青春は、数学に染まる。

早川先生と共に


結局その後、早川先生にライブであったことを話した。

名指しでは無かったけど、ステージから告白のような言葉を投げられ、急いで逃げて来たと。




「ふーん。そうですか…」

心底不満げな先生。目には少しの怒りが混じって見える。


「そんな風に妬くならさ! 話を聞かなきゃいいのに!」
「別に。妬いてはいません」
「大嘘つき!!」


先生がこちらを向いて目が合った。
首を少し傾げて、困ったような表情をしていた。


「だから、行かないで欲しかったです…」
「で、でも! 軽音部の演奏は凄く上手で、鳥肌が立つくらいでした。バンド演奏を初めて聴いたので、良い経験にはなりました…」
「………」

先生は少し俯いて固まった。
あれ? もしかして今の返答は間違えたかな?


「え、大丈夫?」
「…………分かりました。僕、明日からバンド始めます」
「えぇ?」

先生がバンド? 唐突な発言にビックリ。
同時に、それを聞いていた有紗は盛大に笑い転げた。

「いや待って!? バンドとか無理!!!! 無理すぎる!! そもそも、1人じゃできないよ!!」
「出来るか出来ないかは、やってみてから決めます」
「そういう問題ではなくてさ!!!」
「やらなくて良いですよ…本当に」

先生の目は本気だったが、有紗が笑い転げてくれたおかげで考え直してくれた。








「あ、藤原さん!」


先生と有紗と三人で雑談を続けていると、遠くから名前を呼ばれた。

「…うわ…」

ベースを背負った神崎くんがこちらに気付いたみたいで、バンドメンバーと別れて駆け寄ってきた。

「藤原さん! ちゃんと来てくれたんだ。ありがとう! 本当にありがとう! …的場さんも」
「何そのオマケ感」

神崎くんは私の両手を握る。
それを見た隣にいる先生が、静かに神崎くんを引き離した。

「ん?」

そこで初めて、神崎くんは先生がいることに気付いたみたい。

「…あれ? 藤原さんの、お兄さん?」

先生は睨むように神崎くんを見つめる。ただ、何も言わない。

「む、迎えに来てくれたの」
「ふぅん。過保護だね」


神崎くんも先生の方を見るが、“早川先生”だということには気付いていないみたい。


凄いよ、先生の変装スキル。…変装?
というか、こっちが素の先生だから…学校での先生が変装かな。


もう、訳が分からない。





一方の先生は、そっぽを向いて無言のまま感情を抑えていた。

「それよりさ、俺の言葉…聞いてくれたかな。緊張したんだけど」
「あ…う、うん…」
「アンタさぁ! ステージでのあれ有り得ないからね!! 普通そこで言う!?」
「的場さんは黙っといて。…俺さ。本当に好きなんだ、藤原さんのこと。どうしても俺ではダメ? 彼氏、いないのでしょう」
「だから…。彼氏がいるとかいないとかではないの。やめて、本当に困るの」
「…何で? 分からない。彼氏いないのに何でダメなの?」
「だからさ…」

「真帆がアンタのこと好きではないからよ!!」

私が困っていると、有紗が声を上げた。

「普通は両思いになって付き合うものでしょ。神崎、アンタは真帆の気持ちを考えたことある? 知らないだろうから私が言うけど!! 真帆は他に好きな人がいるんだから!!!」
「え、そうなの?」
「…」


有紗…。どう持っていくつもりか。

私はもう、言葉が出ない。


「藤原さん…好きな人がいるのならどうして言ってくれないの」
「別に、神崎くんには関係ないから…」
「関係あるよ! 最初こそ冗談だったけど…今はこんなにも好きなのに…」


先生はそっぽを向いたまま、動かないし何も言わない。
有紗は大きく溜息をついて、立ち上がった。

「はぁ!!! あのねぇ神崎。真帆はね、早川先生のことが好きなの」

「え」
「え、早川?」
「…………」

い、言った…! 嘘でしょ。
早川先生の体が一瞬だけ飛び跳ねたが、神崎くんには見られていないようだ。

「有紗…言っちゃダメだよ…」

「好きな相手が先生だから! だから真帆は言えなかったのよ!!! それに付け込んで色々自分勝手な事言ってさぁ!!」

神崎くんは地べたに座り込んで、呟くように言った。

「早川のどこが良いのか、全然分からないけど。でもさ、早川に片思いだなんて。叶うはずも無いのに…高校生活無駄にするだけだよ。それさ、藤原さんが毎回補習受けるから。錯覚しているだけだと思うけれど」

誰も片思いだなんて言っていないけどね。そんな言葉は胸の奥底に仕舞う。

「仮にそうだとしても。神崎がどうこういう筋合いは無いよ。アンタには関係ないことなのだから」
「…ねぇ、お兄さん。妹さんが先生に恋をするよりも、俺のような同級生と恋をした方が…お兄さんも安心ですよね」

神崎くんは先生の方を向いてそう問う。

酷だ。早川先生の気持ちを考えると、胸が痛くなる。
先生は神崎くんの方を見ずに、小さく口を開いた。

「……別に。俺が口を挟む事じゃない…」

声のトーンを少し下げ、一人称を“俺”と言った早川先生。…無理をしている。

神崎くんは溜息をついて、立ち上がった。


「分かった。藤原さんが早川のこと好きなのは良く分かった。だけど片思いならさ、まだ望みあるよね。俺、諦めないから」

じゃあ、帰るね。と片手を上げて駅の方へと走って行った。






「…裕哉さん」

神崎くんが去っていく様子を見ると、一気に体が脱力した。
先生は背を向けたまま私の呼びかけに応じる。

「…初めて、生徒に対して猛烈な敵意を感じました」
「…真帆、…先生…」

有紗は私に抱きついてきた。
いつもの先生なら有紗にすら嫉妬して引き離しそうだが、今は全く反応しない。

「有紗…ありがとうね」

私も腕を回してみる。
有紗のおかげであの場を乗り切れた。

あれで良かったのか、それは分からないけど。





先生は唐突に立ち上がって、私たちに背を向けたまま声を掛けた。

「…2人とも送ります。ついてきて下さい」

有紗と顔を見合わせる。
(かたく)なに顔をこちらに向けない先生。


少し心配しながらも、歩き始めた先生の数歩後ろを有紗と並んで歩いた。






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