青春は、数学に染まる。

悪化する関係

教室に荷物を取りに行ってから数学科準備室に向かった。しかし、そこに早川先生の姿が無かった。


「職員室かな…」

振り返り部屋から出ようとすると、後ろに立っていた人にぶつかった。


「うわっ!」
「うわ、じゃないよ」

もう顔を見なくても誰か分かる。




伊東は私の背中を押して数学科準備室に押し込んだ。
少し(あら)く扉を閉めて、私をソファに座らせた。


「倒れたんだって?」
「あ、はい」
「さっき早川が藤原の担任に報告しているのを職員室で聞いたんだ。しかも、6限の間ずっと横にいたらしいな」
「そうみたいですね」
「体調はもう大丈夫か?」
「はい、良くなりました」

伊東はバツが悪そうに頭を掻いた。

「しかし…早川の野郎。抜け駆けじゃないか…」


6限の間ずっと横にいたことを()しているのだろう。
少し不満そうな伊東。


「…多分そういうことでは無いと思いますけど…」
「いやそうに違いない。…しかし、何で倒れた? 体調悪かったのか?」
「あー…いや…」


返却されたテストが7点だったのがショックで倒れたと説明した。


伊東は馬鹿にして笑い転げるかと思ったが………予想に(はん)して真顔のまま口を開いた。


「こんなに毎日頑張っているのに(むく)われないな。俺が思うに、早川の説明が悪いんだろ」

伊東は、うーん…と声を上げながら真剣に悩みだした。

「いや、早川先生は一生懸命教えて下さります。私の理解力の無さが原因です」
「そんなこと…」
「そんなこと無いですよ。僕は悪くありませんし、藤原さんが原因でもありません」

数学科準備室の扉が開き、早川先生が入ってきた。
私に近付きながらソファの前に(ひざまず)き、そのまま私を優しく抱き締める。

「え?」

それを見た伊東が反動で立ち上がり、早川先生に手を伸ばした。

「おいコラ」
「伊東先生は空気になっていて下さい」
「なっ…」

早川先生は私を抱き締めるだけで、何も言わない。

「ちょ…早川先生」
「少しこのままで」


自分の(うるさ)い心臓の音が頭に響く。

「おい、早川。本当にいい加減にしろよ」

伊東が早川先生の襟元(えりもと)を掴んで私から引き離した。

「邪魔をしないでください」
「お前が俺の目の前でそういうことするからだろ。藤原も抵抗(ていこう)しろよ」
「……」

不思議と(いや)ではなかった。…とは伊東には言えない。



何も言わない私を横目に見て、何なんだよ…と呟きながら伊東は再び椅子に座る。

「早川。この際だからしっかり言わせてもらう。藤原がまた赤点だったのはお前の教え方が悪いからとしか思えない。どう考えてもお前のせいだろ」
「…僕の方が教師歴長いのですが」
「長いとか短いとか関係ねぇよ。赤点取らせた罪悪感か、授業中に倒れさせたからか、どうかは知らないけどさ。どさくさに(まぎ)れて抱き締めたりしないでくれる?」
「罪悪感とかじゃなくて…」

早川先生は立ち上がって伊東と向き合った。
その瞬間、伊東は早川先生のネクタイを引っ張って引き寄せて…思い切り顔を叩いた。

「あっ…!」
「っ…!」

早川先生の(ほほ)が一瞬で真っ赤になる。痛そうに頬を抑えながら伊東を睨みつけた。

「れっきとした暴力ですね。警察に通報します」
「そう? じゃあ俺も、特定の生徒を校内で抱き締めたクソ教師として、通報しとくわ」

お互いが(にら)み合う。



数学補習同好会を通じて伊東も早川先生も打ち解けてきていたのに、状況がそれ以前より酷くなっている気がする。



私のせいだ…また、私のせい。



「あの…私のせいで、本当にすみません。今日は帰りますね」

耐えられない。
私が原因で早川先生と伊東が()めるところなんて見たくない。


鞄を持って急いで数学科準備室から飛び出した。

「藤原さん!」
「藤原!」

2人が同時に私の名前を呼ぶ。それでも、聞こえないフリをして昇降口まで走った。






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