パパLOVE
私もいずみんが辞めたから辞めようとしたけど、母が許してくれなかった。
続けるしかなかったので嫌々続けていた。
そんな嫌々なピアノだったけど、週4日はピアノ教室をサボらずに通っていたし、練習だけは家でも欠かさずやっていた。
だから、やっていくうちにどんどん上手になり、楽しくなっていった。
気づいたら、小学生の全国ピアノコンクールで優勝していた。
それからも小中と数多くのコンクールに出場したけど、優勝や優秀賞、特別賞などの数々の賞を総なめにした。
天才ピアニストと呼ぶ声も聞こえてきたし、中学生の時は音楽雑誌にも紹介されたほどだ。
小学・中学時代、特別教室にいるいずみんをバカにする男子が沢山いた。
特別教室にいるというだけで、いずみんを冷やかしに来たり、悪口を言ってくるバカな男子がいた。
だから私はそんなバカ共は絶対に許さなかった。
見つけ次第、その男子の頭にげんこつを落としてやった。
それでもやめなければ顔面をグーでぶん殴ってやった。
いずみんをバカにするヤツ、傷つけるヤツは絶対に許さない。
そんなこんなで私は男子を殴りケガをさせてしまい、母が学校に呼び出されることが多々あった。
小中で10回以上は母を学校へ呼び出させてしまった。
母親が怒られている姿、謝っている姿を見てしまうと本当に申し訳ないと思ったのを憶えている。
それでも母は私が暴力をふるった理由を聞くと、褒めてくれたし頭を撫でてくれた。
別に褒められたくてやった訳じゃないんだけど。
そして、高校生になった私は学校をサボるようになった。
入学して2ヶ月経つか経たないかぐらいだった。
自然と同じような仲間と言うか友達が出来た。
不良と言われたら不良かもしれないし、私たちの中では不良だという認識はない。
それに悪さをしていた訳でもないし、隠れてタバコを吸ったり薬をやったり不良グループに混じってケンカに明け暮れる日々を送っていた訳じゃない。
ただ、学校が嫌いで授業をバックレる仲間が出来て、そういう友達と一緒に行動してただけのこと。
取りたての原付バイクを乗り回して遊んでただけのこと。
それでもクラスメイトからしたら私たちは不良だと思われていたし、怖がられていたみたい。
続けるしかなかったので嫌々続けていた。
そんな嫌々なピアノだったけど、週4日はピアノ教室をサボらずに通っていたし、練習だけは家でも欠かさずやっていた。
だから、やっていくうちにどんどん上手になり、楽しくなっていった。
気づいたら、小学生の全国ピアノコンクールで優勝していた。
それからも小中と数多くのコンクールに出場したけど、優勝や優秀賞、特別賞などの数々の賞を総なめにした。
天才ピアニストと呼ぶ声も聞こえてきたし、中学生の時は音楽雑誌にも紹介されたほどだ。
小学・中学時代、特別教室にいるいずみんをバカにする男子が沢山いた。
特別教室にいるというだけで、いずみんを冷やかしに来たり、悪口を言ってくるバカな男子がいた。
だから私はそんなバカ共は絶対に許さなかった。
見つけ次第、その男子の頭にげんこつを落としてやった。
それでもやめなければ顔面をグーでぶん殴ってやった。
いずみんをバカにするヤツ、傷つけるヤツは絶対に許さない。
そんなこんなで私は男子を殴りケガをさせてしまい、母が学校に呼び出されることが多々あった。
小中で10回以上は母を学校へ呼び出させてしまった。
母親が怒られている姿、謝っている姿を見てしまうと本当に申し訳ないと思ったのを憶えている。
それでも母は私が暴力をふるった理由を聞くと、褒めてくれたし頭を撫でてくれた。
別に褒められたくてやった訳じゃないんだけど。
そして、高校生になった私は学校をサボるようになった。
入学して2ヶ月経つか経たないかぐらいだった。
自然と同じような仲間と言うか友達が出来た。
不良と言われたら不良かもしれないし、私たちの中では不良だという認識はない。
それに悪さをしていた訳でもないし、隠れてタバコを吸ったり薬をやったり不良グループに混じってケンカに明け暮れる日々を送っていた訳じゃない。
ただ、学校が嫌いで授業をバックレる仲間が出来て、そういう友達と一緒に行動してただけのこと。
取りたての原付バイクを乗り回して遊んでただけのこと。
それでもクラスメイトからしたら私たちは不良だと思われていたし、怖がられていたみたい。