佐伯達男のテレビのハナシ
今となっては『不適切にも程がある』ハナシ
伊予テレビで2024年1月から3月末までの間の金曜日22時から放送されていたドラマ『不適切にも程がある』…
脚本を手掛けたのは、『あまちゃん』『いだてん~東京オリムピック噺~』『木更津キャッツアイ』映画『ゼブラーマン』ネットフリックスドラマ『離婚しようよ』…で同じみの宮藤官九郎さん…
主演は、阿部サダヲさん…
…のドラマである。
主演の阿部サダヲさんは、テレビ局のプロデューサーの役を演じていた。
劇中、阿部サダヲさんが演じていたテレビプロデューサーがテレビ番組を批判する内容が多々あった…
どんなことを言ったのかは分からない…
しかしながら、昭和のテレビ番組で不適切な内容が多くあったのは事実である。
そこで、まず最初に今でもぼくがおぼえているトラウマになったハナシ・許せないハナシをします。
最初に思い出したのは、70年代後半に日テレ系で木曜日19時から放送されていた『驚異《きょうい》の世界』(南海放送も同じ時間に放送していたが遅れネットだった)のオープニングだった。
『驚異《きょうい》の世界』のオープニングの音楽がものすごく怖かったのでトラウマになった…
次にトラウマになった番組は、1980年のいつ頃からまではおぼえてないけど、テレビ愛媛で土曜日19時の『ズバリ当てましょう』のあとに放送されていたドラマ(タイトルおぼえてない)であった。
そのドラマは、あられもないシーンばかりが放送されていた…
どんな内容だったかは分からないけど、トラウマになった…
それから1年後に『オレたちひょうきん族』に変わったけど、これもトラウマになった内容があった。
番組の最後に、NGを犯したタレントさんがザンゲをする『ひょうきんザンゲ室』と言うコーナーがあった。
タレントさんは神さまの前でザンゲをして許しをこうたけど、大量の水をかけられた方が多かった(どちらかというと全部である)…
その上に、ビチョ濡れになったタレントさんたちを嗤《わら》っているのだからなお許せない…
同じ時間帯に山陽放送で放送されていた『8時だヨ!全員集合』でも、同じような内容があった。
仲本工事さんと志村けんさんが西部劇の舞台になっている店で『最初はグー』じゃんけんでまけたらズボンの中に飲食物を入れるなど…公開生放送で不適切のオンパレードがつづいた。
また、南海放送で1985年4月から11年の間毎週日曜日20時から放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でも、超えこひいきな企画が多く目立った…
その上にまた、1982年から31年半にわたってテレビ愛媛で平日正午から放送されていた『笑っていいとも!』も生放送でえげつないことをしていた場面が目立った…
他にもおぼえているハナシはたくさんあるけど、これ以上は書くことができないので止めておきます…
次に、あの番組は◯◯県で放送していない…または、途中で差し替えた…のハナシである。
あの当時民放局が3局以下だった地域であの番組がなんで放送されなかったのか?…と言うギモンがあったのでおぼえている範囲でお答えします。
まず最初に思い浮かんだあの番組は、1965年から1990年3月30日まで日テレ系で平日の23時台に放送されていた『11PM』である。
最初のうちは、多くの日テレ系で『11PM』を放送していたけど、のちに取りやめた局が出始めた。
南海放送は、愛媛県の風土に合わないことを理由に『11PM』を取りやめた。
その後は南海放送ニュース〜遅れネット番組に替えた。
山口放送は、1978年春に交代した社長さんが『11PM』が気に入らないことを理由に『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)に変更した。
山口放送と同じく『きょうの出来事』のあとに『プロ野球ニュース』を放送していた日テレ系は、たしか四国放送と高知放送とテレビ長崎(当時は日テレとフジテレビのクロスネットだった)と鹿児島テレビ(1982年9月までは日テレとフジテレビとテレビ朝日のクロスネットだった)とテレビ宮崎(日テレとフジテレビとテレビ朝日のクロスネット局)…
