【ミセスのガマンフマン】ミセスのゲキジョー
アタシ、◯◯◯をやめてミセスになりました
週末の深夜、いかがお過ごしですか?
ミセスのガマンフマンぶち曲げバナシ『ミセスのゲキジョー』を始めます。
えーと、5月3日…
ゴールデウィークの後半の4連休の最初の日…ですね。
ゴールデウィークが終わったあたりから、五月病気味になられるケイコウが多々ございますが、大丈夫でしょうか?
今回のテーマは『アタシ、◯◯◯をやめてミセスになりました〜』でございます。
高校・大学を卒業したあとシューカツで決めた会社に入った…
けれど、会社をやめてオミズの世界に入った…
結婚して専業主婦だった自分が働きに出たけどあわなかった…
…理由はさまざまですが…
えーと、今回もたくさんのミセスさまからメールをいただきましたのでご紹介させていただきます。
まずは、26歳のパート主婦からのメールです。
【デパートの仕事がわからないのでデパートをやめました】
26歳・パート主婦
アタシは、兄2人と弟と妹の5人きょうだいの長女です。
話はまず、アタシが高校2年の時から始めます。
当時、大学生だった一番上の兄が大卒後に国家公務員になると決めたので外交官の試験をうけた。
しかし、不合格に終わった。
一番上の兄は、シューカツをしていなかったので卒業後の進路が未定となった。
この時、アタシは両親から『お前は高卒後の進路のことは心配しなくてもいい…』と言われたので、受験勉強もシューカツもしなかった。
アタシは、両親の勧めで11歳年上の大卒で年収900万円以上の商社マンのダンナとお見合いをして結婚した。
しかし、結婚してから6年後にダンナが取引先の会社へ出向を命ぜられた。
ダンナのお給料は、半分以下に落ち込んだ。
危機感をつのらせたアタシは、父の知人の紹介で街のデパートに就職した。
アタシはがんばって働こうと意気込んでデパートの仕事を始めたけど、来て早々に大パニックを起こした。
お得意様と上得意さまのお客様の違いが分からない…
難しい専門用語が理解できない…
…で、失敗ばかりを繰り返した。
アタシは、じっとしているのがイヤな性格なのでとにかく動かなきゃと思った。
だけど、周りの人たちから『あなたはここはしなくてもいいから…』と言われたので仕事をさせてもらえなかった。
悩んだ末に、アタシは人事部長に『一身上の都合で…』と言うて1日でやめた。
デパートをやめたアタシは、知人からの紹介でケンタッキーでパートとして働くことにした。
収入はまだ少ないけど、パート主婦としてがんばります。
これからこれから…ですね。
つづいては、34歳のデリヘル嬢からのメールです。
【看護婦の仕事に向いていないので、病院をやめました】
34歳・デリヘル嬢
アタシが小さいときに両親から一番上の兄のことをくり返して聞かれたことを覚えている。
一番上の兄は、4浪の末に大学受験に合格した。
しかし、一番上の兄はノイローゼを理由に休学した。
この時、アタシは父から『お前は大学に行くよりは即戦力になる仕事の方がいいと思う。』と言われた。
母も父に同調して『看護婦さんはどうかな?』とアタシに言うた。
その上で『おかあさんの知人が看護学校の校長を務めているから…』と言うてアタシの進路を一方的に決めた。
アタシは、両親の言うとおりに高校を卒業した後は町の看護学校に進学した。
病院で勤務をしながら看護師の資格をとることを決めた。
最初は病院の総合受付をしていたが、おしゃべりが多いので雑用に回された。
しかし、点滴入りのビンを床に落下して粉々に壊すなど…どじばかりを繰り返した。
アタシは、ものすごくつらくなったので病院と看護学校をやめた。
困り果てた両親は、方針転換をした。
その翌年、アタシは両親の知人のコネで町の短大に進学した。
短大を卒業したあと地元企業に再就職した。
けれど、3日でやめた。
それからアタシは、100回転職したがどれも長続きしなかった。
アタシが29歳の時、両親の勧めで年収800万円の総合商社勤務のダンナと結婚して専業主婦で新たな一步を踏み出した。
けれど、ダンナの仕事の関係で残業や上司の接待など…で帰宅時間が深夜になる時が多かったし朝方に帰宅する時もあった。
さびしさを感じたアタシは、知人の紹介で人妻専門のデリヘル店でデリヘル嬢として働くことを決めた。
ダンナが定刻通りに帰ることができる日は朝9時から昼3時まで…
