第2回comic Berry’sマンガシナリオ大賞受賞作(予定)
 必至の婚活を続けても理想の相手と巡り会えず金と気力と体力をすり減らすこと幾星霜――遂に十八丁畷(じゅうはっちょうなわて)バンビーナカロリーナ梨々子は精神の平衡を失った。
「クケケ、こうなりゃ、理想の相手を錬成してやる! 自分で生合成してやるんだからねっ!」
 自分の恋の相手にふさわしい御曹司や社長などハイスペック男子を自ら作り出そうと彼女は決意したのである。
 それは簡単なことではない。邪悪な魔物を制御し別の物質――皆の大好物ハイスペックなイケメン――へ変化させる生体改造は禁断の錬金術の応用であり、その方法は極めてハイリスクだった。いくらパートナーがいないからといって、術者の生命の危険を伴った施術に手を出すというのは、正気の沙汰ではないのである。しかし……それでもやる! と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は固く誓ったのだった。恋と狂気は紙一重と言われるが彼女は今、その両方の世界に両足を突っ込んだである。
 まず第一に、強力な呪術を秘めた宝物が要る。十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は魔力を持った秘宝を求め、とある町の商店街へ向かった。その地下にある骨とう品店が目指す場所だった。そこでは以前にも品物を購入したことがある。そのとき買ったのはネコの置物が二つだった。なめ猫と招き猫。その二つが、飼っていた老猫を生き返らせる呪法のために必要だったのだ。
 骨とう品店の主人は十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子を覚えていた。
「あのときの娘さんだね? 飼っていたネコちゃんは無事に生き返ったかい?」
「ええ、その節はどうも」
「あの魔術が上手くいくのは珍しいんだ。本当に良かったよ」
「化け猫になって蘇ったから大変だったけどね。ところで今回は別の品物が欲しいの」
 古い刀剣が必要だと十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は言った。
「強い魔力を持っている刀剣。あれば今日、持って帰りたい」
 それが何のために必要なのかは言わなかったし、骨董屋の主も聞かなかった。
「あるにはあるけど、いわくつきだよ」
「どんな?」
「その守り刀が作られたのは異世界コルフィー・ザン・ブルーレイ。作刀の時代は、遥かな太古だ。伝説の大将軍コットンオパールが誕生した息子のために一流の刀鍛冶に命じて作らせたが、その息子が夭折したため、一緒に墓へ埋められた。それを後代の墓泥棒が盗み出したのだが、持ち主が皆んな死ぬ。墓泥棒も死んだし、その刀を墓泥棒の遺族から買い取った豪族も死に、その豪族の遺族から奪い取った王侯貴族も死に、その後も所有者が次々と亡くなって、最後には国の宝物倉で納められたのだけれど、その国が滅んで、その後は行方知れずとなった」
 腹の底で十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子はほくそ笑んだ。願ったりかなったりの一品だったからだ。
「それが、ここに? どこから流れてきたの?」
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子が尋ねても、骨とう品店の主は何も言わず笑うだけである。
「大きなパワーを秘めた物だと、術をかけるより前に準備が必要になるかもしれないから、品物の来歴は詳しく知っておきたいの」
 高齢の主人の顔に刻まれた皴の陰影が濃さを増した。十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子が、主の落ちくぼんだ眼窩の奥を覗き込む。その白いものが混じる眉毛の下で怪しい光が瞬いた。
「聞かぬのが吉だ、お互いのために」
 骨とう品屋の親父に言われ、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は目で頷いた。主も頷く。
「買うのであれば、前と同じ方法で払ってもらいたい」
「あれがそんなに気に入ったの?」
 骨董屋の主人は、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の言葉に苦笑した。
「わしよりせがれが気に入っている。投稿する小説のネタにするらしい」
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は頷いた。
「今からやる?」
 古ぼけたテープレコーダーを店の奥から持って来た骨とう屋の親父は、それを十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の前のカウンターに置いた。
「話が始まったら、録音する」
 軽く咳払いをしてから十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は話を始めた。

★ ナイトクラブの売れっ子が空軍大佐と0日婚した話 ★

 王党派の反乱軍が首都を完全包囲する数週間前までは、誰もが政府軍の勝利を信じ切っていた。夜の歓楽街は人であふれ、酒場から響き渡る歌声は朝日が昇る頃まで絶えることはなかった。その夜の街で一番歴史のあるナイトクラブで働く娘がいた。格式の高い店で、割と上玉が集まる関係上、それなりの美女だったが人気としては平均レベルといったところだった。
 それなのに、ある日、状況が一変した。政府軍の将官たちが先を争い彼女を指名するようになったのだ。事の起こりは、彼女とダンスした陸軍軍人が戦場で手柄を立て勲章をもらったことらしい。その勲章授与の功績が、ナイトクラブの娘のおかげとの噂が流れた。「あの娘はラッキーガールだ」という根拠のない噂話のおかげで彼女は売れっ子になったのである。
 ずいぶんと迷信深い軍人たちである。後になって冷静に考えると、単なる偶然でしかないと彼らも思うことだろう。だが、そのときは、そういう神頼み的な要素に頼らざるを得ない心境に彼らはなっていたのだった。その頃になると政府軍の上級将校の間には、戦況の不利がひしひしと感じられるようになっていたのである。
 戦闘機のパイロットをしている空軍大佐と、すっかりナイトクラブの売れっ子となった娘が知り合ったのは、王党派の反乱軍と共和派の政府軍が大規模な会戦を行い、政府軍側が手痛い敗北を喫した時期と、ほぼ重なる。二人は知り合ってから間もなく、結婚した。0日婚と言われた所以である。
 この結婚は街の皆を驚かせた。空軍大佐は長身痩躯でイケメンなエースパイロットで富裕層の子女たちから絶大な人気があった。ナイトクラブの女とは釣り合いが取れないと陰口を言われるカップルだった。彼女の何が良いのか、と誰もが不思議に思った。
 そのうち王党派の反乱軍が首都に迫ってきた。勘の良い連中は逃げる算段を講じ始めた。ナイトクラブの売れっ子と空軍大佐も、そのグループに属していた。その中でも、このカップルは動きが早い方だった。首都から脱出するルートが塞がれる前に、二人は金目の物を持って空軍輸送機に乗り込み、そのまま海外へ亡命したのである。
 エリート軍人がナイトクラブの女と結婚したのは、彼女の運に頼りたい気持ちがあったからのようだ。そのおかげかどうかは分からないが、二人が乗った輸送機は敵の攻撃を受けることなく第三国の飛行場へ着陸することができた。その国での新生活は上手くいっていると聞く。元空軍大佐が始めたIT企業は軌道に乗り、彼が溺愛する新婚の若妻はご懐妊して、ますます夫婦円満だそうである。

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 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は話を終えた。骨とう品店の主人は録音していたテープレコーダーの停止スイッチを押して、こう言った。
「わしは物語のことがよくわからないのだが……今の話って、面白いのか?」
 問われた十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は首を傾げて答えた。
「私にも分からない。でも、私の話にはご利益があるってことらしいわよ」
 骨とう品屋の親父は神妙な顔で頷いた。
「そのようだな。噂通り、ご利益があった。せがれはネットに応募した小説で賞を取ったよ。ありがとうな」
 礼の言葉と共に差し出された細長い箱を受け取り、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は店を後にした。彼女が次に向かったのは街外れにある赤レンガの建物だった。昔は何とか商会とかいう会社の持ち物だったが、今の所有者は不明だ。恐ろしく古いが、廃墟と呼ぶほど崩壊していない。実際、その中で暮らしている者がいる。ロイオディーンという美しい体つきの中年男と、淡い黄色の髪をしてケラケラよく笑う女の子メリームルウの二人組だ。二人が恋人同士なのか、夫婦なのか、親子なのか、主従関係なのか、誰も分からない。この二人が建物の所有者なのかも、よく分からない。
 役所の人間は建物の持ち主を知っているのだろうか、と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は疑問に思うことがある。まあ、知っていようが知るまいが、自分の知ったことではないのだが。
「いらっしゃあ~い」
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子が建物の入り口のガラス戸を開けると、ロイオディーンは笑顔で迎えてくれた。エントランスホールの柱時計が現在時刻とはまったく異なっているのだが、それは気にならない代わりに、入ってきた女の表情が暗いことは敏感に気付き、その笑顔が瞬時に曇る。
「どうしたの? 元気ないじゃない? 辛いことがあったの?」
 苦い笑みを浮かべて十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子が答える。
「婚活に苦しめられて傷心ヒロインに、優しい言葉をありがとうねロイオディーン」
 肩を落とし気味な十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子を建物の奥へ誘いながら、ロイオディーンは言った。
「あたしにできることなら、何でもする。だから、元気を出してね」
 ロイオディーンはそう言ってくれたが、淡い黄色の髪をしてケラケラよく笑う女の子メリームルウは対応がシビアだった。
「だ・か・ら! あれほど言ったじゃない! 婚活パーティーだとか婚活イベントにのこのこやって来る奴にロクな男なんかいやあしないって! 馬鹿な期待しといて、裏切られて落ち込むなんて、間抜け杉山。間違えた、間抜けすぎ!」
 そう言ってケラケラ笑うメリームルウをロイオディーンが窘める。
「ちょっと、そんな言い方よしなって!」
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子はロイオディーンに言った。
「この子がこういう性格なのは前から知っているから。それより、欲しいものがあるの」
「何でも用意する。言ってくれよ」
 そう言うロイオディーンの顔は、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の注文を聞いている間に、悪妻から何とも言いがたい物を食べさせられている気弱なソクラテスみたいな顔色になった。
「ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待ってね。九十五年式パアル・アンシティバシィ社製の恒星間長距離バスって何? 天才数学者コムブラマンテが設計した大理石のユニットバスなんてものが、この世に存在するの? おフランス第三消防団特製の梯子段というのって、普通の梯子じゃないの? その辺のホームセンターで売っている物と何が違うの? そもそもさ、こんなもの何に使うの?」
 説明するのが面倒で十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子がボ~っとしているとメリームルウが話に割り込んできた。
「ちょっとアンタ、それでハンサムなナイスガイを育成するつもりなんじゃないでしょうね」
 図星なのでドキッとした十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子だったが、おくびにも出さない。
「いいえ、友人の結婚祝いに贈るだけ」
「そんなもん絶対に贈らないって! 絶対にそうだ、イケメンを育成するつもりなんでしょ! 聞いたことがあるもの。そういった物質を触媒にして自分好みのハイスペック男子を合成する魔法があるって」
「違うって」
「言っとくけどね、止めた方がいいよ」
 メリームルウは真顔で忠告した。
「アンタさあ、ちょっと魔法が得意だからって、魔法を安易に使っていると思う。こういう風に魔法を使いだしたら、きりがなくなるよ。自分の欲望のまま魔法を使っていると、使い過ぎになって、悪い方に話が向くよ。言わんこっちゃないってことになるよ」
 そういうことは前にも何度もやらかしているので、メリームルウの言葉が正しいことは分かる。しかし、止められない。止めるつもりもない。十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は言った。
「でも、私が買い物しないと、お二人の生活が困ることになるんじゃない」
 変な魔法のアイテムを買う変わり者の魔術師は、そう多くはない。そういった連中を相手に商売しているメリームルウたちにとって、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は大切なお得意様の一人だった。
 忠告を無視されムクれるメリームルウの横でパソコンやスマートフォンを操作していたロイオディーンが言った。
「どれも手に入りそう。でも、すぐにってわけにはいかない。注文したのが届くまで、何日かかかるみたい」
「来たら教えて」
「了解」
「支払いだけど、どうする? 何がいいの?」
 ロイオディーンがニマッと笑った。
「それは、あ~た、やっぱり天下の魔力小話の達人さん十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子大先生にお願いするって言ったら、魔法の話でしょ」
 自分のスマートフォンを十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子に渡し、ロイオディーンは言った。
「聞くだけで運勢が良くなるって噂通りだわ。今回もよろしくね」
 軽く咳払いをしてから十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子はスマートフォンのマイクへ語り始めた。

★ バリキャリが犬猿の仲の同期と明治・大正ロマンスをする話 ★

 留学のため太平洋の波濤を越えアメリカへ渡った時、マリコは十歳にもなっていなかった。十代半ばで帰国し、母国で女子教育や女性の労働環境を整える社会活動に従事し、大活躍して……いつしか婚期を逃した。それを後悔していないと言ったら嘘になる。だが彼女は、その思いを表面には出さなかった。彼女は人から憐れんでもらうのが何よりも嫌な負けず嫌いなのだ。
 そんなマリコに求婚する男が現れた。彼女と同じく十歳に満たない年齢で渡米し、向こうで勉学を修め、帰国後は産業を育成する実業家として名をはせた津田山清風(つだやませいふう)というハイスペック男子である。彼には数多くの縁談話があったのだが、それをすべて断り続けていた。当人が言うには、それはすべてマリコを愛するがゆえだった、とのことである。
「アメリカへ渡る船に乗り込むお前を初めて見た時から、ずっと好きだった。あの波止場で、一目見た時から、ずっと」
 それならば、もっと早くにプロポーズしたら良かったのに……とマリコは腹立たしかった。子供だった頃から愛していたのに、ここまで求婚が遅れた理由を尋ねずにはいられない。
 津田山清風は答えた。
「俺たち、仲が悪かっただろ? お前のことを好きだって言ってしまうと、こっちが負けって気がして、言えなかった」
 渡米する船の中で、二人は顔を合わせると喧嘩ばかりしていた。犬猿の仲と言っていいだろう。それは留学中に同じだったし、帰国後も変わらなかった。好きだと言ってくれたら良かったのに、とマリコは嘆いた。もしもそうだったなら、もっと優しくしてあげたのに、と。
 どうして今になって告白する気になったのか? と疑問に思ったのでマリコは訊いてみた。津田山清風は恥ずかしそうに言った。
「もう我慢が出来なくなった。溺愛したい。ずっとくっついていて、朝から晩までイチャイチャしたい。お前を存分に味わい尽くしたい。誰にも渡したくない。なあ、俺の物になっちゃえよ。永遠に離したくないんだ」
 聞いているだけで耳まで真っ赤になるマリコを、津田山清風は力いっぱい抱きしめた。
「苦しいくらいの抱擁が、たまらない……そうだろ? 好きだろ、こういうのが?」
 同期からの抱擁で胸の激しい動悸が収まらないマリコだった。

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 スマートフォンを持ち主のロイオディーンに返してから、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は言った。
「話はここまでだけど、ねえ……本当に、こんなのでいいの?」
 ロイオディーンは満足した顔で頷いた。
「物語の魔術師、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子大先生の話なら、何だってオーケイさ」
「それじゃ、届いたら連絡して」
 そう言って帰りかけた十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子をメリームルウが呼び止める。
「待ちな!」
「何よ」
「しっぺ返しに注意しなよ。これはアンタのために言っているんだからね」
「どうもありがとう。謹んで承っておくから」
 そして十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は赤レンガの建物を出た。次の行く先は墓場だった。だが、その前に花屋へ寄った。墓参りに持参すると言って適当な花を用意してもらい、それから目指す墓地へ向かう。
 生前の姿が自分好みの死人を見つけ出すのは難しい。しかし死ぬ前の姿形を見たことも会ったこともないからといって、運命の死人とめぐり会う機会を投げ捨ててしまうのも悔やまれる。そんな十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の切羽詰まった心境にピッタリ合った異国の経文があった。彼女は暗くなって人気の絶えた墓場に立つと、花屋で買った花束を持って優雅に舞った。その間、前述の異国の呪文を言うのである。乏しい照明のスポットライトから離れた場所でただ一人踊りつつ、外国語の経文を唱え続ける彼女の姿を見る者は墓場に眠る死者の魂だけだった。
 その経文を現代語風に訳したものがあるので記載しておく。
 念のために書いておくが、墓場でこれを唱えながら花束を振り回したところで、何も起こらないから、ご注意を。

★ 職業ヒーローがネズミ駆除業者で、ヒロインは未亡人の、危険なお話 ★

 天井裏や床下そして壁の中からガサガサゴソゴソという物音が聞こえるようになって一週間。未亡人のスルディエサルマーンは遂に、物音の正体と顔を見合わせた。そのときの様子は、こんな具合だ。
 気配を感じて真夜中に目を覚ましたら、闇の中に小さな光が幾つも蠢いている。枕元に置いていたスマホの明かりで室内を照らすと「キーキー」という鳴き声が喧しい。布団から出ている素足に何かが当たった。慌ててベッドから体を起こし、壁のスイッチを押す。天井の照明が灯った。足の方にいた黒っぽい灰色の物体が室内を走り回る。それだけではない。同じような黒灰色の塊が何十匹もゴミの散らかった床の上を駆け回っている。空になったカップ麵や弁当箱の間を走る謎の生き物たちの正体が何か、スルディエサルマーンは分からない。不思議な生物の繰り広げる大運動会を我を忘れて凝視していたスルディエサルマーンは、やがて思い出したかのように悲鳴を上げた。謎の小生物たちは寝室の壁と床の接合部に開いた小さな穴の中へ次々と入り、姿を消した。
 あれはきっとネズミに違いない、とスルディエサルマーンは思った。ネズミのような野生動物は田舎にしかいないと勝手に考えていたが、都会の高級住宅地にある自分の屋敷にも出るのだと気付き、怒りと恐怖で震える。ネズミの巣が屋敷の中か、屋敷を取り囲む林の何処(いず)かにあるのだろう。駆除が必要だ。だが、どうやって?
 そう言えば、そういった業者が新聞受けに入れた広告のチラシがあったはず……と考えたスルディエサルマーンはゴミの中から苦労して目当ての紙を見つけ出した。屋敷の中に自分以外の人間を入れるのは絶対に嫌だが、ネズミとの共同生活も御免だった。この屋敷にネズミ駆除業者を招き入れるかどうか決めるのは、この業者に電話してからにしようと考える。
 電話に出た男は、ネズミが疑わしいけれど調べてみないと何とも言えないと断定を避けた。ネズミだとしたら、どういう対処法があるのかとスルディエサルマーンは尋ねる。素人がやるのならば殺鼠剤が良いと、相手は答えた。それだけ聞けば十分だった。スルディエサルマーンは相手に礼の言葉も言わずに電話を切る。宅配業者が届けた殺鼠剤を屋敷の中と外の敷地内のあらゆる場所に仕掛ける。ネズミが殺鼠剤に手を付けた様子はあった。しかしネズミの死骸は見当たらない。見えないところで死んでいるのだろうとスルディエサルマーンは考えた。このまま殺鼠剤を撒き続けていれば、いつかネズミは死に絶えるはず……と思ったけれど、出没する黒灰色の塊の数は増える一方だった。
 スルディエサルマーンは激怒した。(くだん)の業者に再び電話する。最近のネズミの中には殺鼠剤の効かない種類がいると電話の男は言った。何とかしろとスルディエサルマーンは怒鳴る。相手の男は「実際に調査しないと対策の立てようがないです。私に任せて下さい。ネズミはペストのような危険な病気の原因となります。やるからには徹底的に調べ、根こそぎ駆除しなければいけません」と答えたので、スルディエサルマーンは電話を切った。しばらく怒りは収まらなかった。だがネズミとの同居はもうたくさんだった。三度、業者に電話をする。来訪の予約をした。その日が来た。
 作業服を着た業者の男は色々な機材を持って屋敷を訪れた。地味な格好だったが好青年だった。スルディエサルマーンの監視の(もと)で広大な邸内の至る所を調査する。やがて男は言った。
「ネズミの巣は寝室の壁の裏側の隙間にあるようです。床と接する部分に小さな穴が開いています。そこから出入りするのでしょう。穴の中へファイバースコープを入れ、中を視認します。巣があれば除去します」
 それだけ聞けば十分だとスルディエサルマーンは判断した。規定以上の料金を支払い、業者を追い出す。その際、後は自分でやると告げた。何も面倒なことではない。壁の穴を何かで塞げば良いのだから――と思い、重い箱を動かして穴を封じるも、出入り可能な穴は他にもあるようでネズミの出現は続いた。穴の中へ殺鼠剤を入れても効き目が無かったので、煙で燻してみようと思ったが、窓を閉め切った室内で火を起こしたら自分の方が死ぬかもしれないと考え、止める。
 壁を壊し、中の巣を除去しようとスルディエサルマーンは決意した。トンカチで壁を叩き壊す。なかなか手間のかかる作業だった。壁の中に隠された部屋が、やっと出て来た。ネズミの巣は、どこだ? 懐中電灯で暗闇を照らす。白骨死体は見えたが、他には何もない。ネズミの巣など、どこにもない!
「やはり、御主人の遺体の隠し場所は、ここでしたか」
 男の声が聞こえ、スルディエサルマーンは驚いた。いつのまにか自分の横に男が立っている。見覚えのある顔だった。
「お前は、さっきのネズミ駆除業者!」
「それは仮の姿。本当は探偵です。失踪した貴女の御主人の捜索を、御主人の御実家から依頼されまして、警察と協力して調査を進めておりました」
 探偵と名乗る男の説明が終わる前に警察が室内に入ってきた。壁の中の隠し部屋にある白骨死体を見て、刑事がスルディエサルマーンに尋ねた。
「この白骨死体について、何かご存じでしょうか?」
 スルディエサルマーンは何も知らないと答えた。刑事は言った。
「この死体は行方不明の御主人の可能性があります。そして貴女には、御主人を殺害し死体を隠した疑いが掛けられています」
 そして刑事はスルディエサルマーンを逮捕した。
「警察署でお話を伺いますので、御同行願います」
 連行される前に、スルディエサルマーンはネズミ駆除業者、実は探偵に苦情を言った。
「ヘボ探偵さん。ネズミの巣は、ここになかったわよ」
 ヘボと言われた探偵は肩をすくめた。
「私も不思議なんです。貴女が仰るような、ネズミがいる痕跡はどこにも見当たらなかったんですよ。貴女が目撃したのは、本当にネズミだったのですか? それとも、他の何か……ネズミに似た他の何かだったのですかねえ」

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 変な舞を踊り、変な経文を唱えた甲斐があった。十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は、生前の姿が自分の好みにこれ以上ないくらいバッチリ合致する男の魂を見出し、それが人魂の形で空中を浮遊しているところを花束で叩き落してゲットに成功した。その霊魂を締め上げ、自分の墓へ案内させておいて、墓石に刻まれたその名前を手帳に控えておく。
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の激しい暴力ですっかり弱ってしまった男の人魂が消えてしまったけれども、名前を書き留めておいたので再召喚は可能だ。これで現時点で出来る限りの外での仕事は済ませた、と言って良かった。彼女は自宅へ戻った。次はデスクワークだった。入浴と夕食を手早く済ませ、イケメンの調教のための呪文の作成に取り掛かる。呪文に期待される働きは従順なイケメンを作ることだった。
 言葉の魔術師である十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子にとっても、それは難しい作業だった。一昨年の十二月に行きつけのクリーニング店から貰ったが使わずにいた去年のカレンダーを切って作ったメモ帳の束に、目的とする効果を発揮できるような呪文を書き始めるけれど、なかなか上手くいかない。
 その原稿の一部をいかに記す。

★ 秘密を抱えたミステリアスなイケメンのヒーローに溺愛されるヒロインのお話 ★

 とある大手芸能事務所と深い付き合いのある友人がいた。ある日そいつが忙しいってことで、代わりにタレントの送迎を頼まれた。こっちも何度かやっている仕事だった。また一つ頼むと言われたのだ。報酬は悪くなかった。こっちは、それなりの信用があったからだ。余計なことを言わなければ、それだけの金が貰えるってことだ。
 ある場所でタレントを拾い、別の場所へ運ぶ。そういう話だった。某テレビ局の近くから大物芸能人が多く住む地域へ車で送り届け、帰ろうとしたらスマホが鳴った。事が済むまで待て、との指示だった。分かったと返事をする。不満があっても受け入れるのだ。とやかく言わない。どんな仕事でも大切なことなのだろうが、今夜はとりわけそうだった。曇り空に見え隠れする満月を眺めて時間を潰す。
 しばらく経って呼ばれた。敷地内へ入れとのことだ。中へ入るのは初めてだった。オートロックの門扉が開いて、やっと車が入れる。警備員はいない。車を徐行させエントランスの前に横付けする。タレントが出てくるのを待ったが出てこない。スマホに連絡が入る。泥酔して動けないから運んで欲しいとのことだった。やれやれだ。
 玄関の鍵を開けてもらい、住居内に入る。変な匂いがした。足元に大いびきのタレントがいた。立てるかと聞いたが返事がない。肩に担いで無理やり立ち上がらせる。家の主がいたので、どうすればいいかと指示を仰いだ。相手は目をぎらつかせ、こっちを見つめている。苦笑した。こっちには、そういう趣味がない。芸能界にデビューするつもりもない。ついでに言うと、こっちは相手の好みとされるタイプとは程遠い面相をしている。真顔で再び次の指示を伺う。
 タレントのマンションへ運ぶのは駄目だと言われた。マスコミが張り付いているからだ。別の場所へ連れて行くように命じられる。渡された紙に書かれた住所へ行くには少し遠回りしないといけない。そう付け加えられた。幾つかのポイントを通るのだそうだ。詳細を聞くのは止めた。何をどうするのか、それだけ聞けばたくさんだ。
「それじゃ」
「待って」
「何です?」
「これを持って行くと良い」
 お守りを手渡された。返すのも何なので礼を言って受け取る。
「気をつけて」
 写真を撮られるな。その意味だと思ったら、違った。幾つかのポイントとかいうのを越えたら、一気に来た。変な物体、きっと霊魂とか幽霊とかいう連中が、車の外をうようよ歩くのが見えてきたのだ。こっちには、霊感が少しだけある。だから、そういうのが街を普通に歩いていることを知っているのだが、今夜は多すぎた。そういう奴らしかいない街の中に車は入り込んでいたのだ。
 カーナビが目的地到着を告げる。幸いにも周囲に幽霊はいなかった。後部座席のタレントを車から降ろそうと後部ドアを開ける。横倒しになって眠っていたタレントが体を起こした。全然違う人相に代わっていた。いや、人というより野獣の顔だ。こっちに向かって牙を剥く。慌ててドアを閉める。送り届ける予定の建物の入り口横の呼び鈴を鳴らす。インターホンから返事があった。女の声だった。頼まれて人を運んできたのだが、ちょっと困っている、力を貸して欲しいと頼む。玄関から三人の女が出てきた。若い女、中年女、老婆の三人だった。同じような顔をしている。三世代なのか、赤の他人なのか、こっちは分からない。後部座席のアレをどうにかしてもらえたら、それでいい。
 女たちはタレントを大人しくさせることに成功した。車から降りたタレントは四つん這いになって建物へ入って行った。中をちょっとだけ覗いたら、鏡が見えた。風呂の鏡のように湿気で濡れている。こっちの姿は映っていたが、三人の女の姿は見えない。余計な詮索はせず立ち去ることにした。女たちに頭を下げる。向こうも会釈した。建物に入らず、こっちを見送る様子なので、さっさと車を出す。見ないつもりだったがバックミラーを見てしまう。女たちの姿は、やはり見えなかった。
 出るときは普通に出ていいのか、聞くのを忘れた。ポイントを逆戻りしなくていいのかと思ったが、一方通行を逆戻りするのは避けたい。幽霊もイヤだが、それ以上に警官とかかわり合いたくない身の上なのだ。お守りを頼りに、幽霊が闊歩する街を進む。
 大通りに出た。幽霊も見えないが人もいない。人の声を聴きたくなってラジオを付ける。深夜の人生相談だった。こんな時間に珍しい。故郷を離れた者の話だった。急に煙草を吸いたくなった。生憎と切らしている。煙草は諦めるとして、その代わりに喉の渇きを潤そう。自動販売機を見つけたので車を止める。自販機の横に階段があった。何の気なしに階段の下を見る。階段の天井に照明があった。照明の黄色い光に引き寄せられて階段を降りる。階段の下に街があった。人も車もいない車道と夜空に浮かぶ三日月が見える。夜空に浮かぶ満月をさっき見ていた気がするけれど、それについては深く考えないことにした。階段を駆け上がって車へ戻る。ここで飲み物を買うのは止めた。早く帰って寝よう。
 その後もタレントの送迎をする機会があった。あの晩ひどく泥酔していたタレントの送迎も二度か三度やった。最初の時は緊張したけど、次からはそうでもなかった。相手はこっちを覚えていない様子だった。でも、ある時ふとバックミラーを見たら、こっちを変な顔で見ていたから、もしかしたら何か思い出したのかもしれない。それでも、こっちは何も言わない、尋ねない。それなりの報酬を得て生きていくためには、それが大切なのだ。
 自宅へ戻ると恋人がいた。俺を待っていたのだ。彼女は俺をねぎらってくれた。
「遅くまで大変ね」
 彼女は、俺の仕事が何なのか、実は知らない。秘密を抱えたミステリアスなイケメンのヒーローだと思っている節が、しばしば見受けられる。そう言われれば、そういうものなのかもしれない。自分でも分からない。自分は何者か? その問いに答えられる人間は多くないから、答えを探すのは後回しにして、彼女を溺愛するのを優先させよう。

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 九十五年式パアル・アンシティバシィ社製の恒星間長距離バスと、天才数学者コムブラマンテが設計した大理石のユニットバスそして、おフランス第三消防団特製の梯子段の三点セットが異次元の配送センターへ届いたとの連絡が入った。三つとも大きな荷物だが、自宅へ運んでも大丈夫かと問い合わせがあったので、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は次のように答えた。
「月の裏に私専用の四次元コンテナルームがあるので、そこに運び込んで下さい」
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は豪邸に暮らしているわけではないので、バスやユニットバスを自宅へ配送されても困るのだ。婚活で相手を見つけられなかったことから察せられるように、彼女は万事において順風満帆な人生を送っているとは言いがたい。確かに彼女は魔法使いだが万能ではないのである。
 運送業者は十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子からの指示に従い、三つの大きな荷物を月の裏側にある四次元コンテナルームへ運び入れた。彼女は魔法の四次元ポケットを通じて、月の裏に置かれた四次元コンテナルームに手を伸ばし、そこに保管中のマジックアイテム三種を圧縮・縮小させたうえで自宅へ持ってくることにした。そうしないと、手に入れたマジックアイテムを使うことができないからだ。
 いうなれば宝の持ち腐れを防止するための作業である。その作業を行う際に必要となる魔法のコードを日本語訳したものを以下に載せておく(何の参考にもならないが)。

★ ミステリアスでイケメンなヒロインに翻弄される男たちのお話 ★

 高く明るく澄み切った娘の綺麗な声が音吐朗々(おんとろうろう)と座敷に響き渡る。
「ゆうとぴあ、とます・もあ、りべりうす、うぇあ、ねう、みのうす……」
 彼女の口から発せられる呪文のような言葉に魅入られたかのように、その場の男たちは身動き一つせず聞き入っていた。(しわぶ)き一つ発しない。寝ているのではない。春の江戸は好天に恵まれ暖かな日差しが降り注いでおり、そんな中で開かれる外国語の勉強会ともあれば一人や二人あるいは三人以上の出席者が居眠りしそうなものであるが、彼らは聞き慣れぬ異国の言葉に真剣に耳を傾けていた。その表情には一様に驚きの色がある。当時の日本で最高の西洋語学研究集団である彼ら尚歯(しょうし)会の面々が読めなかった異国の書を、会合に飛び入り参加した美しい武家娘がスラスラ読みこなしているのだ。驚くなと言っても無理だろう。
 やがて娘は読んでいた書物を閉じ可愛らしい笑顔を見せた。
「もっと続けましょうか?」
 娘の横に座っていた渡辺崋山(わたなべかざん)は目をぱちくりさせて言った。
「いや、もう結構です。本当にありがとうございました」
 自分の子供のような年齢の娘に渡辺崋山は頭を下げた。三河国田原藩家老でありながら、その物腰には威張ったところがなく、ごく自然な態度で女子供に礼を述べる。彼は温和な性格の紳士だった。
 ただし、それだけではない。彼は娘に尋ねた。
「およう殿、今の言葉ですが、らてん語ではございませんか?」
 おようと呼ばれた美しき乙女は頷いた。それを見て出席者の一人で医師の高野長英(たかのちょうせい)が感嘆の声を漏らした。
「さすがは渡辺様だ、らてん語がお分かりなのですね。本当に勉強家でございますなあ」
 渡辺崋山は微笑んだ。
「いいえ、分かっているというほどのものではありません。絵画の勉強のために異国の書物を読むのですが、そのとき我らが知っている蘭語(らんご)(オランダ語)とは別の文章が書かれた文献があり、その注釈に<らてん語>と説明書きがあって、気になったもので色々と調べていたのです」
 藩重役にして西洋の学問の研究者である渡辺崋山は画家としても有名だった。西洋絵画を独学で学び陰影の付いた画法や遠近法を習得することで、自らの画風を高めていた。
 高野長英は出席者たちに言った。
「らてん語は解剖学その他の学問でも使われています。西洋の学問の根幹をなす言葉だそうです。蘭語だけでなく、らてん語も我々は研究するべきでしょう」
 一同は頷いた。その一人で高野と同じく医師の小関三英(こせきさんえい、おぜきー)が娘に尋ねた。
「およう様は、どこでらてん語を学ばれたのですか?」
 おようの父は幕府の旗本で、江戸城の書庫に勤めている。そこには神君家康公の時代からの蔵書が収められているが、百年以上も前の書物には修復が必要で、それが彼女の父のお役目だった。父は城だけで仕事が終わらず蔵書を自宅へ持ち帰り作業を続けることがあった。ある日おようは父の机の上で修復作業中の異国の書を見つけた。らてん語の教本だった。子供向けだったので、とても分かりやすく、父が修復を終えて城の書庫へ収めるまでの間に、彼女はらてん語の基礎を知ることができたのだった。
「ですから、らてん語を読めるだけで、意味まではわかりません」
 おようの言葉を受けて、小関三英が言った。
「私はらてん語を読めませんが、先程およう様が読まれた、ゆうとぴあ、そして、とます・もあ、という言葉には聞き覚えがございます。西洋世界では、広く知られているようです」
 高野長英が尋ねた。
「どのような意味なのですか?」
 小関三英が答える。
「ゆうとぴあは、どこにもない理想郷という意味です。そして、とます・もあは……」
「とます・もあは?」
「ご政道を批判して処刑された学者のようです」
 その場の空気が凍った。尚歯会の会員の中には徳川幕府の政治を批判している者が何名かいたのである。
 その一人というか代表格が高野長英である。彼は『夢物語』という書物を匿名で著し幕府の鎖国政策を批判した。
 もう一人が渡辺崋山だった。彼も同様に幕政批判の書『慎機論(しんきろん)』を書いている。
 ちなみに小関三英は、発表していないがキリスト教の研究書を執筆中だった。幕府はキリスト教を禁じている。執筆中の本の内容が発覚すると処罰される恐れがあった。
 恐れ知らずの自信家である高野長英はカラカラと笑った。
「匿名の人間の色々な意見があるということで問題はございませんよ。問題なのは幕府の外交政策です。鎖国は危険です。いずれ西洋国家が日本に開国を迫ってくるでしょう。鎖国を盾に開国を拒否したら、西洋諸国が激怒して日本を攻撃してくることが予想されます。そうなったら、日本に勝ち目はないでしょう」
 穏やかな人柄の渡辺崋山が同意する。
「そうなったら、無駄な血が流れる前に開国すべきでしょう。それが嫌なら海防体制を急いで構築すべきです。ただし、これには大金が必要です。それで破産する藩が出てくるかもしれません。しかし軍備を増強しないことには、日本は守れません」
 海に面した田原藩の家老である渡辺崋山は外国船の接近に備えた沿岸防衛計画を作成する立場にあった。外国船との砲撃戦に勝つためには強力な大砲が要る、しかし日本の技術力では作れない……そんなジレンマを日々感じているのである。
 高野長英は腕組みをした。
「日本を滅ぼすのは外国ではなく幕府ではないかと自分は考えています。西洋の学問を否定し、その優れた科学技術を目の敵にする守旧派こそ、日本の真の敵なのだと」
 渡辺崋山は、うっすらと伸びてきた顎髭を撫でてから言った。
「その総帥が幕臣の鳥居耀蔵(とりいようぞう)殿でしょうな。老中水野忠邦(みずのただくに)様の懐刀として改革の中心になっているお方ですが、その政策は改革ではなく現状維持だけで、海外の変化に対応ができていません。あれは良くないです」
 出席者たちは暗い表情で俯いた……しかし勉強会が終わり宴会が始まると明るくなった。おようは宴会には参加せず、暗くなる前に帰宅した。いずれまたお目にかかります、と言い残して。
 その日は思いのほか早くやってきた。場所は尚歯会の勉強会ではなく、江戸城内である。幕府批判の罪で逮捕された渡辺崋山は、取り調べ役の幕臣が用意した証言者のおようと対面することになったのだ。
 先頃の会合での渡辺崋山の発言を、おようは証言した。まぎれもなく政道批判である。渡辺の有罪が確定した。国元の田原に蟄居(ちっきょ)を命じられ、後に自殺する。
 高野長英も捕らえられ、伝馬町(でんまちょう)の牢獄に放り込まれたが、牢に放火して脱獄した。それから日本中を逃げ回るも最後は幕府の捕吏(ほり)の手で捕殺される。
 小関三英は逮捕されなかったが、自殺した。
 この他にも多くの逮捕者が出た。これが後に蛮社の獄(ばんしゃのごく)と呼ばれる思想弾圧事件である。その指揮を取ったのが鳥居耀蔵だった。後に江戸南町奉行となり強硬な市中取り締まりで町民たちから「江戸の妖怪」と恐れられた男である。
 その令嬢である鳥居耀子が幕臣の娘おようを名乗り尚歯会への潜入捜査を敢行したと伝えられているが、もしもそれが事実だとしたなら彼女は「江戸の妖女」と呼ばれるに相応(ふさわ)しい女だろう。

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 呪文の効果が発言しミニチュア化したバスとユニットバスと梯子段をテーブルの上に置き、異世界で鍛造された短刀を鞘から抜いて粉を打ち、いよいよ儀式の準備が整った。これからイケメンの創生が開始されるのである。十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は、イケメンの素体となる魔物の召喚を始めることにした。そのための呪文を唱える。
 その日本語訳は以下の通りだ。

★ 教師と女子生徒のお話 ★
 
 私は形の一定しないものが苦手だ。見るのも嫌だし、触るなんて考えただけで気分が悪くなる。
 そんな私がアメーバへの同化体験学習をさせられるとは!
 教室の掲示板に貼られた割り当て表を見て、私は卒倒しかけた。だが、ここで気を失うわけにはいかない。私が在学中の魔法学校は生徒の健康にとても気を遣う。もし気絶したら保健室へ運ばれ検査だ。そして全身から注射針の生えたハリネズミの保健の先生の出番となる。採血の注射も私は苦手なので絶対に失神できない。もしものときは注射針を魔力で曲げてやる。いや、その前にアメーバに合体する実習を断固拒否だ!
 私は担任の教師にテレパシーで事情を説明し、別の体験学習への変更をお願いした。最新型AI搭載のロボット教師は私の要求に応じなかった。苦手を克服することも体験学習の目的だから、との理由だった。
 ロボット教師の石頭に私の得意技メテオ・ド・ストライク(宇宙から巨大な隕石を落下させる)を食らわしたくなったけれど、私はおしとやかな優等生ということになっているので止めた。代わりに切々と訴える。
「おぞましいですわ! ぐちゃぐにゃしたスライムの体内に入るなんて、繊細な私には耐えられませんわ!」
「我慢しなさい。ぐちゃぐちゃ&ぐにゃぐにゃしている存在に入り、それと同化するための訓練です。それから、スライムではなくアメーバですから」
「スライムでもアメーバでも同じことですわ! ああ汚らわしい。私の清純が汚されてしまいます! 花嫁の純潔を信じて下さる未来の夫に申し訳が立ちません!」
 私が非処女であることをロボット教師はやんわりと指摘した。なぜバレたのか? それはともかく実習の日が来た。魂だけの身軽な姿に変身した私は泣く泣く異世界に転移する。そこは知性あるアメーバの生息地だった。魂だけの存在になって宙を舞う私の下は見渡す限り海だ。そこに私が同化体験するアメーバがいるはずなのだが、この大海原からたった一個の単細胞生物を探し出すのは無理だろう。砂浜に落ちた差し歯を見つけ出す方が簡単だ……と思っていたら!
「魔法学校の生徒さんって、あなた?」
 誰かが私にテレパシーで話しかけてきた。そうですと答えたら相手は自己紹介した。
「僕が君を担当するアメーバだ。よろしく」
「よろしく。あの、どちらにいらっしゃるの?」
「君の下」
「海しか見えませんけど」
「海に見えるけど、それが僕」
 眼下に広がっているのは海ではなく巨大なアメーバだったのだ。私は驚いたけど、もっと驚かされる事態が待ち受けていた。
「今から君を体内に入れるけど、驚かないでね」
 足元の水が一気にせりあがり私の全身を包む。私は焦った。水の中で溺れ窒息すると思ったためだ。
「げぼぼぼぼ」
「落ち着いて。君は魂だけの存在になっているから溺れないよ」
 そうだった。私ってあわてんぼう! とか言っている間にも、視界いっぱいに海水じゃなかった、アメーバ体内の空間が広がっていく。そこは静かな場所だった。透明度は怖くなるくらい高い。光線の具合で液体は時にエメラルド色に光るけれど基本の色は青と緑の清純な世界は暖かで過ごしやすく、心地好かった。私以外は誰も、何もいない。いいえ、ごくたまに、遠くに何かが動いているのが見えた。それが何なのかアメーバに聞いてみると、アメーバの体を維持する小器官だという返事が返ってきた。
「人間でいう内臓の一種だよ。悪い物じゃないから心配しないでね」
 アメーバも生き物だから色々な臓器があるのだろう。そういった臓器が働いてくれるからこそ、こうして奇麗な体が保てるのだ。肉体のない状態の私はアメーバの中を自由自在に動き回り、楽しんだ。重たい体が無いと、どれほど楽か! と思った。その快適さに慣れた頃アメーバから「そろそろ時間だから戻りましょう」と言われ、嘆き悲しんだ。
「ええっ、もう時間! もっと泳ぎたい!」
「延長だと追加料金が掛かるよ」
「じゃいいです」
 楽しい時間が終わり、私は魔法学校へ戻った。素敵な夢から覚めた感じがして、何もかもが色あせて見える。溜息が出る。
 とりあえず私の抱えていた形の一定しないものに対する嫌悪感は薄らいだ。しかし、まだ完全消失には至っていない。それでは駄目だとロボット教師は判断したらしい。
「まだ修行が足りませんね」
「それじゃ、またあのアメーバの中へ行けるの?」
 その逆だった。あのアメーバを私の体内へ転移させ、一緒に過ごさせることが決まった。しばらくアメーバに寄生してもらって、それに慣れることで不定形なものへの苦手意識を無くすのだそうだ。
「魔法使いの国家試験ではオールマイティーな能力が必要とされるからね、弱点の不定形を乗り越えて!」
 不定形へのこだわりがあるのは、そっちだろう! まあいいや。あのアメーバは清潔だから寄生されても病気の心配はなく適度なダイエット効果が期待されるのだそうだ。そうだったらアメーバが体内に寄生するとどうなるか、多少の興味がある。本当に食べても太らない体になるのなら、長居をしてもらうつもりだ。もちろん家賃はいただく。

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 自分の中に不定形のアメーバ・デーモンが転移してきたことを、十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は感覚として分かった。ここまでは順調だった。次は、体内に入ったアメーバ・デーモンを体外へ出し、それに先日お墓で取っ捕まえたイケメンの霊魂を封じ込め、自分の言いなりになるハイスペック男子へ再合成する作業だ。
 非常に難しい工程だった。ここで失敗すると十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は、不定形のアメーバ・デーモンの全身を乗っ取られかねない。それは彼女の死を意味する。
 後戻りするなら今しかなかった。撤退。そんな気持ちは十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子の内部に欠片も存在しない。前に出る。イケメンを確保するために。
 十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は連続して呪文を唱えた。外国語で唱えられた呪文の邦訳は、以下のようになる。

★ オタクに優しい不良ギャル×真夜中の嘘=変身のお話 ★

 美人でスタイル抜群だけどマジ怖いギャルが放課後に話しかけてきた。
「真夜中に廃工場へ来て。海沿いの倉庫前で待っているから」
 クラスのすみっこで生き抜いている僕はギャルと話したことがない。怖くてチビったけど、ちょっと興奮した。これは愛の告白に違いないと確信したからだ。オタクに優しいギャルは実在したのだ!
 夜に家を抜け出し廃工場へ行った。待ち合わせ場所の倉庫前に立つ。小さな波止場があって、波の音が聞こえた。ギャルの姿は見えない。僕は彼女の名前を呼ぼうとした。そのときだった。倉庫のシャッターがガラガラ鳴って上がる。中から眩しいライトが幾つも僕を照らした。エンジンの爆音が鳴り響く。何台ものバイクが倉庫から出てきた。僕の回りをバイクの集団がグルグル周回する。僕は叫んだ。
「ななな、なんなんだ!」
 バイクの群れが停まった。倉庫の中からギャルが出てきた。
「うわ、キモいオタク、まんまと騙されて来ちゃったよ。あ~賭けに負けた!」
 バイクに乗っている不良の団体が笑った。
「来るって言ったろ! オタクはギャルの誘いを断れないんだよ!」
 僕は再び叫んだ。
「ななな、なんなんだ!」
 ギャルは不良どもに言った。
「わーったよ! ラーメンライスを全員に奢る!」
 それから僕に言った。
「おい、有り金全部出せ」
「え?」
「賭けに負けたから、こいつら全員に飯を奢らなきゃならないんだよ! 金を全部出せ!」
「え!」
 お金を持って来ていなかったので、僕は正直にそう言った。ギャルが激怒する。
「金を持って来ない奴があるか! カツアゲできねーだろ!」
 不良たちは笑った。
「どうするコイツ? 金がないんなら、痛めつけて遊ぼうぜ!」
 不良たちはバイクから降りて僕を囲んだ。素手だけでは物足りないようで、釘バットとか木刀とかナイフとかチェーンとかの物騒な獲物を手にしている。
「叩きのめしてやるぜ! 覚悟しな!」
 不良たちが僕に襲い掛かった次の瞬間、僕の中で何かが目覚めた。体が勝手に動き、不良たちを瞬時に叩きのめした。不良たち全員がアスファルトの上で伸びているのを見て、ギャルは腰を抜かした。僕が彼女に近づくと、いきなり土下座した。
「ごめんなさい、許して! ちょっとからかうだけで、悪気は全然なかったの! お願い、何でもするから!」
 その日からギャルはオタクの僕に従順な女に生まれ変わった。

★ 秘密を抱えたミステリアスなヒーローに溺愛されるヒロインのお話 ★

 とある大手芸能事務所と深い付き合いのある友人がいた。ある日そいつが忙しいってことで、代わりにタレントの送迎を頼まれた。こっちも何度かやっている仕事だった。また一つ頼むと言われたのだ。報酬は悪くなかった。こっちは、それなりの信用があったからだ。余計なことを言わなければ、それだけの金が貰えるってことだ。
 ある場所でタレントを拾い、別の場所へ運ぶ。そういう話だった。某テレビ局の近くから大物芸能人が多く住む地域へ車で送り届け、帰ろうとしたらスマホが鳴った。事が済むまで待て、との指示だった。分かったと返事をする。不満があっても受け入れるのだ。とやかく言わない。どんな仕事でも大切なことなのだろうが、今夜はとりわけそうだった。曇り空に見え隠れする満月を眺めて時間を潰す。
 しばらく経って呼ばれた。敷地内へ入れとのことだ。中へ入るのは初めてだった。オートロックの門扉が開いて、やっと車が入れる。警備員はいない。車を徐行させエントランスの前に横付けする。タレントが出てくるのを待ったが出てこない。スマホに連絡が入る。泥酔して動けないから運んで欲しいとのことだった。やれやれだ。
 玄関の鍵を開けてもらい、住居内に入る。変な匂いがした。足元に大いびきのタレントがいた。立てるかと聞いたが返事がない。肩に担いで無理やり立ち上がらせる。家の主がいたので、どうすればいいかと指示を仰いだ。相手は目をぎらつかせ、こっちを見つめている。苦笑した。こっちには、そういう趣味がない。芸能界にデビューするつもりもない。ついでに言うと、こっちは相手の好みとされるタイプとは程遠い面相をしている。真顔で再び次の指示を伺う。
 タレントのマンションへ運ぶのは駄目だと言われた。マスコミが張り付いているからだ。別の場所へ連れて行くように命じられる。渡された紙に書かれた住所へ行くには少し遠回りしないといけない。そう付け加えられた。幾つかのポイントを通るのだそうだ。詳細を聞くのは止めた。何をどうするのか、それだけ聞けばたくさんだ。
「それじゃ」
「待って」
「何です?」
「これを持って行くと良い」
 お守りを手渡された。返すのも何なので礼を言って受け取る。
「気をつけて」
 写真を撮られるな。その意味だと思ったら、違った。幾つかのポイントとかいうのを越えたら、一気に来た。変な物体、きっと霊魂とか幽霊とかいう連中が、車の外をうようよ歩くのが見えてきたのだ。こっちには、霊感が少しだけある。だから、そういうのが街を普通に歩いていることを知っているのだが、今夜は多すぎた。そういう奴らしかいない街の中に車は入り込んでいたのだ。
 カーナビが目的地到着を告げる。幸いにも周囲に幽霊はいなかった。後部座席のタレントを車から降ろそうと後部ドアを開ける。横倒しになって眠っていたタレントが体を起こした。全然違う人相に代わっていた。いや、人というより野獣の顔だ。こっちに向かって牙を剥く。慌ててドアを閉める。送り届ける予定の建物の入り口横の呼び鈴を鳴らす。インターホンから返事があった。女の声だった。頼まれて人を運んできたのだが、ちょっと困っている、力を貸して欲しいと頼む。玄関から三人の女が出てきた。若い女、中年女、老婆の三人だった。同じような顔をしている。三世代なのか、赤の他人なのか、こっちは分からない。後部座席のアレをどうにかしてもらえたら、それでいい。
 女たちはタレントを大人しくさせることに成功した。車から降りたタレントは四つん這いになって建物へ入って行った。中をちょっとだけ覗いたら、鏡が見えた。風呂の鏡のように湿気で濡れている。こっちの姿は映っていたが、三人の女の姿は見えない。余計な詮索はせず立ち去ることにした。女たちに頭を下げる。向こうも会釈した。建物に入らず、こっちを見送る様子なので、さっさと車を出す。見ないつもりだったがバックミラーを見てしまう。女たちの姿は、やはり見えなかった。
 出るときは普通に出ていいのか、聞くのを忘れた。ポイントを逆戻りしなくていいのかと思ったが、一方通行を逆戻りするのは避けたい。幽霊もイヤだが、それ以上に警官とかかわり合いたくない身の上なのだ。お守りを頼りに、幽霊が闊歩する街を進む。
 大通りに出た。幽霊も見えないが人もいない。人の声を聴きたくなってラジオを付ける。深夜の人生相談だった。こんな時間に珍しい。故郷を離れた者の話だった。急に煙草を吸いたくなった。生憎と切らしている。煙草は諦めるとして、その代わりに喉の渇きを潤そう。自動販売機を見つけたので車を止める。自販機の横に階段があった。何の気なしに階段の下を見る。階段の天井に照明があった。照明の黄色い光に引き寄せられて階段を降りる。階段の下に街があった。人も車もいない車道と夜空に浮かぶ三日月が見える。夜空に浮かぶ満月をさっき見ていた気がするけれど、それについては深く考えないことにした。階段を駆け上がって車へ戻る。ここで飲み物を買うのは止めた。早く帰って寝よう。
 その後もタレントの送迎をする機会があった。あの晩ひどく泥酔していたタレントの送迎も二度か三度やった。最初の時は緊張したけど、次からはそうでもなかった。相手はこっちを覚えていない様子だった。でも、ある時ふとバックミラーを見たら、こっちを変な顔で見ていたから、もしかしたら何か思い出したのかもしれない。それでも、こっちは何も言わない、尋ねない。それなりの報酬を得て生きていくためには、それが大切なのだ。
 自宅へ戻ると恋人がいた。俺を待っていたのだ。彼女は俺をねぎらってくれた。
「遅くまで大変ね」
 彼女は、俺の仕事が何なのか、実は知らない。秘密を抱えたミステリアスなヒーローだと思っている節が、しばしば見受けられる。そう言われれば、そういうものなのかもしれない。自分でも分からない。自分は何者か? その問いに答えられる人間は多くないから、答えを探すのは後回しにして、彼女を溺愛するのを優先させよう。

