「君の旦那さんは俺の妻と不倫しています。良かったら俺と一緒に明るい前向きな復讐しませんか?」エプロン男子の柊くんがサレ妻な私に復讐同盟&溺愛宣言!
第4話 綻び
夫婦の綻《ほころ》びは一度引っ張り出したら、編んだセーターの毛糸みたいにするすると解けていく。
……面白いぐらいに。
気持ちは転落していき、私はすっかり颯斗くんと触れ合いたい欲はなくなった。
だけど、持て余した寂しさとか愛してる男性から求められたいって気持ち、行き場も向ける先もないの。
まだ、20代なのにレスは続き心も身体も寂しさに冷えていく。
どんどん熱が奪われ、夫を愛せなくなるミジメナ気持ち。
結婚した颯斗くんと私、このまま彼と夫婦をしていたら私はこの先ずーっとこの思いに苦しまなくてはならない。
私は、夫とのセックスレスは我慢してきたけれど、いつか子供を持つ持たないと話し合ってみたら、それは解消されるんじゃないかとか心のどこかで安易に考えてた。
今だけだって、言い聞かせてた。
颯斗くんは忙しいからとか、疲れてるからちょっと気分じゃないとか。
夫婦になって数年経てば刺激が足らないから、つい後回しになってるんだよねって。
このやるせない気持ちは終わるもので、今だけ辛いんだって、必死に思い込もうとしてたけど。
……向き合うのをやめにすれば良い。
もう、颯斗くんとは、戻れない。
心の奥底から信じて愛し合って幸せな気分で抱かれる――、なんて日は永遠にやって来ないんだ。
だけど、決まらない。
この先、私はどうしたいのだろう?
✭✭✭
「で、これどういう状況? ……っていうかすっげえ」
園田くんのからかい半分のはしゃいだ声がしてる。
招かれた柊くんの仕事場の大きなキッチンはスタジオにもなっていて、動画配信のための機材や背景のセットもあった。
私と園田くんの目の前には、お花見と紅葉狩りのコンセプトのセットが隣り合っている。
そして、柊くんが手作りして用意した豪華で見映えも素敵な料理が並べられていた。
「美味そうな匂いだな〜」
「小夏、園田。いらっしゃい」
「おはよう、柊くん。お招きありがとう」
今朝から夫の颯斗くんは二泊三日の出張に出掛けた。
「小夏、旦那の藤宮と行ってらっしゃいのチューした? 旦那からキスされなかった? 小夏んとこ、あれからレス解消するような事態には……」
「そ、そそんなのないよっ! 柊くんの前で園田くんも直球で恥ずかしくなるようなこと聞かないで」
「そうだぞ、園田。デリカシーに欠けてるよ。小夏、困ってるじゃんか。それにそんな質問、俺はどんな表情すれば良いのか困る」
はいはいと園田くんは意味深に笑って、紅葉狩り風景セットの並んだ切り株のベンチに座る。
私も隣りに座らせてもらうと、私の逆側のすぐ横には柊くんが座った。
なぜか……。緊張しちゃうな。
どうしたんだろう?
「どうぞ、召し上がれ」
「「いただきますっ!」」
「う、うまっ! しっかしすっげえ御馳走だよな」
「うん。すっごく美味しいよ、柊くん」
「ありがとう。春の花見弁当と秋の行楽のパーティメニューにしてみた。雑誌の特集記事に使ってもらえるらしいから。予行練習に付き合わせて悪いね」
「とんでもない。俺はこういうのいつでもウエルカムだぜ。小夏にも会える口実になるもんな」
「そっ。9割方はそっちかな。小夏と会えると嬉しい」
「……二人ともすごいお世辞が上手くなったよね?」
ドキリッ。
瞬間、柊くんと園田くんが私をバッと同時に見てきて。
「あのさ、小夏。お世辞じゃないけど?」
「小夏。離婚したら俺とデートしようぜ」
柊くんも園田くんも、イケメンすぎるから刺激が強い。
「ちょっ! ちっ、近いよ、顔が……。二人って昔っから女の子を喜ばす天性があるよね。私を翻弄しないでください。本気にしたらどうするの? 私、まだ立派な人妻なんですけど」
柊くんがムッとした顔で、パクパクっと春巻きを食べてる。
えっ? 怒った? 拗ねてる……の?