ダンナが夜通し帰らないときや朝方に帰宅する時は、深夜勤務をする…
ダンナの都合に合わせて働くことができるので、デリヘル嬢を選びました。
アタシは、大きめの一戸建ての家を建てることを目標にデリヘル店で働いています。
楽しみですね〜
つづいては、24歳のチャットレディからのメールです。
【大学4年になってオタオタするくらいならと思って、シューカツをやめました】
24歳・チャットレディ
アタシは出身地の高校を卒業した後、福山市の大学に進学しました。
華の女子大生《キャンパス》ライフを夢見てスタートを切ったと思ったら、実家の母からよくない知らせを聞いた。
『お父さんが会社でもめて、無断欠勤をしたので、家に収入が入らなくなった…』と電話で言われたアタシは、ものすごく困り果てた。
アタシは、授業料と生活費を稼ぐためにコンビニやファストフード店など…複数の店舗を掛け持ちしておカネを稼いで生活を維持した。
話は、アタシが3回生の時であった。
アタシは、広島と岡山に行って大手企業の就職のガイダンスを受けた。
しかし、アタシが働きたい企業はどこにもなかった。
仕方がないので、苦学生の暮らしを続けた。
大学の卒業式の数日前であった。
アタシは、友人からチャットレディやってみないかとさそわれた。
アタシは、大学を卒業したあとチャットレディになった。
チャットレディとして再出発したアタシは、大学の時にしていたバイトと並行して働く毎日を送っています。
チャットレディで稼いだお金は全額貯金して、将来に備えます。
がんばってますね〜
つづいては、22歳のホステスからのメールです。
【早いうちに会社をやめないと…と言うことで会社をやめた】
22歳・ホステス
アタシは、女子大に進学したと同時にホステスになった。
大学の授業料と生活費をかせぐために働いた。
女子大を卒業した後、総合商社に入社した。
しかし、長続きできないと感じたので入社後もホステスを続けた。
会社には、ホステスをしていることを隠していた。
だからアタシは、ついて行くことができずに苦しんだ。
6月末に配属先の部署が決まったけどりましたが、ノイローゼを理由に休職した。
幸いなことに、お店で指名して下さったお客様からいただいた高価なブランド品がたくさんあった。
質入れしたブランド品をおカネに換えるなどしていたので、生活には困ることはなかった。
そして、8月末にアタシは会社をやめてオミズの世界で生きると決意した。
今のアタシは、ホステスと店のグループ店舗のソープ店のソープ嬢の二足のわらじの暮らしを送っています。
がんばってますね〜
つづいては、33歳のイメクラ嬢からのメールです。
【さんぱつやの家のコはさんぱつやしかないことにジレンマを感じたので、理容師をやめた】
33歳・イメクラ嬢
アタシの実家は理髪店です。
アタシは、父から毎度のように『さんぱつやのコはさんぱつやしかないのだよ…おとーさんは、お前が理容師になって店を継ぐことが夢なんだよ…』とクドクド言われ続けた。
だからアタシは、父の言うとおりに高校卒業後に理容美容専門学校に進学した。
理容師の資格を取得したアタシは、卒業したあと年中無休の全国チェーンの理髪店に就職した。
アタシは、そこでとんでもない大失態を犯した。
あれは、就職してから7ヶ月後のことだった。
店に40歳の男性が小学校3年生の女の子を連れて来店した。
アタシは、女の子のさんぱつを任された。
さんぱつを始めてから15分後だった。
この時、男性客が大声で『キミ!!どうしてくれるのだ!?』と怒鳴り声をあげた。
アタシがはっとわれに帰った時には遅かった。
この時、女の子の髪型がカリアゲになっていた。
そのことに気づいたアタシは、大パニックにおちいった。
アタシがおしゃべりに夢中になっていたことが原因で、女の子の髪型がカリアゲになった…
どうしよう…
どうしたらいいのよ…
女の子は『ワーンワーン…』と激しく泣き出した。
事件の翌日、アタシは店からハサミを持つことを固く禁じられた。
雑用に回されたアタシは、何のために理容師になったのかと思って悲しくなった。
そう感じたアタシは、理容師免許を返納することを決意した。
そしてアタシは、友人からのすすめでキャバに入店した。
それから6ヶ月後に系列店舗のイメクラ嬢になりました。
イメクラ嬢さんは、今でもがんばってますか?
