気高き敏腕CEOは薄幸秘書を滾る熱情で愛妻にする
「あー……酷い目にあった」
咲良は、カウンターの端でぐったり項垂れた。
ここはダイニングバー霽月。
東京メトロ銀座駅から徒歩十分程歩いた雑居ビルの二階。ロングカウンターと四人掛けソファが三席の小さな店だ。
店内には、朧月のようなぼんやりした灯りが雰囲気のある空間を作り出し、ところどころに置かれている月のモチーフが、和を感じさせるインテリアの中、よいアクセントになっている。華やかさはないけれどほっと一息つける居心地のよい空間だ。
店名の霽月とは雨が上がったあとの月のような、さっぱりとした心境、という意味があるらしい。訪れる客によい気分になって帰って欲しいというマスターの気持が込められているのだろう。
咲良がこのバーに通い始めてそろそろ二年になる。友人に連れられて来たのがきかっけだが、女性ひとりでも過ごしやすいい居心地のよい環境と、バーにしては凝った美味しい料理が食べられるためお気に入りだ。
また、マスターの穏やかな人柄や、客層の良さもゆっくり過ごすのに向いている。
咲良は仕事で特に疲れた日などに癒しを求めて、だいたい月に二回くらいの頻度で立ち寄っている。
落ち込んでいても、ここで息抜きをすると帰る頃には心穏やかになり、明日からまた頑張ろうと前向きになれるから。
咲良は無垢材のカウンターに置かれた、グラスに手を延ばす。
そのとき、まるで狙ったかのように、左腕にばしゃっと水が降りかかった。
「あっ!」
同時に驚いたような高い声が響く。
「す、すみません! 私ったらどうしよう!」
どうやら隣の席の女性が、飲んでいたお酒を派手に零したようだ。水滴が飛び咲良のネイビーのブラウスに、小さな水玉がいくつか出来ていた。
(グラスを持つ手が滑っちゃったのかな? 中身は白ワイン?)
「ごめんなさい! 服にもたくさんかかってしまいましたよね? あっ、シミになっちゃった!」
パニックぎみの女性は、大きな目が印象的な美しい女性だった。童顔だがオフィスカジュアル風の服装をしているし、二十代の前半と言ったところだろうか。
ざっと観察する短い間にも、おろおろしている様子がひしひしと伝わってくる。