目と目を合わせてからはじめましょう
 父は警護課の課長だった。多忙で家にいる時間はほとんどなかったんじゃないだろうか。

 あの日は、大きな商業施設のオープニングセレモニーで、海外からの大物アーティストの来日や政治家もがイベントに参加するものだった。父は、責任者として警護の指示にあたり、偶然にも俺も警護に回されていた。

 異変が起きたのは、イベントが終盤を迎えた時だった。海外アーティストのステージの終わりに興奮したファンが、ステージに乗り込んだ。もちろん、すぐに抑え込んだのだが、同時に、近くにいた政治家を狙った男が暴れ出した。その勢いで、別のファンがアーティストの帽子を掴むと走って逃げ去った。

 数人の警官が追いかけたのだが、男は人混みの中を荒々しく逃げていき、階段を降りるさいに、通行人と激しくぶつかった。

 偶然としか言いようがないのだが、その通行人は、たまたま友人とイベントに来ていた母だった。

 母が階段を落ちていく光景が、今も目に焼きついたまま消えない。


 何度も思う、あの時の警護に問題はなかったのか。もっと早く、あのファンの男の行動に気づいていれば。一歩早く、俺の体が動いていれば。後悔しかない。それは、俺以上父も後悔の念に苦しんでいるのだと思う。


 あの事件を境に、父は警察官を辞めた。わずか数ヶ月後、自分で警備会社を立ち上げた。そして、俺も警察官を辞めて、父の立ち上げた警備会社に入った。

 父さんの思いも俺の思いも同じだと思う。

 もう、二度と同じ過ちを犯したくない。

 もう、二度と大切な人を失いたくない。


 「雨宮さんこちらにいらしたんですか』

 コーヒーを口に運ぶ手を止め、聞き覚えのある声に振り向いた。
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