繊細な早坂さんは楽しむことを知らない



 横前駅へ向かっていると、後ろから後輩の向井がやってくるのが見えた。横断歩道の信号がまもなく赤に変わる。急いで渡ろうか。そうすれば、向井は追いかけて来ない。しかし、駅前の交差点にある横断歩道は長くて、駆け足でも渡り終える自信がない。

 短い葛藤のあと、奈江は横断歩道の手前で足を止めた。するとすぐに、向井が追いついてくる。

「早坂先輩、おつかれさまですっ。寒くなりましたねー。今年ももうすぐ終わっちゃいますね」

 寒空に向かって白い息を吐きながら、向井はあいさつ代わりにそう言う。

 奈江も何か言わなければと、考えを巡らせる。

 クリスマスが近いね。デートの予定とかあるの? そんなことを言ったら、逆に質問されてしまうだろうか。かといって、向井の趣味は知らないし、同じ毎日の繰り返しの中では目新しい話題がない。

 結局、いつも頑張ってるみたいだね、と、向井の活躍は違う課まで聞こえてるってねぎらうぐらいの言葉しか浮かばなくて、ようやく口を開きかけたとき、彼の方が先に話しかけてくる。

「先輩って、横前勤務長いですよね?」
「新入社員のときからだから、長い方だよね。どうして?」
「いやー、転職とか考えなかったのかなって思いまして」
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