…だったと思う。
富山県の北日本放送の場合は、1987年度をもって『11PM』の放送をやめて別の番組に替えた…
民放局が少ない地域で最初から最終回まで『11PM』をフルで放送したのは、テレビ信州と福井放送と日本海テレビジョン放送とくまもと県民テレビとテレビ大分(日テレとフジテレビのクロスネット局)だったと思う。
南海放送は、1984年度の番組改編期に『11PM』の放送を再開〜最終回まで放送した…
…と言うことがありました。
つぎに思い出した番組と言えば、テレビ愛媛でも放送されていた伝説の終夜番組『オールナイトフジ』である。
とんねるずがMCを務めていたあの深夜番組と言えばわかります。
この番組は夜明けまで放送していたが、フジテレビ以外の系列局は途中で放送を終了していた。
テレビ愛媛をはじめ多くの系列局は26時台で終了していたが、フジテレビだけは27時台以降ムフフのコーナーを放送した。
地方はガマンしているのに、関東だけずるいわ…と言いたくなるよ…
ホンマになに考えてんだか…
他にもあの番組に関する事情はたくさんありますが、これ以上書くときりがないので止めておきます。
ハナシがそれるけど、『不適切にも程がある』と言うハナシはテレビ番組だけではなくラジオ番組にもあった…
それ聞いてまず思い浮かべるのは、1979年から南海放送ラジオで放送を開始した『オールナイトニッポン』である。
多くのバラエティ番組に出演している笑福亭鶴光師匠《つるこうししょう》が担当していた時であった。
何曜日の何時台だったかおぼえてないけど、女性の家と生電話でアレをしていたコーナーがあった。
翌朝、学校の全校集会で校長先生から『ツルコーの担当の曜日は『オールナイトニッポン』を聴くな!!』などと言われた…と言うことがありましたね…
あと、南海放送ラジオで平日の20時から90分間放送されていた『るんるんワイド90分』にも、アレの内容をハガキに書いて送ったリスナーがいた…と言うハナシもあった。
あと他にもあったかな…
………
思いせない…
…と言うことで、きょうはここでおしまい。
脚本を手掛けたのは、『あまちゃん』『いだてん~東京オリムピック噺~』『木更津キャッツアイ』映画『ゼブラーマン』ネットフリックスドラマ『離婚しようよ』…で同じみの宮藤官九郎さん…
主演は、阿部サダヲさん…
…のドラマである。
主演の阿部サダヲさんは、テレビ局のプロデューサーの役を演じていた。
劇中、阿部サダヲさんが演じていたテレビプロデューサーがテレビ番組を批判する内容が多々あった…
どんなことを言ったのかは分からない…
しかしながら、昭和のテレビ番組で不適切な内容が多くあったのは事実である。
そこで、まず最初に今でもぼくがおぼえているトラウマになったハナシ・許せないハナシをします。
最初に思い出したのは、70年代後半に日テレ系で木曜日19時から放送されていた『驚異《きょうい》の世界』(南海放送も同じ時間に放送していたが遅れネットだった)のオープニングだった。
『驚異《きょうい》の世界』のオープニングの音楽がものすごく怖かったのでトラウマになった…
次にトラウマになった番組は、1980年のいつ頃からまではおぼえてないけど、テレビ愛媛で土曜日19時の『ズバリ当てましょう』のあとに放送されていたドラマ(タイトルおぼえてない)であった。
そのドラマは、あられもないシーンばかりが放送されていた…
どんな内容だったかは分からないけど、トラウマになった…
それから1年後に『オレたちひょうきん族』に変わったけど、これもトラウマになった内容があった。
番組の最後に、NGを犯したタレントさんがザンゲをする『ひょうきんザンゲ室』と言うコーナーがあった。
タレントさんは神さまの前でザンゲをして許しをこうたけど、大量の水をかけられた方が多かった(どちらかというと全部である)…
その上に、ビチョ濡れになったタレントさんたちを嗤《わら》っているのだからなお許せない…
同じ時間帯に山陽放送で放送されていた『8時だヨ!全員集合』でも、同じような内容があった。