「軽い気持ちじゃないよ。思ってること素直に言ってるだけ」
顔を赤らめた柊くんが、ちょっぴり可愛い。
……私はまだ、颯斗くんの妻だというのに、可愛いとか思うのはちょっと軽々しいというかはしたないだろうか。
ああっ、えっと。
あれだ!
柊くんは、うさぎとかリスみたい! 柊くんは小動物みたいな可愛さでというか、同い年だけど弟みたいに可愛いんだ。
うん、そうそう。
「プッ……、ふはははっ。懐かしいなあ、こういうの。三人でよく部活帰りに買い食いしたこと思い出したよ。……もしかして小夏は藤宮と離婚する気ねえの? まだ話してないんだ? 旦那に。あんたの浮気はバレましたよって」
園田くんの冗談とない混ぜになった追及の離婚って言葉に、少なからず胸にざっくり傷が入って痛む。
「あのさ、園田。言い過ぎ。小夏、複雑な顔してるだろっ」
「ごっ、ごめん。ああっ! ごめんな、小夏。だって俺、藤宮とは離れてほしいんだ。……あいつ長い間、小夏を騙してたようなもんだぞ?」
そうだ。
颯斗くんは私と付き合ってる頃から、……浮気してる。
私、ちっとも気づかなかったなんて、なんて鈍感なんだ。
……信じ切っていたんだよね。
うん、好きだったから。
今はそんなに好きじゃない……、うそだ、まだ好き。
すぐに、割り切れない。
――どうしたらいいの?
私はすぐには答えが出ないのがもどかしくあった。
それから、こうして園田くんに答えを求められても、しっかりこうだっていう返事にたどり着いていない。
「小夏、大丈夫?」
「うん。……大丈夫」
「園田、大丈夫そうじゃない人に『大丈夫?』って聞いちゃいけないらしいよ」
「じゃあ、どう言ったらいいんだ?」
「うーん。一例としてはたしか『なにかお困りですか? どうしたの、助けが必要ですか? お手伝いします』が正解かな? ……俺が小夏の助けになりたい。俺、君を放ってなんかおけないよ」
「俺だって。小夏、なんか手伝うぞ?」
私は泣けてきそうになるのをなんとかこらえた。
二人の視線から逃げるように、前を向く。
広がる風景、屋内の作り物のセットだというのに目の前の桜と紅葉が綺麗で。たまった涙のせいでどんどん滲んで揺らいだ。
★☆★
柊くんがすっと立って、スタジオの機材のボタンを押す。
すると、甘い歌声がした。
BGMがかかる。
懐かしいメロディ、春の定番ソング。
ちょっと切ない、ラブストーリーや卒業の歌。
私たちが学生時代に街なかで流れていた曲がいくつも響いた。私が何度も聞いた曲もある。
曲や香りとかって、否応なしに思い出を呼び起こすんだね。
「食べきれない分は持って帰ってくれると嬉しいな」
「柊、うち大家族だから助かるよ。今さ俺、実家に帰ってんだよね〜」
柊くんが彩りが美しいゼリー寄せのテリーヌの料理を取り分けてくれる。
「これ、カニと伊勢海老かっ! 贅沢〜」
「あと、アスパラに水菜? 食感が楽しいね」
「うん。食べたら楽しい歯ざわりかなって。……二人とも美味しい?」
「「美味しいですっ」」
「良かった。……ふうっ。誰かに食べてもらうのは毎回緊張するよ。どきどきする。……どんな反応してくれるかなとか、想像するのは楽しいんだけど。俺、自分の作った料理で喜んでもらいたいから」
