【2/22電子書籍発売】猫好き学者殿下の優しい略奪婚 ~なんとなくで婚約破棄された、と思ったら結婚しました。あれ? 甘々。
2、高貴な夫とのおかしな結婚
マリアンヌの新しい縁談はさくさく進んだ。
一般的なこの国の貴族がするような手順を踏まず。
婚約指輪もなく、嫁入り道具や持参金の準備期間もなく。
教会での結婚式もなく、司祭の祝福もなく。
夫となる王弟殿下との顔合わせすらなく。
……気付けばマリアンヌは結婚していた。何をそんなに急ぐの、と言いたくなるくらい、急展開だった。
夫である王弟ナーシュとの初対面が叶ったのは、ローズブランシュ公爵家の邸宅の広い敷地に初めて足を踏み入れた時だった。
ナーシュは、背が高くて姿勢がとても良い青年だった。
ヘーゼルナッツ色の髪にエメラルドの瞳をしていて、上品で温厚そうな、美しい貴公子だ。
脚が長くて、歩幅は大きい。話し方は、余裕を感じさせるおっとりとした風情だった。
「初めまして、ローズブランシュ公爵家へようこそ、レディ」
「お初にお目にかかります、貴き殿下にご挨拶申し上げます……」
マリアンヌは片足を斜め後ろの内側に引いて優雅に礼をした。幼少期から練習してきたこの国の伝統的な礼は、カーテシーと呼ばれる。令嬢教育の成果があらわれる所作に、ナーシュは好印象を抱いたようだった。
「綺麗だね」
低音の美声は、耳に心地よい。
短く称賛して、ナーシュはマリアンヌを二人がこれから暮らす邸宅へとエスコートしてくれた。
「にゃーん」
「あらっ?」
緊張するマリアンヌを邸宅の内部で迎えたのは、猫だった。
長い毛がほこほこした猫が、尻尾をふわっとたてて甘えている。
ずんぐりむっくりしたボスオーラのあるトラ猫は、「おぬしは何者だ。ここはわしの家だぞ」というように威厳のある目付きで見てくる。
耳が大きめな灰色の猫が柱の影で爪とぎをしようとして、ハウスメイドに「おやめください猫様」と止められている。
「ナーシュ殿下は猫好きでいらっしゃるのですね?」
マリアンヌは、現実を確かめるように呟いた。にゃぁ、みゃあと鳴く猫たちは可愛らしい。足元におずおず寄ってくる黒猫なんて、人懐こくてすぐに仲良くなれそうだ。マリアンヌが見ていると、ナーシュは黒猫を抱き上げて頬を寄せた。
「ふふ、可愛いだろう。私の自慢の猫たちなのだ。マリアンヌも猫が好きだと聞いているよ?」
「よくご存じで」
「撫でるかい? この子なんてどうかな、大人しいよ。君が以前撫でていた子……あ、いや、なんでもないんだ」
「……?」
ナーシュは、柔和な雰囲気の青年だ。マリアンヌは猫を撫でながらそう思った。あと、噂通りの変人だ。
「初対面はやはりインパクトが大事だと思って、猫たちの力を借りたのさ」
「さようでございましたか。インパクトは、とてもありました」
「びっくりしたかい? もしかして……あまり好みのお出迎えではなかった?」
「驚きました。猫は可愛いと思います」
「好みだった? 好みではなかった?」
「驚きすぎて、好みとか好みでないという感想までたどり着きません、申し訳ございません」
マリアンヌが謝ると、ナーシュは軽く首を振った。
「謝る必要はない。非常識すぎたのだな、反省するよ。すまない、ごめん、私が悪い。妻には非がなく、謝る必要はない」
王族の言葉は重い。
軽々しく「自分が非常識すぎた」などと言うイメージがない。けれど、ナーシュの言葉は軽やかで、「これから」について説明する声には淀みがない。
「まず、私の妻には一切の義務がない。妻は存在するだけで天使である」
「は、はい、……てん、し?」
「旦那様、とか、ナーシュ様、と呼んでみるのはどう? 呼び捨てでも構わないよ」
「かしこまりました、殿下」
「うん、かしこまられてしまった」
広い邸宅を案内しながら、夫は陽だまりのように笑った。