★ シンガーソングライターとスカイツリーのお話 ★

 エイエヌ氏は、とある国を支配する王族の一員だ。王族だから身分的には一般人と比べ物にならない。さらに、成人男子であるエイエヌ氏には、王になる資格がある。だが、王位継承権は低い。王位継承のためには後ろ盾となる母親の実家の力が重要なのだが、エイエヌ氏の母は有力な氏族の出身ではないのである。それでも王になるチャンスはゼロではない……が、そのためには彼より王位継承権の序列が高い皇太子の全滅が必要である。少なくとも百人の皇太子が死なねばならない。一夫多妻制の国なので、王族の数がやたらと多く、王位継承者が百人以上いるせいだ。
 そんな王家なので、王族全員に豊かな生活が約束されているわけではない。支給される生活費だけでは贅沢が出来ないのである。エイエヌ氏は音楽の才能があり、シンガーソングライターとして活躍していた。絶世の美男子だったので女性ファンが多かった。高貴な身分の姫君たちからも愛された。そのせいでスキャンダルが起きた。国王のハーレムに入る予定の美姫との恋愛が噂になったのだ。
 国王に睨まれたエイエヌ氏は地方へ逃れた。そこでも醜聞を引き起こす。神に仕える聖女と一夜を共にしたのである。
「指一本触ってない」と主張するも、信じてもらえない。禁忌を犯したエイエヌ氏の立場は極めて危険なものとなった。
 エイエヌ氏の窮地を救ったのは、その芸術の才能だった。「勉強は全然していないが詩才はある」と有識者に認められた才能を惜しむ声が上がり、収監を免れたのである。
 ただし都は勿論、王国内に留まるのは許されなかった。国王の命令で東洋の島国に大使として向かうことになった。東下りと人々は言ったが、実質的には島流しだった。
 東洋の島国に到着したエイエヌ氏は故国を懐かしく思いつつ、その国でもエンターテイナーの才能を存分に発揮し、人気者となった。彼の歌った楽曲「スカイツリー」は大ヒットとなり、その歌の中に登場した業平橋の近くにある駅は駅名が「業平橋駅」から「スカイツリー駅」に変わったほどである。

★ 卒業旅行で海外へ出かけた時に訪れた、とある美術館のお話 ★

 卒業旅行で海外へ出かけた。とある美術館を見学する。凄い人だかりだった。有名な絵画を鑑賞しようとしても、見えるのは人の頭ばかりである。
 それで、すっかり気分が萎えた。元々、芸術に興味がある方ではない。観光名所だから来たまでのこと、とりあえず土産話になったので、それで十分だった。混雑する場所を避け、ゆっくり座って休めるベンチはないかな~と探し回っていたら、良さげな空間を見つけた。絵や彫刻が展示されているのだが、人気が本当に少ない。不人気な作品を集めた部屋なのだろう。
 冷やかし半分で入ったら、驚いた。物凄い芸術品が並んでいたからだ。
 芸術に詳しくない人間が何を言ったところで意味はないとは思う。それでも衝撃を受けたし、何より感動した。これが芸術の力か! と痛感した。本当にショックだった。まるで生まれて初めてアイスクリームを食べた幼児みたいだと自分でも思う。
 作品の横にはパネルが置いてあって、説明が書かれていたのだが、残念ながら読めなかった。これも子供みたいだった。
 美術館への入場時に作品の説明を各国語で話してくれる音声ガイドを借りられたのだが、面倒で借りなかったことが悔やまれた。いったん入り口へ戻って音声ガイドを借りてこよう、と思ったが生まれつきの方向音痴が災いし、迷子になってしまった。夢中になって作品を見ていたら、自分がどこにいるのか分からなくなったのだ。案内人も案内板が見あたらず、途方に暮れてしまう。人がいっぱいいたら、その後について歩けばいい。だが、このエリアには人がほとんどいなかった。作品鑑賞にはもってこいだが、こうなると逆に不便だ。
 どうしようかなあ……と考え込んでいたら、人を見かけた。キャンバスを立て飾られた絵を模写している。そういう人を美術館の中で何人か見かけた。勉強している画学生なのだろう。集中しているので、ちょっと話しかけにくかったけれど、声を掛ける。
 相手は絵筆を止めた。いやはや、申し訳ない。御迷惑をお掛けしますと言い、たどたどしい外国語で入り口に戻りたいことを伝えると、丁寧に教えてくれた。意外といい奴じゃん! 芸術家って変な奴ばっかりかと思ったら、そうでもないんだ、と偉そうに思う。相手の言葉は、こちらの心へスムーズに沁み込んできた。母国語で会話しているみたいで、驚いた。精一杯のお礼を言って教えられた道を通る。外国へ来るとヒアリング能力が向上するんだなあ……と感動していたら、いつしか周囲に賑わいが戻っていた。入り口に戻って、音声ガイドを借りたいことを伝え……られない。相手の言葉も分からない。別の人に代わってもらって、それでも駄目で、三人目になってやっと会話が成立した。さっき感じた語学力の向上とは一体、何だったのか! しかも閉館間際で音声ガイドを借りられなかった。がっかりである。
 帰り際、先ほど見学したエリアについて聞いてみた。素晴らしい作品ばかりなのに、人が少ないエリアだと説明したが、相手は笑われた。今は観光シーズンなので、館内はどこも大混雑だと言うのだ。そんなことはない、凄く空いていて、快適に芸術鑑賞ができた、また戻って続きを見たい! と言ったら相手は真顔になった。それから羨ましそうな口調で言った。
 美術館の中に、案内板には載っていない不思議なエリアがある、という噂が昔からある。そこは奇妙な空間で、既に失われた芸術品が展示されているというのだ。芸術に興味のある物にとっては夢の世界であり、いつか自分も行って見たいと思っているけれど、ここに勤め始めて三十年以上になっても、そこへは辿り着けずにいる。あなたは選ばれたのだ、それがとても羨ましい、とのことだった。
 何かの間違いだとしか思えなかったので、話半分で聞いていたけど、その都市伝説は有名らしく、帰国後この話をしたら皆に羨ましがられた。
 だけど正直、メリットは感じない。芸術で飯を食べる人生設計はないので、自分が選ばれたとしても無意味だと思う。あの美術館へ再び行く機会があれば別だが社会に出たら、そんな時間は確保できない。どうしろというのか? とも感じている。
 それでも不思議な美術館内の美術館への入館を許された身として、何か芸術活動を始めねばならないかな……と考えないでもない。芸術オンチを卒業するのだ。とりあえず生成系AIをダウンロードしてみた。良いのが出来たら公開したいのだけれど何をやっても、見ていると眩暈がして頭が変になりそうな絵しか創造できずにいる。これも一種の芸術かもしれないが……人には見せられない。

★ 同性愛者のカップルのお話 ★

 市役所に通じる道路は市警の警察官と州兵が完全封鎖していた。市職員は身分証を見せれば通してもらえるが、一般市民は身分を証明できるものを見せても通過が許されない。無理に通ろうとする者は阻まれた。制止を振り切って中へ入ろうとすると逮捕される。抵抗する者は激しく殴打された。幸いなことに死者は出ていないが、完全武装の警官隊と州兵部隊には発砲許可が出ており、死人が出てもおかしくない状況だった。
 異常な事態である。市民からは不満の声が上がっていた。市役所と市警本部そして州兵を統括する州政府に苦情の電話が殺到していたが、市と州当局は無視を決め込んでいる。過激派対策が最優先なのだ。
 これほどまでに要警戒なテロリストとは何者か?
 ジュンとジュネという同性愛者のカップルだ。二人は憲法が認める同性婚の権利を行使しようと市役所へ婚姻届けを提出しに行って受け取りを拒否された。州政府の法律には同性婚の記載がないため、書類は認められないというのが理由である。市への抗議がなしのつぶてだったので州政府に抗議文を送り付けたが、これも無回答だった。地方レベルでは話にならないと考えた二人は中央政府の出先機関へ相談した。中央政府の回答は明確だった。同性婚を認めない市と州の対応は憲法違反である。ただちに書類を受理せよ、という命令が市と州政府に送られた。地方政府に結婚を認められなかった同性愛者のカップルが中央政府を味方につけたわけだが、これが市と州当局にとっては体制を揺るがす極悪人に映ったのである。
 この地方が元来、保守的な土地柄だったこと。そして革新政党が与党の中央政府と保守派の牛耳る地方政府の対立があったために、ジュンとジュネの同性婚が大問題に発展してしまったのだった。二人を応援するグループが現地入りし調整を図ったものの解決には至らず逆に、その中の強硬派がデモ行進を実施したことが相手を刺激してしまい、遂に警官隊と州兵部隊の動員による市役所封鎖という事態に至った。
 中央政府は地方の過剰反応を事実上の反乱とみなすか討議を重ねた。反乱とは認定されなかったが、政権内では強硬案が選択される。首都の治安維持を任務とする陸軍空てい部隊と歩兵部隊の現地派兵が決まったのだ。
 中央政府の派遣命令を受け州政府は州空軍に最高レベルの警戒を命じた。州空軍の戦闘機部隊は空てい部隊の輸送機を撃墜し、爆撃機部隊は歩兵部隊を載せたトラックを木っ端微塵に吹き飛ばす準備を始めた。
 情勢の悪化を目の当たりにして、無関係の市民の間に動きが見られた。内戦の勃発を恐れ市街地から逃げ出そうとする者が現れたのである。
 別の動きもあった。一部の市民が同性愛者への迫害を始めたのだ。市警が見て見ぬふりを決め込んだので暴力がエスカレートした。被害者側や報道各社が事実を広く世界に公表したため、世界各国から非難の声が上がった。中央政府は一刻の猶予もないと判断し派遣予定の部隊の出発を急がせると共に、現地駐留の陸軍部隊にも出撃を命じた。
 だが、これは危険な一面があった。現地の陸軍部隊は、その土地の出身者から成る。彼らが中央政府の命令を拒否する恐れがあるのだ。最悪の場合、市と州当局に合流するかもしれない。それは反乱の序章と考えて差し支えなかった。
 中央政府の与党は特使二名を派遣した。一人は地方政府側へ、もう一人はジュンとジュネの元へ。地方政府への特使は市役所の封鎖解除を要求すると同時に、それを拒否した場合の中央政府の対応を伝えた。国境線から移動させた陸軍戦車部隊と最新鋭戦闘爆撃機部隊が数時間以内に進撃を開始するという通告に州軍首脳は震撼した。州空軍の航空機は旧式機が多く、それでは最新鋭機に太刀打ちできない。それに州兵の装備では厚い戦車の装甲を貫けなかった。総攻撃されたら彼らに勝ち目はなかったのである。
 ジュンとジュネに派遣された特使は、市役所への婚姻届け提出を諦めるよう促した。その代わり中央政府が特別措置として二人の結婚を認めると伝えた。
 特使との会談終了後、市と州当局の首長は市役所の封鎖解除を宣言した。ジュンとジュネはマスコミに対し、事態の早期収拾のため特使の提案を受け入れると発表した。そして二人は特使に保証人となってもらい中央政府へ婚姻届けを届け出た。この騒動はそれでようやく収まったのである。
 ところで、この事件がどうして「ジュンとジュネのジューンブライド事件」と呼ばれるかというと、ちょっとした事情がある。二人の婚姻届けが首都の関係省庁に届けられたのは五月末だったが、担当の役人が書類を決裁したのは六月に入ってからだったので、二人が結婚したのは六月ということになったのだ。
 ジュンとジュネが末永く幸せに暮らしたのも、他の同性愛者が普通に結婚できるようになったのも、ジューンブライドのおかげだという都市伝説があるけれど、お題が「都市伝説」だったのは四月のことだ。五月末の今は「ジューンブライド」だけですべての説明が付く。
 腐女子ジューン・ブライド(仮名)は小説投稿サイトで出された四月のお題「都市伝説」と五月末に出された六月分のお題「ジューンブライド」を合わせた掌編を苦労して書き上げ、投稿した。それが上記の話である。

★ 特攻隊員と純情な娘の、身体から始まる本気の恋のお話 ★

 夜陰に乗じ敵艦を攻撃しようと真っ暗な海を航行していた特攻艇を、雲の切れ間に現れた真っ赤な月が照らし出した。上空で日本軍の接近を警戒していた米軍機が特攻艇に気付く。急降下して機銃を撃ってきた。特攻艇の乗員が対空砲で反撃する。その一発が命中したようだ。敵機から煙が上がるのを見て歓声が沸く。だが、歓喜の時はすぐに終わった。別の戦闘機が爆弾を落としたのだ。爆弾の直撃は免れたものの、大爆発で起きた大波を真横に喰らって特攻艇は引っ繰り返った。特攻艇の乗員たちが海に投げ出される。その頭上に銃弾が雨あられと浴びせられた。惨劇から目を背けたいのか、赤い月は雲の影に隠れた。血に染まった海が闇に包まれる。
 やがて朝が来た。唯一生き残った乗員の青年は特攻艇の建材の木片にしがみついて海を漂っていた。幸い、体に傷はない。だが、それが何だというのか? ここは海の真っ只中である。近くに陸地は見えない。このままであれば、いずれは力尽きて死ぬ。若いので体力はあるが、広大な海と比べたら、砂粒のようなものだ。
 元より死は覚悟している。特攻艇の乗組員で、死ぬ覚悟のない者はいない。敵艦に体当たりして死ぬのが乗員たちの任務だった。体当たりできずに死ぬことが無念なだけである。
 青年は自分だけ生き残っているのが恥ずかしく思えてきた。仲間は皆、海の藻屑となった。それなのに自分だけ、こうして海の上を漂っている。生き恥をさらしている、と彼は思った。木片から手を離し、仲間の後を追うのだ! と彼は心に決めた。
 そのとき、ふと、夏祭りの光景が頭に浮かんだ。出撃前、彼は仲間たちと一緒に、基地の近くの村の夏祭りに出かけた。戦時であり、賑やかな雰囲気はなかったが、それでも若者たちの心は浮かれた。これが最後の夏祭りだと、誰もが思っていた。
 その祭りで青年は、可愛い娘と知り合いになった。もう一度、会いたい。そう思っていたら出撃の日が来た。逢えずに海へ出た。そして今、海に浮かんでいる。
 あの子にまた会いたい、と青年は思った。朝日から方角を導き出す。あちらが東なら、出撃した基地の方向は……おおよその見当がついたところで、青年はバタ足を始めた。木片を頼りに、基地まで泳ぐつもりなのだ。かなりの距離がある。その途中で力尽きる可能性大だ。
 それでも青年は泳ぎを止めない。あの娘と再び会うために。
 そして青年は、その娘が暮らす島へ泳ぎ着いた。浜辺へ上がり、しばらく歩いたところで、力尽きて倒れた。そんな青年を見つけ助けたのが、前述の娘である。命を救われた青年が彼女へ愛を伝えたのは言うまでもない。娘は彼の想いを受け入れた。そして二人は愛し合った。それは身体から始まった関係だったのかもしれないけれど、やがて本気の恋へと発展していったのだった。

★ 吸血鬼とヴァンパイア・ハンターのヒロインの、危ないお話 ★

 ヴァンパイア狩りで学費を稼いでいる。そう言うと大抵の人は驚く。何しろ危険な仕事だ。マッチョなタフガイをイメージするのだろう。確かに、そんな体格の男性同業者は多い。でも、皆が皆そうじゃない。虫も殺さぬ顔をした老婦人が恐るべき殺し屋の場合もあるし、月齢三か月程度の乳児が超能力で吸血鬼に幻覚を見せ月光浴のつもりで日光浴させて消し炭に変えるなんてのもある。私みたいに小柄な女子中学生なら、普通ではないにせよ騒ぎ立てるほどのものでもない。
 それでもやっぱりビックリされるし、色々と聞かれる。たとえば、こういうのだ。
「ヒーローと契約で特別な関係になったり、たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことも……あるの!?」
 こんな質問をするのはだいたい、同い年くらいの女の子だ。ヴァンパイアというものに、何かしらの憧れがあるのだろう。
 質問の答えは彼女たちを失望させる。ない、そんなことは全くないのだ。
 まあ、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない。けれど、私に関してはない。私にとってのヴァンパイアはヒーローじゃない、狩りの獲物だ。たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことの代わりに、一匹のヴァンパイアを仕留めるためにたくさんの吸血鬼ハンターが協力するのではなく互いの足を引っ張り合い、時に人間のハンター同士で殺し合うことがある。人間は吸血鬼以下の存在だと痛感させられる瞬間だ。世紀末はしばらく来ないというのに、もう世も末だとウンザリする。
 それはいい。私の狩りのやり方を教える。ヴァンパイアは血を求めて闇の中をさまよっているので、血の匂いでおびき寄せる。鉄とタンパク質の複合体から精製する人工血液気化ガスの入ったボンベの栓を開けて待つのだ。のこのこ現れたら捕まえる。警官みたいに手錠をかけるわけじゃない。私に見つめられた吸血鬼は、私の言いなりになる。大人しくしろと命じたら動かなくなるし、死ねと言われたら自らの心臓に杭を打ち込む。どういった理屈でそうなるのかは知らない。父が異世界から来た異形の神だったとか、母が滅亡した大宇宙の魔女の生き残りだとか、いろんな仮説を聞かされたけど二親ともこの世にいないので聞くことはできない。
 とっ捕まえた吸血鬼をどうするかというと、売る。美少年が大好物の芸能事務所社長やハンサム大好きなヌン活マダムがお得意様だ。中産階級の家庭にも売れる。ちょっと良いところで、箱入り娘がいるような家だ。親が買って、お嬢様にあてがうのである。意外に思えるかもしれないが、売上高はこちらの方が多い。車を買い与えるような感覚だろうか。
 どうして吸血鬼を娘に与えるのかというと、変な虫が付かないようにするためだ。凄いイケメンで人間離れした戦闘能力を持つ吸血鬼にかなう男なんか、まずいない。要するにデカい蚊がボディーガードになって、他の男が寄り付かないようにしてくれるのである。蚊に刺されたらどうするのって心配はご無用だ。吸血鬼に生殖能力はない。絶対に避妊してくれるボーイフレンドなら親は安心だ。娘と家族に危害を与えぬよう私が命じたら絶対服従するので、飼い主には噛みつかないことは保証済みだ。
 そんな従順な美男子が選り取り見取りなんて、羨ましい! とやっかむ子がいるけど、私は全然うれしくない。私にとって吸血鬼は売り物にすぎないのだ。好きも嫌いもない。とっ捕まえて売るだけだ。
 そんな現実主義者の私も年頃の女の子だ。いつか素敵な彼と巡り会いたい。繰り返すけど、それは吸血鬼じゃないよ。売り物に手を付けるのはプロじゃないから。

★ 不良男子とダンス部女子部員の、汗だくの絡み合いのお話 ★

 ダンス部の朝練を終えたあたしは汗だくになって教室へ入った。窓を閉め切った室内は蒸し暑い。あたしはエアコンのスイッチを入れようと壁のリモコンに近付いた。リモコンを壁のホルターから外す。その表示を見て、あたしの頭は沸騰した。暖房になっている。しかも設定は三十度だ。
「なにこれ、どこのバカが入力したのよ! 真夏に暖房なんて頭おかしくなりそう!」
 朝の七時なのに三十度を超える炎天下の中で練習してきたせいで熱中症になりそうだったあたしは、熱と怒りで震える手でリモコンの設定を変え始めた。そのときだった。
「悪いけど、しばらく、その設定で頼む」
 振り返ると学校一のワルと噂のワイ君が立っていた。その顔は、あたし以上に汗だくだった。それもそのはず、全身をサウナスーツに包んでいる。気は確かか! とあたしは思った。
「なんなの、その格好」
 見ているだけで暑苦しい姿のワイ君がひび割れた声で答えた。
「減量がうまくいかなくて」
 ワイ君はキックボクシングのプロ選手だ。家計を支えるため勝負の世界に身を投じ大金を稼いでいるとの噂だった。キックの鬼の再来と呼ばれる有望株らしい。でも、楽な戦いではないようだ。試合のたびに減量をしている。それが大変らしい。身長が大きくなっているから、同じ階級に留まろうとすると、それだけ過酷な減量をしなければならない……みたいな話を誰かが言っているのを聞いたことがあるけど、そんなのあたしの知ったこっちゃない。
 リモコンのボタンをピッピと押し始めたあたしに、ワイ君が食って掛かる。
「止めてくれ、今度の試合に、俺は人生を賭けているんだ。あと少し、もう少し減量すれば……頼む、お願いだ」
「うるさい!」
 哀願するワイ君を無視して、あたしはリモコンを操作した。すると、相手はあたしからリモコンを取り上げ、壁掛けホルターに戻した。
「他の人が来るまで、この温度で頼む」
「あたしは暑いの!」
 あたしは壁のリモコンに取り付いた。操作するあたしをワイ君が邪魔する。
「この野郎、退け!」
 腹の底から怒鳴って手を振り回したら、拳がワイ君の側頭部にぶつかった。ゴン! と凄い音がしてビビった。
「痛い!」
 手の甲を抑えるあたしの目の前で、ワイ君がヘナヘナと崩れ落ちた。素人のあたしにノックアウトされたのだ。これが学校一のワル? 若手の有望株? と嘆かわしく思ったけど、それはこの際どうでもいい。
 冷房を最強で稼働させたわたしは、必要以上に甲高い声で「ワイ君、大丈夫? しっかりして!」と言いながら、わざとらしく介抱を始めた。

