佐伯達男のテレビのハナシ
1985年以降にお生まれのお方からのメールで『ラブアタック』ってどんな番組ですか?…と言う問い合わせがありました。
…ので、ゆっくりとご説明いたします。
あらかじめおことわりしますが、Wikipedia(ウィキペディア)に記載されていた資料を読んだ上で説明いたします。
『ラブアタック』は、1975年11月2日~1984年10月14日まで放送された。
朝日放送制作のゲーム形式のコイカツ番組である。
初期は日曜日18時25分から30分間の番組で、タイトルは『ラブアタック!7人のサムライ』であった。
当時は、朝日放送(1976年3月末まではTBS系…翌月からテレビ朝日系にネットチェンジした)1局だけの関西ローカル放送だった。
1976年4月6日から1977年3月29日までは、朝日放送と瀬戸内海放送と広島ホームテレビの3局のみで火曜日23時10分からに変わった。
全国のテレビ朝日系で視聴できるようになったのは翌年・1977年4月3日放送分からである。
MCは、マンガトリオの横山ノックさんと上岡龍太郎さん(横山パンチさん)と和田アキ子さんの3人である。
朝日放送1局のみの時の女性MCは、ゴールデンハーフのエバさんだった。
オープニングの音楽は、なにわのモーツァルトとことキダ・タロー先生の作曲の音楽である。
ではここで、番組全体の流れを説明します。
番組は、基本的に二部構成である。
第一部の出演対象は、体力に自身がある男子学生さんたちである。
挑戦者は5人で、3つの関門を勝ち抜いた1人がかぐや姫(女子大生)に交際を申し込むことが出来る。
優勝したアタッカーには、スイスの高級腕時計『ラド』が進呈《しんてい》される。
同時に、かぐや姫に交際の申し込み権を獲得する。
めでたくカップル成立の場合には、さらに副賞も獲得できる。
では、かぐや姫とアタッカーくんがどう言うやり取りをしていたか…
説明いたします。
アタッカーはまず、かぐや姫に花を贈ったあと少しの間お話しする。
その後、かぐや姫の前の席に座って返事待ちをする。
この時、観客席から『落ちろ落ちろ』ゴールが響き渡る。
(観客たちは、これがみたいから『落ちろ落ちろ』とさけんでいる…いつものことである)
その中で、MCの上岡龍太郎さんの実況が入る。
「めでたくカップル成立か!?それとも、奈落の底へ転落か!?〇〇くんの運命はいかに!?…それではまいりましょう~!!」
そして、横山ノックさんと上岡龍太郎さんと和田アキ子さんが3人そろって『スイッチオン!!』とコールした。
このあとが運命の分かれ道である。
OKのスイッチが入れば、くす玉が割れて紙吹雪が舞う〜めでたくカップル成立…
『ごめんなさい』の場合は奈落の底へ転落…
…である。
第二部は、アタッカー4人全員に最初から挑戦権が与えられている。
最初は『△△大学〇〇くんがかぐや姫にささげるその歌は!?』…と言う上岡龍太郎さんの司会で進行されるカラオケから始まる。
その後の進行は、第一部と同じである。
カップルが成立した回は、どれだけあったかよくおぼえてない…
どちらかと言うと、70パーセントの確率で奈落の底へ転落した方が多かった…
そんなみじめなアタッカーたちのために『みじめアタッカー大会』をもうけて、機会を与えた。
けれど、それでもアカン場合が多かった。
カップルがめでたくゴールインしたかどうかについては、あとで話します。
話は変わって…
『ラブアタック』に出演していたアタッカーたちは、著名人が多かった。
おぼえている範囲内で取り上げてみると…
百田尚樹先生(作家・映画『海賊と呼ばれた男』の作者)
畠山健二先生(作家)
関西テレビの毛利八郎アナウンサー
CBC(中部日本放送)の塩見啓一アナウンサー(伊予テレビで平日昼放送の『ゴゴスマ』のMC)
元日テレの小倉淳アナウンサー
コメディアンの清水圭さん
紳助竜助の松本竜助さん(故人)
トミーズの雅さん
大川豊さん(お笑いプロダクション・大川興業の総裁)
…他にもたくさんいたと思う。
ちなみに、かぐや姫で出演していた女子大生は全員女優さんで芸能活動を始めた。
最後に『ラブアタック』の番組で成立したカップルさんたちがめでたくゴールインしたかどうかの話をする。
カップルがゴールインと言う話は…
たった一組しかいなかった。
それは、百田尚樹先生とかぐや姫だった女性である。
番組の同窓会の時に、百田先生とかぐや姫だった女性の奥さまが再会したことがきっかけで結婚を決めた…と言うことである。
それ以外のカップルは、残念ながら結婚には至らなかった。
そらそやろねぇ~
かぐや姫の女子大生だった女の子たち全員が女優さんになったら、アレコレと多忙になるから会えない時が多い…
…と言うことである。
すてきな恋人を作ると言うよりも、結局はテレビ出演して芸能界入りを目指すケイコウが多かった。
コイカツ番組と言うよりも恋愛リアリティ番組と言うた方がよかったかなぁ〜…
…ので、ゆっくりとご説明いたします。
あらかじめおことわりしますが、Wikipedia(ウィキペディア)に記載されていた資料を読んだ上で説明いたします。
『ラブアタック』は、1975年11月2日~1984年10月14日まで放送された。
朝日放送制作のゲーム形式のコイカツ番組である。
初期は日曜日18時25分から30分間の番組で、タイトルは『ラブアタック!7人のサムライ』であった。
当時は、朝日放送(1976年3月末まではTBS系…翌月からテレビ朝日系にネットチェンジした)1局だけの関西ローカル放送だった。
1976年4月6日から1977年3月29日までは、朝日放送と瀬戸内海放送と広島ホームテレビの3局のみで火曜日23時10分からに変わった。
全国のテレビ朝日系で視聴できるようになったのは翌年・1977年4月3日放送分からである。
MCは、マンガトリオの横山ノックさんと上岡龍太郎さん(横山パンチさん)と和田アキ子さんの3人である。
朝日放送1局のみの時の女性MCは、ゴールデンハーフのエバさんだった。
オープニングの音楽は、なにわのモーツァルトとことキダ・タロー先生の作曲の音楽である。
ではここで、番組全体の流れを説明します。
番組は、基本的に二部構成である。
第一部の出演対象は、体力に自身がある男子学生さんたちである。
挑戦者は5人で、3つの関門を勝ち抜いた1人がかぐや姫(女子大生)に交際を申し込むことが出来る。
優勝したアタッカーには、スイスの高級腕時計『ラド』が進呈《しんてい》される。
同時に、かぐや姫に交際の申し込み権を獲得する。
めでたくカップル成立の場合には、さらに副賞も獲得できる。
では、かぐや姫とアタッカーくんがどう言うやり取りをしていたか…
説明いたします。
アタッカーはまず、かぐや姫に花を贈ったあと少しの間お話しする。
その後、かぐや姫の前の席に座って返事待ちをする。
この時、観客席から『落ちろ落ちろ』ゴールが響き渡る。
(観客たちは、これがみたいから『落ちろ落ちろ』とさけんでいる…いつものことである)
その中で、MCの上岡龍太郎さんの実況が入る。
「めでたくカップル成立か!?それとも、奈落の底へ転落か!?〇〇くんの運命はいかに!?…それではまいりましょう~!!」
そして、横山ノックさんと上岡龍太郎さんと和田アキ子さんが3人そろって『スイッチオン!!』とコールした。
このあとが運命の分かれ道である。
OKのスイッチが入れば、くす玉が割れて紙吹雪が舞う〜めでたくカップル成立…
『ごめんなさい』の場合は奈落の底へ転落…
…である。
第二部は、アタッカー4人全員に最初から挑戦権が与えられている。
最初は『△△大学〇〇くんがかぐや姫にささげるその歌は!?』…と言う上岡龍太郎さんの司会で進行されるカラオケから始まる。
その後の進行は、第一部と同じである。
カップルが成立した回は、どれだけあったかよくおぼえてない…
どちらかと言うと、70パーセントの確率で奈落の底へ転落した方が多かった…
そんなみじめなアタッカーたちのために『みじめアタッカー大会』をもうけて、機会を与えた。
けれど、それでもアカン場合が多かった。
カップルがめでたくゴールインしたかどうかについては、あとで話します。
話は変わって…
『ラブアタック』に出演していたアタッカーたちは、著名人が多かった。
おぼえている範囲内で取り上げてみると…
百田尚樹先生(作家・映画『海賊と呼ばれた男』の作者)
畠山健二先生(作家)
関西テレビの毛利八郎アナウンサー
CBC(中部日本放送)の塩見啓一アナウンサー(伊予テレビで平日昼放送の『ゴゴスマ』のMC)
元日テレの小倉淳アナウンサー
コメディアンの清水圭さん
紳助竜助の松本竜助さん(故人)
トミーズの雅さん
大川豊さん(お笑いプロダクション・大川興業の総裁)
…他にもたくさんいたと思う。
ちなみに、かぐや姫で出演していた女子大生は全員女優さんで芸能活動を始めた。
最後に『ラブアタック』の番組で成立したカップルさんたちがめでたくゴールインしたかどうかの話をする。
カップルがゴールインと言う話は…
たった一組しかいなかった。
それは、百田尚樹先生とかぐや姫だった女性である。
番組の同窓会の時に、百田先生とかぐや姫だった女性の奥さまが再会したことがきっかけで結婚を決めた…と言うことである。
それ以外のカップルは、残念ながら結婚には至らなかった。
そらそやろねぇ~
かぐや姫の女子大生だった女の子たち全員が女優さんになったら、アレコレと多忙になるから会えない時が多い…
…と言うことである。
すてきな恋人を作ると言うよりも、結局はテレビ出演して芸能界入りを目指すケイコウが多かった。
コイカツ番組と言うよりも恋愛リアリティ番組と言うた方がよかったかなぁ〜…