「マリアンヌ。私は社交の場にあまり顔を出さない。君は社交活動をしたければしてもよいが、したくなければしなくてもよい」
おっとりと話す内容は、やはり少し変わっている。
「私は妻を家族であり助け合う仲だと思って接する。だが、後継者作りは無理にしなくてもよい。使用人の統括、慈善活動、芸術や文学、教育などの支援といった社会貢献や社会的な模範となるような振る舞いも、別にしなくてもよい。したければしてもよいが」
「まあ……」
マリアンヌはアクアマリンの瞳を瞬かせ、小鳥のように首をかしげた。
「この国で私のやり方に口出しができるのは、兄である国王陛下のみ。私の妻は貴族社会の常識や義務といったしがらみも、気にする必要がない。この猫たちのように、私の家族としてのんびり不自由なく過ごしてくれればいいよ」
「は、はあ」
「私もこれまで通り過ごす予定だけど、妻とは仲良くしたい。仲が悪いよりは、仲良しがいいよね」
「さ、さようでございますね」
初夜、夫は妻の隣で「一緒に眠るのってどう思う? 嫌だったら別々の部屋にするから言ってね」と言い、枕を抱きしめて横になった。なかなか寝付けないでいると、夫は背中を向けて素数を数えてくれた。
「私が眠れないのを察して子守唄代わりに数えてくれているのですね」
と感謝すると、夫は硬い声で「自分用だった」などと言う。やはり少し変わっている。
マリアンヌが翌朝「緊張して眠れなかった」と告白すると、ちょっと赤い目をしたナーシュは「実は私も眠れなかった」と言った。そして、その夜からは夫婦の寝室は別々になった。
毎朝、「おはよう。今日も一日健やかに過ごしてね」と言われて食事を摂り、昼は別々。夕食になると、また顔を合わせて「本日は不自由なく過ごせたか、何か望むことはあるか」と親切にきいてくる。
マリアンヌは毎回お約束のように「不自由を感じていません。望むことはありません」と言う。
食事の後は「おやすみ」と頬にキスを贈り合い、夫婦のコミュニケーションは終わり。
マリアンヌの新婚生活は、このように始まった。
マリアンヌの新しい縁談はさくさく進んだ。
一般的なこの国の貴族がするような手順を踏まず。
婚約指輪もなく、嫁入り道具や持参金の準備期間もなく。
教会での結婚式もなく、司祭の祝福もなく。
夫となる王弟殿下との顔合わせすらなく。
……気付けばマリアンヌは結婚していた。何をそんなに急ぐの、と言いたくなるくらい、急展開だった。
夫である王弟ナーシュとの初対面が叶ったのは、ローズブランシュ公爵家の邸宅の広い敷地に初めて足を踏み入れた時だった。
ナーシュは、背が高くて姿勢がとても良い青年だった。
ヘーゼルナッツ色の髪にエメラルドの瞳をしていて、上品で温厚そうな、美しい貴公子だ。
脚が長くて、歩幅は大きい。話し方は、余裕を感じさせるおっとりとした風情だった。
「初めまして、ローズブランシュ公爵家へようこそ、レディ」
「お初にお目にかかります、貴き殿下にご挨拶申し上げます……」
マリアンヌは片足を斜め後ろの内側に引いて優雅に礼をした。幼少期から練習してきたこの国の伝統的な礼は、カーテシーと呼ばれる。令嬢教育の成果があらわれる所作に、ナーシュは好印象を抱いたようだった。
「綺麗だね」
低音の美声は、耳に心地よい。
短く称賛して、ナーシュはマリアンヌを二人がこれから暮らす邸宅へとエスコートしてくれた。
「にゃーん」
「あらっ?」
緊張するマリアンヌを邸宅の内部で迎えたのは、猫だった。
長い毛がほこほこした猫が、尻尾をふわっとたてて甘えている。
ずんぐりむっくりしたボスオーラのあるトラ猫は、「おぬしは何者だ。ここはわしの家だぞ」というように威厳のある目付きで見てくる。
耳が大きめな灰色の猫が柱の影で爪とぎをしようとして、ハウスメイドに「おやめください猫様」と止められている。
「ナーシュ殿下は猫好きでいらっしゃるのですね?」