★ 文化系占い男子と肉体派女子がキスするお話 ★

 文化祭当日、私は朝から絶好調だった。今日は何もかもが上手くいきそうだと思った。予感は当たり、午前中のダンス部のパフォーマンスはバッチリだった。これなら午後の腕相撲大会女子部門での優勝は間違いなしだと確信した。練習試合では無敗だったし、何事もなければ、賞品の無料お食事券五千円分ゲットは確実だろう。
 その油断があったせいかな。私は階段を三段飛ばしで駆け下りる途中、足を滑らせた。頭から落下する。手を突かないと大怪我だ! と必死に床へ手を伸ばしたとき、誰かに体を支えられた。
「お前、大丈夫かよ!」
 階段から転げ落ちそうになった私を抱きとめてくれたのは、同級生のワイ君だった。私の顔を覗き込んで心配そうに尋ねてきたので私は平気だと強がった。それから相手の手を振り払って言った。
「変なとこ触らないで」
 ワイ君はブチ切れた。
「助けてやったのに、そんな言い方ないだろ」
「偉そうに言わらないで」
 辺りを見回してからワイ君は言った。
「ここだけの話だけど、今のでお前の運気は低下した。うちの学校にいる神様が、お前の態度の悪さに腹を立てたからだ」
 何言ってんだ、こいつ! と思ったけど、同時に私はゾッとした。うちの高校は昔のお城の跡地にあるんだけど、お城が建てられる前は神様を祭る神聖な場所だったそうで、地元の人は今も学校の敷地の隣にある小さな祠を参拝に訪れる。
 中には学校の内外で神様らしき何かを見たという人もいる。どうやらワイ君もその一人らしい。
 でも、そんな話を私は信じられない。ワイ君は占い部で一番の腕利きという評判は聞いているけど、それにしたって運気の低下はないって!
 相手にすると変なのがうつりそうだったので、私はワイ君に触られた胸やお尻の部分の制服をわざとらしく手で払ってから、その場を立ち去った。
 ワイ君との一件があってから数時間後、私は絶望の淵に立っていた。謎のコンディション不良に見舞われていたのだ。
 今のこの状態で、腕相撲大会を勝ち上がれることはできるだろうか?
 保健室で休めば治るかもしれないが、ゆっくりしている時間は残されていない。
 それでも、ベッドで横になれば少しは楽になるかも……と考え、保健室へ行ってベッドでひと眠りしたら、夢の中に白い人影が現れ「自分は神様だ」と名乗ってきたから驚いた。
 神様は言った。この学校の文化祭は神事である、と。いうなれば神に捧げる祭りなのに、お前の不貞腐れた態度で神聖な場の空気が悪くなった、責任取れ! とのことだ。
 知ったこっちゃねえ! と怒鳴り返してやりたくなったが、夢の中だとどうもうまくいかない。
 そんな私に神は告げた。
「ワイ君に御礼の接吻をしろ。そうすれば万事うまくいくようにしてやる」
 何を言ってんだ、この変態! と怒鳴る自分の声で目覚めた。保険の先生が驚いてベッドにやって来た。
「先生、何でもありません。良くなったので失礼します」
 私は保健室を出ると占い部が催しをやっている教室へ直行した。部屋の前には行列ができていた。占ってもらおうという連中が多いことに驚きつつ、人の列をかき分け室内に入る。黒いカーテンで雰囲気を出す教室の真ん中に、ワイ君がいた。
「何だ、また喧嘩を売りに来たのか」
 占いグッズが載った机の後ろに座っているワイ君は、私の顔を見て不機嫌な口調で言った。その場の空気が悪くなったと、霊感も何もない私でも感じられた。間違いない、神は今、ここにいる。
 私はワイ君に近づいた。その顎をクイッと持ち上げ、唇に口づけする。
 用を済ませた私はワイ君から手を離した。左右に目をやって「キスはした。今度はそっちの番だから」と言う。硬直しているワイ君を置いて部屋を出る。腕相撲大会が開催される講堂へ向かう。試合開始前、神に祈りを捧げる! なんてことはしない。神頼みは嫌いなのだ。ただ神に、お前の義務を果たせ! とだけは言った。
 優勝賞品の無料券を手にホクホク顔で下校する私を、校門の横で待っていたワイ君が呼び止めた。
「なに? 私になんの用なの?」
 警戒する私に、顔を強張らせてワイ君は言った。
「どうしてあんなことをした」
「ああ、あれのこと? それはね、神様がやれって言ったから」
 ワイ君は唖然とした。
「そんな理由で? あれは僕のファーストキスだったんだぞ!」
 男のくせにファーストキスがどうとか馬鹿か! と私はせせら笑ってから言った。
「私もそうだから、おあいこ。どう? 一緒に何か食べてかない? 私が奢るから」
 断るかと思ったら、畜生め、ワイ君は話に乗ってきやがった。それが私たちのファーストデートとなった。

★ 総長あるいは若頭に溺愛されるカフェの女性店員のお話 ★

 昔、ベリーズに住んでいた。中米の小国だ。私が暮らしていたときはイギリス領ホンジュラスという名前だった。その国で一番大きいベリーズシティという港町のカフェで私は働いていた。ある日、日本から旅行客が来た。精悍な男だった。どことなく悪な雰囲気を漂わせていた。ジャングルのジャガーを撃つのだと言って大きな猟銃を持参していた。
「仕事を休んで、一緒に行かないか?」
 愛し合った後で男は唐突に、そう言った。
「どこに?」
「ジャングルだよ」
「危ないわよ」
「ジャガーなら怖くない。大物をハンティングに来たんだ。出くわしたら、射殺する」
 ベッドの中で男はニヤッと笑った。物騒なのは猛獣だけじゃない、と私は言った。
 イギリス領ホンジュラスは当時、隣国のグアテマラとの関係が悪化していた。領土問題が発生していたためだ。グアテマラは国境に軍隊を配置し圧力を掛けた。対抗してイギリスも軍隊を増強した。ジャガーが生息している国境沿いのジャングルは両軍が睨み合い、一触即発の危険地帯と化している。
「そんなとこへ行って紛争に巻き込まれたら、どーすんの」
 そう言う私に男は背中の刺青を見せた。
「俺は極道だ。切った張ったの大立ち回りには慣れている」
 だからといって自分が撃たれかねないジャングルの奥地へ行かなくとも良いだろう……しかし、のこのこ一緒に出かけた私に偉そうなことは言えない。若さゆえの過ちというやつだ。しかし過ちを犯したのは、それだけの理由があるからだ。何しろ、あの男はカネがあった。その後に比べると安かったが、それでも当時の日本円は強く、海外では使い出があったのだ。
 現地に行って、男は落胆した。狩猟ガイドたちは口を揃えて「ジャガーたちは大勢の兵隊を恐れて姿を消した」と言ったのだ。
「なんだよ、畜生め! ここまで来てジャガーを撃てないっていうのかよ! こんなの、やってられないってんだ!」
 男は怒り、酒を浴びるように飲んだ。そして宿で私を溺愛した。まるで私が猛獣の雌だと勘違いしているような激しさだった。
 疲れた男がいびきをかいて寝ている夜明け前、私は宿のベランダから外を見た。ジャングルの上は星明りが眩しい。地表は暗黒に包まれている。虫や鳥の鳴き声が聞こえてきた。その音がピタリと止まった。闇の中に二つの光が見えた。よく見てみると、二つの光が一緒に動いていることが分かった。さらに目を凝らす。光は私に近づいていた。それが獣の目だと分かったのと、私の悲鳴。どちらが先だったのか。光が獣の目だと気付いたことの方が、わずかに早いだろう。獣の動きは、もっと早かった。獣が近づいているというのに動けずベランダで立ち尽くす私に飛びかかる。
 狩猟ガイドが後から教えてくれた。襲ってきたジャガーは、親離れして間もない子供だったから、貴女は助かったのだ、と。
 狩りに慣れていない子供の個体だったので、獲物との間合いを測れず、ベランダの柵に当たって無様に引っ繰り返った。私の悲鳴を聞いて宿の他の客が騒ぎ出し明かりを灯したものだから、私を襲撃したジャガーは驚き、その場を逃れた。おかげで私は難を逃れたのだ。
 その間、男は起きなかった。ホテルの中は大騒ぎだったのに、泥酔していて夢の中だったのだ。
 翌朝、目覚めてから男は事実を知った。そして怒り出した。
「どうして俺を起こさなかった! ああん? あれだけ俺がジャガーを撃ちたいって言っていたのによ、てめえ、俺を舐めてんのか!」
 そして男は私を何度も殴り蹴り、それから猟銃の先を私の口の中に押し込んだ。
「お前ら女は皆、男から痛めつけられるのが大好きな屑だ。俺はちゃんと知っているんだ。お前らの好みをよ! お前らが好きなのはヴィラン、ワルい男、極道、不良、総長、そんなのばっかりだ。小説投稿サイトを見て勉強してっから、分かるんだよ!」
 男は猟銃の引き金を握る指に力を込めた。カチリと大きな音が鳴った。私は絶叫したが筒先を押し込まれた口からは「ホガホガ」という空気しか漏れなかった。そんな私を見て男は笑った。
「弾丸は入れてねえよ、バカ! ここで撃ち殺すわけねえだろバカ。おまえ、本当にバカだな! ギャハハ、獣以下のオツムだな」
 それから男は私を溺愛した。男は結局ジャングルでの日々をジャガー退治ではなく私を溺愛することに費やした。
 男とはベリーズシティの街角で別れた。日本の暴力団の総長だか若頭という肩書の男は別れる時、私に米ドルを幾らか支払った。それから今日まで、一度も会っていない。もう名前も忘れた。でも、溺愛された思い出だけは消えていない。忘れられないのだ。あんなにも溺愛された体験は、あれが最初で最後だった。

★ パーティーで告白されたヒロインのお話 ★

 突然の告白をされても私は驚かなかった。彼が私を好きなことは薄々わかっていたから。だってパーティーが始まってからずっと、私を見続けていたもの。
 私が衝撃を受けたのは、彼が仮面を外し自分の正体を話し出したときだ。
「僕の名はロミオ。モンタギュー家の息子ロミオだ」
 美しい面立ちの青年は確かに、そう言った。その言葉を聞いて、私は動揺した――ちょっとちょっと、ちょっと待ってよ! あなたがロミオって、それ本当なの?
 深呼吸して気持ちを鎮めようとしたけど、上手くいかない。私は震える声で言った。
「よく聞いて。私はジュリエット。私の名前はジュリエットなの。ねえ、その意味、わかるよね?」
 私が言っている意味が通じたようだ。ロミオの顔は蒼白になった。
「ジュリエットって……まさか、あの、キャピュレット家の娘の、ジュリエット?」
 私はコクンと頷いた。相手も、それに合わせて小さく頷いた。
「よりによってキャピュレット家の娘を好きになってしまうなんて……信じられないよ。愛の告白をした相手が、キャピュレット家の娘だなんて、思いもよらなかったよ」
 そう呟いたときのロミオは、これ以上ないくらいに絶望的な表情だった。見ているこっちが切なくなるほどに。
 そのとき私は、自分がロミオを深く愛してしまったことを悟った。愛しい彼の口から悲し気な呟きが漏れる。
「こんなに愛している女性がモンタギュー家の仇敵キャピュレット家の娘だなんて……悪夢だ。これが、何かの間違いであってくれたら」
 ロミオは潤んだ瞳で私を見つめた。私も彼を見つめ返し、涙声で呟いた。
「ねえロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」 
 ロミオは答えなかった。答えたくても答えようがない質問だった。
 私たちはイタリア北部のヴェローナで生まれた。ヴェローナは二つの名門貴族が街の支配をめぐって長年争っている。その一つが私の実家、キャピュレット家。もう片方がロミオのモンタギュー家だ。両家の闘争は数代前から続いていて、互いを仇敵として憎み合っていた。
 その家の人間同士が交際するなんて絶対にありえないことだった。親兄弟はもちろんのこと、親戚からも反対されるに決まっている。絶縁とか勘当とか、普通にありえるくらいの大問題なのだ。
 もしも、そうなったら、どうしよう?
 自分が家を追い出されるなんて、私は今まで考えたことがなかった。
 そう、今この瞬間まで、そんなこと一度も考えたことがなかったのだ。
 でも今、私は家を出ていく自分の姿を想像している。
 私は実家を出て、愛しいロミオと二人で生活するのだ。
 誰にも邪魔されない、二人きりの生活の様子が、私の心に浮かんで見えた。
 それは夢のような暮らしだった。
 突然ロミオが私を抱きしめた。私は抵抗しなかった。
「もう我慢できない。二人きりになろう」
 誘いの言葉に、私は沈黙で答えた。

★ 恋人たちの中を引き裂こうとする人間たちのお話 ★

 その日は朝から街の様子がおかしかった、とヴェローナに暮らす連中は後になって言った。当時ヴェローナで暮らしていた俺の感じでは、特に何も変わらない普段通りの朝だった。だが、そう思わない者たちがいた。朝が訪れる遥か前からコーカサスアサガオが花開いていたから縁起が悪いとか、その花びらに嘴を突っ込んでいたのが絶対に夜は飛ばないことで知られるアルプスハチドリだったとか、夜明けを告げたのが雄鶏ではなく雌鶏だったとか、だからどうしたと言いたくなるような話をさも大ごとであるかのように顔を寄せ合い不安げに語り合っていたのを覚えている。迷信深い一部の輩が騒ぐものだから、一般大衆の気分は揺らぎ、それに引きずられて理性的な者たちも変な具合になった。それは俺の伯父さんも同じだったように思う。
 いや、そうでもないのかな。
 それこそ、俺の思い込みなのかもしれない。いつもは冷静沈着な伯父さんが、公正なヴェローナ太守として皆から信頼されている人が、あんなに慌てた様子を俺はそれまで見たことがなかった。これは天変地異の前触れかも! と心配した覚えがある。
 その影響で、俺の記憶が混乱してしまったのだろうか? ヴェローナを支配する者と支配される大衆の不安が俺の内部で入り混じり、不正確な形で脳裏に刻み付けられてしまったのだろうか? まあ、どっちでもいい。話を進めよう。
 その日の前の晩、俺は悪友たちと悪所で博打をやり、すってんてんになりかけて、そこからの逆転! で儲けた金を次の勝負で使い果たし、そこから少し勝って金を取り戻すという盛り上がるともそうでないとも言い難い結末と美味い酒を味わいつつ寝た。翌朝は日が昇る前に起きた。喉が猛烈に乾いていた俺は建物を出て、近くにある井戸へ行って冷たい水を汲んで飲んだ。生き返った思いがした。体の隅々に水分が行き渡ったためだろう。さっきまで感じなかった風の涼しさが心地好かった。
 その時分かな、朝日が昇ったのは。夏の太陽は地表を焼き尽くす勢いで照り付けるが、明け方のうちなら、まだ可愛いものだ。俺は朝日に向かって祈りを捧げた。それからグーンと背伸びをした。二日酔いは抜けている。体調は快調だ。さ~て今日一日、何をして過ごすか? なんて考えていたら、通りの向こうからこちらへ進んでくる人馬が目に入った。
 人も馬も体格の良いのが遠目からも分かった。馬上の人は立派な鉄兜を被った男だった。朝の光が金属に反射してキラリと眩しい。後ろに馬がもう一頭続いていた。そちらには荷物がくくり付けてあった。長くて太い槍が左右に数本下がっているのが見えた。
 傭兵だろうな、と俺は判断した。ここ北イタリアは政情不安定だ。各都市が争う群雄割拠の戦国時代と言って構わないだろう。戦争は日常茶飯事なので、それを職業にする者は多い。この男の持参している兜や槍から、そういった連中の一人だと俺は見て取ったのだ。
 勤め先を探しているのだろうか……なんて考えている俺に、その男は笑顔で声を掛けてきた。
「その井戸の水を飲ませてもらえるかな。喉も心も渇ききっていて、もう我慢ができそうにないんだ」
 あいにく俺の井戸じゃない。だが、飲ませる分には問題ない。
「いいさ旅人。たっぷり飲みなよ」
 男は馬を降りた。井戸の水を汲んで一口飲み、それから二頭の馬にも飲ませてやった。
 俺は男の顔をじっくりと観察した。頬に生えた髭は黒くて濃い。その肌は同じくらい黒い。旅人は白人ではなかった。黒人だ。
 ヴェローナで有色人種を見かけることはまれだ。同じイタリアでもアフリカに近い南部は、地中海を隔てたスペインみたいに有色人種のムーア人を普段の生活で目にする。北イタリアでも、地中海貿易で繁栄しているヴェネツィアやジェノヴァなら、まあまあ見る機会は多い。ヴェローナはヴェネツィアから凄く離れている! というわけじゃないけれども、どういうわけか異人種に接することが少ない。主要な交易相手は北部ヨーロッパなので、南の地中海より北のアルプスの方へ気持ちが向いているせいだろうか。
 喉の渇きを癒した男は兜を取り、冷たい井戸水を頭にぶっかけた。縮れた黒髪が水を弾く。それから旅人は綺麗な木綿のハンカチーフを懐から出して顔を拭いた。
「ああ、さっぱりした。どうもありがとう、もう一つ願い事があるのだが」
「俺にできることなら」
「ヴェローナ太守の館はどこだろう? 良かったら教えてくれないだろうか?」
 そこに俺は住んでる! と言い出しかけて止めた。
「ヴェローナ太守に何の用だい?」
「雇われたんだよ、ヴェローナ太守に」
「ヴェローナ太守に雇われて、ここに来たのかい? 何の仕事だろう?」
「こちとら生粋の軍人だ。傭兵の仕事をするんだ」
 当たり前のことを聞くな、といった表情だった。
「兵隊かい?」
「隊長として雇われた。兵隊を束ねる指揮官だな」
 俺は少しばかり驚いた。傭兵隊長の仕事はエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノという生粋のヴェローナ人が既にやっている。この男は、その代わりに指揮官に就任するのだろうか? その人事をヴェローナ太守である伯父さんが決めたのだろうか?
 そんな疑問を俺が抱いたのは訳がある。伯父さんは政治的なバランス感覚に優れている。そんな伯父さんが、遺恨を残しそうな人事をするだろうか。
 そうは思ったが、政治の世界はややこしい。何が起こるか分からない。
 例を挙げる。
 伯父さんはヴェローナ出身者ではない。西の大国ミラノから送り込まれた異国人だ。いわゆる余所者が、どうして太守を勤めているかというと、親ミラノ派ヴェローナ人が招聘したからである。
 親ミラノ派の代表はキャピュレット家だ。キャピュレット家の敵であるモンタギュー家は東の大国ヴェネツィアとの関係が深いグループの頭目だ。モンタギュー家を中心とした親ヴェネツィア派にとっては、ミラノが送り込んできたヴェローナ太守の伯父さんは、目の上のたん瘤なのだ。何か機会があれば失脚させようと企んでいる。
 そういう状況なので、余所者の伯父さんとしては、一般的なヴェローナ人の嫌ミラノ感情悪化を誘発するような事態を避けたいはずなのだ。
 肌の色が違うだけで、何が気に入らないのか騒ぎ立てる者たちは多い。白人のヴェローナ人傭兵隊長の代わりに黒人を就任させるというのは、親ヴェネツィア派のモンタギュー家グループが待ち望んでいた厄介事の種であるように思われた。
「貰った手紙には、可及的速やかにヴェローナ太守の元へ参上するよう書かれていた」
 そう言ってから男はニヤッと笑った。
「案内してくれたら、お礼を差し上げよう」
 俺は男を連れて家に戻った。ヴェローナ太守の館はアディジェ川の流れに面した小高い丘に建っている。館を防御する堀を兼ねたアディジェ川の支流に架かる橋を渡り袂の詰め所にいる門番の前を顔パスで通過する俺を見て、男は言った。
「一つ、聞いていいかな」
「何なりとどうぞ」
「ヴェローナ太守の甥のパリスというのは、あんたかい?」
 俺は足を止めた。
「そうだけど……よく分かったな」
「就職先について、ちょっとばかり調べたんだ。おっと、口の利き方に気を付けるべきだったな!」
 男はカラカラ笑って言った。
「子供のいないヴェローナ太守は甥御殿を後継者にしようとしていると聞いている。つまり、未来のヴェローナ太守様だ」
 俺の顔を覗き込んで男はウィンクした。
「ここに長く勤めるようなら、あんたとの関係を良くしておかないとな」
 その割には口調が変わっていないけど、それはこの際どうでもいい。新しい傭兵隊長が到着したことを伯父さんに伝えるよう、召使いに命じる。
「それじゃ、俺はここで」
「せっかくだから一緒にどうだ? 伯父貴(おじき)に朝の挨拶をしてないんだろ?」
「遠慮しとく」
「顔を合わせたくないってか」
 俺は男を睨んだ。男は気にしていない様子だった。
「噂には聞いている。最近、二人の関係がぎくしゃくしているとな」
 それから男は微笑んだ。
「良かったら話してみな。何かの力になれるかもしれないぞ」
 俺は何も言わず、その場を去ろうとした。伯父さんの元から戻って来た召使いが俺も一緒に執務室へ来るように伝えた。男は俺を横目で見た。どう出るか、様子を窺っているのだ。
 このまま自分の部屋へ戻っても良かった。だが伯父さんとの不和の噂話をされた直後だ。このまま自室へ引きこもるのも癪だった。俺は男の後ろに付いて伯父さんの部屋へ入った。伯父さんは落ち着かない様子で俺たちを迎え入れた。こんなに落ち着かない伯父さんを見たのは生まれて初めてだったので、俺は驚いた――という話は、もう書いたよな。
 男は落ち着いた声で自己紹介した。
「お招きにより参上した、オセローだ。ヴェローナ太守殿、よろしく頼む」
 この黒人の名はオセローというのか……と俺は思った。そして思い出した。隣国ヴェネツィア初の黒人将軍の名がオセローだったことを! 派閥争いか何かの影響で、左遷されたとか解任されたとか噂に聞いたが、その男がヴェローナへ来るとは考えてもみなかった。
 となると伯父さんは、ミラノと対立するヴェネツィアの高級軍人をスカウトしたことになる。
 俺は不安になった。このヘッドハンティングはヴェネツィアの感情を害してしまったのではないかと考えたからだ。
 自軍の将軍が敵国に引き抜かれたとあれば、機密情報が丸々漏洩したも同然だ。報復のためヴェネツィアはミラノと、その同盟国であるヴェローナに対し、何らかの軍事的アクションを起こす恐れがある。最悪の場合ヴェローナは戦場となるだろう。
 それが俺の不安だったが、伯父さんの狼狽は別の理由からだった。
「オセロー、早速だが仕事だ。いや、戦争ではない。軍務でなく人狩りだ。そちらの方も得意としていると窺っているが」
 伯父さんの確認にオセローは胸を張って答えた。
「任せてもらおう。何が起こったのだ?」
 その口調はヴェローナ太守に対する口調とは言いかねた。俺は伯父さんの顔色を盗み見た。よほど焦っているようで伯父さんはオセローの言葉遣いを注意せず、事件の概要を話し始めた。
 昨夜未明、キャピュレット家の一人娘ジュリエットが失踪した。彼女の姿が最後に目撃されたのは従姉妹のロザラインの屋敷だ。そこで開かれたパーティーに出席して、仮面を着けた男と話をしているところを何人も見ている。やがて二人はパーティー会場から消えた。
 そこで伯父さんは言葉を切った。オセローは目で先を促した。
「明け方になって、キャピュレット家に手紙が届けられた。届けたのは物乞いの老婆だ。暗いうちから残飯漁りに精を出していたら、通りがかった若い金持ちの娘からキャピュレット家へ手紙を届けてくれたら必ずお礼をすると言われて渡されたそうだ」
 オセローは人差し指を上に挙げた。
「その娘は一人だったのか?」
「連れの者は近くにいなかったらしいが、まだ暗かったから物陰に隠れていて見えなかったのかもしれない」
「わかった。話を続けてくれ」
「手紙はキャピュレット夫人が読んだ。それがこれだ」
 オセローは伯父さんから渡された手紙を広げた。一読して俺に渡す。俺は受け取った手紙の文章を音読した。
「お父様、お母様。これから私は愛した青年と一緒に旅立ちます。二人で愛の日々を送るためです。その男性はモンタギュー家のロミオです。そうです、我がキャピュレット家の仇敵モンタギュー家の嫡男です。二人の結婚を、とても許していただけないと思い、駆け落ちすることにしました。幸せになります。どうか探さないで下さい。私たちの結婚式にお二人をご招待できないことを、本当に申し訳なく思っています。わがままなジュリエットを、どうぞお忘れになって下さいませ」
 俺は手紙から顔を上げた。伯父さんと目が合った。伯父さんは俺を睨んでいた。伯父さんが言いたいことは分かる。だが、俺は伯父さんの思いとは逆のことを言った。
「二人の幸せを祈ってやろう、愛し合う恋人たちの将来を祝福してやろう。そんな気分になりますねえ」
 伯父さんは顔をしかめた。
「バカなことを言うな。これが何を意味するか、分かっているのか!」
「宿怨のある名門貴族の子供たちが、婚礼の祝宴を二人きりで上げようとしている、ですかねえ」
「ふざけるのもいいかげんにしろ。キャピュレットはカンカンに怒っている。一族郎党や仲間の貴族を引き連れてモンタギュー家に殴り込みをかけようという勢いだ」
 そうなったらヴェローナは街を二分する戦場に早変わりだ。なるほどヴェローナ太守の伯父さんがカリカリしているのも納得だ。
「それでもですよ、もう二人は駆け落ちしてしまったんです、どうしようもないじゃないですか」
「連れ戻す。二人をそれぞれの家に帰すんだ。それで状況は元通りだ」
 愛し合う恋人同士を引き裂いて得られる平和に何の価値があるのだろうか? と思うがヴェローナ太守としてはキャピュレット家とモンタギュー家の両勢力の均衡状態が最も価値あるもののようである。
「オセロー、聞いての通りだ。ロミオとジュリエットをヴェローナに連れ戻すこと。それが貴殿の任務だ」
 オセローは寂しげな笑みを浮かべた。
「二人だけの結婚式を、真夏の夜の夢のままで終わらせるのが初仕事とは……因果なものだな」
 伯父さんはオセローに対し「頼りにしている」と言った。頼られた黒人将軍は不敵に笑って頷いた。