仲本工事さんと志村けんさんが西部劇の舞台になっている店で『最初はグー』じゃんけんでまけたらズボンの中に飲食物を入れるなど…公開生放送で不適切のオンパレードがつづいた。
また、南海放送で1985年4月から11年の間毎週日曜日20時から放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でも、超えこひいきな企画が多く目立った…
その上にまた、1982年から31年半にわたってテレビ愛媛で平日正午から放送されていた『笑っていいとも!』も生放送でえげつないことをしていた場面が目立った…
他にもおぼえているハナシはたくさんあるけど、これ以上は書くことができないので止めておきます…
次に、あの番組は◯◯県で放送していない…または、途中で差し替えた…のハナシである。
あの当時民放局が3局以下だった地域であの番組がなんで放送されなかったのか?…と言うギモンがあったのでおぼえている範囲でお答えします。
まず最初に思い浮かんだあの番組は、1965年から1990年3月30日まで日テレ系で平日の23時台に放送されていた『11PM』である。
最初のうちは、多くの日テレ系で『11PM』を放送していたけど、のちに取りやめた局が出始めた。
南海放送は、愛媛県の風土に合わないことを理由に『11PM』を取りやめた。
その後は南海放送ニュース〜遅れネット番組に替えた。
山口放送は、1978年春に交代した社長さんが『11PM』が気に入らないことを理由に『プロ野球ニュース』(フジテレビ系)に変更した。
山口放送と同じく『きょうの出来事』のあとに『プロ野球ニュース』を放送していた日テレ系は、たしか四国放送と高知放送とテレビ長崎(当時は日テレとフジテレビのクロスネットだった)と鹿児島テレビ(1982年9月までは日テレとフジテレビとテレビ朝日のクロスネットだった)とテレビ宮崎(日テレとフジテレビとテレビ朝日のクロスネット局)…
…だったと思う。
富山県の北日本放送の場合は、1987年度をもって『11PM』の放送をやめて別の番組に替えた…
民放局が少ない地域で最初から最終回まで『11PM』をフルで放送したのは、テレビ信州と福井放送と日本海テレビジョン放送とくまもと県民テレビとテレビ大分(日テレとフジテレビのクロスネット局)だったと思う。
南海放送は、1984年度の番組改編期に『11PM』の放送を再開〜最終回まで放送した…
…と言うことがありました。
つぎに思い出した番組と言えば、テレビ愛媛でも放送されていた伝説の終夜番組『オールナイトフジ』である。
とんねるずがMCを務めていたあの深夜番組と言えばわかります。
この番組は夜明けまで放送していたが、フジテレビ以外の系列局は途中で放送を終了していた。
テレビ愛媛をはじめ多くの系列局は26時台で終了していたが、フジテレビだけは27時台以降ムフフのコーナーを放送した。
地方はガマンしているのに、関東だけずるいわ…と言いたくなるよ…
ホンマになに考えてんだか…
他にもあの番組に関する事情はたくさんありますが、これ以上書くときりがないので止めておきます。
ハナシがそれるけど、『不適切にも程がある』と言うハナシはテレビ番組だけではなくラジオ番組にもあった…
それ聞いてまず思い浮かべるのは、1979年から南海放送ラジオで放送を開始した『オールナイトニッポン』である。
多くのバラエティ番組に出演している笑福亭鶴光師匠《つるこうししょう》が担当していた時であった。
何曜日の何時台だったかおぼえてないけど、女性の家と生電話でアレをしていたコーナーがあった。
翌朝、学校の全校集会で校長先生から『ツルコーの担当の曜日は『オールナイトニッポン』を聴くな!!』などと言われた…と言うことがありましたね…
あと、南海放送ラジオで平日の20時から90分間放送されていた『るんるんワイド90分』にも、アレの内容をハガキに書いて送ったリスナーがいた…と言うハナシもあった。
あと他にもあったかな…
………
思いせない…
…と言うことで、きょうはここでおしまい。