マリアンヌは、現実を確かめるように呟いた。にゃぁ、みゃあと鳴く猫たちは可愛らしい。足元におずおず寄ってくる黒猫なんて、人懐こくてすぐに仲良くなれそうだ。マリアンヌが見ていると、ナーシュは黒猫を抱き上げて頬を寄せた。
「ふふ、可愛いだろう。私の自慢の猫たちなのだ。マリアンヌも猫が好きだと聞いているよ?」
「よくご存じで」
「撫でるかい? この子なんてどうかな、大人しいよ。君が以前撫でていた子……あ、いや、なんでもないんだ」
「……?」
ナーシュは、柔和な雰囲気の青年だ。マリアンヌは猫を撫でながらそう思った。あと、噂通りの変人だ。
「初対面はやはりインパクトが大事だと思って、猫たちの力を借りたのさ」
「さようでございましたか。インパクトは、とてもありました」
「びっくりしたかい? もしかして……あまり好みのお出迎えではなかった?」
「驚きました。猫は可愛いと思います」
「好みだった? 好みではなかった?」
「驚きすぎて、好みとか好みでないという感想までたどり着きません、申し訳ございません」
マリアンヌが謝ると、ナーシュは軽く首を振った。
「謝る必要はない。非常識すぎたのだな、反省するよ。すまない、ごめん、私が悪い。妻には非がなく、謝る必要はない」
王族の言葉は重い。
軽々しく「自分が非常識すぎた」などと言うイメージがない。けれど、ナーシュの言葉は軽やかで、「これから」について説明する声には淀みがない。
「まず、私の妻には一切の義務がない。妻は存在するだけで天使である」
「は、はい、……てん、し?」
「旦那様、とか、ナーシュ様、と呼んでみるのはどう? 呼び捨てでも構わないよ」
「かしこまりました、殿下」
「うん、かしこまられてしまった」
広い邸宅を案内しながら、夫は陽だまりのように笑った。
「マリアンヌ。私は社交の場にあまり顔を出さない。君は社交活動をしたければしてもよいが、したくなければしなくてもよい」
おっとりと話す内容は、やはり少し変わっている。
「私は妻を家族であり助け合う仲だと思って接する。だが、後継者作りは無理にしなくてもよい。使用人の統括、慈善活動、芸術や文学、教育などの支援といった社会貢献や社会的な模範となるような振る舞いも、別にしなくてもよい。したければしてもよいが」
「まあ……」
マリアンヌはアクアマリンの瞳を瞬かせ、小鳥のように首をかしげた。
「この国で私のやり方に口出しができるのは、兄である国王陛下のみ。私の妻は貴族社会の常識や義務といったしがらみも、気にする必要がない。この猫たちのように、私の家族としてのんびり不自由なく過ごしてくれればいいよ」
「は、はあ」
「私もこれまで通り過ごす予定だけど、妻とは仲良くしたい。仲が悪いよりは、仲良しがいいよね」
「さ、さようでございますね」
初夜、夫は妻の隣で「一緒に眠るのってどう思う? 嫌だったら別々の部屋にするから言ってね」と言い、枕を抱きしめて横になった。なかなか寝付けないでいると、夫は背中を向けて素数を数えてくれた。
「私が眠れないのを察して子守唄代わりに数えてくれているのですね」
と感謝すると、夫は硬い声で「自分用だった」などと言う。やはり少し変わっている。
マリアンヌが翌朝「緊張して眠れなかった」と告白すると、ちょっと赤い目をしたナーシュは「実は私も眠れなかった」と言った。そして、その夜からは夫婦の寝室は別々になった。
毎朝、「おはよう。今日も一日健やかに過ごしてね」と言われて食事を摂り、昼は別々。夕食になると、また顔を合わせて「本日は不自由なく過ごせたか、何か望むことはあるか」と親切にきいてくる。
マリアンヌは毎回お約束のように「不自由を感じていません。望むことはありません」と言う。
食事の後は「おやすみ」と頬にキスを贈り合い、夫婦のコミュニケーションは終わり。
マリアンヌの新婚生活は、このように始まった。