私と園田くんが言うと柊くんが照れたように笑った。
「俺たちを喜ばせたいんだ?」
「当たり前だろう。美味しい料理で幸せな気分になってもらいたくって料理人をやってるわけだし。それに今日は俺のさらに特別で、大切な二人に食べさせたかったから。……好きな友人にとことんお腹いっぱいになって満足してほしいと思って、料理の腕を振るったんだ。あわよくば元気になってほしいともね。俺なんか微力だけど」
「ううん、微力だなんてとんでもないよ。ありがとうっ! 柊くんの料理、小学生の頃からほっこりする。心があったかくなる料理だよ……。いつも真心がこもっているもの……」
柊くんの料理はほんと美味しい。
「千秋、泣かせにくるじゃん。勘弁して。涙で料理がしょっぱくしめっぽくなるぜ。ぐっと来るようないいことばっかり言うなよな、キザなやつめ。……あー美味い、美味い」
園田くんは体格に似合ってよく食べる。
ふふふっ。
かしわ飯のおにぎりなんて、いったい何個食べたんだろう。
私はすっかり機嫌がよくなってきてた。
「小夏。ちょっとだけスパークリングワインでも飲む? シャンパンがいい?」
「二人が飲まないのにいいよ、遠慮する」
「俺は車乗って帰んなきゃならんしな。小夏はさ、良いじゃん。ちょっともらったら?」
「俺も、小夏を家に送っていきたいから飲まないけどね。遠慮しないで」
「……お言葉に甘えまして、それじゃあ……」
「小夏はさ、わりと酒好きそうだけど、よえーもんな。軽ーくちょっとだけだぞ」
「悪酔いしないようにね。交互に水を飲むといいよ」
心配するくせに、お酒をすすめてくる。
どこか矛盾してる二人。
私をあの手この手で慰めようとしてくれてるんだよね?
……ありがとう。
「ほろ酔いなら、酒の力も時には悪くないと思うんだよね」
「おおっ、実感こもってるな〜、千秋は」
「園田。からかうなら、その皿にピーマン入れるぞ」
「あっ、ごめんごめん」
「ふふふっ。園田くん、まだ食べれないの? ピーマン」
「食えるわけないだろう。ピーマンのどこが美味い?」
「ほどよい苦さと独特の香りかな〜?」
「えっ? ほどよい苦み、ねえ。俺さ、ゴーヤなら食えるんだけど」
「それ、かなり変わってるよ、園田。どちらかといえばピーマンの方が食べやすくって甘みがない?」
「はいはい、もう俺はね、大人になったって筋金入りのピーマン嫌いなんだから。どう料理したって克服出来ないの。だからピーマンの話はおしまいっ」
「子供だな〜」
「そういう千秋だって梅干し苦手だったろうが」
「ああ、悪い。俺、梅干し克服したんだ。小夏が高校の時作ってくれた『梅干しとチーズを挟んだ鶏ささみ揚げ』でね」
「ずっ、ずりい」
「けっこう前じゃん。俺、今では普通に梅おにぎりとか園田の前で食べてる気がするけどなあ」
柊くんと園田くんは仲良いよね。
見てると、気分がほっこりしてくる。
二人といると気分が紛れて、颯斗くんの浮気のこともあんまり考えなくてすむ。
仕事中のふとした時や、家にいれば嫌でも思い出して。
向き合わないといけないのに。
見て見ぬふりするの……?
