繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「気分、悪いの?」

 電車の音でよく聞こえなかったが、そう言われた気がした。現実に引き戻されるようにハッとする。黄色い線から足が出ているのに気づく。腕を差し出されなければ、きっとホームから落ちていた。

 目をあげると、心配そうにこちらを見下ろしている若い男の人と目が合った。長身で茶髪。サーファーだろうか、と思うぐらいには、洗いざらしのティーシャツがしっくりと似合うスポーツマンタイプの男の人だ。

「顔色悪いけど、乗るの?」

 開いたドアを指差す彼に返事をする前に、流れを乱してはいけないと、後ろから押されるようにして奈江の体は前に進んだ。

 男の人は一歩身を引いた。先頭に並んでいたのは、奈江だ。彼はたまたま近くを通りがかって、フラフラする自分の前にとっさに出てくれたのだろう。そう気づいたときには、距離が空きすぎていた。

 命の恩人に大声でお礼を言う勇気もなく、奈江はかろうじてガラス越しに見える彼に頭を下げた。心配そうにこちらを見ている彼は、電車には乗らないようだ。彼をホームに残したまま、電車は発車した。
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