★ 愛し合うことに疲れた不良青年と悪役令嬢のお話 ★

 ジュリエットはヴェローナの名門貴族キャピュレット家の箱入り娘である。初心な少女なのだろうと誰もが夢想する。
 ロミオもそう考えていた。だが、予想とは違った。そう、まったく違ったのだ! その辺りからジュリエット拉致計画が少しずつ狂い始めたと言っていい。
 疲れ切ったロミオが洗面所で顔を洗ったとき、鏡に映った自分の顔が一晩でげっそりやつれてしまったことに気付いて、足が震えるほど狼狽した。こんなことは今まで、一度もなかった。彼は老いさらばえた死に損ないではない、まだ十代の若者なのだ。それなのに、まるで中年男のような相貌が鏡の中にあった。理由はハッキリしている。それほどジュリエットはタフだったのだ。休みたい、と彼は思った。洗面所を出てベッドへ戻る。だが、そこは安息の地ではなかった。
「ロミオ、駆け落ちしましょう。二人で誰も知らない場所へ行きましょう! どこか遠いところへ!」
 ベッドで待ち構えていたジュリエットが懇願した。彼女はロミオと二人っきりになってから、ずっと同じことを言っていた。そんなことより眠らせて欲しい、と正直ロミオは思ったが、彼女にそう言って欲しいと願ってもいたので、その願いを聞き入れる旨をまた伝えた。
 嬉しい、と泣いてジュリエットはロミオにすがりついた。その肩を抱き「二人で駆け落ちしよう、遠くまで行こう」と同じような台詞を繰り返しつつ、彼は頭の中で計画をおさらいした。
 ジュリエットに告白し、求愛を成功させる。
 この第一段階はクリアした。
 一緒に駆け落ちするよう、ジュリエットを説得する。
 この第二段階も説得するまでもなく向こうから提案されたのでクリアだ。
 次に二人でヴェローナから旅立つ第三段階へ入る予定だった。結構予定時刻は夜更けの人の少ない時間帯で具体的には今頃が最善なのだが、ロミオに不都合が生じた。疲労困憊で、その元気がなかったのだ。
 夜が明けたら人目につくので二人は街中を歩けない。キャピュレット家の一人娘と、キャピュレット家と同じくヴェローナの名門貴族であるモンタギュー家の跡取り息子が仲良く一緒に歩いているところを市民たちが見たら、それこそ大騒ぎになってしまう。キャピュレット家とモンタギュー家の対立は根深い。その両家の二人が仲睦まじく街を歩いていたら、異常事態なのだ。
 駆け落ちの準備は既に出来ている。街外れに馬を用意してあるのだ。今から向かえば日の出の時刻には馬が隠された街外れの古い屋敷跡へ到着する。しかし、そこへ行くのが面倒だった。そこそこの距離があり、歩くのは大儀なのだ。
 ロミオはジュリエットへの求愛に失敗した場合に実施する予定だったプランについて考えていた。
 ジュリエットがロミオを袖にしたとき――邪険に跳ね除けられた場合は、ロミオはジュリエットを誘拐するつもりだったのである。そのときに備え、待機している仲間が数人いた。その助けを借りて、街外れにある屋敷の廃墟まで連れて行ってもらおうか、と彼は考えていた。
 だが……あいつらは今、どこにいるのだろう? とロミオは頭を悩ませた。
 ロミオとジュリエットが今いる、この屋敷の中にいたら良いが、出て行ってしまっていたら面倒だ。
 いや……仮に、この邸内にいたとしても面倒なことに変わりない、とロミオは苦々しく思った。
 ロミオの仲間たちは部屋の様子を盗み聞きしていた。彼らはジュリエットの方から駆け落ちの話を切り出すのを聞いて、作戦成功を確信したはずだ。前祝いとばかりにパーティー会場へ戻り酒を呷って女たちに声を掛け……そして自分たちのお楽しみに励んでいる恐れがある。
 キャピュレット家の一員で、ジュリエットの従姉妹であるロザラインの邸宅は広い。その客室をノックし続けていたら、夜が明ける。
 対策を考えたがロミオは自分の脳内に答えを見出すことが出来なかった。
 疲れのせいだろうか? いや、そうではあるまい。ロミオは元々、思慮深いタイプではなかった。
 そんな彼でも頭を働かせることは可能だ。
「喉が渇いた。飲み物を持って来る」
 そう言ってジュリエットに口づけしたロミオは部屋を出た。仮面を着けてパーティー会場へ向かう。
 そこには二種類の人間がいた。一つは仮面をかぶっていない者たち。これはキャピュレット家の者たちや同家と友好的な人間が大半だ。ロザラインが主催するパーティーに正式な招待状を持参して訪れている。仮面は不要なのだ。
 もう一方のグループは、招待状無しの連中である。これは一夜のお楽しみを求めてロザライン邸を訪れた輩だ。ヴェローナの街の貴族や富裕な商人などの階層がほとんどである。正体を明かしたくない者ばかりなので、仮面は必須だった。
 逆に言うと仮面を着けてさえいれば、キャピュレット家の仇敵モンタギュー家の人間であるロミオと彼の取り巻きでもロザライン邸のパーティーに参加することが出来た……門の中に入る前に、目玉の飛び出るような額の参加費を払わねばならなかったが。
 パーティー会場でロミオは仲間たちの姿を探した。しかし残念ながら悪い予想通り、彼は悪友たちを見つけることが出来なかった。
 その代わり、ロザラインを見つけた。正確に言うと、彼女がロミオを見つけ話しかけてきたのだ。
 ロザラインは陽気に尋ねてきた。
「どう、上手くいっている?」
 ロミオは明るく答えた。
「順調だ、万事順調だ」
 ロザラインは勘が鋭い。声を低くして再び尋ねる。
「で、本当のところはどうなの?」 
 つばを飲み込んでロミオが答える。
「くたくた。早く寝たい。それで仲間を探しに来た。馬車を用意してもらおうと思って」
 ロザラインは豪華な扇子で口元を覆い隠した。
「だらしないわね。まだ若いんだから、しっかりしなさいよ」
 ロミオは自嘲気味に笑った。その張りのない笑い声がロザラインをさらに苛立たせた。男の腕を取り人目の付かない小部屋へ連れ込む。そしてドレスの胸元から覗く美しい谷間から小瓶を取り出した。シャカシャカ振って蓋を取り、ロミオの鼻の下に小瓶の口を押し付ける。
 小瓶の口から出てきたガスの刺激臭でロミオは激しくせき込んだ。蓋を閉めた小瓶を腹の上の双丘の隙間に戻したロザラインが言った。
「気付け薬よ。効き目がしばらく持つから、その間に屋敷を出て、街外れに向かいなさい。馬に乗ったら後は馬に任せなさい。隠れ家で連れて行ってくれるわ。ただし、あんたが落馬するんじゃないわよ」
 ゲホゲホが収まったロミオが尋ねる。
「あいつらに頼めないのかい? あいつらは駄目なのかい?」
「あんたのお仲間は皆、酔っ払って女どもとよろしくやってるわ。絶好調って感じ。ちょっと張り切りすぎかしら。あの調子なら、明日に昼過ぎまで使い物にならないと思うわ。まだ若いのにね」
 自分のことは棚に上げロミオは憤慨した。
「だらしのない奴らだ!」
「いいから早く行きな」
 一肌の温もりで程よく気化した気付け薬の吸入は抜群の効果を示したようである。ロミオはしっかりした足取りへパーティー会場の大広間を後にした。その背中を見守るロザラインの目つきは険しい。その視線が刃ならモンタギュー家の御曹司の心臓は背後から貫かれているはずだ。
 ロザラインはロミオの能力を不安視している。ジュリエット誘拐計画の実行犯には役不足ではないかと疑っているのだ。
 自分が誘拐の実行役をするべきだったかもしれない、と今更だが考えてしまう。
 それでも、もしものことを考えると男の手に任せた方が良かった。ロザラインとジュリエットでは体力や運動面での差が大きい。ジュリエットはスポーツ万能だった。運動が苦手で体力に自信のないロザラインでは、緊急時の対応が困難なのだ。
 とはいえ、やはり安心とは程遠い人選であるのは間違いない。
 それなのにロミオを選んだ理由は二つある。
 一つはロミオが絶世の美男子だったこと。
 もう一つは、ロミオがロザラインに片思いしていて、言いなりになるから、だった。
 パーティー会場の客たちと楽しげに語らいながら、ロザラインの心は館の外、ヴェローナの街路を彷徨っている。
 ロミオに導かれたジュリエットが幸せいっぱいの笑顔で星明りの下を歩いている……そんな光景が目に浮かぶ。
 くたばれジュリエット! とロザラインは笑顔の裏で罵った。

★ 様々な人間たちが見た真夏の白昼夢のお話 ★

 北イタリアの都市ヴェローナの街外れに苔むした廃墟がある。古い屋敷の跡で住む人は長くいなかった。そこに謎めいた修道僧ロレンソが暮らすようになったのは、いつ頃か? 正確な時期を答えられるヴェローナは恐らく、誰もいないだろう。
 いや、ロミオは知っていたかもしれない。ヴェローナの名門貴族モンタギュー家の跡取りである彼は、幼い頃からロレンソと親しくしていた。盲目の修道僧が持っていた謎めいた雰囲気がロミオ少年の心を惹き付けたのだろうか。
 ロミオが長じてからも、その関係は変わらなかった。だが、廃墟の役割は若干の変化があった。昔は子供の遊び場だったけれども、大人の遊び場へ姿を変えたのだ。美青年に変貌したモンタギュー家のプリンスは女性との逢引の場にロレンソの廃墟を利用していた。
 神聖なる修行の場を淫楽のために活用されて、ロレンソは立腹しなかったのだろうか?
 歓迎していた。ロミオの快楽追及は、ロレンソの研究に貢献していたためだ。
 修道僧ロレンソは、様々な材料を調合し、色々な薬物を作る研究をしていた。薬品の原料となるのは自然界で採取された動植物や鉱物だったが、人体に由来する物質もあった。愛を知った女性の残り香を絹に沁み込ませ、それを各種の触媒入り液体を噴霧して陰干しする。そんな大変な手間のかかる工程を経て作られた絹が、材料の裏ごしに必要不可欠だったのだ。
 つまりロミオとロレンソはWin-Winの関係だった。
 従って、ロミオからキャピュレット家の令嬢であるジュリエット誘拐計画への協力を求められたときは快諾し、街から脱出する馬を廃墟に隠しておいたのだ……が、誘拐被害者であるはずのジュリエットに背負われた誘拐犯ロミオの土気色の顔を見たとき、激しい後悔を感じた。何か、途轍もなく悪いことが起きていると直感したのだ。
 ロミオを背中から下ろしたジュリエットが涙ぐんで言った。
「気分が悪いと言い出して、動けなくなったの。ねえ、何とかして!」
 ロレンソはロミオを診察した。その口から漂うわずかな異臭を嗅ぎ取る。
「これは私の調合した気付け薬の香りだ。だが、強すぎる。用法用量を守っていない利用法だ」
「あなたの作った薬なの? それじゃあ、何とかしてよ!」
 ジュリエットが殺気立った。ロレンソは怯えた。
「わかった、わかったから! 落ち着いてくれ。今から治療を始める」
 薬品棚から幾つかの瓶を取り出し、それらに入った薬剤を調合して、湯に溶かす。その湯を冷まし、刷毛を浸す。
「これを鼻の下に塗るのだ。塗りにくいな。ちょっと鼻の下を伸ばしてみてくれ」
 ロレンソに言われ、ジュリエットはロミオの鼻の下を伸ばした。
「そうだ、それでいい」
 薬を塗り終えたロレンソが刷毛をテーブルに置いた。ジュリエットはロミオの様子を窺った。永遠の愛を誓った恋人は虫の息のままである。彼女は血走った眼で修道僧に食って掛かった。
「どうなってるのよ! 何も変わらないじゃない!」
 ロレンソはテーブルを手のひらで叩いた。
「聞いてくるまで時間が掛かる。しばらく待て」
 掌打のためにテーブルから刷毛が落ちたのとほぼ同じ頃、ヴェローナ太守の館では駆け落ちしたロミオとジュリエットを捕らえる計画が話し合われていた。
「捜索に多くの人数は割けない。キャピュレット家とモンタギュー家の郎党がいつ市街戦を始めてもおかしくないんだ。両者をけん制するための兵力がいる」
 ヴェローナ太守の言葉に、新任の傭兵隊長オセローは頷いた。
「助手が一人いれば十分だ」
「少なくないか?」
「いや、その方がいい」
「どうして?」
 訝しげなヴェローナ太守にオセローは理由を述べた。
「前任の傭兵隊長エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノに忠誠を誓っている兵隊がいるかもしれん。そういう連中は俺の足を引っ張りかねない。捜索の邪魔となる」
 ヴェローナ太守の甥パリス青年が口を挟んだ。
「エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは、どうして傭兵隊長を辞めたんです?」
 パリスの伯父であるヴェローナ太守が不機嫌そうに言った。
「そんなこと、今はどうでもいい」
 パリスは憮然とした。その様子を見てオセローがグスッと笑う。
「辞めたわけじゃない。行方をくらませたんだ」
 目をぱちくりさせてパリスが尋ねる。
「あの男が、行方をくらませたって、どういうこと?」
 オセローはヴェローナ太守を見た。ヴェローナ太守は溜め息を吐いた。
「密告があった。エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは異端の信仰を持っているという密告だ。事実とは思えなかったが、本人に確認した。違うと誓ったその日のうちに、奴は姿を消した」
 中世ヨーロッパはキリスト教のカトリックと異端派の闘争の場であった。カトリックのお膝元であるイタリアも例外ではない。むしろ、もっとも異端がはびこったのがイタリアだったとしても過言ではないだろう。カトリックは異端を潰すために如何なる努力も惜しまなかった。その中には拷問や火刑も含まれる。
「もしかしたらエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノの他にも異端派がいるかもしれん、兵隊の中にも。そういった連中が今回の人事に反対して、人の背中で何か企んだら、困るんだ」
 その人事を決めたヴェローナ太守が言った。
「だが、二人の行方を追うために人手がいる。もう城壁の向こうへ逃げただろうから、早く沢山の追っ手を繰り出そう」
「この暑さだ、灼熱の街道を人も馬も長くは走れない。追われているのだから休憩する場所を探すのも大変だ。逃げた方角さえ読み間違えなければ捕まえられる」
 オセローはヴェローナ市街地の地図を求めた。用意された地図を眺め、その一点を指す。
「北のアルプス方面へ向かう城門の近くに大きな廃墟があるようだ。ここはどういう建物なんだ?」
「かつては異端派の巣窟だった。今は浮浪者が暮らしているようだ」
「行ってみる。パリス、一緒に来てくれ」
 突然のことで、パリスは驚いた。
「どうして俺が!」
「誰かに道案内をしてもらう必要がある」とオセロー。
「そんなの、他の奴らにやらせろよ」
 オセローはパリスの顔を覗き込んだ。
「聞くが……まさか、異端派じゃあるまいな」
 パリスは首を横に振った。
「そんなわけない!」
「それなら安心だ、さあ急ごう」
 パリスは伯父であるヴェローナ太守に助けを求めた。無駄だった。
「ジュリエットはお前の婚約者になる予定の女性だ。お前が救わなくてどうする?」
「だから、それは反対だと!」
 ヴェローナ太守は怒った。
「いいかげんにしろ! これ以上の縁談はないぞ! ジュリエットはヴェローナの名門貴族キャピュレット家の娘だ! 何の不足がある!」
「だって、俺には将来を誓った女性がいるんです!」
「何だと! 誰だ、誰なんだ!」
 パリスは叫んだ。
「ロザラインです。キャピュレット家の一門で、ジュリエットの従姉妹のロザラインです!」
 そのロザラインは今、自らの邸宅を出てヴェローナの街外れに向かって移動していた。彼女が立案したジュリエット誘拐計画の行く末に強い不安を抱いたためである。ロミオに任せておいて大丈夫なのか? そう考えたら、居ても立っても居られなくなったのだ。
 ジュリエットがロミオを駆け落ちしたら、彼女の父であるキャピュレット家の当主は激怒する。実の娘であれ、絶対に許さなないのは確実だ。一人娘ジュリエットは勘当されるだろう。そうなると、キャピュレット家は跡取りがいなくなる。一番近い親戚は従姉妹のロザラインだ。
 自らをキャピュレット家の後継者にするため、ロザラインはジュリエット誘拐を思い付いたのだが……誘拐の実行役のロミオは頼りない男なのが最大の不安材料だった。自分に下心を抱いているのを利用して使っているけれど正直、使えない。もうヴェローナを脱出しているだろう。そう思うものの、何だか心配になってきた。そこでロザラインは、脱出用の馬が用意されたヴェローナ郊外の廃墟へ急いでいた。馬に乗れない彼女は必死で走るしかない。真夏の太陽を浴び汗だくだ。あと少しで到着する! というところで、遂に限界が訪れた。彼女は気を失い石畳の道に倒れた。
 ロミオが意識を取り戻したのは、ちょうどその頃である。ジュリエットは涙を流して喜んだ。
「良かった、本当に良かった! さあロミオ、立ち上がって! ハネムーンに行きましょう」
 修道僧ロレンソは慌てて止めた。
「無理無理、死ぬ死ぬ、起こさないで、そんなに揺らさないで!」
 ジュリエットは愛する人の命の恩人に嚙みついた。
「全然治ってないじゃない! 何とかしてよ!」
「そうは言っても」
 ロレンソが困惑している頃、オセローとパリスは馬上の人となり、ヴェローナの街外れへ向かっていた。パリスは有頂天になっていた。彼の伯父であるヴェローナ太守が、ロザラインと自分の甥の結婚に賛同の意向を示したためである。
 そこには冷酷な計算があった。ジュリエットがキャピュレット家の次期後継者の地位から外される可能性があると踏んだのだ。ジュリエットの父であるキャピュレット家の当主は、モンタギュー家を心底から憎んでいる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神そのままに、ロミオと駆け落ちしたジュリエットを家から追い出すだろう。そうなると、ロザラインがキャピュレット家の後継者になる目が出てくる。そのロザラインとパリスが相思相愛なら、好都合だ。
 そのロザラインである。熱中症の症状で気を失った彼女は、そのままだったら路上で帰らぬ人になっているところだったろう。しかし幸運にも通りがかった男性に助けられた。その逞しい腕に抱かれロザラインは馬上の人となっている。彼女は安堵の溜め息を漏らし男の顔を見上げた。男のニヒルな表情に彼女は見覚えがあった。
「……あなた、エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノね。私を助けて下さったのね」
 エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロザラインに水筒を与えた。
「たっぷり飲んでくれ。もうすぐ休める場所へ着く。そこで下ろすから、それまで寝ているがいい」
 男の胸に体を預けるロザラインの中に、今までにない安心感が生まれていた。頼りないロミオは勿論のこと、将来を誓ったパリスにも抱いたことのない安らかな気持ちだった。命を救われたことへの感謝の念に混じって、今までに感じたことのない思いが生まれてくるのを彼女は感じていた。そして、思った。もしかして、これは……愛かも、と。
 その愛をどうやって相手に伝えようかと悩んでいたら、目的地の廃墟に到着した。その入り口でエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロザラインを抱いたまま馬を降りた。廃墟の中に入る。その中ではジュリエットが喚いていた。
「私は早く結婚式を挙げたいの! ロミオと正式な夫婦になりたいの! 早くロミオを目覚めさせて!」
 意識を取り戻したロミオだが、すっかり目覚めたとは言い難い。大声でジュリエットが叫んでいる横でボンヤリしている。
 ジュリエットは嘆いた。
「私は結婚式を早く挙げたいの。ただそれだけなのに……だから早く何とかして!」
 苦情を浴びて辟易しているロレンソが、その場に現れたエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノと、その腕の中でお姫様抱っこされたロザラインに気付いた。
「どうしたんだ、こんなところへ。何があったんだ、同志よ!」
 エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは自分の異端信仰が発覚したことを伝え、それから同じ異端派のロレンソに警告した。
「同志よ、君も危険だ。すぐに逃げよう」
 ロレンソは動揺した。異端派は改宗しない限り殺される。そして彼に改宗の意志はなかった。昔からの同志に話す。
「今ちょっと立て込んでいるが、逃げる準備をする。まず、この状況を何とかしないと」
 それからロレンソはジュリエットに聞いた。
「ここで結婚式を挙げてもいいかな?」
「いいとも!」とジュリエット。
 そのとき廃墟にオセローとパリスが到着した。入り口で主人を待つ馬を見て、パリスが言った。
「エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノの馬だ」
 オセローは馬の鞍に括り付けていた剣を取った。
「前任の傭兵隊長殿はかなりの腕利きと聞いている。良い勝負を楽しめそうだ」
 パリスは逃げ腰である。だが、ここで頑張ればロザラインとの結婚が伯父に認められそうなので、オセローの後に続いた。
 二人は廃墟の奥へ入った。そこは変な甘い香りと奇怪な詠唱で満たされていた。
「何だこれ」とパリス。
 オセローは匂いと詠唱の正体を知っていた。慌てて口と鼻を塞ぐ。
「異端派の使う強力な薬剤と催眠術だ。いかん! 効いてきた……」
 その場にいた人間の大半がロレンソの術にかかった。
 ジュリエットはロミオと結婚する夢を見た。パリスとロミオは夢の中でそれぞれロザラインと結婚式を挙げた。ロザラインはエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノとの結婚式を夢見て、エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロレンソとの同性婚に心を弾ませた。オセローは恋人デズデモーナとの幸せな未来を見た。
 そのすべてが真夏の白昼夢である。

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 ここまで呪文を唱えたところで十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は小休止した。ココアとポテトチップスそして冷凍の肉まんを解凍したものをフーフー冷ましながら食べつつ、アメーバ・デーモンの表面に浮かんできたイケメンの姿を鑑賞する。
 違う。これでは物足りない! 圧倒的なイケメンとは言えない! 理想の彼氏とは程遠い! と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は肉まんの欠片を吹き飛ばしながら喚いた。
 原因を考える。何か失敗をしてしまったのでないだろうか? 呪文を間違えたとか?
 呪文を間違えたとか!
 思い当たるところがあった。所々で重要なワードが抜けている可能性がある、と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は気が付いた。
 修正しよう! そして、もう一度、呪文を詠唱するのだ! と心に決めた十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は、ココアとポテトチップスと肉まんを口の中に入れてグッチャグッチャと噛み――実際は、あまりよく噛まずに、飲み込んだ。そして呪文を再開するのだった。

★ イケメン教師と女子生徒のお話 ★

 私は形の一定しないものが苦手だ。見るのも嫌だし、触るなんて考えただけで気分が悪くなる。
 そんな私がアメーバへの同化体験学習をさせられるとは!
 教室の掲示板に貼られた割り当て表を見て、私は卒倒しかけた。だが、ここで気を失うわけにはいかない。私が在学中の魔法学校は生徒の健康にとても気を遣う。もし気絶したら保健室へ運ばれ検査だ。そして全身から注射針の生えたハリネズミの保健の先生の出番となる。採血の注射も私は苦手なので絶対に失神できない。もしものときは注射針を魔力で曲げてやる。いや、その前にアメーバに合体する実習を断固拒否だ!
 私は担任の教師にテレパシーで事情を説明し、別の体験学習への変更をお願いした。最新型AI搭載のイケメンなロボット教師は私の要求に応じなかった。苦手を克服することも体験学習の目的だから、との理由だった。
 ロボット教師の石頭に私の得意技メテオ・ド・ストライク(宇宙から巨大な隕石を落下させる)を食らわしたくなったけれど、私はおしとやかな優等生ということになっているので止めた。代わりに切々と訴える。
「おぞましいですわ! ぐちゃぐにゃしたスライムの体内に入るなんて、繊細な私には耐えられませんわ!」
「我慢しなさい。ぐちゃぐちゃ&ぐにゃぐにゃしている存在に入り、それと同化するための訓練です。それから、スライムではなくアメーバですから」
「スライムでもアメーバでも同じことですわ! ああ汚らわしい。私の清純が汚されてしまいます! 花嫁の純潔を信じて下さる未来の夫に申し訳が立ちません!」
 私が非処女であることをロボット教師はやんわりと指摘した。なぜバレたのか? それはともかく実習の日が来た。魂だけの身軽な姿に変身した私は泣く泣く異世界に転移する。そこは知性あるアメーバの生息地だった。魂だけの存在になって宙を舞う私の下は見渡す限り海だ。そこに私が同化体験するアメーバがいるはずなのだが、この大海原からたった一個の単細胞生物を探し出すのは無理だろう。砂浜に落ちた差し歯を見つけ出す方が簡単だ……と思っていたら!
「魔法学校の生徒さんって、あなた?」
 誰かが私にテレパシーで話しかけてきた。そうですと答えたら相手は自己紹介した。
「僕が君を担当するアメーバだ。よろしく」
「よろしく。あの、どちらにいらっしゃるの?」
「君の下」
「海しか見えませんけど」
「海に見えるけど、それが僕」
 眼下に広がっているのは海ではなく巨大なアメーバだったのだ。私は驚いたけど、もっと驚かされる事態が待ち受けていた。
「今から君を体内に入れるけど、驚かないでね」
 足元の水が一気にせりあがり私の全身を包む。私は焦った。水の中で溺れ窒息すると思ったためだ。
「げぼぼぼぼ」
「落ち着いて。君は魂だけの存在になっているから溺れないよ」
 そうだった。私ってあわてんぼう! とか言っている間にも、視界いっぱいに海水じゃなかった、アメーバ体内の空間が広がっていく。そこは静かな場所だった。透明度は怖くなるくらい高い。光線の具合で液体は時にエメラルド色に光るけれど基本の色は青と緑の清純な世界は暖かで過ごしやすく、心地好かった。私以外は誰も、何もいない。いいえ、ごくたまに、遠くに何かが動いているのが見えた。それが何なのかアメーバに聞いてみると、アメーバの体を維持する小器官だという返事が返ってきた。
「人間でいう内臓の一種だよ。悪い物じゃないから心配しないでね」
 アメーバも生き物だから色々な臓器があるのだろう。そういった臓器が働いてくれるからこそ、こうして奇麗な体が保てるのだ。肉体のない状態の私はアメーバの中を自由自在に動き回り、楽しんだ。重たい体が無いと、どれほど楽か! と思った。その快適さに慣れた頃アメーバから「そろそろ時間だから戻りましょう」と言われ、嘆き悲しんだ。
「ええっ、もう時間! もっと泳ぎたい!」
「延長だと追加料金が掛かるよ」
「じゃいいです」
 楽しい時間が終わり、私は魔法学校へ戻った。素敵な夢から覚めた感じがして、何もかもが色あせて見える。溜息が出る。
 とりあえず私の抱えていた形の一定しないものに対する嫌悪感は薄らいだ。しかし、まだ完全消失には至っていない。それでは駄目だとロボット教師は判断したらしい。
「まだ修行が足りませんね」
「それじゃ、またあのアメーバの中へ行けるの?」
 その逆だった。あのアメーバを私の体内へ転移させ、一緒に過ごさせることが決まった。しばらくアメーバに寄生してもらって、それに慣れることで不定形なものへの苦手意識を無くすのだそうだ。
「魔法使いの国家試験ではオールマイティーな能力が必要とされるからね、弱点の不定形を乗り越えて!」
 不定形へのこだわりがあるのは、そっちだろう! まあいいや。あのアメーバは清潔だから寄生されても病気の心配はなく適度なダイエット効果が期待されるのだそうだ。そうだったらアメーバが体内に寄生するとどうなるか、多少の興味がある。本当に食べても太らない体になるのなら、長居をしてもらうつもりだ。もちろん家賃はいただく。

