青春は、数学に染まる。
放課後、有紗は用事があるからと急いで帰って行った。
私はやることも無いし…久しぶりに学校内の探検をした。
校舎の中を宛もなく見て回る…。
やっぱり、良いよね。学校という建物!
私はスマホを構え、色々な角度で写真を撮る。
本当に、誰も理解してくれないのが不思議。
学校という場所の魅力。何で皆分からないのだろう?
廊下の窓。机が並んでいる教室。チョークが少し残った黒板…。言葉では言い表せないくらいの魅力を感じる。
私は人がいないであろう場所を選びながら歩き続けた。
「最高だよ…」
わくわくしながら校舎内を見て回っていると…遠くに人影が見えた。
その人影は…私が1番会いたくない人だった。
「…あっ」
「…………藤原…」
ネクタイをビシッと締めて、黒いスーツを見に纏った伊東が遠くに立っていた。
「…何で」
私は反射的に反対方向を向いて逃げ出そうとした。
しかしその動きを伊東の声が止めさせる。
「待って。藤原…会いたかった」
悲しそうな声を上げ、小走りで駆け寄ってくる。
「私は会いたくない! ていうか、謹慎中じゃないんですか! 何でここにいるんですか!」
「最後の荷物を回収しにきたのと、俺は離任式出ないからさ。先生方に挨拶をしに来たんだ」
本当に…最後の最後まで、タイミングの悪い人。
それと同時に、本当にこの学校を離れるのだと実感する。
「藤原…なんかもう、色々と申し訳無かった。嫌な思いを沢山させてしまったこと。そして…最後に親友を傷付けたこと。それをずっと謝りたかったから…今日会えて良かったよ」
伊東は深々と頭を下げた後、パッと顔を上げる。
「今更、何言っても信じて貰えないかもしれないけど。俺が藤原のこと好きだったこと。それは本当だった。…というか、今も好きだ。藤原の親友を襲っといて言えた台詞ではないけど…」
「そんなの、困ります。言わないで下さい」
「…早川に怒られるからな」
「そう言うことでは無くて、私怒っているんです。最初のデリカシーの無い発言から、先日のAVの件、そして有紗のことまで、伊東先生に関わること全て!」
伊東は悲しそうな表情をしながら鞄を漁る。中から棒付きキャンディーを取り出した。
「いや、分かっている…。別に俺は、許して貰おうとは思っていないよ。謝罪さえさせて貰えたら。俺はそれで満足だから」
手を伸ばし、私に棒付きキャンディーを渡してきた。
「これ、受け取ってよ。……毒入りかもしれないけど…」
「………受け取れません」
「そう言わずに…。嘘だよ。別に毒とか入っていないから…」
「そういう問題じゃないです………」
いつの日か交わした、既視感のある会話。
数学の補習が始まって間もなくの頃、あの時も廊下でこんな会話をした。お詫びがしたいと、伊東は追いかけて来たんだよね。
そんな私はかっこいい、好きかもとか思いながら、デリカシーの無い発言に怒ったりしていたっけ…。
あの時の淡い感情が蘇ってきて、自然と涙が零れて来た。
「…私、最低だ」
「………今思えば、初めてキャンディーを渡したあの日から、俺はお前の事が気になっていたんだろう…。ではないと、追いかけてないよな…」
「そんなこと言わないで」
「ごめんな、本当に…」
伊東は再度私の方に手を伸ばしてきたが、首を振って引っ込めた。
「じゃあ、本当のお別れだ。藤原、色々申し訳なかった。そして、ありがとう」
「………」
「会えて、良かった…」
そう言い残して、伊東は数学科準備室の方向へ歩いて行った。
私は涙が止まらず、その場に座り込む。
どうしよう…早川先生にも、有紗にも言えない…。
最低なことをされたのに。
伊東のこと大嫌いなのに。
早川先生のことが大好きなのに。
それでも、心の奥深くに “ほんの1ミリ” でも、伊東を想う心があったのだろう。
最悪。そんな自分に嫌気が差す。
「…本当に、最低…」
何で今日に限って学校内の探検をしたのだろう。
私も有紗と一緒に急いで帰れば良かった。
やり場のない感情が全て涙となって溢れ、しばらく止まることは無かった。
早川先生に、会えない。
複雑な感情のまま、先生には会えない。
3月13日の夜。早川先生から『明日会えませんか?』というメッセージが届いていたが、未読のまま無視をした。
ごめんなさい、先生。
伊東と最後に会ってから日にちも経つのに、今もまだ心の中はモヤモヤとしていた。