もう、あなたを愛したくありません〜ループを越えた物質主義の令嬢は形のない愛を求める〜
次の瞬間、マルティーナの視界が帷が落ちたように真っ黒になった。耳にキンと鋭い痛みが走って、胃がコポコポと鳴った。
アンドレアはゆっくりと踵を返す。
マルティーナは呆然と立ち尽くしている。
そして、
「なんでよおぉぉっ!!」
勢いよくアンドレアに飛びついた。
彼は床に倒れ、彼女は馬乗り状態になる。慌てて護衛が彼女を引き剥がそうとするが、女性とは思えないほどの強い力で皇子に喰らい付き、決して離れなかった。
マルティーナの両指が、アンドレアの首筋に深く沈んでいく。
「っかはっ……!」
そして彼の気道が急激に締め上げられた。
彼女は顔を真っ赤にして、悪魔のような形相で叫ぶ。
「なんでっ、なんでよっ! わたしたち、あんなに愛し合ったじゃない! あんなに身体も重ねたのに……!
わたしを皇太子妃にしてくれるって約束したじゃないっ! そのうち現皇太子を殺すから、絶対にわたしが皇太子妃になれる、って……!!」
貴族たちに戦慄が走る。にわかに肌がひりつくような緊張感が彼らを襲ったのだ。
この小公爵夫人は、絶対に言ってはならないことを口にした。それは、皇位簒奪に等しい恐ろしい言葉だ。
これまでは水面下でそのような攻防が起こっているのだろうと暗黙の了解はあったが、公の場で人の口から「陰謀」を発せられたのは初めてだった。
皇子の顔が青紫色になる。それは彼女の衝撃の告白が理由ではなく、だんだんと空気から遠ざかっていたのだ。もう、息ができない。
「約束したのにっ! 嘘つきっ! 嘘つきっ!」
騎士数人がかりで、やっとマルティーナを皇子から引き剥がせた。
アンドレアは、げほげほと苦しそうに咳き込みながら空気を吸う。
「何するのよっ! 離しなさいよっ!」
騎士たちに床に押し付けられたマルティーナは、獣の雄叫びのように吠えながら暴れ回る。今も彼女の力は凄まじく、強靭な肉体を持つ騎士たちも苦戦していた。
「こ……この、女を……しけ……」
おもむろに上半身を起こしたアンドレアが、騎士たちに何か命令をする。喉を痛めた彼の言葉は不明瞭で聞き取れず、彼らは思わず皇子のほうに聞き耳を立てた。
次の瞬間、
「あああああっ!!」
マルティーナが騎士たちを振り払って、近くのテーブルの上にあったケーキナイフを素早く握る。
そして、
「絶対に許さないっ! わたしたちは愛し合っているの! 結婚するのおおぉぉぉっっ!!」
瞬時に、アンドレアの腹部に突き刺した。
「ああぁぁぁっ!!」
「殿下っ!!」
騎士の一人が、マルティーナのナイフを持っていた手首を剣で斬り落とす。
「ぎゃああぁぁぁっ!!」
赤い血が吹き出して断末魔の叫びが辺りに響いた。
かつては可憐だった手は、ひくひくと痙攣しながら転がっていく。
すっかり取り乱したマルティーナは、今度は易々と騎士たちに取り押さえられた。
「離しなさいっ! わたしはっ! 未来の皇太子妃なのよっ! アンドレア様の妻なのっ!!」
第二皇子と小公爵婦人を中心に、騎士や側近たちが巨大な生き物のように固まって、ホールから慌ただしく出て行った。
沈黙。
誰しもが次の言葉を探していた。