★ オタクに優しい不良ギャル×真夜中の嘘=イケメンに変身のお話 ★

 美人でスタイル抜群だけどマジ怖いギャルが放課後に話しかけてきた。
「真夜中に廃工場へ来て。海沿いの倉庫前で待っているから」
 クラスのすみっこで生き抜いている僕はギャルと話したことがない。怖くてチビったけど、ちょっと興奮した。これは愛の告白に違いないと確信したからだ。オタクに優しいギャルは実在したのだ!
 夜に家を抜け出し廃工場へ行った。待ち合わせ場所の倉庫前に立つ。小さな波止場があって、波の音が聞こえた。ギャルの姿は見えない。僕は彼女の名前を呼ぼうとした。そのときだった。倉庫のシャッターがガラガラ鳴って上がる。中から眩しいライトが幾つも僕を照らした。エンジンの爆音が鳴り響く。何台ものバイクが倉庫から出てきた。僕の回りをバイクの集団がグルグル周回する。僕は叫んだ。
「ななな、なんなんだ!」
 バイクの群れが停まった。倉庫の中からギャルが出てきた。
「うわ、キモいオタク、まんまと騙されて来ちゃったよ。あ~賭けに負けた!」
 バイクに乗っている不良の団体が笑った。
「来るって言ったろ! オタクはギャルの誘いを断れないんだよ!」
 僕は再び叫んだ。
「ななな、なんなんだ!」
 ギャルは不良どもに言った。
「わーったよ! ラーメンライスを全員に奢る!」
 それから僕に言った。
「おい、有り金全部出せ」
「え?」
「賭けに負けたから、こいつら全員に飯を奢らなきゃならないんだよ! 金を全部出せ!」
「え!」
 お金を持って来ていなかったので、僕は正直にそう言った。ギャルが激怒する。
「金を持って来ない奴があるか! カツアゲできねーだろ!」
 不良たちは笑った。
「どうするコイツ? 金がないんなら、痛めつけて遊ぼうぜ!」
 不良たちはバイクから降りて僕を囲んだ。素手だけでは物足りないようで、釘バットとか木刀とかナイフとかチェーンとかの物騒な獲物を手にしている。
「叩きのめしてやるぜ! 覚悟しな!」
 不良たちが僕に襲い掛かった次の瞬間、僕の中で何かが目覚めた。顔はイケメンになり、体が勝手に動き、不良たちを瞬時に叩きのめした。不良たち全員がアスファルトの上で伸びているのを見て、ギャルは腰を抜かした。僕が彼女に近づくと、いきなり土下座した。
「ごめんなさい、許して! ちょっとからかうだけで、悪気は全然なかったの! お願い、何でもするから!」
 その日からギャルはオタクの僕に従順な女に生まれ変わった。

★ イケメンのシンガーソングライターとスカイツリーのお話 ★

 エイエヌ氏は、とある国を支配する王族の一員だ。王族だから身分的には一般人と比べ物にならない。さらに、成人男子であるエイエヌ氏には、王になる資格がある。だが、王位継承権は低い。王位継承のためには後ろ盾となる母親の実家の力が重要なのだが、エイエヌ氏の母は有力な氏族の出身ではないのである。それでも王になるチャンスはゼロではない……が、そのためには彼より王位継承権の序列が高い皇太子の全滅が必要である。少なくとも百人の皇太子が死なねばならない。一夫多妻制の国なので、王族の数がやたらと多く、王位継承者が百人以上いるせいだ。
 そんな王家なので、王族全員に豊かな生活が約束されているわけではない。支給される生活費だけでは贅沢が出来ないのである。エイエヌ氏は音楽の才能があり、シンガーソングライターとして活躍していた。絶世の美男子だったので女性ファンが多かった。高貴な身分の姫君たちからも愛された。そのせいでスキャンダルが起きた。国王のハーレムに入る予定の美姫との恋愛が噂になったのだ。
 国王に睨まれたエイエヌ氏は地方へ逃れた。そこでも醜聞を引き起こす。神に仕える聖女と一夜を共にしたのである。
「指一本触ってない」と主張するも、信じてもらえない。禁忌を犯したエイエヌ氏の立場は極めて危険なものとなった。
 エイエヌ氏の窮地を救ったのは、その芸術の才能だった。「勉強は全然していないが詩才はある」と有識者に認められた才能を惜しむ声が上がり、収監を免れたのである。
 ただし都は勿論、王国内に留まるのは許されなかった。国王の命令で東洋の島国に大使として向かうことになった。東下りと人々は言ったが、実質的には島流しだった。
 東洋の島国に到着したエイエヌ氏は故国を懐かしく思いつつ、その国でもエンターテイナーの才能を存分に発揮し、人気者となった。彼の歌った楽曲「スカイツリー」は大ヒットとなり、その歌の中に登場した業平橋の近くにある駅は駅名が「業平橋駅」から「スカイツリー駅」に変わったほどである。

★ 卒業旅行で海外へ出かけた時に訪れた、とある美術館のお話 ★

 卒業旅行で海外へ出かけた。とある美術館を見学する。凄い人だかりだった。イケメンの肖像画などの有名な絵画を鑑賞しようとしても、見えるのは人の頭ばかりである。
 それで、すっかり気分が萎えた。元々、芸術に興味がある方ではない。観光名所だから来たまでのこと、とりあえず土産話になったので、それで十分だった。混雑する場所を避け、ゆっくり座って休めるベンチはないかな~と探し回っていたら、良さげな空間を見つけた。絵や彫刻が展示されているのだが、人気が本当に少ない。不人気な作品を集めた部屋なのだろう。
 冷やかし半分で入ったら、驚いた。物凄い芸術品が並んでいたからだ。
 芸術に詳しくない人間が何を言ったところで意味はないとは思う。それでも衝撃を受けたし、何より感動した。これが芸術の力か! と痛感した。本当にショックだった。まるで生まれて初めてアイスクリームを食べた幼児みたいだと自分でも思う。
 作品の横にはパネルが置いてあって、説明が書かれていたのだが、残念ながら読めなかった。これも子供みたいだった。
 美術館への入場時に作品の説明を各国語で話してくれる音声ガイドを借りられたのだが、面倒で借りなかったことが悔やまれた。いったん入り口へ戻って音声ガイドを借りてこよう、と思ったが生まれつきの方向音痴が災いし、迷子になってしまった。夢中になって作品を見ていたら、自分がどこにいるのか分からなくなったのだ。案内人も案内板が見あたらず、途方に暮れてしまう。人がいっぱいいたら、その後について歩けばいい。だが、このエリアには人がほとんどいなかった。作品鑑賞にはもってこいだが、こうなると逆に不便だ。
 どうしようかなあ……と考え込んでいたら、人を見かけた。キャンバスを立て飾られた絵を模写している。そういう人を美術館の中で何人か見かけた。勉強している画学生なのだろう。集中しているので、ちょっと話しかけにくかったけれど、声を掛ける。
 相手は絵筆を止めた。いやはや、申し訳ない。御迷惑をお掛けしますと言い、たどたどしい外国語で入り口に戻りたいことを伝えると、丁寧に教えてくれた。意外といい奴じゃん! 芸術家って変な奴ばっかりかと思ったら、そうでもないんだ、と偉そうに思う。相手の言葉は、こちらの心へスムーズに沁み込んできた。母国語で会話しているみたいで、驚いた。精一杯のお礼を言って教えられた道を通る。外国へ来るとヒアリング能力が向上するんだなあ……と感動していたら、いつしか周囲に賑わいが戻っていた。入り口に戻って、音声ガイドを借りたいことを伝え……られない。相手の言葉も分からない。別の人に代わってもらって、それでも駄目で、三人目になってやっと会話が成立した。さっき感じた語学力の向上とは一体、何だったのか! しかも閉館間際で音声ガイドを借りられなかった。がっかりである。
 帰り際、先ほど見学したエリアについて聞いてみた。素晴らしい作品ばかりなのに、人が少ないエリアだと説明したが、相手は笑われた。今は観光シーズンなので、館内はどこも大混雑だと言うのだ。そんなことはない、凄く空いていて、快適に芸術鑑賞ができた、また戻って続きを見たい! と言ったら相手は真顔になった。それから羨ましそうな口調で言った。
 美術館の中に、案内板には載っていない不思議なエリアがある、という噂が昔からある。そこは奇妙な空間で、既に失われた芸術品が展示されているというのだ。芸術に興味のある物にとっては夢の世界であり、いつか自分も行って見たいと思っているけれど、ここに勤め始めて三十年以上になっても、そこへは辿り着けずにいる。あなたは選ばれたのだ、それがとても羨ましい、とのことだった。
 何かの間違いだとしか思えなかったので、話半分で聞いていたけど、その都市伝説は有名らしく、帰国後この話をしたら皆に羨ましがられた。
 だけど正直、メリットは感じない。芸術で飯を食べる人生設計はないので、自分が選ばれたとしても無意味だと思う。あの美術館へ再び行く機会があれば別だが社会に出たら、そんな時間は確保できない。どうしろというのか? とも感じている。
 それでも不思議な美術館内の美術館への入館を許された身として、何か芸術活動を始めねばならないかな……と考えないでもない。芸術オンチを卒業するのだ。とりあえず生成系AIをダウンロードしてみた。良いのが出来たら公開したいのだけれど何をやっても、見ていると眩暈がして頭が変になりそうな絵しか創造できずにいる。これも一種の芸術かもしれないが……人には見せられない。

★ イケメン同性愛者のカップルのお話 ★

 市役所に通じる道路は市警の警察官と州兵が完全封鎖していた。市職員は身分証を見せれば通してもらえるが、一般市民は身分を証明できるものを見せても通過が許されない。無理に通ろうとする者は阻まれた。制止を振り切って中へ入ろうとすると逮捕される。抵抗する者は激しく殴打された。幸いなことに死者は出ていないが、完全武装の警官隊と州兵部隊には発砲許可が出ており、死人が出てもおかしくない状況だった。
 異常な事態である。市民からは不満の声が上がっていた。市役所と市警本部そして州兵を統括する州政府に苦情の電話が殺到していたが、市と州当局は無視を決め込んでいる。過激派対策が最優先なのだ。
 これほどまでに要警戒なテロリストとは何者か?
 ジュンとジュネというイケメンな同性愛者のカップルだ。二人は憲法が認める同性婚の権利を行使しようと市役所へ婚姻届けを提出しに行って受け取りを拒否された。州政府の法律には同性婚の記載がないため、書類は認められないというのが理由である。市への抗議がなしのつぶてだったので州政府に抗議文を送り付けたが、これも無回答だった。地方レベルでは話にならないと考えた二人は中央政府の出先機関へ相談した。中央政府の回答は明確だった。同性婚を認めない市と州の対応は憲法違反である。ただちに書類を受理せよ、という命令が市と州政府に送られた。地方政府に結婚を認められなかった同性愛者のカップルが中央政府を味方につけたわけだが、これが市と州当局にとっては体制を揺るがす極悪人に映ったのである。
 この地方が元来、保守的な土地柄だったこと。そして革新政党が与党の中央政府と保守派の牛耳る地方政府の対立があったために、ジュンとジュネの同性婚が大問題に発展してしまったのだった。二人を応援するグループが現地入りし調整を図ったものの解決には至らず逆に、その中の強硬派がデモ行進を実施したことが相手を刺激してしまい、遂に警官隊と州兵部隊の動員による市役所封鎖という事態に至った。
 中央政府は地方の過剰反応を事実上の反乱とみなすか討議を重ねた。反乱とは認定されなかったが、政権内では強硬案が選択される。首都の治安維持を任務とする陸軍空てい部隊と歩兵部隊の現地派兵が決まったのだ。
 中央政府の派遣命令を受け州政府は州空軍に最高レベルの警戒を命じた。州空軍の戦闘機部隊は空てい部隊の輸送機を撃墜し、爆撃機部隊は歩兵部隊を載せたトラックを木っ端微塵に吹き飛ばす準備を始めた。
 情勢の悪化を目の当たりにして、無関係の市民の間に動きが見られた。内戦の勃発を恐れ市街地から逃げ出そうとする者が現れたのである。
 別の動きもあった。一部の市民が同性愛者への迫害を始めたのだ。市警が見て見ぬふりを決め込んだので暴力がエスカレートした。被害者側や報道各社が事実を広く世界に公表したため、世界各国から非難の声が上がった。中央政府は一刻の猶予もないと判断し派遣予定の部隊の出発を急がせると共に、現地駐留の陸軍部隊にも出撃を命じた。
 だが、これは危険な一面があった。現地の陸軍部隊は、その土地の出身者から成る。彼らが中央政府の命令を拒否する恐れがあるのだ。最悪の場合、市と州当局に合流するかもしれない。それは反乱の序章と考えて差し支えなかった。
 中央政府の与党は特使二名を派遣した。一人は地方政府側へ、もう一人はジュンとジュネの元へ。地方政府への特使は市役所の封鎖解除を要求すると同時に、それを拒否した場合の中央政府の対応を伝えた。国境線から移動させた陸軍戦車部隊と最新鋭戦闘爆撃機部隊が数時間以内に進撃を開始するという通告に州軍首脳は震撼した。州空軍の航空機は旧式機が多く、それでは最新鋭機に太刀打ちできない。それに州兵の装備では厚い戦車の装甲を貫けなかった。総攻撃されたら彼らに勝ち目はなかったのである。
 ジュンとジュネに派遣された特使は、市役所への婚姻届け提出を諦めるよう促した。その代わり中央政府が特別措置として二人の結婚を認めると伝えた。
 特使との会談終了後、市と州当局の首長は市役所の封鎖解除を宣言した。ジュンとジュネはマスコミに対し、事態の早期収拾のため特使の提案を受け入れると発表した。そして二人は特使に保証人となってもらい中央政府へ婚姻届けを届け出た。この騒動はそれでようやく収まったのである。
 ところで、この事件がどうして「ジュンとジュネのジューンブライド事件」と呼ばれるかというと、ちょっとした事情がある。二人の婚姻届けが首都の関係省庁に届けられたのは五月末だったが、担当の役人が書類を決裁したのは六月に入ってからだったので、二人が結婚したのは六月ということになったのだ。
 ジュンとジュネが末永く幸せに暮らしたのも、他の同性愛者が普通に結婚できるようになったのも、ジューンブライドのおかげだという都市伝説があるけれど、お題が「都市伝説」だったのは四月のことだ。五月末の今は「ジューンブライド」だけですべての説明が付く。
 腐女子ジューン・ブライド(仮名)は小説投稿サイトで出された四月のお題「都市伝説」と五月末に出された六月分のお題「ジューンブライド」を合わせた掌編を苦労して書き上げ、投稿した。それが上記の話である。

★ イケメン特攻隊員と純情な娘の、身体から始まる本気の恋のお話 ★

 夜陰に乗じ敵艦を攻撃しようと真っ暗な海を航行していた特攻艇を、雲の切れ間に現れた真っ赤な月が照らし出した。上空で日本軍の接近を警戒していた米軍機が特攻艇に気付く。急降下して機銃を撃ってきた。特攻艇の乗員が対空砲で反撃する。その一発が命中したようだ。敵機から煙が上がるのを見て歓声が沸く。だが、歓喜の時はすぐに終わった。別の戦闘機が爆弾を落としたのだ。爆弾の直撃は免れたものの、大爆発で起きた大波を真横に喰らって特攻艇は引っ繰り返った。特攻艇の乗員たちが海に投げ出される。その頭上に銃弾が雨あられと浴びせられた。惨劇から目を背けたいのか、赤い月は雲の影に隠れた。血に染まった海が闇に包まれる。
 やがて朝が来た。唯一生き残った乗員のイケメン青年は特攻艇の建材の木片にしがみついて海を漂っていた。幸い、体に傷はない。だが、それが何だというのか? ここは海の真っ只中である。近くに陸地は見えない。このままであれば、いずれは力尽きて死ぬ。若いので体力はあるが、広大な海と比べたら、砂粒のようなものだ。
 元より死は覚悟している。特攻艇の乗組員で、死ぬ覚悟のない者はいない。敵艦に体当たりして死ぬのが乗員たちの任務だった。体当たりできずに死ぬことが無念なだけである。
 青年は自分だけ生き残っているのが恥ずかしく思えてきた。仲間は皆、海の藻屑となった。それなのに自分だけ、こうして海の上を漂っている。生き恥をさらしている、と彼は思った。木片から手を離し、仲間の後を追うのだ! と彼は心に決めた。
 そのとき、ふと、夏祭りの光景が頭に浮かんだ。出撃前、彼は仲間たちと一緒に、基地の近くの村の夏祭りに出かけた。戦時であり、賑やかな雰囲気はなかったが、それでも若者たちの心は浮かれた。これが最後の夏祭りだと、誰もが思っていた。
 その祭りで青年は、可愛い娘と知り合いになった。純真な島の娘だった。彼女に、もう一度、会いたい。そう思っていたら出撃の日が来た。逢えずに海へ出た。そして今、海に浮かんでいる。
 あの子にまた会いたい、と青年は思った。朝日から方角を導き出す。あちらが東なら、出撃した基地の方向は……おおよその見当がついたところで、青年はバタ足を始めた。木片を頼りに、基地まで泳ぐつもりなのだ。かなりの距離がある。その途中で力尽きる可能性大だ。
 それでも青年は泳ぎを止めない。あの娘と再び会うために。
 そして青年は、その娘が暮らす島へ泳ぎ着いた。浜辺へ上がり、しばらく歩いたところで、力尽きて倒れた。そんな青年を見つけ助けたのが、前述の娘である。命を救われたイケメン青年が彼女へ愛を伝えたのは言うまでもない。娘は彼の想いを受け入れた。そして二人は愛し合った。それは身体から始まった関係だったのかもしれないけれど、やがて本気の恋へと発展していったのだった。

★ イケメン吸血鬼とヴァンパイア・ハンターのヒロインの、危ないお話 ★

 ヴァンパイア狩りで学費を稼いでいる。そう言うと大抵の人は驚く。何しろ危険な仕事だ。皆はきっと、マッチョなタフガイをイメージするのだろう。確かに、そんな体格の男性同業者は多い。でも、皆が皆そうじゃない。虫も殺さぬ顔をした老婦人が恐るべき殺し屋の場合もあるし、月齢三か月程度の乳児が超能力で吸血鬼に幻覚を見せ月光浴のつもりで日光浴させて消し炭に変えるなんてのもある。私みたいに小柄な女子中学生なら、普通ではないにせよ騒ぎ立てるほどのものでもない。
 それでもやっぱりビックリされるし、色々と聞かれる。たとえば、こういうのだ。
「ヒーローと契約で特別な関係になったり、たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことも……あるの!?」
 こんな質問をするのはだいたい、同い年くらいの女の子だ。ヴァンパイアというものに、何かしらの憧れがあるのだろう。
 質問の答えは彼女たちを失望させる。ない、そんなことは全くないのだ。
 まあ、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない。けれど、私に関してはない。私にとってのヴァンパイアはヒーローじゃない、狩りの獲物だ。たくさんの吸血鬼に取り合いされちゃうなんてことの代わりに、一匹のヴァンパイアを仕留めるためにたくさんの吸血鬼ハンターが協力するのではなく互いの足を引っ張り合い、時に人間のハンター同士で殺し合うことがある。人間は吸血鬼以下の存在だと痛感させられる瞬間だ。世紀末はしばらく来ないというのに、もう世も末だとウンザリする。
 それはいい。私の狩りのやり方を教える。ヴァンパイアは血を求めて闇の中をさまよっているので、血の匂いでおびき寄せる。鉄とタンパク質の複合体から精製する人工血液気化ガスの入ったボンベの栓を開けて待つのだ。のこのこ現れたら捕まえる。警官みたいに手錠をかけるわけじゃない。私に見つめられた吸血鬼は、私の言いなりになる。大人しくしろと命じたら動かなくなるし、死ねと言われたら自らの心臓に杭を打ち込む。どういった理屈でそうなるのかは知らない。父が異世界から来た異形の神だったとか、母が滅亡した大宇宙の魔女の生き残りだとか、いろんな仮説を聞かされたけど二親ともこの世にいないので聞くことはできない。
 とっ捕まえた吸血鬼をどうするかというと、売る。美少年が大好物の芸能事務所社長やハンサム大好きなヌン活マダムがお得意様だ。中産階級の家庭にも売れる。ちょっと良いところで、箱入り娘がいるような家だ。親が買って、お嬢様にあてがうのである。意外に思えるかもしれないが、売上高はこちらの方が多い。車を買い与えるような感覚だろうか。
 どうして吸血鬼を娘に与えるのかというと、変な虫が付かないようにするためだ。凄いイケメンで人間離れした戦闘能力を持つ吸血鬼にかなう男なんか、まずいない。要するにデカい蚊がボディーガードになって、他の男が寄り付かないようにしてくれるのである。蚊に刺されたらどうするのって心配はご無用だ。吸血鬼に生殖能力はない。絶対に避妊してくれるボーイフレンドなら親は安心だ。娘と家族に危害を与えぬよう私が命じたら絶対服従するので、飼い主には噛みつかないことは保証済みだ。
 そんな従順な美男子が選り取り見取りなんて、羨ましい! とやっかむ子がいるけど、私は全然うれしくない。私にとって吸血鬼は売り物にすぎないのだ。好きも嫌いもない。とっ捕まえて売るだけだ。
 そんな現実主義者の私も年頃の女の子だ。いつか素敵な彼と巡り会いたい。繰り返すけど、それは吸血鬼じゃないよ。売り物に手を付けるのはプロじゃないから。イケメン吸血鬼を捕獲しても、絶対に惚れない。