つづいては、43歳のデリヘル嬢からのメールです。
【ラブホを作る方に変えましたので、夢のホテル作りを一度やめました】
43歳・デリヘル嬢
アタシの実家は、ヨロン島(奄美地方)のリゾートホテルで、家族は両親と兄3人と弟2人です。
実家のリゾートホテルは、母方の実家が経営していました。
アタシが中学3年の時に亡き祖父の跡をついでホテルを経営したいと家族に言うた。
けれど、父から『お前の力では無理だ!!』と言われた。
大ゲンカした末に、実家のリゾートホテルを継ぐことをあきらめたアタシは、中学を卒業後に東京へ出た。
バイトをしながら通信制高校に通った。
夢のホテル作りに向けて休まず働き通した。
通信制高校を卒業したアタシは、ビジネス専門学校で経営のノウハウを一から学び、事務の資格を取得した。
専門学校卒業した後は、都内の一流ホテルに就職した。
見習いのコンシュルジュとしたあと、いろんな部門で働いた。
しかし、7年後に外資系の会社に吸収合併されることが決まった知らせを聞いた。
ホテルの勤めをやめたアタシは、実家があるヨロン島へ帰った。
この時、実家のホテルは父が経営していた。
父は、経営の仕方がわからずに自暴自棄におちいった。
その末に暴挙に出たことが原因で経営が悪化した。
ホテルは廃業した…
同時に、家族がリサンした。
父は再び会社勤めを始めたけど、勤務態度が悪いのですぐにクビになった。
その後、ニンチショウがひどくなったので福祉施設に入所した。
2004年に、アタシは仲間たちと一緒にスマトラ島で夢のホテル作りに取り組んだ。
2005年1月にオープンする予定で準備を進めていた時に、大規模地震による大津波でホテルが倒壊した。
その後、アタシは愛媛県にあるアロマエステ店に入店した。
アロマエステ店〜ホステス〜チャットレディ〜ピンサロを経て今のデリヘル店にたどり着いた。
その後、アタシは香川県にあるラブホの建設に最適な土地を購入した。
今は、建設に必要なお金を作るためにデリヘル店で働いています。
夢のラブホは、いつできるか分からないけど、オープンする日を夢見て今日もまたご予約のお客様の元へがんばって行きま〜す。
どんな形のラブホができるのか…
楽しみですね〜
つづいては、30歳の専業主婦からのメールです。
【家政婦さんをやめました】
30歳・専業主婦
アタシは、26歳の時に結婚した。
長男が生まれてから4年の間は専業主婦をしていた。
長男の育児が一段落した時に、共稼ぎをしようと決めた。
アタシは、知人からの紹介で家政婦事務所に登録した。
一時の間、アタシは家政婦として働いた。
家政婦事務所で登録を済ませたアタシは、早速指定されたお屋敷に行った。
お屋敷に着いた時、アタシは『がんばって働いて、おカネを稼ぐわ。』と意気んだ。
しかし、アタシはうまく行かなかった。
そんな中で、事件が発生した。
お屋敷の奥さまが困った声でアタシに『チェストの上に置いていた50万円知りません?』と言うた。
言われたアタシは『アタシが50万円を盗んだと言いたいのね!!』と思い込んだ。
思い切りブチ切れたアタシは、お屋敷を飛び出した。
例の50万円については、後に奥さまが3日前に銀行の口座に預けていたことを忘れていたことが分かった。
問題は解決したけれが、ものすごく怒っていたアタシは家政婦事務所の登録を消した末に家政婦をやめた。
ダンナのお給料は、この時5倍増しになった。
やっぱり、専業主婦で床の間に飾られる方がいいもん〜
…………
…と言うことで、最後は34歳のファッションヘルス嬢からのメールです。
【育児休暇明けの職場には居場所がないので、勤めていた会社をやめました】
34歳・ファッションヘルス嬢
アタシは短大卒業後に信販会社に就職した。
そして、28歳の時に職場で知りあった同い年のダンナと結婚した。
29歳の時に長男を出産したあと3年間の育児休暇を取った。
長男が3歳になった時だった。
育児休暇が明けて職場復帰をしたけど、アタシは復帰早々に雑用に回された。
