青春は、数学に染まる。
第六話 「同級生」と「同僚」
補習
それから一週間が経った。
テストは無事に済んで、考査週間から解放された。
各授業でテストの返却を受ける時期。
やっぱり数学以外はどれも90点以上で良い点数だ。
問題は数学。
一番気になる数学の返却は今回も最後だ。
最早、私への嫌がらせとしか思えない…!
「藤原さん」
「はい」
早川先生から答案用紙を受け取る。
今回の先生は普通だ。
ニヤっとするわけでもなく、何か言うわけでもなく…。
「……」
恐る恐る紙をめくると…。28点。
うーん!!!!
また赤点!!
もう驚かないけども。
「今回赤点は2人います。藤原さんと神崎くん。放課後、数学科準備室に来てください」
みんなの前で赤点とか言わないでよ…なんて思いながら、一緒に呼ばれた名前にふと気付く。
…神崎くん?
想定外の名前にびっくりした。
神崎大輔くん。話したことはないけど、何となく賢いイメージ。
他の科目でも赤点を取っているのを見たことが無い。
長髪を後ろで括って、前髪はピンで止めている。
痩せ型で、少しやる気の無さそうな見た目の男の子。
「神崎くんか…」
久しぶりの早川先生との補習。
2人きりになれないことが、少し残念だった。
放課後、久しぶりに数学科準備室に向かう。
1週間ぶりでなんだか新鮮な感じがする。
「失礼します」
「どうぞ」
ノックもせずに数学科準備室に入ると、既に早川先生が居た。
「………ふふ」
微笑んでいる早川先生に近付くと、優しく頭を撫でてくれた。
「28点、よく頑張りました」
「赤点なのに褒めてくれるのですね」
「藤原さんが赤点なのは想定内ですから」
優しい早川先生の声色に落ち着く。
このまま時が止まれば良いのにと願うが、そうはいかない。
コンコンッ
ノック音が聞こえ、反射的に早川先生から離れる。
「どうぞ」
「…失礼します」
同じく赤点の神崎くんが来た。
先生は少し下がった眼鏡を直して、淡々と神崎くんに告げた。
「神崎くん、いらっしゃいませ。君は部活動があるでしょう。今日から1週間、最初の1時間だけ補習を行います。補習後は部活動に行ってください。1週間後に確認テストをして合格なら補習は終了になりますので頑張ってくださいね」
「はい」
神崎くんは部活に入っているのか。何部なのだろう…?
初めて近くで見たけど、背丈はほぼ同じくらい。
髪の毛も思っていた以上に長い。
ボーっと考えながら神崎くんの方を見ていると、神崎くんが他所を向いたタイミングで早川先生が頭を軽くチョップした。
「…藤原さん、席についてください」
「…はい」
神崎くんの事を見過ぎていたかな?
早川先生の顔は、少し不機嫌そうだった。
神崎くんは理解が早い。
私が何日もかけて覚えたことを、たった1時間で覚えている。
「神崎くん、賢いね」
「藤原さんの理解力が低すぎるだけだよ」
なにっ!
涼しそうな顔でそう答えた神崎くん。
「…何で今回赤点だったの?」
「あぁ。実は彼女に振られてさ。ショックで頭が回らなくて」
はい? そんな理由?
想定外の言葉に意識が遠のきそうになった。
「ねぇ藤原さん、彼氏いないでしょ? ショックで崩れそうな俺の心を埋めてよ。付き合おう」
そう言いながら抱きつこうと腕を伸ばしてきた。
「はぁ!?」
びっくりしすぎて思わず大きな声が出た。
手を伸ばしてきた神崎くんを軽く押し返す。今日初めて会話した人に対してこんなことする?
有り得ない。軽すぎない?
「いや…あのさ…」
「はいはい、はいはい。神崎くん、今日の補習はもう終わりですから。部活に行ってくださいよ」
私の言葉を遮ったのは早川先生だ。
「部活の顧問と1時間と約束しているのです。部活に行ってもらわないと、僕が補習を延長したみたいになるでしょう?」
穏やかに言うその口ぶりは、いつも通りの早川先生だが。
目が血走っている。
「俺が口説いているのに、邪魔をしないでください」
「女性なら誰でも良いって感じですか? 男として最低ですね。それでは彼女にも振られます」
「お前に何が分かるんだよ。どうせ早川、童貞だろ? 彼女もいないんだろ?」
神崎くんはニヤッと笑いながら言う。これは…ヤバい。
「ちょ…ちょっと」
早川先生は拳を力強く握って震わせる。しかし、感情を落ち着かせるように大きく息を吐いて言った。
「…別に。童貞でも無いですし、彼女もいます。ほら、早く部活に行きなさい」
神崎くんの鞄を無理矢理持たせ、数学科準備室から追い出した。
「………」
「………」
怒っている。早川先生は無言だが、その目は非常に怒っている…。
「…先生?」
「……僕もう、彼の補習したくないです」
はぁ…と大きく溜息をついてソファに座った。
私も立ち上がって早川先生の隣に座る。
「藤原さん。僕が童貞では無いこと、それは本当です」
すみません…と小さく呟くように謝った。
「え、そこ? ……別にそこは謝るところではないですよ…」
そりゃ…先生も大人だし。私の知らない過去があるわけで。そこを咎める気は一切ない。
早川先生は安心したような表情を浮かべた。
表情がコロコロと変わって面白い。
「しかし…神崎くんには参りました。僕の藤原さんに失礼なことを…。僕は彼を許せません」
「先生…」
「補習に呼んだのが間違いでした」
「でも赤点は補習する決まりなのでしょう?」
「……はい」
シュン…と小さくなる早川先生。
少し考えた後、何かピンときた表情で、神崎くんは伊東先生に任せましょう。と小声で言った。
それは許されるの?
「…そういえば、今日は伊東先生来ませんね」
「…え? 会いたいのですか?」
また顔が険しくなった。感情に左右されやすいお顔なこと。
「別に会いたいとは言っていませんよ。ただ、放課後になると来ていたのに、来ないと何かあったのではと逆に気になってしまいまして」
「…ほら、やっぱり会いたいじゃないですか」
「違いますって!」
早川先生は意地悪だ。別に伊東と会いたいわけではないし。
頬を膨らませて怒っているアピールをすると、先生は笑い出した。
「ふふ、分かっています。ちょっとからかってみただけですよ。伊東先生なら、同好会の活動時間は来ないみたいです。伊東先生なりの気遣いでしょう」
そう言いながら体を屈めて軽く唇を重ねて来た。
「しかし、伊東先生に神崎くん…。邪魔者が多すぎて嫌になりますね」
「……」
間近で見た早川先生の目には不安な感情が映し出されていた。