でも、そんなのも、……私、無理だ。
私は酔いたい気分任せに少しお酒をもらうことにしたんだ。
「園田くんとこ、8人兄弟だったよね?」
「そっ。上の兄や姉は結婚したり一人暮らししたりでだいぶ自立したけど、まだまだ幼い弟と妹がいるんだよ。大変だぜ?」
「俺は、園田んとこ、兄弟が仲良いから羨ましいけどね」
柊くんはお兄ちゃんとちょっと疎遠になってるって園田くんが言ってた。
私は柊くんのお兄ちゃんとも登下校してたな。
放課後はお兄ちゃんともよく遊んだっけ。
「柊くん、そういえばあの家は……?」
「ああ。実は祖母の家だよ。俺と兄は、母方の祖母の家から学校に行ってたんだ。うち、ちょっと特殊でさ、大人になるまでは両親とは住んでないんだ」
「千秋んち、筋金入りの大金持ちだもんな。そっか……。もしかしてセキュリティか。千秋たち兄弟の、子供の身の安全のために親が徹底してたんだ?」
「ああ。うちの父は幼い頃、誘拐されかかったらしくってトラウマになってるんだ。家は離れてても四六時中父が手配したSPが見張ってたんだけどね。時々寂しかったけど、おばあちゃんとの暮らしで料理に目覚めたんだ。まあ……俺は小夏とたくさん遊べたし、すっごい楽しかったよ」
「普通の公立の学校に行ったのは千秋の意思?」
「うーん、たしか……母かな。よく言われたのは、自分が金銭的に人より恵まれてる家庭だからって驕らないようにって。母はシングルマザーの祖母に育てられたし、そんなに裕福な家庭じゃなかったから」
「そうなんだね。……柊くん、今は奥さんとご両親と住んでるの?」
「うん。……実は兄も。うちの妻は同居で良いって言ったけど。ほんとは嫌だったのかもな〜」
「でも、お前の嫁の香恋。嫌なのは嫌って言いそうだけどな」
そっか。柊くんのお嫁さんの歌恋《カレン》って、高校の時の同級生の香恋《かれん》さんだったね。
歌恋は芸名、本名は香恋。
私は友達ではなかったけれど、華やかな香恋さんは当時から人気モデルとして活躍していた。
あの人が、柊くんのお嫁さんにして私の夫の颯斗くんの不倫相手なんだ。
しっかりと認識したらやけに現実味を帯びて、生々しくなってきた。
私は襲ってきた憂鬱な気持ちをスパークリングワインで流し込んでいた。
……面白いぐらいに。
気持ちは転落していき、私はすっかり颯斗くんと触れ合いたい欲はなくなった。
だけど、持て余した寂しさとか愛してる男性から求められたいって気持ち、行き場も向ける先もないの。
まだ、20代なのにレスは続き心も身体も寂しさに冷えていく。
どんどん熱が奪われ、夫を愛せなくなるミジメナ気持ち。
結婚した颯斗くんと私、このまま彼と夫婦をしていたら私はこの先ずーっとこの思いに苦しまなくてはならない。
私は、夫とのセックスレスは我慢してきたけれど、いつか子供を持つ持たないと話し合ってみたら、それは解消されるんじゃないかとか心のどこかで安易に考えてた。
今だけだって、言い聞かせてた。
颯斗くんは忙しいからとか、疲れてるからちょっと気分じゃないとか。
夫婦になって数年経てば刺激が足らないから、つい後回しになってるんだよねって。
このやるせない気持ちは終わるもので、今だけ辛いんだって、必死に思い込もうとしてたけど。
……向き合うのをやめにすれば良い。
もう、颯斗くんとは、戻れない。
心の奥底から信じて愛し合って幸せな気分で抱かれる――、なんて日は永遠にやって来ないんだ。
だけど、決まらない。
この先、私はどうしたいのだろう?
