目と目を合わせてからはじめましょう
 雨宮の会社は、美容室からマンションまでの間にある。最寄りの駅を降りると、雨宮の待つ事務所へと急いだ。

 もちろん、会社の中へ入るつもりはない。近くまで来たので、雨宮にメッセージを送る。

 「おや、もしかして、市川咲夜さんかな?」


 雨宮の事務所の前で待っていると、建物の入口から出てきた体格のいい、白髪混じりの男性に声をかけられた。誰だろう? でも、会社から出てきたのだから怪し人ではないと思うが、フルーネームで呼ばれるとなんだか妙な感じだ。

 「は…い」

 返事に困ってしまう。


 「突然声をかけてしまい済まないね。太一の父です」

 「ああー 初めまして、市川咲夜です」

 そうだ、社長がお父さんだったんだ。慌てて頭を下げた。安易に会社に来るなんて非常識だった事に気付いた。

 「長い出張だったからね。迎えに来てくれたのかな?」

 「あっ。はい。きちんとご挨拶に伺わなければならないのに、申し訳ありません」

 もう一度、深々と頭を下げた。

 「そんな事は、気にしなくていいよ。それよりも太一を迎えに来てくれた事が嬉しいよ」

 「えっ?」

 意外な父の言葉に、思わず顔を見てしまった。


 「こんなところで待たせるなんて太一のやつは気がきかんな。まあ、女性に慣れてないんだ、勘弁してやってくれ。さあ、行ここう」

 「あの、どちらへ?」

 「こんなとこで待たず、事務所で待てばいい」

 父は、私の肩に手をかけ、会社の入り口へと向かっていく。

 ええー。いいのかな? 雨宮の不機嫌になる顔が脳裏に浮かんだ。


 建物自体はそれほど大きくないが、一階は大きな駐車場になっているようで、階段を登り二階へと促された。

 「まだ、後処理が終わらんのか?」

 父の視線の先には、廊下のガラス張りの窓から、雨宮がデスクで何やら数人と話をしている姿が見えた。やっぱり、会社に迎えに来るなんて迷惑だったかな。

 「忙しいようなので、外で待ってますね」

 「何、気にすることはない。一緒にコーヒーでもどうだね?」

 「ええ…… でも、お父様も、お出かけになるところだったのでは?」

 「いや、いいんだよ。暇だから帰ろうかと思っただけだよ」

 そんな事はないだろう。気を使わせてしまったのではないだろうか。


 「さあ、こっちだよ」

 父は、少し微笑むと、また、私の肩に手をかけた。

 「咲夜!」

 廊下に響くような声に振り向くと、雨宮が部屋から飛び出してきた。
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