青春は、数学に染まる。 - Second -
その思い
早川先生と仲直りをしたわけでも無いが、全く話さないわけでもない。
学校以外では会わず、何なら連絡も取っていない。
私と早川先生の間には溝が出来ていた。
少し気まずい数学科準備室。
そこに…浅野先生がやってくる。
「失礼します。おはようございます」
私と早川先生の溝を一層深めた張本人。
浅野先生と会うのは、話したかった、何て言われ腕を握られた…あの日以来だ。
「浅野先生、どうされましたか」
「……」
無言の浅野先生。
これがまた不穏…。
「早川先生、藤原さん。単刀直入に聞くんですけど、2人って…一線を超えている感じですか?」
「……どういうことですか」
冷静に切り返す早川先生。
私は、心拍数が上がってきた。
「どうもこうも。この前見たんです。2人が抱き合っているところ。それを見た日から、今日ここに来るまでの間…色々と考えたのですが。何をどう考えても、あれは普通の教師と生徒の範囲ではありません」
あの時の光景、浅野先生に見られていたってこと?
けれど…まぁ…一瞬とは言え、あんな場所だから。誰が見ているか分からないが…。
私は感情を顔に出さないように、必死で真顔を維持する。
早川先生の内心は分からないが…その顔は同じように真顔だった。
「浅野先生の言っている意味が分かりません。抱き合うくらい、しませんか」
しませんか。じゃないのよ。
するわけないでしょ!!!
早川先生の苦しい言い訳。
浅野先生は、ふーんと言いながら首を少し傾げて…私を抱き締めた。
「え?」
「…じゃあこれも、有りってこと?」
「有りではありません」
勢いよく体を動かした早川先生。
浅野先生を私から引きはがす。
…もう、浅野先生の思うツボだ。
「おかしいですね。抱き合うくらいするのでしょう? なら僕も有りですよね」
「僕と貴方では違います」
「同じ数学教師。一体何が違うのでしょうね」
「……経験の差」
「たかが3年差で?」
浅野先生はソファに座り、ふぅ…と小さく息を吐く。
「いや、早川先生。繋がりました。最初、数学補習同好会が藤原さんと2人で、生徒も顧問も増やさないと言っていたこと。その後、理由をつけて僕に的場さんを担当させたこと。藤原さんが暴力を受けた件、担任の僕を差し置いて全て先生が処理をしたこと。夏休み、的場さんが休みは分かりますけれど、僕にまで来なくて良いと言っていたこと。そして、これ。もう言い逃れできないと思いませんか」
大変な状況の中、私は『伊東2号誕生!!!』なんて頭の中で考える。
…最悪だ。
考えうる限り、最悪な展開。
本当に、どうしてこうなるのだろう。
もう『先生受けが良い』とかそんな言葉では片付けられない。
「……だとしたら、何ですか」
「え?」
「浅野先生があの件以降、藤原さんを他の生徒とは違う目で見ていること、気付いていました。目も口調も全然違います。だから寧ろ、丁度いいです。この際だから言わせてもらいますけれど、藤原さんに対して違う感情を抱いているのでしたら、今すぐ捨てて下さい。それを言う権利が僕にはあります」
早川先生~~~~!!!!!
おーい、何を言っているんだ!!!!!
思わず頭を抱えてしまった。
…無理だ。私には耐えられない。
体を扉の方に向けて歩き出そうとすると、後ろから早川先生に抱き締められた。
「逃がしません」
耳元でそう囁かれ、全身の力が抜ける。
終わったわ……そう思った。
「神崎くんと浅野先生のせいで、僕と真帆さんの間に深い溝が出来てしまっているのです。ラブアピールは心底迷惑なので止めて下さい」
浅野先生は…鋭い目付きに変わった。
その目に少しの恐怖心を抱く。
「……むかつく。学校に言っちゃおうかな。早川先生、辞めさせられるかもよ」
「…………どうぞ、お好きに」
「え?」
その早川先生の一言に、私が反応してしまった。
「絶対、ダメ!!!!」
私は後ろから抱き締めている早川先生を押しのけて、浅野先生の前に出る。
「浅野先生、学校に言っても良いですけれど!! 絶対に早川先生を悪く言ったらダメです! 全て私が悪いから…私が先生にアプローチを掛けたから!!! 罰を受けるのは、私だけです。退学でも何でもします」
驚くほどスムーズに嘘が出る。
早川先生と浅野先生はポカンとしていた。
そして…言葉を理解した早川先生が声を上げる。
「ば…馬鹿なことを言わないで下さい!! 全ての原因は僕ですから、僕が辞めれば解決します!! いつも言っていたではありませんか、迷惑なら解雇させてもらって良いと!! 退学なんてさせません。真帆さんには、きちんと卒業をして欲しいのです」
「違う!! 馬鹿は裕哉さんの方です!! 嘘も方便という言葉があるでしょうが!! …裕哉さんが教師になったことをご両親が喜んで下さったって、言っていたではありませんか…!! ご両親の意志を継いで、裕哉さんには死ぬまで教師で居て欲しいと、私は本気でそう思ったんです!!! 守らないといけないって、思っていたんです!! なのに…辞めて良いはずがありません!!」
数学科準備室に静けさが訪れる。
浅野先生は、一点を見つめて固まっていた。
「…馬鹿だな…2人とも。……いや、前任校でもいたよ。生徒と付き合っている教師。この2人は学校にバレていたけれど、ここまでお互いのこと考えていなかった。最終的にどっちが悪いだの言って押し付け合いをして、2人とも学校を去って行った。目も当てられなかったよ」
「僕はそれを見ていたから。生徒と付き合うなんて馬鹿だなって、思っていた。そんなのリスクしかないのに。…だから僕は、生徒から人気があるからこそ…絶対に好意を抱かないって決めていた。……けれど…今の僕は、人のこと言えないよね。僕だって…君のことを好きになっているんだから…」
浅野先生の真っ直ぐな目に心臓が飛び跳ねた。
動揺が伝わったのか…。
早川先生は後ろからそっと私を抱き締める。
しかし…この学校の数学教師おかしくない?
…何でみんな、こういう展開になるのだろうか。
「早川先生と藤原さんのことは言わないよ。何か、2人が大真面目過ぎて…1周回ってどうでも良くなった。…けれど、好きなままで居ても良いよね。お付き合いしているうちは、僕にも可能性がある」
出た、またこのパターンだ…。
「…浅野先生、可能性はゼロです」
「ゼロでも良い。僕は、本気です」
そう言って、浅野先生は数学科準備室から出て行った。