✭✭✭
「で、これどういう状況? ……っていうかすっげえ」
園田くんのからかい半分のはしゃいだ声がしてる。
招かれた柊くんの仕事場の大きなキッチンはスタジオにもなっていて、動画配信のための機材や背景のセットもあった。
私と園田くんの目の前には、お花見と紅葉狩りのコンセプトのセットが隣り合っている。
そして、柊くんが手作りして用意した豪華で見映えも素敵な料理が並べられていた。
「美味そうな匂いだな〜」
「小夏、園田。いらっしゃい」
「おはよう、柊くん。お招きありがとう」
今朝から夫の颯斗くんは二泊三日の出張に出掛けた。
「小夏、旦那の藤宮と行ってらっしゃいのチューした? 旦那からキスされなかった? 小夏んとこ、あれからレス解消するような事態には……」
「そ、そそんなのないよっ! 柊くんの前で園田くんも直球で恥ずかしくなるようなこと聞かないで」
「そうだぞ、園田。デリカシーに欠けてるよ。小夏、困ってるじゃんか。それにそんな質問、俺はどんな表情すれば良いのか困る」
はいはいと園田くんは意味深に笑って、紅葉狩り風景セットの並んだ切り株のベンチに座る。
私も隣りに座らせてもらうと、私の逆側のすぐ横には柊くんが座った。
なぜか……。緊張しちゃうな。
どうしたんだろう?
「どうぞ、召し上がれ」
「「いただきますっ!」」
「う、うまっ! しっかしすっげえ御馳走だよな」
「うん。すっごく美味しいよ、柊くん」
「ありがとう。春の花見弁当と秋の行楽のパーティメニューにしてみた。雑誌の特集記事に使ってもらえるらしいから。予行練習に付き合わせて悪いね」
「とんでもない。俺はこういうのいつでもウエルカムだぜ。小夏にも会える口実になるもんな」
「そっ。9割方はそっちかな。小夏と会えると嬉しい」
「……二人ともすごいお世辞が上手くなったよね?」
ドキリッ。
瞬間、柊くんと園田くんが私をバッと同時に見てきて。
「あのさ、小夏。お世辞じゃないけど?」
「小夏。離婚したら俺とデートしようぜ」
柊くんも園田くんも、イケメンすぎるから刺激が強い。
「ちょっ! ちっ、近いよ、顔が……。二人って昔っから女の子を喜ばす天性があるよね。私を翻弄しないでください。本気にしたらどうするの? 私、まだ立派な人妻なんですけど」
柊くんがムッとした顔で、パクパクっと春巻きを食べてる。
えっ? 怒った? 拗ねてる……の?
「軽い気持ちじゃないよ。思ってること素直に言ってるだけ」
顔を赤らめた柊くんが、ちょっぴり可愛い。
……私はまだ、颯斗くんの妻だというのに、可愛いとか思うのはちょっと軽々しいというかはしたないだろうか。
ああっ、えっと。
あれだ!
柊くんは、うさぎとかリスみたい! 柊くんは小動物みたいな可愛さでというか、同い年だけど弟みたいに可愛いんだ。
うん、そうそう。
「プッ……、ふはははっ。懐かしいなあ、こういうの。三人でよく部活帰りに買い食いしたこと思い出したよ。……もしかして小夏は藤宮と離婚する気ねえの? まだ話してないんだ? 旦那に。あんたの浮気はバレましたよって」
園田くんの冗談とない混ぜになった追及の離婚って言葉に、少なからず胸にざっくり傷が入って痛む。
「あのさ、園田。言い過ぎ。小夏、複雑な顔してるだろっ」
「ごっ、ごめん。ああっ! ごめんな、小夏。だって俺、藤宮とは離れてほしいんだ。……あいつ長い間、小夏を騙してたようなもんだぞ?」
そうだ。
颯斗くんは私と付き合ってる頃から、……浮気してる。
私、ちっとも気づかなかったなんて、なんて鈍感なんだ。
……信じ切っていたんだよね。
うん、好きだったから。
今はそんなに好きじゃない……、うそだ、まだ好き。
すぐに、割り切れない。
――どうしたらいいの?
