岩泉誠太郎の結婚
 『身の程もわきまえず岩泉誠太郎を狙う玉の輿狙いの厚顔無恥な淫乱三股女』‥‥これが私の最もポピュラーな最近の呼び名だ。

 『勇者(笑)』『伝説の名器』などもある。

 嫉妬や妬みとも違う‥‥今までこんなにも人から憎悪を向けられたことはなかった。

 当事者だったはずの川口さんが、これまでとなんら変わらず普段通りを貫いてくれたおかげで、同じ部署の人達とは問題なく仕事をすることができた。

 冷たい視線は気にしなければいい。陰口も聞き流せばいい。だけど、直接的な嫌がらせや抗議は、攻撃力が半端なかった。

 『伝説の名器』という不名誉な称号を賜った効果で下世話な誘いを受けるようになったのも地味にHPを削られる。

 あれから岩泉君の帰宅が遅くなって、ひとりで過ごす時間が増えていた。

 「はあああ‥‥‥‥」

 家でひとりの時くらい盛大にため息をついてもバチは当たらないだろう。

 「もう‥‥やめちゃおうかな‥‥」

 やめるって、何を‥‥?平気なふり?会社?それとも‥‥‥‥岩泉君の恋人?

 岩泉君と別れて転職すれば、今ある問題は綺麗さっぱり解決する。でもそれだとあのお嬢様の思惑通り過ぎて、なんか凄くもやもやする。

 例の怪文書を用意したのは澤田さんだったと岩泉君が言っていた。その後姿を見せなかった彼女がここ数日社内で目撃されていて、もやもやを通り越してむかむかが止まらない。

 彼女のせいで岩泉君と別れるのは我慢できない。それだけは絶対に嫌だ。例えこの先岩泉君と別れることがあったとしても、今回のことが原因になるなんて許せない。

 逃げたりなんてするもんか。

 ‥‥そう思っていた矢先。体を襲った耐え難いほどの激痛に屈して病院へ行くこととなり、帯状疱疹だと診断され、ドクターストップで会社に行けなくなってしまった。

 自分が思うほど私は強くなかったらしい。体が発した警告を無視して出社することもできなくはないけど‥‥冷静になって考えると、それは周りに迷惑だし、ちょっと馬鹿馬鹿しい。

 一週間ほど休んで復活する予定だったが、岩泉君にしばらく休職して欲しいと懇願されてしまい、『まあいっか』と思ってしまった。今更むきになって出社し、再びストレスに晒されることに意味はない。

 抵抗するのをやめてみたら驚くほど体が楽になり、以前にも増してしあわせな日々を過ごしている。この状態がいつまで続くかはわからないけど、流されるだけ流されてみるのも悪くないかもしれない。
< 28 / 30 >

この作品をシェア

pagetop