目と目を合わせてからはじめましょう
 「昨夜は大変だったみたいだな」

 「ええ。あっ。申し訳ありません。研修前の市川君に運転させてしまいました」

 俺は、深く頭を下げた。

 「ああ、そうみたいだな。常識から言って有り得ない事だ。いつも、冷静なお前が判断したんだ、よっぽど切羽詰まっておったんだろう」

 「いえ。そう言う訳では…… 通報者の弟でもあるので、都合がいい事もあるかと」

 「まあいい。済んだ事は仕方ない。報告書だけきちんと出せ」

 もっと咎められるかと覚悟していたが、意外にあっさりしていて逆に怖い。

 「はい」


 「なあ、太一。あれから、七年だな」

 社長が言おうとしている事は、すぐにわかった。ここからは、父親の言葉になるのだろう。父がソファーに座ったので、俺も向かいのソファーに腰を下ろした。

 「来月、命日ですね」


 父と俺の間に重い空気が流れる。この空気は、今始まった事ではない。決して中の悪い親子と言うわけではない。だが、二人きりの会話になると、たとえ会話が続いていても、重い空気が消えない。それは、七年前のあの事件からだ、母の姿が無くなり、俺と父の間を中和するものが無くなってしまったような感じだ。


 「今年も、墓参りは一人で行くのか?」

 「はあ? どう言う意味で? 父さんは、行かないのか?」

 「もちろん行くさ。そうじゃなくて、そろそろお前も誰か一緒に墓参りに行ってくれるようないい人がいないのかって事だ。母さんも気にしているんじゃないかと思ってな」


 「何を言い出すかと思えば、そんなことか。いないよ、そんな人は。それに、俺はこのままでいい。結婚とかは考えてないから」

 「なんだか、つまらんな」

 「いいだろ。俺の事なんだら」

 「まあ、そうだが。あんまり難しく考えるなよ」

 「難しく?」


 「俺だって、母さんの事件を、一生許す事はない。あんな事が無かったらと、思わない日はない。だが、お前が大事な人を作らないままでいるのは寂しいものだ」

 母さんが亡くなってから、父が事件の事に触れるのは初めてだ。

 「母さんの事件のせいじゃない、俺に余裕がないだけだ」

 そう言ったが、本当は母さんの事件がずっと俺に恐怖として残ったままだ。人を失う事が怖い。


 「守るとか、失うとか、何かしなきゃとか難しく考えるより、何故か気なる存在だったり、そばにいたいと思ったり、そんな事が大事だったりするもんだ」

 父さんは、少し寂しそうな表情で窓の外に目を向けた。


 滅多にそんな話をしない父親の言葉が、胸の奥の何かを突き刺す気がして、俺は言葉を返すことが出来なかった。

 「……」

 「まあいい。いつもの時間にな」

 「ああ」


 俺は、社長室を出ると、休憩室に向かった。カウンターで熱いコーヒーを淹れる。


 七年前、俺も父も警察官だった。

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