青春は、数学に染まる。
第八話 有紗と「最低な人たち」

嫉妬


新学期が始まる。



始業式。

ついに1年生もラストスパートかぁ…なんてしみじみする。
体育館で見かけた早川先生は、少し眠たそうに目をこすっていた。





「藤原さん、あけおめ」
「あぁ、神崎くん。あけおめ」

体育館からの帰り、神崎くんに声を掛けられた。

「出た、神崎…。あんた真帆に付きまとうのは止めなさいよ」
「的場さんに言われる筋合いは無いんだけど?」

バチバチに睨み合う2人…。どうして私の周りではこういうことが多々起こるのだろうか。




「そう言えば、年末に言ったやつ用意できたよ」
「あれ?」

そんなものあったか…記憶を巡らせる。

「あっ」

あれか、神崎くんが出るライブのチケットかな。

「また、渡すから。楽しみにしていてよ」
「え…っと…」
「じゃあ、先行くね」


言葉を継ぐ前に、神崎くんは走って教室に戻って行った。


「え…神崎くん…」
「ねぇ、本当に何あれ。蹴り入れちゃおうかな」
「物騒なことはお断り…」

有紗はエアーパンチを繰り出す。暴力反対。


「で、あれって何なの?」
「神崎くんが出るライブのチケットだと思う。冬休み前に少し雑談した時、ライブ見に来てって言われていたんだ」

有紗は少し険しい表情をした。

「…真帆。あの人に、怒られない?」
「あの人…」

早川先生。
そうよね…早川先生の(いや)そうな表情が目に浮かぶ。

「もし本当にチケット渡されたら、その時はちゃんとお話をするよ」
「あの人、嫉妬深そうだから気をつけないと!」

確かにあるなぁ…。
頬を膨らませて不貞腐れそうな表情を浮かべている早川先生の顔が想像できる。

「真帆ったら! 何にやけているのよ!!」
「ふふふ」

そういえば、この冬休みでの出来事、まだ有紗には話していない。
色々進展した話をしないとね。




しかし…新学期初日は全くやる気が出ない。
適当に授業を聞き、放課後を迎えた。







数学補習同好会。
そういえば、冬休み明けはいつから活動するのだろう。





別に呼ばれたわけでは無いが、私は自らの意思で数学科準備室を訪れていた。






「藤原、あけましておめでとう」
「…あけましておめでとうございます…」


早川先生は不在で、部屋にいたのは伊東だけだった。



新年一発目の伊東。
早川先生と寄りを戻した日に会って以来だ。



「今日、活動?」
「いや…どうなのか分からないので、来てみただけです」
「ふーん。まぁ、そこ座りなよ」


伊東はソファを(ゆび)さす。
年明けだと言うのに、机の上は相変わらず散らかったままだ。


伊東は椅子に座ったままこちらに体を向け、頬杖をついている。




「なぁ、藤原…。早川とは上手い事いったの?」
「…………黙秘します」
「冷たいなぁ…。俺、こんなにも好きなのに」

その言葉は、聞こえないフリをした。
どう反応すれば良いのか全く分からない。

「……まぁいいや。早川、もう少ししたら来ると思うよ。俺は職員室に用があるから出てくる。気楽に過ごしていて」

そう言って部屋を出て行った。




毎回、伊東の言葉に対する反応にも困るなぁ…。






私は数学科準備室の中を見回した。


来客用の机。
山積みの…本。ここは相変わらず。
『鳥でも分かる!高校数学』は、変わらずここに鎮座していた。


伊東の机。
棒付きキャンディーがいっぱいある。
数学の本もあるけど…どちらかというと、空手関連の本の方が多い。


そして、早川先生の机。
難しそうな数学の本がズラリと並んでいる。
見ても全然分からない。


「…あっ!」

ペン立てが目についた。
クリップが(ふち)に挟まれており、そこには以前お揃いで買ったストラップが掛けてあった。

「本当に掛けてある…!」

そのストラップを見て、嬉しくなった。
何だかとても特別な感じがしてむず痒い。




「藤原さん」
「あっ、先生!」

ドアが開いたことに気が付かなかった…。
早川先生は優しそうに微笑んで立っていた。


「ここで藤原さんが待っていると伊東先生から聞きました」
「伊東先生、言ってくれたのですね」
「藤原さんのことになると黙るような気がしましたけど、意外にも」

先生はまた目をこすっていた。
始業式の時は眠くてこすっているのかと思っていたが、どうも違う気がする。

「…先生。ちょっと目を見せてください」
「え?」

目の前で背伸びをしても…届かない。
先生は少し屈んで、私の目線に合わせてくれた。

「やっぱり…充血しています。目が痒いのではないですか?」
「痒いです」
「痒いからと触ってはダメですよ」
「はい…」

先生はソファに座った。
そして少し悲しそうな表情をしている。

「そんなお顔してもダメです。病院行くか、市販の目薬でも買ってきてください」
「はい…。藤原さんは大人ですね」
「先生が子供過ぎます!!! 自己管理くらいきちんとして下さいよ」

シュン…と小さくなっている先生が可愛い。
私は少し屈んで、そっと先生と唇を重ねてみた。

「…ん…?」
「先生。この間は、ありがとうございました」

突然のキスに驚いた先生だったが、すぐ笑顔になった。

「こちらこそ、ありがとうございました。お出掛けも楽しかったですし…ご両親に認めて貰えたことも嬉しかったです」
「本当、良かったです」


先生は手招きをして、私を膝の上に座らせた。
そして、今度は先生の方からキスをしてきた。

「…先生、誰か来たら困ります」
「えぇ…。最初そちらからしてきたじゃないですか…」
「ふふふ」

ぎゅっと力強く抱き締めて、先生の膝から降りて隣に座った。


「そういえば、さっき僕の机を見ていましたか?」
「見学していただけです」
「えぇ…恥ずかしいじゃないですか…」
「先生の机は難しそうな数学の本ばかりで面白く無いので、恥ずかしいことは何もありませんよ」
「読めるようになると案外面白いです」
「そんな本、読めなくて良いです…」

隣で感じる早川先生の体温が心地よくて凄く落ち着く。
先生は私の手を握り締めて小声で(ささや)いた。

「補習、受けに来たのでしょう?」
「そう思いますか?」
「藤原さんは真面目ですから」

そう言いながら、早川先生は握った手を離す気配は無い。



「ところで、藤原さん。僕に何かお話することがありませんか?」
「…え?」


唐突に何だろう。え、さっき伊東に好きと言われたこと? それとも、神崎くんがライブに誘ってくれたこと?

早川先生は何を知っているのだろうか…?


「…突然ですね。何のことを指しているのですか?」
「あのことです」
「…………。さっき伊東先生に、好きって言われた…こと?」
「ふぅん…。それは聞き捨てなりませんね」
「はずれ!!」

こっちじゃなかったか…!
早川先生の手に力が加わる。怒っている!!

「伊東先生の件は、また改めて本人と話しましょう…。そうじゃなくて、始業式の後に会話していた件です」


あ。…神崎くんの件。


「何で知っているのですか?」
「別に盗み聞きをしたとか、そういうわけではありません。偶然、藤原さんの数歩後ろを歩いていたら聞こえてきてしまいまして」
「後ろにいたの!?」


あの時…後ろにいたとは。
全く気が付かなかった。

「ほら…。ちゃんと話さないと、あの人…怒りますよ?」
「いや大分聞いていますよね、話」

そこまで聞いているなら聞く必要ないでしょ…。





少し呆れたような表情をすると、早川先生は小さく縮こまった。

「…すみません。少し大人気(おとなげ)なかったです。いや…聞こえて来たって言うのは本当です。けど、問い質すのは間違いでした」


早川先生…。
本当に感情の忙しい人だ。感情の起伏が激し過ぎる。


「伊東先生に神崎くん。ライバルが居ることに不安を覚えていることだけ、ご理解下さい」
「付き合っているのに、不安なのですか?」
「だからこそです。いつか取られてしまうかもしれません」
「…何故そういう思考になるのか、私には良く分からないのですけど」

早川先生は立ち上がって抱き締めてきた。

「分からないでしょうね。藤原さんは人気者ですから」
「違うと思います」

抱き締める腕に力が加わる。痛いくらい、強い抱擁。

「先生、痛い」
「すみません…」
「先生、ライブは行くかもしれません。折角の厚意を無下(むげ)に出来ません」
「……」


早川先生は黙り込んで少し考えた後、呟くように口を開いた。


「…僕も、行きます…」
「えぇ!?」
「僕も行かせてください。お願いします」
「えぇぇ、先生怖い!!」


とは言ったものの…思いのほか、先生の目は本気で…。


「…チケット、2枚あれば…一緒に行きましょうか…」
「僕、彼氏として行きますから」
「そんなに心配ですか…」
「大切な人が同級生の男のライブに行くなんて、気が気じゃないです。年上より同級生の方が良いってなるかもしれません」




………そうか。

もしかしてだけど。
先生は歳の差が気掛かりなのでは…。




私がライブを見ることによって、先生から同級生の神崎くんに乗り換えると…そう思っているんだ。




「…先生は私を信頼していないですね」
「…え?」
「神崎くんのライブを見て、私が乗り換えるとでも思っているのでしょう」
「いや、そんなこと無いですけど…」

そんなことあるでしょ。

煮え切らない態度の早川先生。
そうじゃなきゃ行くってならないよ。


「まぁ、本当に実現するか分かりませんが。本当にチケット貰ったら、報告します」
「はい…」


早川先生は心配性だ。ここまでとは思わなかったが。





しかし…本当に先生もライブに行くことになったらどうしよう。

先生ってこと、バレないかな。



どうするつもりなのだろう…?









モヤモヤとした感情が残る翌日。
いつも通り有紗への報告会を行っていた。


「早川先生……束縛タイプ?」
「束縛なのかな?」

中庭で過ごす安定の昼休み。
今日のランチは2人ともサンドイッチだ。

「まぁ、そもそも。始業式の後のアレ、聞かれていたとは思わなかった。迂闊(うかつ)だった…」
「後ろにいるなんて思わないよ」

後ろにいたなら何か声を掛けてくれても良かったのに…なんて思うが、他に生徒がいるし…それは無理よね。

「しかし、あれかな。早川先生、過去の恋愛で何かあったんじゃない? 早川先生がこんなに束縛気味になる原因」
「そういうこと? 性格かと思ったけど」
「性格は無いと思う。根っからそうだとは思わないよ」


早川先生の過去の彼女…。考えたことも無かったなぁ。

ただ一度、神崎くんが先生に『童貞だろ』って言った時、そうでは無いと言っていた。

彼女がいたことは間違いない。それが原因かな。

「聞いてみたほうが良いと思うよ」
「……うん、そうだね」



先生の過去の彼女。
…元カノ。





先生に元カノがいたことを別に問い詰めるつもりは一切無いが。
話を聞きたいような、聞きたくないような…。
 




 


早川先生と付き合い初めてまだ日は浅い。
私、先生について知らないことばかりだ。






これからもっと、先生のことを知っていかないといけない…そう実感した。








 
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