職場に居場所をなくしたアタシは、すぐに会社をやめた。
その頃であった。
アタシたちの家に、ダンナの実家の兄夫婦から電話がかかってきた。
ダンナの兄夫婦は『オヤジがキトクになったから、実家へ帰れ!!』と言うた。
アタシたち一家は、ダンナの出身地の実家に移り住んだ。
同時に、ダンナは信販会社をやめて町の役場に転職した。
アタシは、大都市にあるファッションヘルス店に転職した。
夫婦は、違う形で再出発をしました。
違う形で共稼ぎもいいですね~
…と言うことで、会社づとめをやめてオミズの世界に入った貴女《ひと》…
専業主婦の方が向いていた貴女《ひと》…
…のお話を紹介しました。
えーと、他にもたくさんのミセスさんからメールをいただきましたが、時間の関係で全部ご紹介することはできません…
なので、メールをいただきましたミセスさんをご紹介させていただきます。
22歳・デリヘル嬢
24歳・イメクラ嬢
36歳・専業主婦
31歳・ソープ嬢
23歳・ホテヘル嬢
33歳・セクシー女優
21歳・ホステス
25歳・ピンサロ嬢
28歳・ランジェリーモデル
20歳・グラドル
39歳・デリヘル嬢
46歳・専業主婦
55歳・チーママ
60歳・ラブホ経営者
26歳・ソープ嬢
36歳・専業主婦
40歳・グラドル
43歳・モデル
24歳・レースクイーン兼デリ
ヘル嬢
23歳・シングルマザー
25歳・デリヘル嬢
38歳・セクシー女優
40歳・シングルマザー
27歳・ホステス
30歳・温泉コンパニオン
22歳・芸姑《げいこ》はん
33歳・チャットレディ
……
たくさんのメールをありがとうございました。
またゆっくりと読ませていただきます。
ミセスのガマンフマンぶち曲げバナシ『ミセスのゲキジョー』…
次回もお楽しみに。
ミセスのガマンフマンぶち曲げバナシ『ミセスのゲキジョー』を始めます。
えーと、5月3日…
ゴールデウィークの後半の4連休の最初の日…ですね。
ゴールデウィークが終わったあたりから、五月病気味になられるケイコウが多々ございますが、大丈夫でしょうか?
今回のテーマは『アタシ、◯◯◯をやめてミセスになりました〜』でございます。
高校・大学を卒業したあとシューカツで決めた会社に入った…
けれど、会社をやめてオミズの世界に入った…
結婚して専業主婦だった自分が働きに出たけどあわなかった…
…理由はさまざまですが…
えーと、今回もたくさんのミセスさまからメールをいただきましたのでご紹介させていただきます。
まずは、26歳のパート主婦からのメールです。
【デパートの仕事がわからないのでデパートをやめました】
26歳・パート主婦
アタシは、兄2人と弟と妹の5人きょうだいの長女です。
話はまず、アタシが高校2年の時から始めます。
当時、大学生だった一番上の兄が大卒後に国家公務員になると決めたので外交官の試験をうけた。
しかし、不合格に終わった。
一番上の兄は、シューカツをしていなかったので卒業後の進路が未定となった。
この時、アタシは両親から『お前は高卒後の進路のことは心配しなくてもいい…』と言われたので、受験勉強もシューカツもしなかった。
アタシは、両親の勧めで11歳年上の大卒で年収900万円以上の商社マンのダンナとお見合いをして結婚した。
しかし、結婚してから6年後にダンナが取引先の会社へ出向を命ぜられた。
ダンナのお給料は、半分以下に落ち込んだ。
危機感をつのらせたアタシは、父の知人の紹介で街のデパートに就職した。
アタシはがんばって働こうと意気込んでデパートの仕事を始めたけど、来て早々に大パニックを起こした。
お得意様と上得意さまのお客様の違いが分からない…
難しい専門用語が理解できない…
…で、失敗ばかりを繰り返した。
アタシは、じっとしているのがイヤな性格なのでとにかく動かなきゃと思った。
だけど、周りの人たちから『あなたはここはしなくてもいいから…』と言われたので仕事をさせてもらえなかった。
悩んだ末に、アタシは人事部長に『一身上の都合で…』と言うて1日でやめた。
