青春は、数学に染まる。 - Second -
第五話 「教師と生徒」以上のこと

嫉妬


1学期の期末テストも終わり、夏休みがやってきた。

期末の数学は30点。
30点以下が赤点。つまり…ギリギリと言え、赤点だ。




赤点でモヤモヤした気持ちのまま、高校生活2回目の夏休みがやってきた。





数学補習同好会は夏休みも活動をするが、該当者は私だけだと聞かされたのは終業式の日のこと。


「赤点の藤原さんはみっちりお勉強して頂きます。的場さんは空手もありますし、夏休み中はお休みです。浅野先生も、文化祭に向けて軽音部が忙しくなりますから来させません。藤原さんはいつも通り頑張りましょうね」
「…はい」

有紗はいないのかぁ。
私は残念だったが、有紗は何やら嬉しそう。

そりゃそうよねぇ。勉強しなくて良いのだから。
私だって本音は…夏休み中くらい勉強したくない。


「ていうかそれってさぁ、早川先生が真帆と2人で過ごしたいが為の口実じゃない!?」
「……的場さん、本当に怒りますよ」
「怒るってことは図星!?」
「…………そうだとしたら何ですか。夏休み期間くらい良いではありませんか。日頃、邪魔者が2人もいるのですから」
「えぇ!!! 開き直った!!! ていうか浅野先生はさておき、私のことも邪魔者って言った!?」
「言いました。邪魔者です」

先生…言いすぎ…。有紗のおかげで数学補習同好会は守られているんだよ…。

そう思ったが、有紗も先生に対して言い方が悪いからお互い様か。







そんな終業式の日のことを思い返しながらボーっとしていると、私の背後から声が掛かった。



「藤原さん、おはようございます」
「あ、おはようございます」


今日は夏休み初日。
早く学校に着いてしまった私は、数学科準備室で待機していた。


「お待たせしましたね」
「いいえ、待ってないから大丈夫です」


先生は少し嬉しそうにプリントの束を机に置く。

そのプリントの束は国語辞典の厚さくらいあった。


「いや、先生…プリント多すぎませんか…」
「気のせいです」


気のせいでは済まされない量のプリント。

まぁ…良いか…。
見なかったことにしておこう…。




小さく溜息をつくと、先生は私に近付いてきて頬に軽く触れた。

「痣、薄くなってきましたね」


神崎くんの取り巻きに殴られた時の痣。
あれから1ヶ月くらい経つのに、完全には治っていない。


「復帰した停学組とは、何か会話をしましたか?」
「…いえ、何も話していません。謝罪も何もありませんが…まぁ、関わりたくないので良いです」
「………神崎くんは、何か話したいような感じですけどね」
「…え?」
「授業の前後、神崎くんの視線は常に藤原さんを向いています」
「………」



先生ったら…そういうことにはすぐ気付く。





実は、私も気付いていた。



停学が明けてから、神崎くんの周りに居た取り巻きはゼロになった。

私に暴力を振るってきた4人は勿論、それ以外の取り巻きも今は神崎くんから離れている。



1人になった神崎くんは、自分の席に座って…こちらを見ているのだ。



数学の前後のみならず、全ての授業で。




「浅野先生もあの件以降、藤原さんを見る目が違いますよね。他の生徒との対応が違いますし、同好会の活動中も藤原さんと的場さんでは話し方も違います」

「……………」





それも、気付いていた。
気付いていたけれど、気付かないフリをしていた。



早川先生…凄く敏感だなぁ…。





「そして藤原さん、気付いていましたよね。神崎くんのことも、浅野先生のことも」
「………」
「図星ですね」
「………」





何て答えるか悩んで黙り込んでいると、先生は1回手を叩いて言葉を継いだ。


「…まぁ、良いです。お勉強しましょうか」



そう言いながら『鳥でも分かる!高校数学②』を開いた。





…良くない。
全然、良くない。




先生のその「まぁ、良いです」は先送り文句だ。



「…先生、怒りますよ」
「え?」
「先生がそうやって、2人とまた何かあるのではないかと考えていること。何も良くありません」


私のこの言葉を想像もしていなかったのだろう。
先生は目を見開いたまま固まった。


「…あの2人が何を思っているかなんて、私には関係ありません。私には、お付き合いをしている大切な人がいます。………もし先生がいつも通り嫉妬をしていると言うのなら…やめてください。何も、起こりません。だから私は、気付かないフリをしていたのですよ」



睨むような目付きで先生を見る。


「……」


先生はゆっくりと目を細めて、唇を噛みしめ震え始めた。


「モテモテの真帆さんには分からないと思います。お付き合いをしているのに、いつか取られてしまうかもしれないと思ってしまう僕の立場。僕以外に、真帆さんのことを気に掛けている男が2人もいるのですよ。気が気ではありません」
「誰も私なんか取りませんって…」
「保証はありません。…現に、2人いますから」
「……」


子供みたいに頬を少し膨らませている先生。

…そんな風に拗ねられても。
私には、どうしようもない。


「…今日は帰ります」
「え?」



まだ活動は始まってもいないが、私は出していた筆記用具を片付ける。


そして、無言で数学科準備室を出た。



「ちょっと、真帆さん!!」
「さようなら。“早川先生”」




来てから帰るまでの時間が最速過ぎて面白い。



先生は走って廊下まで出てきたが、その足は止まる。
視線の先には、数学科準備室に向かってくる浅野先生がいた。



「あ、藤原さん!」
「浅野先生、おはようございます」


廊下を小走りしながら駆け寄ってくる浅野先生。
早川先生は…そっと部屋の中に戻った。


「藤原さん、どこに行くの?」
「今日は帰ります。活動止めました」
「何で?」
「色々です」


そう答えて歩き始めると、浅野先生は私の制服の袖を掴んだ。


「待って。…藤原さん、ずっと聞きたかったんだけど。あれから、元気になった? 体は…大丈夫?」


吸い込まれそうなくらい優しい目でこちらを見てくる。

半袖パーカーを着ている浅野先生。
生徒と言われても…信じちゃう。



私は袖を掴んでいる先生の手を振り払って、背を向けた。

「ご心配ありがとうございます。もう大丈夫です」

返答も聞かずに歩き始めるが、それでも追いかけてくる。

「…先生、何ですか」
「いや……。何もないよ。大丈夫なら、良かった!」

そう言って数学科準備室の方に走って行った。


「………」


不穏。

不穏だよ、浅野先生。



今年はもう、繰り返したくない…。






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