繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 ミスが許されない仕事に神経をすり減らし、今日も無事に終わった、と息をつく毎日。音楽を聴いたり小説を読んだりと、趣味がないわけではないけれど、恋人がいるわけじゃないし、親友と呼べる友人も思い浮かばない。生きる目標になるような楽しみは何一つ持っていない。

 今すぐこの世を去っても、何も後悔はないんじゃないか。そんな生き方しかしてこれなかった。

 なんてもったいない生き方だろうか。だけれど、この性格はなかなか変えられない。生まれ変わってまで、人生をやり直したいとは思わないけれど、もし生まれ変われるなら、もっと明るい性格でやり直せたら違う人生が送れるかもしれないとは思う。

 こめかみから流れる汗に気づいて、ハンカチでぬぐう。その拍子に、右耳のイヤホンがスルッと外れた。大丈夫。落とすかもしれないとの心配が負担になるから、ワイヤレスイヤホンは使っていない。

 イヤホンをつけ直しながら、電車がやってくる方向に目を移す。程なくして現れた先頭車両を見つめていると、風に巻かれるように体が前後に揺れた。

 吸い込まれそうだ。右足が一歩、前に出る。このまま吸い込まれてもいいのかもしれない。どうしてか、そんな風に考えてしまったとき、電車と奈江の間に誰かの腕が伸びてきた。
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