デパートをやめたアタシは、知人からの紹介でケンタッキーでパートとして働くことにした。
収入はまだ少ないけど、パート主婦としてがんばります。
これからこれから…ですね。
つづいては、34歳のデリヘル嬢からのメールです。
【看護婦の仕事に向いていないので、病院をやめました】
34歳・デリヘル嬢
アタシが小さいときに両親から一番上の兄のことをくり返して聞かれたことを覚えている。
一番上の兄は、4浪の末に大学受験に合格した。
しかし、一番上の兄はノイローゼを理由に休学した。
この時、アタシは父から『お前は大学に行くよりは即戦力になる仕事の方がいいと思う。』と言われた。
母も父に同調して『看護婦さんはどうかな?』とアタシに言うた。
その上で『おかあさんの知人が看護学校の校長を務めているから…』と言うてアタシの進路を一方的に決めた。
アタシは、両親の言うとおりに高校を卒業した後は町の看護学校に進学した。
病院で勤務をしながら看護師の資格をとることを決めた。
最初は病院の総合受付をしていたが、おしゃべりが多いので雑用に回された。
しかし、点滴入りのビンを床に落下して粉々に壊すなど…どじばかりを繰り返した。
アタシは、ものすごくつらくなったので病院と看護学校をやめた。
困り果てた両親は、方針転換をした。
その翌年、アタシは両親の知人のコネで町の短大に進学した。
短大を卒業したあと地元企業に再就職した。
けれど、3日でやめた。
それからアタシは、100回転職したがどれも長続きしなかった。
アタシが29歳の時、両親の勧めで年収800万円の総合商社勤務のダンナと結婚して専業主婦で新たな一步を踏み出した。
けれど、ダンナの仕事の関係で残業や上司の接待など…で帰宅時間が深夜になる時が多かったし朝方に帰宅する時もあった。
さびしさを感じたアタシは、知人の紹介で人妻専門のデリヘル店でデリヘル嬢として働くことを決めた。
ダンナが定刻通りに帰ることができる日は朝9時から昼3時まで…
ダンナが夜通し帰らないときや朝方に帰宅する時は、深夜勤務をする…
ダンナの都合に合わせて働くことができるので、デリヘル嬢を選びました。
アタシは、大きめの一戸建ての家を建てることを目標にデリヘル店で働いています。
楽しみですね〜
つづいては、24歳のチャットレディからのメールです。
【大学4年になってオタオタするくらいならと思って、シューカツをやめました】
24歳・チャットレディ
アタシは出身地の高校を卒業した後、福山市の大学に進学しました。
華の女子大生《キャンパス》ライフを夢見てスタートを切ったと思ったら、実家の母からよくない知らせを聞いた。
『お父さんが会社でもめて、無断欠勤をしたので、家に収入が入らなくなった…』と電話で言われたアタシは、ものすごく困り果てた。
アタシは、授業料と生活費を稼ぐためにコンビニやファストフード店など…複数の店舗を掛け持ちしておカネを稼いで生活を維持した。
話は、アタシが3回生の時であった。
アタシは、広島と岡山に行って大手企業の就職のガイダンスを受けた。
しかし、アタシが働きたい企業はどこにもなかった。
仕方がないので、苦学生の暮らしを続けた。
大学の卒業式の数日前であった。
アタシは、友人からチャットレディやってみないかとさそわれた。
アタシは、大学を卒業したあとチャットレディになった。
チャットレディとして再出発したアタシは、大学の時にしていたバイトと並行して働く毎日を送っています。
チャットレディで稼いだお金は全額貯金して、将来に備えます。
がんばってますね〜
つづいては、22歳のホステスからのメールです。
【早いうちに会社をやめないと…と言うことで会社をやめた】
22歳・ホステス
アタシは、女子大に進学したと同時にホステスになった。
大学の授業料と生活費をかせぐために働いた。
女子大を卒業した後、総合商社に入社した。
しかし、長続きできないと感じたので入社後もホステスを続けた。
会社には、ホステスをしていることを隠していた。
だからアタシは、ついて行くことができずに苦しんだ。
