青春は、数学に染まる。 - Second -

放課後、重い足取りで数学科準備室に向かう。


「失礼します…」


そっと扉を開けると、中には早川先生がいた。



「…いらっしゃいませ」
「先生」



扉を閉めると、先生は私の方に飛んできた。
そして、優しく抱き締める。


「学校ですよ…」
「3秒だけです」


本当に3秒で離れ、目を合わせた。



「藤原さん、申し訳ございませんでした。藤原さんが勉強を頑張っていることを知っていたのに、赤点回避できないなんて言ってしまいまして…」
「本当ですよ。1年の頃の私とは違うのです。私の頑張りを否定する物言いは伊東と同じですよ」
「…そうですね。本当に申し訳ございません」


補習を受けている私のことを散々馬鹿にしてきた、前任の伊東。

その人とやっていることは同じだよ。



「…心のどこかで、藤原さんが赤点回避しないだろうと、そう思っている自分がいました。それは、藤原さんの努力を否定するわけではなく、100年後も数学を教えたいという僕の思いと…段々と成長していく藤原さんが僕の元を去っていくのではないかという漠然とした不安があったからです」
「…………ふふ」


何それ。
思わず笑いが零れた。


「それ、“先生” としての意思じゃないですよね」
「…はい。僕個人の意思です」
「教師なのに勉強ができるようになる生徒に不安を覚えるなんて傑作です。面白すぎます。大体、何で数学ができるようになったら先生の元から去るのですか」
「いや…そうなると数学教師は不要になりませんか?」



なりませんか?
じゃないのよ。



そうなるわけあるかい。



「意味が分からないです。別に数学を教えてもらうために付き合っているわけじゃないし」
「…そうですよね。すみません」



謝りながら小さく縮こまった。
本当…先生のそれ、いつ治るのかな。



「ネガティブが治りませんね」
「分かっているのですけど、なかなか…」




何だかもう…さっきの言葉が意味不明すぎて、1周回って面白くなってきた。

笑いが止まらない。






「というか、褒めてください。31点ですよ」



そう言った自分がまた面白い。
赤点回避はしたものの、点数が低いことには変わりないのに。






それでも、先生は少し微笑んで頷いた。



「遅くなりすみません。おめでとうございます。よく頑張りました」
「…ありがとうございます」



別に褒められる為に勉強をしているわけではないけれど。





やっぱり、先生のその一言が聞きたかったんだよ…。


心からそう思った。







「ところで、的場さんはどうしたのですか?」
「あ…その…気を遣って帰りました。浅野先生にもその旨を話していたので、先生も来ないと思います」
「…………そうですか」


少し無言で何かを考えていた先生。



そして、再び抱きついてきた。



「え!?」
「お静かに」



先程よりも力強く抱き締められ、身動きが取れない。
久しぶりに感じる先生の体温が心地良く感じた。


「先生…」
「藤原さん、補足させて下さい。教師としての僕にとって、これほど嬉しいことはありません。1年間ずっと赤点だった教え子が、遂に赤点回避をしたのですよ。このことについて論文を書けそうな勢いです」
「論文…」



笑った。
ちょっと面白いから、本当に論文を書いてくれないかな。




「…先生の中に感情が2つもあって、大変ですね」
「全くです。藤原さんを前にすると、自分でも自分の感情のコントロールが難しくなります」
「それって私のせいってことですか?」
「違いますよ。好きすぎて冷静では居られなくなるって話です」


そう言いながら優しく唇を重ねた。




よくもまぁ…そんな恥ずかしいことを…。


私の顔が耳まで赤くなるのが分かる。





「あと、藤原さん。確認したいことがありました」
「何でしょう」


「いつになったら、僕に悩みを打ち明けてくれるのですか?」


「………あ」






忘れていた…。

そう言えば考査期間に入る前、悩みがあれば話して欲しいって言われていたのだった。



ただ、その悩みって…神崎くんのことだから。
先生には悪いけど、ちょっと言えない。




「あー…その、それは解決しました」
「解決?」
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみませんでした」



もちろん。実際、解決はしていない。
今もまだ神崎くんには悩まされているが…それでも先生には言えない。





「……そうですか、分かりました」





不満そうな先生の表情。
それ1つで、私の言葉を信じていないことが分かる。







ごめんなさい、先生。



余計な心配はして欲しくないから。






表情を変えない先生は、無言で私の頭をずっと撫でていた。









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