだろう」
茶釜はぴょこんと尻尾を出して、「ばれたか~」と悪びれずに笑った。あやかし族だ。
「きゃあっ、化け茶釜!」
店員さんも来店客もびっくりしている。
「おいら、貴重な茶釜だよ。もっと値段を高くしてくれなきゃ! ひひひっ」
尻尾をぽふぽふと揺らして「ひひひっ」と笑う茶窯は、悪びれない。けれど、邪悪な感じもあまりしない。京也の言った『遊んでいる』という言葉がしっくりくる態度だ。
「いらずら好きなんだな。こういう子は、意外と多いんだ」
京也はそう言って茶釜たぬきを買い取った。
「それにしても、桜子さんは目もいいのだな。やはり天才……」
しみじみと言いながらカフェに誘う京也の声には、実感がこもっていた。
* * *
夕映えの都市景色に、祭囃子が聞こえてくる。
今夜は、お祭りがあるのだ。
うしまるが引いてくれる人力車に乗ってお祭り会場に向かえば、屋台が並んでいて、頭上には黄色やオレンジの光を燈す提灯がいくつも吊るされて、楽しそうな人々を照らしている。
「果実飴をどうぞ、桜子さん」
つややかな飴でコーティングされた苺の棒付き飴を差し出して、京也はお面が並ぶ屋台を面白そうにのぞきこんだ。
「天狗のお面がありますね」
「俺はこんな顔をしているかな?」
お面を買って自分と比べるようにお道化てみせる京也は、楽しそうだった。
「あるじさま、ふわふわの綿あめがあるよ」
髪飾りの定位置から肩に落ちてきたもみじがはしゃいでいる。たくさん人がいるから、もみじが可愛らしく声をあげても、みんな「子どもがいるんだな」くらいに思ってくれるみたいだった。
「綿あめ買って帰りましょう」
「そうだね」
綿あめを買った桜子の眼に、看板が見える。
「京也様、カニ汁がありますよ」
京也の好物を見つけて言えば、カニ汁の屋台には行列ができていた。並んでいる間に食べるんだ、と言って、京也は鶏皮串やラジオ焼きを買い込んだ。
「あーんってしてほしいんだ」
甘えるように言われて、桜子はちょっと照れてしまった。
「ひ、人目がありますよっ……」
照れつつ丸い形のラジオ焼きをひとつ、爪楊枝に刺してもちあげて「どうぞ」と言うと、ぱくりと大きな口を開けて美味しそうに食べてくれる。
「おいしい。きみもどうぞ」
お返しに、と食べさせてもらったラジオ焼きは、あつあつで美味しかった。
「金魚すくいがあるじゃないか。カニ汁をいただいたら、きみの部屋の金魚に家族を増やしてあげるのはどうだろう」
京也がそう提案して、桜子の部屋にある金魚鉢には新しい金魚が増えることになった。
「ええなあ。みんな、もっと楽しんでや」
頭上で揺れる提灯が、ちらちらと舌を出したりしている。たまに気づく人がいてびっくりしているけれど、提灯が害を成さないとわかると「あれは仕掛け? ほんもの?」とか笑いながら通り過ぎて行った。
すると、提灯は「ほんものやで~」と言って明かりをチカチカさせる。
「きゃ~~!」
「あっはっは! 変な提灯お化けがいる~!」
怖がる大人がいる一方で、小さな子どもが無邪気に指を差して笑うと、怖がっていた大人たちも「おどかすだけだしな」「びっくりしたぁ」と言って笑った。
「ああいう子たちは、人間が集まる場所が好きなんだ。たくさん集まって楽しそうにしてると、元気がもらえるんだよ」
京也はそう言って人差し指を自分の唇の上にあててウインクし、提灯のイタズラを見逃すようだった。
「さてさて、ところで桜子さん。デヱトはまだ終わりではないのだ」
そう言って京也が見せるのは、流行の帝劇チケットと劇の概要がまとめられた案内用のリーフレットだった。
「帝国劇場で上演される、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』の劇だよ。このあとの上演の観客席を予約してあるんだ。行こう」
世間が二世乃咲花の騒動で大賑わいの、春。
京也が桜子をデヱトに誘ってくれたので、桜子は真昼の帝都を巡った。
京也は洋装で、ボーラーハットをかぶっている。ケープ付きの黒いアルスターコート姿がよく似合っていた。顔を隠すこともなく堂々としているので、周囲の視線がすごい。
桜子はリボン付きのクロッシェ帽と明るいミモザ色生地のダブルブレストのワンピースに、濃紺のリボンタイ姿。モダンガール、という言葉が似合う装いだ。
「見て」
「わぁ……どちらの華族の方々かしら。素敵」
周囲からそんな声が聞こえてくる。
「こうぞくです!」
「こら、もみじ」
もみじがはしゃいで、京也に窘められていた。
帝都で大人気の大百貨店は、地下1階地上5階建ての立派な建物だ。5層吹抜けの中央ホールが壮観で、店内の柱や床を大理石が華やかに彩っている。
「最初に上まで行って、買い物しながら1階ずつ降りようか」
京也はそう提案して、エレベーターへと誘った。
狭い個室のようなエレベーター内では、エレベーターボーイ、ないしはエレベーターガール、と呼ばれる係の人が忙しそうに案内をしていた。乗り合わせた来店客たちは、みんな「買い物にきたぞ、楽しむぞ」という明るい表情だ。