6月末に配属先の部署が決まったけどりましたが、ノイローゼを理由に休職した。
幸いなことに、お店で指名して下さったお客様からいただいた高価なブランド品がたくさんあった。
質入れしたブランド品をおカネに換えるなどしていたので、生活には困ることはなかった。
そして、8月末にアタシは会社をやめてオミズの世界で生きると決意した。
今のアタシは、ホステスと店のグループ店舗のソープ店のソープ嬢の二足のわらじの暮らしを送っています。
がんばってますね〜
つづいては、33歳のイメクラ嬢からのメールです。
【さんぱつやの家のコはさんぱつやしかないことにジレンマを感じたので、理容師をやめた】
33歳・イメクラ嬢
アタシの実家は理髪店です。
アタシは、父から毎度のように『さんぱつやのコはさんぱつやしかないのだよ…おとーさんは、お前が理容師になって店を継ぐことが夢なんだよ…』とクドクド言われ続けた。
だからアタシは、父の言うとおりに高校卒業後に理容美容専門学校に進学した。
理容師の資格を取得したアタシは、卒業したあと年中無休の全国チェーンの理髪店に就職した。
アタシは、そこでとんでもない大失態を犯した。
あれは、就職してから7ヶ月後のことだった。
店に40歳の男性が小学校3年生の女の子を連れて来店した。
アタシは、女の子のさんぱつを任された。
さんぱつを始めてから15分後だった。
この時、男性客が大声で『キミ!!どうしてくれるのだ!?』と怒鳴り声をあげた。
アタシがはっとわれに帰った時には遅かった。
この時、女の子の髪型がカリアゲになっていた。
そのことに気づいたアタシは、大パニックにおちいった。
アタシがおしゃべりに夢中になっていたことが原因で、女の子の髪型がカリアゲになった…
どうしよう…
どうしたらいいのよ…
女の子は『ワーンワーン…』と激しく泣き出した。
事件の翌日、アタシは店からハサミを持つことを固く禁じられた。
雑用に回されたアタシは、何のために理容師になったのかと思って悲しくなった。
そう感じたアタシは、理容師免許を返納することを決意した。
そしてアタシは、友人からのすすめでキャバに入店した。
それから6ヶ月後に系列店舗のイメクラ嬢になりました。
イメクラ嬢さんは、今でもがんばってますか?
つづいては、43歳のデリヘル嬢からのメールです。
【ラブホを作る方に変えましたので、夢のホテル作りを一度やめました】
43歳・デリヘル嬢
アタシの実家は、ヨロン島(奄美地方)のリゾートホテルで、家族は両親と兄3人と弟2人です。
実家のリゾートホテルは、母方の実家が経営していました。
アタシが中学3年の時に亡き祖父の跡をついでホテルを経営したいと家族に言うた。
けれど、父から『お前の力では無理だ!!』と言われた。
大ゲンカした末に、実家のリゾートホテルを継ぐことをあきらめたアタシは、中学を卒業後に東京へ出た。
バイトをしながら通信制高校に通った。
夢のホテル作りに向けて休まず働き通した。
通信制高校を卒業したアタシは、ビジネス専門学校で経営のノウハウを一から学び、事務の資格を取得した。
専門学校卒業した後は、都内の一流ホテルに就職した。
見習いのコンシュルジュとしたあと、いろんな部門で働いた。
しかし、7年後に外資系の会社に吸収合併されることが決まった知らせを聞いた。
ホテルの勤めをやめたアタシは、実家があるヨロン島へ帰った。
この時、実家のホテルは父が経営していた。
父は、経営の仕方がわからずに自暴自棄におちいった。
その末に暴挙に出たことが原因で経営が悪化した。
ホテルは廃業した…
同時に、家族がリサンした。
父は再び会社勤めを始めたけど、勤務態度が悪いのですぐにクビになった。
その後、ニンチショウがひどくなったので福祉施設に入所した。
2004年に、アタシは仲間たちと一緒にスマトラ島で夢のホテル作りに取り組んだ。
2005年1月にオープンする予定で準備を進めていた時に、大規模地震による大津波でホテルが倒壊した。
その後、アタシは愛媛県にあるアロマエステ店に入店した。
