ただの道具屋の娘ですが、世界を救った勇者様と同居生活を始めます。~予知夢のお告げにより、勇者様から溺愛されています~
「ビオレッタ、ラウレルって呼んで」
「…………は、はい」

 無理だ。

 はい、と言ってしまったけれど、ビオレッタには到底無理である。もう心臓が爆発寸前だった。自分の胸から、鼓動が聞こえる。彼にも聞こえているんじゃないだろうか。こんなにも近くで。
 この甘い空気は一体なに。ぎりぎりで踏みとどまっていないと、流されてしまいそうになる。

「ラウレル…………さん」
「『さん』?」
「もう、それで許してください」

 身体中が熱くて、これでは沸騰してしまう。
 真っ赤な顔でうろたえるビオレッタを見て満足したのか、ラウレルはやっと手を離し、拘束を解いてくれた。
 
「と、とにかく、休んでいて下さいね。私はリヴェーラの石を採ってきますから……ピノに全部渡しちゃったので」

 ビオレッタは逃げるように部屋を出た。
 脇目もふらず、風をきって歩いた。火照った顔を冷ますように。





 グリシナ村の砂浜には、心地よい風が吹いている。道具屋を飛び出たビオレッタは、当て所もなく砂浜を歩いた。

 どうかこの潮風が、熱い頬を冷まして欲しい。道具屋へ帰るときには、平静でいられるように。

『ビオレッタ』

 あの声が、いつまでも頭から消えてくれない。ただ皆のように、ラウレルから名前を呼ばれただけなのに。
 頭からこの甘い声を消し去りたくて、ビオレッタはぎゅっと目を閉じた。

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