助けた王子に妃へと望まれた魔女ですけれど、自然が恋しいので森に帰りますね
 魔術師の両手から放たれた暗闇の波動を防ぐ術はもう、メルにはなかった。聖水も植物の種や魔法のアイテムも使いつくし、今楯となれるのはこの身だけだ。
 けれども、メルは躊躇わなかった。
 後ろで大勢を前に、揺るがず自分の意思を語るラルドリスの声がかすかに聞こえていたから。
 なにがあっても、彼を守る――メルもそう、自分で決めたのだから。

「ううっ……!」

 両手を広げ立ち塞がった一瞬後、まるで黒い海に呑まれたような気がした。
 息をする感覚がなくなり、視界も、頭の中もすべて闇色に塗りつぶされた。
 今まで、あえて意識の表層に浮かべず押し込めてきた恐ろしい不安が、息もつかせず浮かび上がってくる。
 思い出したくなかった、父と母がメルローゼを見つめる時のあの無表情。
 使用人の耳に付く、名前と共に放たれる嘲りのトーン。
 祖母と初めて離れ街に行った時の、世間というものの冷たさ。石をぶつけられた時の、理不尽に傷む心。
 傷は深く、拾われた後も眠れぬ夜が続いた。この先誰かを信じて心を委ねることなどできず、ずっとひとりで生きていかなければならない気がした。
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