アロマエステ店〜ホステス〜チャットレディ〜ピンサロを経て今のデリヘル店にたどり着いた。
その後、アタシは香川県にあるラブホの建設に最適な土地を購入した。
今は、建設に必要なお金を作るためにデリヘル店で働いています。
夢のラブホは、いつできるか分からないけど、オープンする日を夢見て今日もまたご予約のお客様の元へがんばって行きま〜す。
どんな形のラブホができるのか…
楽しみですね〜
つづいては、30歳の専業主婦からのメールです。
【家政婦さんをやめました】
30歳・専業主婦
アタシは、26歳の時に結婚した。
長男が生まれてから4年の間は専業主婦をしていた。
長男の育児が一段落した時に、共稼ぎをしようと決めた。
アタシは、知人からの紹介で家政婦事務所に登録した。
一時の間、アタシは家政婦として働いた。
家政婦事務所で登録を済ませたアタシは、早速指定されたお屋敷に行った。
お屋敷に着いた時、アタシは『がんばって働いて、おカネを稼ぐわ。』と意気んだ。
しかし、アタシはうまく行かなかった。
そんな中で、事件が発生した。
お屋敷の奥さまが困った声でアタシに『チェストの上に置いていた50万円知りません?』と言うた。
言われたアタシは『アタシが50万円を盗んだと言いたいのね!!』と思い込んだ。
思い切りブチ切れたアタシは、お屋敷を飛び出した。
例の50万円については、後に奥さまが3日前に銀行の口座に預けていたことを忘れていたことが分かった。
問題は解決したけれが、ものすごく怒っていたアタシは家政婦事務所の登録を消した末に家政婦をやめた。
ダンナのお給料は、この時5倍増しになった。
やっぱり、専業主婦で床の間に飾られる方がいいもん〜
…………
…と言うことで、最後は34歳のファッションヘルス嬢からのメールです。
【育児休暇明けの職場には居場所がないので、勤めていた会社をやめました】
34歳・ファッションヘルス嬢
アタシは短大卒業後に信販会社に就職した。
そして、28歳の時に職場で知りあった同い年のダンナと結婚した。
29歳の時に長男を出産したあと3年間の育児休暇を取った。
長男が3歳になった時だった。
育児休暇が明けて職場復帰をしたけど、アタシは復帰早々に雑用に回された。
職場に居場所をなくしたアタシは、すぐに会社をやめた。
その頃であった。
アタシたちの家に、ダンナの実家の兄夫婦から電話がかかってきた。
ダンナの兄夫婦は『オヤジがキトクになったから、実家へ帰れ!!』と言うた。
アタシたち一家は、ダンナの出身地の実家に移り住んだ。
同時に、ダンナは信販会社をやめて町の役場に転職した。
アタシは、大都市にあるファッションヘルス店に転職した。
夫婦は、違う形で再出発をしました。
違う形で共稼ぎもいいですね~
…と言うことで、会社づとめをやめてオミズの世界に入った貴女《ひと》…
専業主婦の方が向いていた貴女《ひと》…
…のお話を紹介しました。
えーと、他にもたくさんのミセスさんからメールをいただきましたが、時間の関係で全部ご紹介することはできません…
なので、メールをいただきましたミセスさんをご紹介させていただきます。
22歳・デリヘル嬢
24歳・イメクラ嬢
36歳・専業主婦
31歳・ソープ嬢
23歳・ホテヘル嬢
33歳・セクシー女優
21歳・ホステス
25歳・ピンサロ嬢
28歳・ランジェリーモデル
20歳・グラドル
39歳・デリヘル嬢
46歳・専業主婦
55歳・チーママ
60歳・ラブホ経営者
26歳・ソープ嬢
36歳・専業主婦
40歳・グラドル
43歳・モデル
24歳・レースクイーン兼デリ
ヘル嬢
23歳・シングルマザー
25歳・デリヘル嬢
38歳・セクシー女優
40歳・シングルマザー
27歳・ホステス
30歳・温泉コンパニオン
22歳・芸姑《げいこ》はん
33歳・チャットレディ
……
たくさんのメールをありがとうございました。
またゆっくりと読ませていただきます。
ミセスのガマンフマンぶち曲げバナシ『ミセスのゲキジョー』…
次回もお楽しみに。