★ イケメンの不良男子とダンス部女子部員の、汗だくの絡み合いのお話 ★

 ダンス部の朝練を終えたあたしは汗だくになって教室へ入った。窓を閉め切った室内は蒸し暑い。あたしはエアコンのスイッチを入れようと壁のリモコンに近付いた。リモコンを壁のホルターから外す。その表示を見て、あたしの頭は沸騰した。暖房になっている。しかも設定は三十度だ。
「なにこれ、どこのバカが入力したのよ! 真夏に暖房なんて頭おかしくなりそう!」
 朝の七時なのに三十度を超える炎天下の中で練習してきたせいで熱中症になりそうだったあたしは、熱と怒りで震える手でリモコンの設定を変え始めた。そのときだった。
「悪いけど、しばらく、その設定で頼む」
 振り返ると学校一のワルなイケメンと噂のワイ君が立っていた。その顔は、あたし以上に汗だくだった。それもそのはず、全身をサウナスーツに包んでいる。気は確かか! とあたしは思った。
「なんなの、その格好」
 見ているだけで暑苦しい姿のワイ君がひび割れた声で答えた。
「減量がうまくいかなくて」
 ワイ君はキックボクシングのプロ選手だ。家計を支えるため勝負の世界に身を投じ大金を稼いでいるとの噂だった。キックの鬼の再来と呼ばれる有望株らしい。でも、楽な戦いではないようだ。試合のたびに減量をしている。それが大変らしい。身長が大きくなっているから、同じ階級に留まろうとすると、それだけ過酷な減量をしなければならない……みたいな話を誰かが言っているのを聞いたことがあるけど、そんなのあたしの知ったこっちゃない。
 リモコンのボタンをピッピと押し始めたあたしに、ワイ君が食って掛かる。
「止めてくれ、今度の試合に、俺は人生を賭けているんだ。あと少し、もう少し減量すれば……頼む、お願いだ」
「うるさい!」
 哀願するワイ君を無視して、あたしはリモコンを操作した。すると、相手はあたしからリモコンを取り上げ、壁掛けホルターに戻した。
「他の人が来るまで、この温度で頼む」
「あたしは暑いの!」
 あたしは壁のリモコンに取り付いた。操作するあたしをワイ君が邪魔する。
「この野郎、退け!」
 腹の底から怒鳴って手を振り回したら、拳がワイ君の側頭部にぶつかった。ゴン! と凄い音がしてビビった。
「痛い!」
 手の甲を抑えるあたしの目の前で、ワイ君がヘナヘナと崩れ落ちた。素人のあたしにノックアウトされたのだ。これが学校一のワル? 若手の有望株? と嘆かわしく思ったけど、それはこの際どうでもいい。
 冷房を最強で稼働させたわたしは、必要以上に甲高い声で「ワイ君、大丈夫? しっかりして!」と言いながら、わざとらしく介抱を始めた。

★ 文化系イケメン占い男子と肉体派女子がキスするお話 ★

 文化祭当日、私は朝から絶好調だった。今日は何もかもが上手くいきそうだと思った。予感は当たり、午前中のダンス部のパフォーマンスはバッチリだった。これなら午後の腕相撲大会女子部門での優勝は間違いなしだと確信した。練習試合では無敗だったし、何事もなければ、賞品の無料お食事券五千円分ゲットは確実だろう。
 その油断があったせいかな。私は階段を三段飛ばしで駆け下りる途中、足を滑らせた。頭から落下する。手を突かないと大怪我だ! と必死に床へ手を伸ばしたとき、誰かに体を支えられた。
「お前、大丈夫かよ!」
 階段から転げ落ちそうになった私を抱きとめてくれたのは、イケメン同級生のワイ君だった。私の顔を覗き込んで心配そうに尋ねてきたので私は平気だと強がった。それから相手の手を振り払って言った。
「変なとこ触らないで」
 ワイ君はブチ切れた。
「助けてやったのに、そんな言い方ないだろ」
「偉そうに言わらないで」
 辺りを見回してからワイ君は言った。
「ここだけの話だけど、今のでお前の運気は低下した。うちの学校にいる神様が、お前の態度の悪さに腹を立てたからだ」
 何言ってんだ、こいつ! と思ったけど、同時に私はゾッとした。うちの高校は昔のお城の跡地にあるんだけど、お城が建てられる前は神様を祭る神聖な場所だったそうで、地元の人は今も学校の敷地の隣にある小さな祠を参拝に訪れる。
 中には学校の内外で神様らしき何かを見たという人もいる。どうやらワイ君もその一人らしい。
 でも、そんな話を私は信じられない。ワイ君は占い部で一番の腕利きという評判は聞いているけど、それにしたって運気の低下はないって!
 相手にすると変なのがうつりそうだったので、私はワイ君に触られた胸やお尻の部分の制服をわざとらしく手で払ってから、その場を立ち去った。
 ワイ君との一件があってから数時間後、私は絶望の淵に立っていた。謎のコンディション不良に見舞われていたのだ。
 今のこの状態で、腕相撲大会を勝ち上がれることはできるだろうか?
 保健室で休めば治るかもしれないが、ゆっくりしている時間は残されていない。
 それでも、ベッドで横になれば少しは楽になるかも……と考え、保健室へ行ってベッドでひと眠りしたら、夢の中に白い人影が現れ「自分は神様だ」と名乗ってきたから驚いた。
 神様は言った。この学校の文化祭は神事である、と。いうなれば神に捧げる祭りなのに、お前の不貞腐れた態度で神聖な場の空気が悪くなった、責任取れ! とのことだ。
 知ったこっちゃねえ! と怒鳴り返してやりたくなったが、夢の中だとどうもうまくいかない。
 そんな私に神は告げた。
「ワイ君に御礼の接吻をしろ。そうすれば万事うまくいくようにしてやる」
 何を言ってんだ、この変態! と怒鳴る自分の声で目覚めた。保険の先生が驚いてベッドにやって来た。
「先生、何でもありません。良くなったので失礼します」
 私は保健室を出ると占い部が催しをやっている教室へ直行した。部屋の前には行列ができていた。占ってもらおうという連中が多いことに驚きつつ、人の列をかき分け室内に入る。黒いカーテンで雰囲気を出す教室の真ん中に、ワイ君がいた。
「何だ、また喧嘩を売りに来たのか」
 占いグッズが載った机の後ろに座っているワイ君は、私の顔を見て不機嫌な口調で言った。その場の空気が悪くなったと、霊感も何もない私でも感じられた。間違いない、神は今、ここにいる。
 私はワイ君に近づいた。その顎をクイッと持ち上げ、唇に口づけする。
 用を済ませた私はワイ君から手を離した。左右に目をやって「キスはした。今度はそっちの番だから」と言う。硬直しているワイ君を置いて部屋を出る。腕相撲大会が開催される講堂へ向かう。試合開始前、神に祈りを捧げる! なんてことはしない。神頼みは嫌いなのだ。ただ神に、お前の義務を果たせ! とだけは言った。
 優勝賞品の無料券を手にホクホク顔で下校する私を、校門の横で待っていたワイ君が呼び止めた。
「なに? 私になんの用なの?」
 警戒する私に、顔を強張らせてワイ君は言った。
「どうしてあんなことをした」
「ああ、あれのこと? それはね、神様がやれって言ったから」
 ワイ君は唖然とした。
「そんな理由で? あれは僕のファーストキスだったんだぞ!」
 男のくせにファーストキスがどうとか馬鹿か! と私はせせら笑ってから言った。
「私もそうだから、おあいこ。どう? 一緒に何か食べてかない? 私が奢るから」
 断るかと思ったら、畜生め、ワイ君は話に乗ってきやがった。それが私たちのファーストデートとなった。

★ イケメンの総長あるいは若頭に溺愛されるカフェの女性店員のお話 ★

 昔、ベリーズに住んでいた。中米の小国だ。私が暮らしていたときはイギリス領ホンジュラスという名前だった。その国で一番大きいベリーズシティという港町のカフェで私は働いていた。ある日、日本からイケメンの旅行客が来た。精悍な男だった。どことなく悪な雰囲気を漂わせていた。ジャングルのジャガーを撃つのだと言って大きな猟銃を持参していた。
「仕事を休んで、一緒に行かないか?」
 愛し合った後で男は唐突に、そう言った。
「どこに?」
「ジャングルだよ」
「危ないわよ」
「ジャガーなら怖くない。大物をハンティングに来たんだ。出くわしたら、射殺する」
 ベッドの中で男はニヤッと笑った。物騒なのは猛獣だけじゃない、と私は言った。
 イギリス領ホンジュラスは当時、隣国のグアテマラとの関係が悪化していた。領土問題が発生していたためだ。グアテマラは国境に軍隊を配置し圧力を掛けた。対抗してイギリスも軍隊を増強した。ジャガーが生息している国境沿いのジャングルは両軍が睨み合い、一触即発の危険地帯と化している。
「そんなとこへ行って紛争に巻き込まれたら、どーすんの」
 そう言う私に男は背中の刺青を見せた。
「俺は極道だ。切った張ったの大立ち回りには慣れている」
 だからといって自分が撃たれかねないジャングルの奥地へ行かなくとも良いだろう……しかし、のこのこ一緒に出かけた私に偉そうなことは言えない。若さゆえの過ちというやつだ。しかし過ちを犯したのは、それだけの理由があるからだ。何しろ、あの男はカネがあった。その後に比べると安かったが、それでも当時の日本円は強く、海外では使い出があったのだ。
 現地に行って、男は落胆した。狩猟ガイドたちは口を揃えて「ジャガーたちは大勢の兵隊を恐れて姿を消した」と言ったのだ。
「なんだよ、畜生め! ここまで来てジャガーを撃てないっていうのかよ! こんなの、やってられないってんだ!」
 男は怒り、酒を浴びるように飲んだ。そして宿で私を溺愛した。まるで私が猛獣の雌だと勘違いしているような激しさだった。
 疲れた男がいびきをかいて寝ている夜明け前、私は宿のベランダから外を見た。ジャングルの上は星明りが眩しい。地表は暗黒に包まれている。虫や鳥の鳴き声が聞こえてきた。その音がピタリと止まった。闇の中に二つの光が見えた。よく見てみると、二つの光が一緒に動いていることが分かった。さらに目を凝らす。光は私に近づいていた。それが獣の目だと分かったのと、私の悲鳴。どちらが先だったのか。光が獣の目だと気付いたことの方が、わずかに早いだろう。獣の動きは、もっと早かった。獣が近づいているというのに動けずベランダで立ち尽くす私に飛びかかる。
 狩猟ガイドが後から教えてくれた。襲ってきたジャガーは、親離れして間もない子供だったから、貴女は助かったのだ、と。
 狩りに慣れていない子供の個体だったので、獲物との間合いを測れず、ベランダの柵に当たって無様に引っ繰り返った。私の悲鳴を聞いて宿の他の客が騒ぎ出し明かりを灯したものだから、私を襲撃したジャガーは驚き、その場を逃れた。おかげで私は難を逃れたのだ。
 その間、男は起きなかった。ホテルの中は大騒ぎだったのに、泥酔していて夢の中だったのだ。
 翌朝、目覚めてから男は事実を知った。そして怒り出した。
「どうして俺を起こさなかった! ああん? あれだけ俺がジャガーを撃ちたいって言っていたのによ、てめえ、俺を舐めてんのか!」
 そして男は私を何度も殴り蹴り、それから猟銃の先を私の口の中に押し込んだ。
「お前ら女は皆、男から痛めつけられるのが大好きな屑だ。俺はちゃんと知っているんだ。お前らの好みをよ! お前らが好きなのはヴィラン、ワルい男、極道、不良、総長、そんなのばっかりだ。小説投稿サイトを見て勉強してっから、分かるんだよ!」
 男は猟銃の引き金を握る指に力を込めた。カチリと大きな音が鳴った。私は絶叫したが筒先を押し込まれた口からは「ホガホガ」という空気しか漏れなかった。そんな私を見て男は笑った。
「弾丸は入れてねえよ、バカ! ここで撃ち殺すわけねえだろバカ。おまえ、本当にバカだな! ギャハハ、獣以下のオツムだな」
 それから男は私を溺愛した。男は結局ジャングルでの日々をジャガー退治ではなく私を溺愛することに費やした。
 男とはベリーズシティの街角で別れた。日本の暴力団の総長だか若頭という肩書の男は別れる時、私に米ドルを幾らか支払った。それから今日まで、一度も会っていない。もう名前も忘れた。でも、溺愛された思い出だけは消えていない。忘れられないのだ。あんなにも溺愛された体験は、あれが最初で最後だった。

★ パーティーでイケメンに告白されたヒロインのお話 ★

 突然の告白をされても私は驚かなかった。彼が私を好きなことは薄々わかっていたから。だってパーティーが始まってからずっと、私を見続けていたもの。好みの顔をしたイケメンに愛を伝えられて、私は心が浮き立った。
 私が衝撃を受けたのは、彼が仮面を外し自分の正体を話し出したときだ。
「僕の名はロミオ。モンタギュー家の息子ロミオだ」
 美しい面立ちの青年は確かに、そう言った。その言葉を聞いて、私は動揺した――ちょっとちょっと、ちょっと待ってよ! あなたがロミオって、それ本当なの?
 深呼吸して気持ちを鎮めようとしたけど、上手くいかない。私は震える声で言った。
「よく聞いて。私はジュリエット。私の名前はジュリエットなの。ねえ、その意味、わかるよね?」
 私が言っている意味が通じたようだ。ロミオの顔は蒼白になった。
「ジュリエットって……まさか、あの、キャピュレット家の娘の、ジュリエット?」
 私はコクンと頷いた。相手も、それに合わせて小さく頷いた。
「よりによってキャピュレット家の娘を好きになってしまうなんて……信じられないよ。愛の告白をした相手が、キャピュレット家の娘だなんて、思いもよらなかったよ」
 そう呟いたときのロミオは、これ以上ないくらいに絶望的な表情だった。見ているこっちが切なくなるほどに。
 そのとき私は、自分がロミオを深く愛してしまったことを悟った。愛しい彼の口から悲し気な呟きが漏れる。
「こんなに愛している女性がモンタギュー家の仇敵キャピュレット家の娘だなんて……悪夢だ。これが、何かの間違いであってくれたら」
 ロミオは潤んだ瞳で私を見つめた。私も彼を見つめ返し、涙声で呟いた。
「ねえロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」 
 ロミオは答えなかった。答えたくても答えようがない質問だった。
 私たちはイタリア北部のヴェローナで生まれた。ヴェローナは二つの名門貴族が街の支配をめぐって長年争っている。その一つが私の実家、キャピュレット家。もう片方がロミオのモンタギュー家だ。両家の闘争は数代前から続いていて、互いを仇敵として憎み合っていた。
 その家の人間同士が交際するなんて絶対にありえないことだった。親兄弟はもちろんのこと、親戚からも反対されるに決まっている。絶縁とか勘当とか、普通にありえるくらいの大問題なのだ。
 もしも、そうなったら、どうしよう?
 自分が家を追い出されるなんて、私は今まで考えたことがなかった。
 そう、今この瞬間まで、そんなこと一度も考えたことがなかったのだ。
 でも今、私は家を出ていく自分の姿を想像している。
 私は実家を出て、愛しいロミオと二人で生活するのだ。
 誰にも邪魔されない、二人きりの生活の様子が、私の心に浮かんで見えた。
 それは夢のような暮らしだった。
 突然ロミオが私を抱きしめた。私は抵抗しなかった。
「もう我慢できない。二人きりになろう」
 誘いの言葉に、私は沈黙で答えた。

★ 恋人たちの中を引き裂こうとするイケメンのお話 ★

 その日は朝から街の様子がおかしかった、とヴェローナに暮らす連中は後になって言った。当時ヴェローナで暮らしていた俺の感じでは、特に何も変わらない普段通りの朝だった。だが、そう思わない者たちがいた。朝が訪れる遥か前からコーカサスアサガオが花開いていたから縁起が悪いとか、その花びらに嘴を突っ込んでいたのが絶対に夜は飛ばないことで知られるアルプスハチドリだったとか、夜明けを告げたのが雄鶏ではなく雌鶏だったとか、だからどうしたと言いたくなるような話をさも大ごとであるかのように顔を寄せ合い不安げに語り合っていたのを覚えている。迷信深い一部の輩が騒ぐものだから、一般大衆の気分は揺らぎ、それに引きずられて理性的な者たちも変な具合になった。それは俺の伯父さんも同じだったように思う。
 いや、そうでもないのかな。
 それこそ、俺の思い込みなのかもしれない。いつもは冷静沈着な伯父さんが、公正なヴェローナ太守として皆から信頼されている人が、あんなに慌てた様子を俺はそれまで見たことがなかった。これは天変地異の前触れかも! と心配した覚えがある。
 その影響で、俺の記憶が混乱してしまったのだろうか? ヴェローナを支配する者と支配される大衆の不安が俺の内部で入り混じり、不正確な形で脳裏に刻み付けられてしまったのだろうか? まあ、どっちでもいい。話を進めよう。
 その日の前の晩、俺は悪友たちと悪所で博打をやり、すってんてんになりかけて、そこからの逆転! で儲けた金を次の勝負で使い果たし、そこから少し勝って金を取り戻すという盛り上がるともそうでないとも言い難い結末と美味い酒を味わいつつ寝た。翌朝は日が昇る前に起きた。喉が猛烈に乾いていた俺は建物を出て、近くにある井戸へ行って冷たい水を汲んで飲んだ。生き返った思いがした。体の隅々に水分が行き渡ったためだろう。さっきまで感じなかった風の涼しさが心地好かった。
 その時分かな、朝日が昇ったのは。夏の太陽は地表を焼き尽くす勢いで照り付けるが、明け方のうちなら、まだ可愛いものだ。俺は朝日に向かって祈りを捧げた。それからグーンと背伸びをした。二日酔いは抜けている。体調は快調だ。さ~て今日一日、何をして過ごすか? なんて考えていたら、通りの向こうからこちらへ進んでくる人馬が目に入った。
 人も馬も体格の良いのが遠目からも分かった。馬上の人は立派な鉄兜を被った男だった。朝の光が金属に反射してキラリと眩しい。後ろに馬がもう一頭続いていた。そちらには荷物がくくり付けてあった。長くて太い槍が左右に数本下がっているのが見えた。
 傭兵だろうな、と俺は判断した。ここ北イタリアは政情不安定だ。各都市が争う群雄割拠の戦国時代と言って構わないだろう。戦争は日常茶飯事なので、それを職業にする者は多い。この男の持参している兜や槍から、そういった連中の一人だと俺は見て取ったのだ。
 勤め先を探しているのだろうか……なんて考えている俺に、その男は笑顔で声を掛けてきた。
「その井戸の水を飲ませてもらえるかな。喉も心も渇ききっていて、もう我慢ができそうにないんだ」
 あいにく俺の井戸じゃない。だが、飲ませる分には問題ない。
「いいさ旅人。たっぷり飲みなよ」
 男は馬を降りた。井戸の水を汲んで一口飲み、それから二頭の馬にも飲ませてやった。
 俺は男の顔をじっくりと観察した。ワイルドなイケメンだと思う。頬に生えた髭は黒くて濃い。その肌は同じくらい黒い。旅人は白人ではなかった。黒人だ。
 ヴェローナで有色人種を見かけることはまれだ。同じイタリアでもアフリカに近い南部は、地中海を隔てたスペインみたいに有色人種のムーア人を普段の生活で目にする。北イタリアでも、地中海貿易で繁栄しているヴェネツィアやジェノヴァなら、まあまあ見る機会は多い。ヴェローナはヴェネツィアから凄く離れている! というわけじゃないけれども、どういうわけか異人種に接することが少ない。主要な交易相手は北部ヨーロッパなので、南の地中海より北のアルプスの方へ気持ちが向いているせいだろうか。
 喉の渇きを癒した男は兜を取り、冷たい井戸水を頭にぶっかけた。縮れた黒髪が水を弾く。それから旅人は綺麗な木綿のハンカチーフを懐から出して顔を拭いた。
「ああ、さっぱりした。どうもありがとう、もう一つ願い事があるのだが」
「俺にできることなら」
「ヴェローナ太守の館はどこだろう? 良かったら教えてくれないだろうか?」
 そこに俺は住んでる! と言い出しかけて止めた。
「ヴェローナ太守に何の用だい?」
「雇われたんだよ、ヴェローナ太守に」
「ヴェローナ太守に雇われて、ここに来たのかい? 何の仕事だろう?」
「こちとら生粋の軍人だ。傭兵の仕事をするんだ」
 当たり前のことを聞くな、といった表情だった。
「兵隊かい?」
「隊長として雇われた。兵隊を束ねる指揮官だな」
 俺は少しばかり驚いた。傭兵隊長の仕事はエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノという生粋のヴェローナ人が既にやっている。この男は、その代わりに指揮官に就任するのだろうか? その人事をヴェローナ太守である伯父さんが決めたのだろうか?
 そんな疑問を俺が抱いたのは訳がある。伯父さんは政治的なバランス感覚に優れている。そんな伯父さんが、遺恨を残しそうな人事をするだろうか。
 そうは思ったが、政治の世界はややこしい。何が起こるか分からない。
 例を挙げる。
 伯父さんはヴェローナ出身者ではない。西の大国ミラノから送り込まれた異国人だ。いわゆる余所者が、どうして太守を勤めているかというと、親ミラノ派ヴェローナ人が招聘したからである。
 親ミラノ派の代表はキャピュレット家だ。キャピュレット家の敵であるモンタギュー家は東の大国ヴェネツィアとの関係が深いグループの頭目だ。モンタギュー家を中心とした親ヴェネツィア派にとっては、ミラノが送り込んできたヴェローナ太守の伯父さんは、目の上のたん瘤なのだ。何か機会があれば失脚させようと企んでいる。
 そういう状況なので、余所者の伯父さんとしては、一般的なヴェローナ人の嫌ミラノ感情悪化を誘発するような事態を避けたいはずなのだ。
 肌の色が違うだけで、何が気に入らないのか騒ぎ立てる者たちは多い。白人のヴェローナ人傭兵隊長の代わりに黒人を就任させるというのは、親ヴェネツィア派のモンタギュー家グループが待ち望んでいた厄介事の種であるように思われた。
「貰った手紙には、可及的速やかにヴェローナ太守の元へ参上するよう書かれていた」
 そう言ってから男はニヤッと笑った。
「案内してくれたら、お礼を差し上げよう」
 俺は男を連れて家に戻った。ヴェローナ太守の館はアディジェ川の流れに面した小高い丘に建っている。館を防御する堀を兼ねたアディジェ川の支流に架かる橋を渡り袂の詰め所にいる門番の前を顔パスで通過する俺を見て、男は言った。
「一つ、聞いていいかな」
「何なりとどうぞ」
「ヴェローナ太守の甥のパリスというのは、あんたかい?」
 俺は足を止めた。
「そうだけど……よく分かったな」
「就職先について、ちょっとばかり調べたんだ。おっと、口の利き方に気を付けるべきだったな!」
 男はカラカラ笑って言った。
「子供のいないヴェローナ太守は甥御殿を後継者にしようとしていると聞いている。つまり、未来のヴェローナ太守様だ」
 俺の顔を覗き込んで男はウィンクした。
「ここに長く勤めるようなら、あんたとの関係を良くしておかないとな」
 その割には口調が変わっていないけど、それはこの際どうでもいい。新しい傭兵隊長が到着したことを伯父さんに伝えるよう、召使いに命じる。
「それじゃ、俺はここで」
「せっかくだから一緒にどうだ? 伯父貴(おじき)に朝の挨拶をしてないんだろ?」
「遠慮しとく」
「顔を合わせたくないってか」
 俺は男を睨んだ。男は気にしていない様子だった。
「噂には聞いている。最近、二人の関係がぎくしゃくしているとな」
 それから男は微笑んだ。
「良かったら話してみな。何かの力になれるかもしれないぞ」
 俺は何も言わず、その場を去ろうとした。伯父さんの元から戻って来た召使いが俺も一緒に執務室へ来るように伝えた。男は俺を横目で見た。どう出るか、様子を窺っているのだ。
 このまま自分の部屋へ戻っても良かった。だが伯父さんとの不和の噂話をされた直後だ。このまま自室へ引きこもるのも癪だった。俺は男の後ろに付いて伯父さんの部屋へ入った。伯父さんは落ち着かない様子で俺たちを迎え入れた。こんなに落ち着かない伯父さんを見たのは生まれて初めてだったので、俺は驚いた――という話は、もう書いたよな。
 男は落ち着いた声で自己紹介した。
「お招きにより参上した、オセローだ。ヴェローナ太守殿、よろしく頼む」
 この黒人の名はオセローというのか……と俺は思った。そして思い出した。隣国ヴェネツィア初の黒人将軍の名がオセローだったことを! 派閥争いか何かの影響で、左遷されたとか解任されたとか噂に聞いたが、その男がヴェローナへ来るとは考えてもみなかった。
 となると伯父さんは、ミラノと対立するヴェネツィアの高級軍人をスカウトしたことになる。
 俺は不安になった。このヘッドハンティングはヴェネツィアの感情を害してしまったのではないかと考えたからだ。
 自軍の将軍が敵国に引き抜かれたとあれば、機密情報が丸々漏洩したも同然だ。報復のためヴェネツィアはミラノと、その同盟国であるヴェローナに対し、何らかの軍事的アクションを起こす恐れがある。最悪の場合ヴェローナは戦場となるだろう。
 それが俺の不安だったが、伯父さんの狼狽は別の理由からだった。
「オセロー、早速だが仕事だ。いや、戦争ではない。軍務でなく人狩りだ。そちらの方も得意としていると窺っているが」
 伯父さんの確認にオセローは胸を張って答えた。
「任せてもらおう。何が起こったのだ?」
 その口調はヴェローナ太守に対する口調とは言いかねた。俺は伯父さんの顔色を盗み見た。よほど焦っているようで伯父さんはオセローの言葉遣いを注意せず、事件の概要を話し始めた。
 昨夜未明、キャピュレット家の一人娘ジュリエットが失踪した。彼女の姿が最後に目撃されたのは従姉妹のロザラインの屋敷だ。そこで開かれたパーティーに出席して、仮面を着けた男と話をしているところを何人も見ている。やがて二人はパーティー会場から消えた。
 そこで伯父さんは言葉を切った。オセローは目で先を促した。
「明け方になって、キャピュレット家に手紙が届けられた。届けたのは物乞いの老婆だ。暗いうちから残飯漁りに精を出していたら、通りがかった若い金持ちの娘からキャピュレット家へ手紙を届けてくれたら必ずお礼をすると言われて渡されたそうだ」
 オセローは人差し指を上に挙げた。
「その娘は一人だったのか?」
「連れの者は近くにいなかったらしいが、まだ暗かったから物陰に隠れていて見えなかったのかもしれない」
「わかった。話を続けてくれ」
「手紙はキャピュレット夫人が読んだ。それがこれだ」
 オセローは伯父さんから渡された手紙を広げた。一読して俺に渡す。俺は受け取った手紙の文章を音読した。
「お父様、お母様。これから私は愛した青年と一緒に旅立ちます。二人で愛の日々を送るためです。その男性はモンタギュー家のロミオです。そうです、我がキャピュレット家の仇敵モンタギュー家の嫡男です。二人の結婚を、とても許していただけないと思い、駆け落ちすることにしました。幸せになります。どうか探さないで下さい。私たちの結婚式にお二人をご招待できないことを、本当に申し訳なく思っています。わがままなジュリエットを、どうぞお忘れになって下さいませ」
 俺は手紙から顔を上げた。伯父さんと目が合った。伯父さんは俺を睨んでいた。伯父さんが言いたいことは分かる。だが、俺は伯父さんの思いとは逆のことを言った。
「二人の幸せを祈ってやろう、愛し合う恋人たちの将来を祝福してやろう。そんな気分になりますねえ」
 伯父さんは顔をしかめた。
「バカなことを言うな。これが何を意味するか、分かっているのか!」
「宿怨のある名門貴族の子供たちが、婚礼の祝宴を二人きりで上げようとしている、ですかねえ」
「ふざけるのもいいかげんにしろ。キャピュレットはカンカンに怒っている。一族郎党や仲間の貴族を引き連れてモンタギュー家に殴り込みをかけようという勢いだ」
 そうなったらヴェローナは街を二分する戦場に早変わりだ。なるほどヴェローナ太守の伯父さんがカリカリしているのも納得だ。
「それでもですよ、もう二人は駆け落ちしてしまったんです、どうしようもないじゃないですか」
「連れ戻す。二人をそれぞれの家に帰すんだ。それで状況は元通りだ」
 愛し合う恋人同士を引き裂いて得られる平和に何の価値があるのだろうか? と思うがヴェローナ太守としてはキャピュレット家とモンタギュー家の両勢力の均衡状態が最も価値あるもののようである。
「オセロー、聞いての通りだ。ロミオとジュリエットをヴェローナに連れ戻すこと。それが貴殿の任務だ」
 オセローは寂しげな笑みを浮かべた。
「二人だけの結婚式を、真夏の夜の夢のままで終わらせるのが初仕事とは……因果なものだな」
 伯父さんはオセローに対し「頼りにしている」と言った。頼られた黒人将軍は不敵に笑って頷いた。

