噛んで、DESIRE


そう言ってわたしのほうを見た吾妻くんは、父と母が目を離した隙に、小さく口を開いた。


“ 家の前で待ってる ”


そう伝えたであろう吾妻くんは、ふっと優しい笑みを向けてくれた。

小さくうなずくと同時に、途端に胸が苦しくなる。


……ああ、泣きそうだ。

吾妻くんが帰ってきたことを実感して、自由になれないわたしを救ってくれたことに感謝して、どうしようもなく抱きしめたくなる。


……わたしを変えてくれてありがとう。

吾妻くんの後ろ姿を見送ったあと、わたしは父を見上げて言った。

発言することが、不思議とまったく、怖くなかった。


「お父様、お母様。もう、ここには帰りません」


わたしの家は、もうここじゃない。


「……おまえに帰る場所などないだろう」

「いえ。たったいま帰る場所が出来ました」



父はもう、何も言わなかった。

これできっと、この家に来るのも最後になる。



もちろん寂しくなんてない。





吾妻くんの隣。

それがきっと、わたしの居場所だから。



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