私はすぐには答えが出ないのがもどかしくあった。
それから、こうして園田くんに答えを求められても、しっかりこうだっていう返事にたどり着いていない。
「小夏、大丈夫?」
「うん。……大丈夫」
「園田、大丈夫そうじゃない人に『大丈夫?』って聞いちゃいけないらしいよ」
「じゃあ、どう言ったらいいんだ?」
「うーん。一例としてはたしか『なにかお困りですか? どうしたの、助けが必要ですか? お手伝いします』が正解かな? ……俺が小夏の助けになりたい。俺、君を放ってなんかおけないよ」
「俺だって。小夏、なんか手伝うぞ?」
私は泣けてきそうになるのをなんとかこらえた。
二人の視線から逃げるように、前を向く。
広がる風景、屋内の作り物のセットだというのに目の前の桜と紅葉が綺麗で。たまった涙のせいでどんどん滲んで揺らいだ。
★☆★
柊くんがすっと立って、スタジオの機材のボタンを押す。
すると、甘い歌声がした。
BGMがかかる。
懐かしいメロディ、春の定番ソング。
ちょっと切ない、ラブストーリーや卒業の歌。
私たちが学生時代に街なかで流れていた曲がいくつも響いた。私が何度も聞いた曲もある。
曲や香りとかって、否応なしに思い出を呼び起こすんだね。
「食べきれない分は持って帰ってくれると嬉しいな」
「柊、うち大家族だから助かるよ。今さ俺、実家に帰ってんだよね〜」
柊くんが彩りが美しいゼリー寄せのテリーヌの料理を取り分けてくれる。
「これ、カニと伊勢海老かっ! 贅沢〜」
「あと、アスパラに水菜? 食感が楽しいね」
「うん。食べたら楽しい歯ざわりかなって。……二人とも美味しい?」
「「美味しいですっ」」
「良かった。……ふうっ。誰かに食べてもらうのは毎回緊張するよ。どきどきする。……どんな反応してくれるかなとか、想像するのは楽しいんだけど。俺、自分の作った料理で喜んでもらいたいから」
私と園田くんが言うと柊くんが照れたように笑った。
「俺たちを喜ばせたいんだ?」
「当たり前だろう。美味しい料理で幸せな気分になってもらいたくって料理人をやってるわけだし。それに今日は俺のさらに特別で、大切な二人に食べさせたかったから。……好きな友人にとことんお腹いっぱいになって満足してほしいと思って、料理の腕を振るったんだ。あわよくば元気になってほしいともね。俺なんか微力だけど」
「ううん、微力だなんてとんでもないよ。ありがとうっ! 柊くんの料理、小学生の頃からほっこりする。心があったかくなる料理だよ……。いつも真心がこもっているもの……」
柊くんの料理はほんと美味しい。
「千秋、泣かせにくるじゃん。勘弁して。涙で料理がしょっぱくしめっぽくなるぜ。ぐっと来るようないいことばっかり言うなよな、キザなやつめ。……あー美味い、美味い」
園田くんは体格に似合ってよく食べる。
ふふふっ。
かしわ飯のおにぎりなんて、いったい何個食べたんだろう。
私はすっかり機嫌がよくなってきてた。
「小夏。ちょっとだけスパークリングワインでも飲む? シャンパンがいい?」
「二人が飲まないのにいいよ、遠慮する」
「俺は車乗って帰んなきゃならんしな。小夏はさ、良いじゃん。ちょっともらったら?」
「俺も、小夏を家に送っていきたいから飲まないけどね。遠慮しないで」
「……お言葉に甘えまして、それじゃあ……」
「小夏はさ、わりと酒好きそうだけど、よえーもんな。軽ーくちょっとだけだぞ」
「悪酔いしないようにね。交互に水を飲むといいよ」
心配するくせに、お酒をすすめてくる。
どこか矛盾してる二人。
私をあの手この手で慰めようとしてくれてるんだよね?