★ 愛し合うことに疲れたイケメンと悪役令嬢のお話 ★

 ジュリエットはヴェローナの名門貴族キャピュレット家の箱入り娘である。初心な少女なのだろうと誰もが夢想する。
 イケメンのロミオもそう考えていた。だが、予想とは違った。そう、まったく違ったのだ! その辺りからジュリエット拉致計画が少しずつ狂い始めたと言っていい。
 疲れ切ったロミオが洗面所で顔を洗ったとき、鏡に映った自分の顔が一晩でげっそりやつれてしまったことに気付いて、足が震えるほど狼狽した。こんなことは今まで、一度もなかった。彼は老いさらばえた死に損ないではない、まだ十代の若者なのだ。それなのに、まるで中年男のような相貌が鏡の中にあった。理由はハッキリしている。それほどジュリエットはタフだったのだ。休みたい、と彼は思った。洗面所を出てベッドへ戻る。だが、そこは安息の地ではなかった。
「ロミオ、駆け落ちしましょう。二人で誰も知らない場所へ行きましょう! どこか遠いところへ!」
 ベッドで待ち構えていたジュリエットが懇願した。彼女はロミオと二人っきりになってから、ずっと同じことを言っていた。そんなことより眠らせて欲しい、と正直ロミオは思ったが、彼女にそう言って欲しいと願ってもいたので、その願いを聞き入れる旨をまた伝えた。
 嬉しい、と泣いてジュリエットはロミオにすがりついた。その肩を抱き「二人で駆け落ちしよう、遠くまで行こう」と同じような台詞を繰り返しつつ、彼は頭の中で計画をおさらいした。
 ジュリエットに告白し、求愛を成功させる。
 この第一段階はクリアした。
 一緒に駆け落ちするよう、ジュリエットを説得する。
 この第二段階も説得するまでもなく向こうから提案されたのでクリアだ。
 次に二人でヴェローナから旅立つ第三段階へ入る予定だった。結構予定時刻は夜更けの人の少ない時間帯で具体的には今頃が最善なのだが、ロミオに不都合が生じた。疲労困憊で、その元気がなかったのだ。
 夜が明けたら人目につくので二人は街中を歩けない。キャピュレット家の一人娘と、キャピュレット家と同じくヴェローナの名門貴族であるモンタギュー家の跡取り息子が仲良く一緒に歩いているところを市民たちが見たら、それこそ大騒ぎになってしまう。キャピュレット家とモンタギュー家の対立は根深い。その両家の二人が仲睦まじく街を歩いていたら、異常事態なのだ。
 駆け落ちの準備は既に出来ている。街外れに馬を用意してあるのだ。今から向かえば日の出の時刻には馬が隠された街外れの古い屋敷跡へ到着する。しかし、そこへ行くのが面倒だった。そこそこの距離があり、歩くのは大儀なのだ。
 ロミオはジュリエットへの求愛に失敗した場合に実施する予定だったプランについて考えていた。
 ジュリエットがロミオを袖にしたとき――邪険に跳ね除けられた場合は、ロミオはジュリエットを誘拐するつもりだったのである。そのときに備え、待機している仲間が数人いた。その助けを借りて、街外れにある屋敷の廃墟まで連れて行ってもらおうか、と彼は考えていた。
 だが……あいつらは今、どこにいるのだろう? とロミオは頭を悩ませた。
 ロミオとジュリエットが今いる、この屋敷の中にいたら良いが、出て行ってしまっていたら面倒だ。
 いや……仮に、この邸内にいたとしても面倒なことに変わりない、とロミオは苦々しく思った。
 ロミオの仲間たちは部屋の様子を盗み聞きしていた。彼らはジュリエットの方から駆け落ちの話を切り出すのを聞いて、作戦成功を確信したはずだ。前祝いとばかりにパーティー会場へ戻り酒を呷って女たちに声を掛け……そして自分たちのお楽しみに励んでいる恐れがある。
 キャピュレット家の一員で、ジュリエットの従姉妹であるロザラインの邸宅は広い。その客室をノックし続けていたら、夜が明ける。
 対策を考えたがロミオは自分の脳内に答えを見出すことが出来なかった。
 疲れのせいだろうか? いや、そうではあるまい。ロミオは元々、思慮深いタイプではなかった。
 そんな彼でも頭を働かせることは可能だ。
「喉が渇いた。飲み物を持って来る」
 そう言ってジュリエットに口づけしたロミオは部屋を出た。仮面を着けてパーティー会場へ向かう。
 そこには二種類の人間がいた。一つは仮面をかぶっていない者たち。これはキャピュレット家の者たちや同家と友好的な人間が大半だ。ロザラインが主催するパーティーに正式な招待状を持参して訪れている。仮面は不要なのだ。
 もう一方のグループは、招待状無しの連中である。これは一夜のお楽しみを求めてロザライン邸を訪れた輩だ。ヴェローナの街の貴族や富裕な商人などの階層がほとんどである。正体を明かしたくない者ばかりなので、仮面は必須だった。
 逆に言うと仮面を着けてさえいれば、キャピュレット家の仇敵モンタギュー家の人間であるロミオと彼の取り巻きでもロザライン邸のパーティーに参加することが出来た……門の中に入る前に、目玉の飛び出るような額の参加費を払わねばならなかったが。
 パーティー会場でロミオは仲間たちの姿を探した。しかし残念ながら悪い予想通り、彼は悪友たちを見つけることが出来なかった。
 その代わり、ロザラインを見つけた。正確に言うと、彼女がロミオを見つけ話しかけてきたのだ。
 ロザラインは陽気に尋ねてきた。
「どう、上手くいっている?」
 ロミオは明るく答えた。
「順調だ、万事順調だ」
 ロザラインは勘が鋭い。声を低くして再び尋ねる。
「で、本当のところはどうなの?」 
 つばを飲み込んでロミオが答える。
「くたくた。早く寝たい。それで仲間を探しに来た。馬車を用意してもらおうと思って」
 ロザラインは豪華な扇子で口元を覆い隠した。
「だらしないわね。まだ若いんだから、しっかりしなさいよ」
 ロミオは自嘲気味に笑った。その張りのない笑い声がロザラインをさらに苛立たせた。男の腕を取り人目の付かない小部屋へ連れ込む。そしてドレスの胸元から覗く美しい谷間から小瓶を取り出した。シャカシャカ振って蓋を取り、ロミオの鼻の下に小瓶の口を押し付ける。
 小瓶の口から出てきたガスの刺激臭でロミオは激しくせき込んだ。蓋を閉めた小瓶を腹の上の双丘の隙間に戻したロザラインが言った。
「気付け薬よ。効き目がしばらく持つから、その間に屋敷を出て、街外れに向かいなさい。馬に乗ったら後は馬に任せなさい。隠れ家で連れて行ってくれるわ。ただし、あんたが落馬するんじゃないわよ」
 ゲホゲホが収まったロミオが尋ねる。
「あいつらに頼めないのかい? あいつらは駄目なのかい?」
「あんたのお仲間は皆、酔っ払って女どもとよろしくやってるわ。絶好調って感じ。ちょっと張り切りすぎかしら。あの調子なら、明日に昼過ぎまで使い物にならないと思うわ。まだ若いのにね」
 自分のことは棚に上げロミオは憤慨した。
「だらしのない奴らだ!」
「いいから早く行きな」
 一肌の温もりで程よく気化した気付け薬の吸入は抜群の効果を示したようである。ロミオはしっかりした足取りへパーティー会場の大広間を後にした。その背中を見守るロザラインの目つきは険しい。その視線が刃ならモンタギュー家の御曹司の心臓は背後から貫かれているはずだ。
 ロザラインはロミオの能力を不安視している。ジュリエット誘拐計画の実行犯には役不足ではないかと疑っているのだ。
 自分が誘拐の実行役をするべきだったかもしれない、と今更だが考えてしまう。
 それでも、もしものことを考えると男の手に任せた方が良かった。ロザラインとジュリエットでは体力や運動面での差が大きい。ジュリエットはスポーツ万能だった。運動が苦手で体力に自信のないロザラインでは、緊急時の対応が困難なのだ。
 とはいえ、やはり安心とは程遠い人選であるのは間違いない。
 それなのにロミオを選んだ理由は二つある。
 一つはロミオが絶世の美男子だったこと。
 もう一つは、ロミオがロザラインに片思いしていて、言いなりになるから、だった。
 パーティー会場の客たちと楽しげに語らいながら、ロザラインの心は館の外、ヴェローナの街路を彷徨っている。
 ロミオに導かれたジュリエットが幸せいっぱいの笑顔で星明りの下を歩いている……そんな光景が目に浮かぶ。
 くたばれジュリエット! とロザラインは笑顔の裏で罵った。

★ イケメンたちが見た真夏の白昼夢のお話 ★

 北イタリアの都市ヴェローナの街外れに苔むした廃墟がある。古い屋敷の跡で住む人は長くいなかった。そこに謎めいた修道僧ロレンソが暮らすようになったのは、いつ頃か? 正確な時期を答えられるヴェローナは恐らく、誰もいないだろう。
 いや、イケメンのロミオは知っていたかもしれない。ヴェローナの名門貴族モンタギュー家の跡取りである彼は、幼い頃からロレンソと親しくしていた。盲目の修道僧が持っていた謎めいた雰囲気がロミオ少年の心を惹き付けたのだろうか。
 ロミオが長じてからも、その関係は変わらなかった。だが、廃墟の役割は若干の変化があった。昔は子供の遊び場だったけれども、大人の遊び場へ姿を変えたのだ。美青年に変貌したモンタギュー家のプリンスは女性との逢引の場にロレンソの廃墟を利用していた。
 神聖なる修行の場を淫楽のために活用されて、ロレンソは立腹しなかったのだろうか?
 歓迎していた。ロミオの快楽追及は、ロレンソの研究に貢献していたためだ。
 修道僧ロレンソは、様々な材料を調合し、色々な薬物を作る研究をしていた。薬品の原料となるのは自然界で採取された動植物や鉱物だったが、人体に由来する物質もあった。愛を知った女性の残り香を絹に沁み込ませ、それを各種の触媒入り液体を噴霧して陰干しする。そんな大変な手間のかかる工程を経て作られた絹が、材料の裏ごしに必要不可欠だったのだ。
 つまりロミオとロレンソはWin-Winの関係だった。
 従って、ロミオからキャピュレット家の令嬢であるジュリエット誘拐計画への協力を求められたときは快諾し、街から脱出する馬を廃墟に隠しておいたのだ……が、誘拐被害者であるはずのジュリエットに背負われた誘拐犯ロミオの土気色の顔を見たとき、激しい後悔を感じた。何か、途轍もなく悪いことが起きていると直感したのだ。
 ロミオを背中から下ろしたジュリエットが涙ぐんで言った。
「気分が悪いと言い出して、動けなくなったの。ねえ、何とかして!」
 ロレンソはロミオを診察した。その口から漂うわずかな異臭を嗅ぎ取る。
「これは私の調合した気付け薬の香りだ。だが、強すぎる。用法用量を守っていない利用法だ」
「あなたの作った薬なの? それじゃあ、何とかしてよ!」
 ジュリエットが殺気立った。ロレンソは怯えた。
「わかった、わかったから! 落ち着いてくれ。今から治療を始める」
 薬品棚から幾つかの瓶を取り出し、それらに入った薬剤を調合して、湯に溶かす。その湯を冷まし、刷毛を浸す。
「これを鼻の下に塗るのだ。塗りにくいな。ちょっと鼻の下を伸ばしてみてくれ」
 ロレンソに言われ、ジュリエットはロミオの鼻の下を伸ばした。
「そうだ、それでいい」
 薬を塗り終えたロレンソが刷毛をテーブルに置いた。ジュリエットはロミオの様子を窺った。永遠の愛を誓った恋人は虫の息のままである。彼女は血走った眼で修道僧に食って掛かった。
「どうなってるのよ! 何も変わらないじゃない!」
 ロレンソはテーブルを手のひらで叩いた。
「聞いてくるまで時間が掛かる。しばらく待て」
 掌打のためにテーブルから刷毛が落ちたのとほぼ同じ頃、ヴェローナ太守の館では駆け落ちしたロミオとジュリエットを捕らえる計画が話し合われていた。
「捜索に多くの人数は割けない。キャピュレット家とモンタギュー家の郎党がいつ市街戦を始めてもおかしくないんだ。両者をけん制するための兵力がいる」
 ヴェローナ太守の言葉に、新任の傭兵隊長オセローは頷いた。
「助手が一人いれば十分だ」
「少なくないか?」
「いや、その方がいい」
「どうして?」
 訝しげなヴェローナ太守にオセローは理由を述べた。
「前任の傭兵隊長エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノに忠誠を誓っている兵隊がいるかもしれん。そういう連中は俺の足を引っ張りかねない。捜索の邪魔となる」
 ヴェローナ太守の甥パリス青年が口を挟んだ。
「エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは、どうして傭兵隊長を辞めたんです?」
 パリスの伯父であるヴェローナ太守が不機嫌そうに言った。
「そんなこと、今はどうでもいい」
 パリスは憮然とした。その様子を見てオセローがグスッと笑う。
「辞めたわけじゃない。行方をくらませたんだ」
 目をぱちくりさせてパリスが尋ねる。
「あの男が、行方をくらませたって、どういうこと?」
 オセローはヴェローナ太守を見た。ヴェローナ太守は溜め息を吐いた。
「密告があった。エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは異端の信仰を持っているという密告だ。事実とは思えなかったが、本人に確認した。違うと誓ったその日のうちに、奴は姿を消した」
 中世ヨーロッパはキリスト教のカトリックと異端派の闘争の場であった。カトリックのお膝元であるイタリアも例外ではない。むしろ、もっとも異端がはびこったのがイタリアだったとしても過言ではないだろう。カトリックは異端を潰すために如何なる努力も惜しまなかった。その中には拷問や火刑も含まれる。
「もしかしたらエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノの他にも異端派がいるかもしれん、兵隊の中にも。そういった連中が今回の人事に反対して、人の背中で何か企んだら、困るんだ」
 その人事を決めたヴェローナ太守が言った。
「だが、二人の行方を追うために人手がいる。もう城壁の向こうへ逃げただろうから、早く沢山の追っ手を繰り出そう」
「この暑さだ、灼熱の街道を人も馬も長くは走れない。追われているのだから休憩する場所を探すのも大変だ。逃げた方角さえ読み間違えなければ捕まえられる」
 オセローはヴェローナ市街地の地図を求めた。用意された地図を眺め、その一点を指す。
「北のアルプス方面へ向かう城門の近くに大きな廃墟があるようだ。ここはどういう建物なんだ?」
「かつては異端派の巣窟だった。今は浮浪者が暮らしているようだ」
「行ってみる。パリス、一緒に来てくれ」
 突然のことで、パリスは驚いた。
「どうして俺が!」
「誰かに道案内をしてもらう必要がある」とオセロー。
「そんなの、他の奴らにやらせろよ」
 オセローはパリスの顔を覗き込んだ。
「聞くが……まさか、異端派じゃあるまいな」
 パリスは首を横に振った。
「そんなわけない!」
「それなら安心だ、さあ急ごう」
 パリスは伯父であるヴェローナ太守に助けを求めた。無駄だった。
「ジュリエットはお前の婚約者になる予定の女性だ。お前が救わなくてどうする?」
「だから、それは反対だと!」
 ヴェローナ太守は怒った。
「いいかげんにしろ! これ以上の縁談はないぞ! ジュリエットはヴェローナの名門貴族キャピュレット家の娘だ! 何の不足がある!」
「だって、俺には将来を誓った女性がいるんです!」
「何だと! 誰だ、誰なんだ!」
 パリスは叫んだ。
「ロザラインです。キャピュレット家の一門で、ジュリエットの従姉妹のロザラインです!」
 そのロザラインは今、自らの邸宅を出てヴェローナの街外れに向かって移動していた。彼女が立案したジュリエット誘拐計画の行く末に強い不安を抱いたためである。ロミオに任せておいて大丈夫なのか? そう考えたら、居ても立っても居られなくなったのだ。
 ジュリエットがロミオを駆け落ちしたら、彼女の父であるキャピュレット家の当主は激怒する。実の娘であれ、絶対に許さなないのは確実だ。一人娘ジュリエットは勘当されるだろう。そうなると、キャピュレット家は跡取りがいなくなる。一番近い親戚は従姉妹のロザラインだ。
 自らをキャピュレット家の後継者にするため、ロザラインはジュリエット誘拐を思い付いたのだが……誘拐の実行役のロミオは頼りない男なのが最大の不安材料だった。自分に下心を抱いているのを利用して使っているけれど正直、使えない。もうヴェローナを脱出しているだろう。そう思うものの、何だか心配になってきた。そこでロザラインは、脱出用の馬が用意されたヴェローナ郊外の廃墟へ急いでいた。馬に乗れない彼女は必死で走るしかない。真夏の太陽を浴び汗だくだ。あと少しで到着する! というところで、遂に限界が訪れた。彼女は気を失い石畳の道に倒れた。
 ロミオが意識を取り戻したのは、ちょうどその頃である。ジュリエットは涙を流して喜んだ。
「良かった、本当に良かった! さあロミオ、立ち上がって! ハネムーンに行きましょう」
 修道僧ロレンソは慌てて止めた。
「無理無理、死ぬ死ぬ、起こさないで、そんなに揺らさないで!」
 ジュリエットは愛する人の命の恩人に嚙みついた。
「全然治ってないじゃない! 何とかしてよ!」
「そうは言っても」
 ロレンソが困惑している頃、オセローとパリスは馬上の人となり、ヴェローナの街外れへ向かっていた。パリスは有頂天になっていた。彼の伯父であるヴェローナ太守が、ロザラインと自分の甥の結婚に賛同の意向を示したためである。
 そこには冷酷な計算があった。ジュリエットがキャピュレット家の次期後継者の地位から外される可能性があると踏んだのだ。ジュリエットの父であるキャピュレット家の当主は、モンタギュー家を心底から憎んでいる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神そのままに、ロミオと駆け落ちしたジュリエットを家から追い出すだろう。そうなると、ロザラインがキャピュレット家の後継者になる目が出てくる。そのロザラインとパリスが相思相愛なら、好都合だ。
 そのロザラインである。熱中症の症状で気を失った彼女は、そのままだったら路上で帰らぬ人になっているところだったろう。しかし幸運にも通りがかった男性に助けられた。その逞しい腕に抱かれロザラインは馬上の人となっている。彼女は安堵の溜め息を漏らし男の顔を見上げた。男のニヒルな表情に彼女は見覚えがあった。
「……あなた、エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノね。私を助けて下さったのね」
 エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロザラインに水筒を与えた。
「たっぷり飲んでくれ。もうすぐ休める場所へ着く。そこで下ろすから、それまで寝ているがいい」
 男の胸に体を預けるロザラインの中に、今までにない安心感が生まれていた。頼りないロミオは勿論のこと、将来を誓ったパリスにも抱いたことのない安らかな気持ちだった。命を救われたことへの感謝の念に混じって、今までに感じたことのない思いが生まれてくるのを彼女は感じていた。そして、思った。もしかして、これは……愛かも、と。
 その愛をどうやって相手に伝えようかと悩んでいたら、目的地の廃墟に到着した。その入り口でエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロザラインを抱いたまま馬を降りた。廃墟の中に入る。その中ではジュリエットが喚いていた。
「私は早く結婚式を挙げたいの! ロミオと正式な夫婦になりたいの! 早くロミオを目覚めさせて!」
 意識を取り戻したロミオだが、すっかり目覚めたとは言い難い。大声でジュリエットが叫んでいる横でボンヤリしている。
 ジュリエットは嘆いた。
「私は結婚式を早く挙げたいの。ただそれだけなのに……だから早く何とかして!」
 苦情を浴びて辟易しているロレンソが、その場に現れたエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノと、その腕の中でお姫様抱っこされたロザラインに気付いた。
「どうしたんだ、こんなところへ。何があったんだ、同志よ!」
 エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノは自分の異端信仰が発覚したことを伝え、それから同じ異端派のロレンソに警告した。
「同志よ、君も危険だ。すぐに逃げよう」
 ロレンソは動揺した。異端派は改宗しない限り殺される。そして彼に改宗の意志はなかった。昔からの同志に話す。
「今ちょっと立て込んでいるが、逃げる準備をする。まず、この状況を何とかしないと」
 それからロレンソはジュリエットに聞いた。
「ここで結婚式を挙げてもいいかな?」
「いいとも!」とジュリエット。
 そのとき廃墟にオセローとパリスが到着した。入り口で主人を待つ馬を見て、パリスが言った。
「エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノの馬だ」
 オセローは馬の鞍に括り付けていた剣を取った。
「前任の傭兵隊長殿はかなりの腕利きと聞いている。良い勝負を楽しめそうだ」
 パリスは逃げ腰である。だが、ここで頑張ればロザラインとの結婚が伯父に認められそうなので、オセローの後に続いた。
 二人は廃墟の奥へ入った。そこは変な甘い香りと奇怪な詠唱で満たされていた。
「何だこれ」とパリス。
 オセローは匂いと詠唱の正体を知っていた。慌てて口と鼻を塞ぐ。
「異端派の使う強力な薬剤と催眠術だ。いかん! 効いてきた……」
 その場にいた人間の大半がロレンソの術にかかった。
 ジュリエットはロミオと結婚する夢を見た。パリスとロミオは夢の中でそれぞれロザラインと結婚式を挙げた。ロザラインはエッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノとの結婚式を夢見て、エッツェンリーノ・ダ・ゴダ・ロマーノはロレンソとの同性婚に心を弾ませた。オセローは恋人デズデモーナとの幸せな未来を見た。
 そのすべてが真夏の白昼夢である。

 × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × 

 最初の呪文の中には、本来なら入るはずだったイケメンという言葉が抜けていた。いうなればイケメン不足だったのである。そのため生合成したイケメンの顔が理想とはかけ離れたものになってしまった、と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は結論付けた。
 イケメンというパワーワードを呪文に追加した効果は如実に現れた。さっきより格段にイケメン度がアップしたのである。
 ここまでは順調だと十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は思った。だが、ここからが本当の難関だった。
 自分を溺愛するハイスペックなイケメン男子を完成させるためには、この作品が第2回comic Berry’sマンガシナリオ大賞の栄冠を勝ち取らなければならないのだ。
 大賞受賞間違いなし! と十八丁畷バンビーナカロリーナ梨々子は確信している。
 しかし筆者は、そう思えないので困っている。どうしよう?
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