婚前どころか、フリですが ~年下御曹司?と秘密の溺甘同居~
2、あなたは何者?
「じゃあ、先行くね」
「はい。 行ってらっしゃい」
玄関まで見送りにきてひらひらと手を振る翔くん。出社の時間をずらすために、私たちはそれぞれ一緒に住む前と同じ時間に会社に着くように家を出ることにしたのだ。
すぐにまた会社で会うのに、このやりとりはちょっと不思議。
そうして一足先に出勤する。会社までの距離がだいぶ近くなったのは、結構嬉しい。いつも通り、カフェラテをいれて窓の外に視線をやる。
8時30分、寝起きよりは落ち着きを取り戻したくせっ毛が見えた。ああ、変な感じ。さっきまで一緒にいたのに、私はいつもみたいに上から彼を見つける。
急に、翔くんが立ち止まった。そして顔を上げる。周りの人が彼を避けてオフィスに入っていく。彼の目線の先には、私がいる。
ちょっとちょっと、何? いつもはそんなことしないのに。
翔くんはふわりと笑って、再び人の並に乗った。視力はいい方だ。だから、知っている人ならすぐに見つけられるし、表情も結構わかる。わかるからこそ、今の翔くんの行動に戸惑う。下から私を見つけて、嬉しそうに見えた。変な感じ。いつもはなかったやり取り。いや、一方的なものだけども…。
「小春さん、おはようございます」
「お…はよう、夏樹くん」
ただの挨拶が、2度目の挨拶だから。翔くんの声色があまりにもいつも通りだから、逆に困惑する。動揺してどうするの!自然に、自然に。私たちは今、ここで初めて顔を合わせたのだ。ひとつ屋根の下で眠ったとか、一緒に朝ごはんを食べたとかそんなことは忘れるの。
「仕事。 来週のラグ・ア・カルムの担当との打ち合わせの確認、できる?」
「はい。 会議室抑えてあります」
「ありがとう。 じゃあ、行こっか」
今抱えているのは、大手との共同業務。季節ごとに施設の情景が変わるラグ・ア・カルムの、春からの営業に向けての広告についてだ。基本的に橘グループが主軸で進めるけれど、べりが丘全体を統べるツインタワーとしてそれが街にどう溶け込むか、馴染むかを把握していなくてはいけない。常に現場と企業の間に立つ特殊なポジションを保っているのだ。