……ありがとう。
「ほろ酔いなら、酒の力も時には悪くないと思うんだよね」
「おおっ、実感こもってるな〜、千秋は」
「園田。からかうなら、その皿にピーマン入れるぞ」
「あっ、ごめんごめん」
「ふふふっ。園田くん、まだ食べれないの? ピーマン」
「食えるわけないだろう。ピーマンのどこが美味い?」
「ほどよい苦さと独特の香りかな〜?」
「えっ? ほどよい苦み、ねえ。俺さ、ゴーヤなら食えるんだけど」
「それ、かなり変わってるよ、園田。どちらかといえばピーマンの方が食べやすくって甘みがない?」
「はいはい、もう俺はね、大人になったって筋金入りのピーマン嫌いなんだから。どう料理したって克服出来ないの。だからピーマンの話はおしまいっ」
「子供だな〜」
「そういう千秋だって梅干し苦手だったろうが」
「ああ、悪い。俺、梅干し克服したんだ。小夏が高校の時作ってくれた『梅干しとチーズを挟んだ鶏ささみ揚げ』でね」
「ずっ、ずりい」
「けっこう前じゃん。俺、今では普通に梅おにぎりとか園田の前で食べてる気がするけどなあ」
柊くんと園田くんは仲良いよね。
見てると、気分がほっこりしてくる。
二人といると気分が紛れて、颯斗くんの浮気のこともあんまり考えなくてすむ。
仕事中のふとした時や、家にいれば嫌でも思い出して。
向き合わないといけないのに。
見て見ぬふりするの……?
でも、そんなのも、……私、無理だ。
私は酔いたい気分任せに少しお酒をもらうことにしたんだ。
「園田くんとこ、8人兄弟だったよね?」
「そっ。上の兄や姉は結婚したり一人暮らししたりでだいぶ自立したけど、まだまだ幼い弟と妹がいるんだよ。大変だぜ?」
「俺は、園田んとこ、兄弟が仲良いから羨ましいけどね」
柊くんはお兄ちゃんとちょっと疎遠になってるって園田くんが言ってた。
私は柊くんのお兄ちゃんとも登下校してたな。
放課後はお兄ちゃんともよく遊んだっけ。
「柊くん、そういえばあの家は……?」
「ああ。実は祖母の家だよ。俺と兄は、母方の祖母の家から学校に行ってたんだ。うち、ちょっと特殊でさ、大人になるまでは両親とは住んでないんだ」
「千秋んち、筋金入りの大金持ちだもんな。そっか……。もしかしてセキュリティか。千秋たち兄弟の、子供の身の安全のために親が徹底してたんだ?」
「ああ。うちの父は幼い頃、誘拐されかかったらしくってトラウマになってるんだ。家は離れてても四六時中父が手配したSPが見張ってたんだけどね。時々寂しかったけど、おばあちゃんとの暮らしで料理に目覚めたんだ。まあ……俺は小夏とたくさん遊べたし、すっごい楽しかったよ」
「普通の公立の学校に行ったのは千秋の意思?」
「うーん、たしか……母かな。よく言われたのは、自分が金銭的に人より恵まれてる家庭だからって驕らないようにって。母はシングルマザーの祖母に育てられたし、そんなに裕福な家庭じゃなかったから」
「そうなんだね。……柊くん、今は奥さんとご両親と住んでるの?」
「うん。……実は兄も。うちの妻は同居で良いって言ったけど。ほんとは嫌だったのかもな〜」
「でも、お前の嫁の香恋。嫌なのは嫌って言いそうだけどな」
そっか。柊くんのお嫁さんの歌恋《カレン》って、高校の時の同級生の香恋《かれん》さんだったね。
歌恋は芸名、本名は香恋。
私は友達ではなかったけれど、華やかな香恋さんは当時から人気モデルとして活躍していた。
あの人が、柊くんのお嫁さんにして私の夫の颯斗くんの不倫相手なんだ。
しっかりと認識したらやけに現実味を帯びて、生々しくなってきた。
私は襲ってきた憂鬱な気持ちをスパークリングワインで流し込んでいた。