ブロンズ製で時計針式のフロアインジケーターが最上階を示して、人の波にのるようにして二人でフロアに降り立つと、広大な空間にいくつもの店舗が悠々と並んでいた。陳列場にはなにが置かれているかの看板が出ていて、目的の商品を探しやすい。
「桜子さん、学校用の文房具を選んではどうかな。これなんて可愛くて似合うと思うんだ。ああっ、可愛いきみが可愛い文房具を持っている――この姿は絵画にしたい」
「私の文房具は足りています。でも、可愛いですね。京也様――女性店員さんがびっくりなさっています」
「ああ、すまない」
エスカレーターで階を下ると、地方特産品や美術品の展覧会が催されていた。
品物にうっかり触れて、落としてしまったりしないように、と気を付けながら陳列棚の間を巡っていた桜子は、棚の上に置かれた茶窯にたぬきの尻尾が生えたのを見た。
「あっ」
と、言ったときには、もう仕舞われている。
「どうしたんだい、桜子さん」
「この茶釜が……」
桜子は茶窯を撫でてみた。軽く手のひらに霊力をこめてみると、「あったかい、くすぐったい、くすくす」と笑う声がする。京也はなるほどと瞬きをした。
「さては、茶窯になりすまして遊んでいるのだろう」
茶釜はぴょこんと尻尾を出して、「ばれたか~」と悪びれずに笑った。あやかし族だ。
「きゃあっ、化け茶釜!」
店員さんも来店客もびっくりしている。
「おいら、貴重な茶釜だよ。もっと値段を高くしてくれなきゃ! ひひひっ」
尻尾をぽふぽふと揺らして「ひひひっ」と笑う茶窯は、悪びれない。けれど、邪悪な感じもあまりしない。京也の言った『遊んでいる』という言葉がしっくりくる態度だ。
「いらずら好きなんだな。こういう子は、意外と多いんだ」
京也はそう言って茶釜たぬきを買い取った。
「それにしても、桜子さんは目もいいのだな。やはり天才……」
しみじみと言いながらカフェに誘う京也の声には、実感がこもっていた。
* * *
夕映えの都市景色に、祭囃子が聞こえてくる。
今夜は、お祭りがあるのだ。
うしまるが引いてくれる人力車に乗ってお祭り会場に向かえば、屋台が並んでいて、頭上には黄色やオレンジの光を燈す提灯がいくつも吊るされて、楽しそうな人々を照らしている。
「果実飴をどうぞ、桜子さん」
つややかな飴でコーティングされた苺の棒付き飴を差し出して、京也はお面が並ぶ屋台を面白そうにのぞきこんだ。
「天狗のお面がありますね」
「俺はこんな顔をしているかな?」
お面を買って自分と比べるようにお道化てみせる京也は、楽しそうだった。
「あるじさま、ふわふわの綿あめがあるよ」
髪飾りの定位置から肩に落ちてきたもみじがはしゃいでいる。たくさん人がいるから、もみじが可愛らしく声をあげても、みんな「子どもがいるんだな」くらいに思ってくれるみたいだった。
「綿あめ買って帰りましょう」
「そうだね」
綿あめを買った桜子の眼に、看板が見える。
「京也様、カニ汁がありますよ」
京也の好物を見つけて言えば、カニ汁の屋台には行列ができていた。並んでいる間に食べるんだ、と言って、京也は鶏皮串やラジオ焼きを買い込んだ。
「あーんってしてほしいんだ」
甘えるように言われて、桜子はちょっと照れてしまった。
「ひ、人目がありますよっ……」
照れつつ丸い形のラジオ焼きをひとつ、爪楊枝に刺してもちあげて「どうぞ」と言うと、ぱくりと大きな口を開けて美味しそうに食べてくれる。
「おいしい。きみもどうぞ」
お返しに、と食べさせてもらったラジオ焼きは、あつあつで美味しかった。
「金魚すくいがあるじゃないか。カニ汁をいただいたら、きみの部屋の金魚に家族を増やしてあげるのはどうだろう」
京也がそう提案して、桜子の部屋にある金魚鉢には新しい金魚が増えることになった。
「ええなあ。みんな、もっと楽しんでや」
頭上で揺れる提灯が、ちらちらと舌を出したりしている。たまに気づく人がいてびっくりしているけれど、提灯が害を成さないとわかると「あれは仕掛け? ほんもの?」とか笑いながら通り過ぎて行った。
すると、提灯は「ほんものやで~」と言って明かりをチカチカさせる。
「きゃ~~!」
「あっはっは! 変な提灯お化けがいる~!」
怖がる大人がいる一方で、小さな子どもが無邪気に指を差して笑うと、怖がっていた大人たちも「おどかすだけだしな」「びっくりしたぁ」と言って笑った。
「ああいう子たちは、人間が集まる場所が好きなんだ。たくさん集まって楽しそうにしてると、元気がもらえるんだよ」
京也はそう言って人差し指を自分の唇の上にあててウインクし、提灯のイタズラを見逃すようだった。
「さてさて、ところで桜子さん。デヱトはまだ終わりではないのだ」
そう言って京也が見せるのは、流行の帝劇チケットと劇の概要がまとめられた案内用のリーフレットだった。
「帝国劇場で上演される、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』の劇だよ。このあとの上演の観客席を予約してあるんだ。行こう」