恋愛下手の恋模様~あなたに、君に、恋する気持ちは止められない~
危なかった……。

安堵のため息をついた時、両側から私を気遣う声がほぼ同時に聞こえた。

「大丈夫ですか?」

「岡野さん、大丈夫?」

「すみません、大丈夫です。お騒がせしてしまって……」

そう言いながら顔を上げたが、私の動きはそのまま止まった。すぐ目の前で、補佐と女性が固い表情で見つめ合っていたのだ。

はじめに口を開いたのは、女性の方だった。呆然とした表情で補佐の下の名前を口にする。

「匠……?」

続いて懐かしい人に会ったとでもいうように目元を和らげて、補佐に一歩近づいた。

フローラル系の甘い香りが、私の鼻先をふわりとくすぐる。優し気な雰囲気のその女性によく似合うと思った。

「元気、だった……?」

細い声でそう言いながら、彼女は補佐の腕に手をかけようとした。

しかし補佐はその手を振り払った。

息を殺すようにしながら二人の様子を見守っていた私は、驚いて補佐の横顔を見た。

補佐は眉間にしわを寄せて、初めて聞く冷たい声で彼女に言った。

「早く戻った方がいいんじゃありませんか。どなたかを待たせているのでは?」

その人はびくりと肩先を震わせて、補佐に伸ばしかけていた手を下ろした。

「そうね。ごめんなさい……」

悲しさ、懐かしさ、恨めしさ、そして申し訳なさ。その顔に、様々な感情が入り乱れているように見えた。

彼女は補佐から目を逸らし、自分たちの間に立ち尽くしていた私をじっと見た。

「……この人はあなたの彼女?」

しかし補佐は無言だった。

自分を拒絶するような補佐に、彼女は悲し気な目を向けた。

「今度はちゃんと大事にしてあげて……」

その一言を聞いた瞬間、補佐の表情が固まったような気がした。

「お元気で」

最後に短くそう言うと、彼女は店の奥の方へ歩いて行った。柱の影になっていて気づかなかったが、そこにも席があったのだ。彼女の姿が消えた辺りに、おそらくは男物のジャケットがちらと見えた。

「岡野さん、出ようか」

声をかけられて私は我に返る。

無理に笑っているのが分かる固い表情で、補佐は私を見下ろしていた。

私は頷き、荷物を手に取った。

その後すぐに私たちは店を出たが、会話はない。補佐の振る舞いはいつも通り紳士的で優しかったがどことなく上の空だ。先ほどの女性のことで占められている――そんな様子がうかがえた。

私は前を行く補佐の背中を見つめながら、少しだけ距離を置いて歩いていた。
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