繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 奈江は横断歩道を渡り終えると、右へ行こうとする彼に、左を指差しながら声をかける。

「寄りたいところがあるから、ここで」
「どこ行くんですか?」
「本屋に」
「欲しい本でもあるんですか?」

 詮索好きな彼の目に好奇心が浮かぶ。ついてくる気じゃないだろうかと、思わず警戒してしまう。

「ちょっと調べもの」
「じゃあ、時間かかりそうですね。俺も行くところがあって。気をつけて帰ってください」

 今日はあっさりと引き下がるようだ。奈江はあんどすると、彼に背を向けて歩き出す。

 駅へ向かう人の波をさけながら、デパートにある本屋へとたどり着く。客の姿はまばらだが、専門書のコーナーへ行くと、ますます人がいない。

 メモを見ながら、目当ての書籍を探していると、意外とすぐに見つかった。一冊、二冊と腕に抱え、ほかにも興味をひく書籍がないかと、背表紙をじっくり眺めていると、隣に誰かがやってくる。

 専門書のコーナーには誰もいなかったはずだ。距離感が近いような気がして、すぐさま離れようとすると、「早坂さん」と声をかけられた。

「え……、あ、猪川さん?」
「やっぱり、早坂さんだった。エスカレーターですれ違ってさ、もしかしてって思って戻ってきたんだよ」
< 141 / 172 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop