繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 全然知らなかった。言われてみれば、後輩の向井(むかい)は残業続きで、奈江は同じ時間の電車で帰宅していた。

 秋也に偶然会えたらいいのに、とは思っていても、向かいのホームをわざわざ探したりはしていなかった。

 考えてみれば、秋也は大野から横前へ来ているのだから、同じホームにいるはずがないのだ。だったらなぜ、初めて出会ったあの日、彼は奈江と同じホームにいたのか。

「もしかして、初めてお会いしたときも、私のこと見てました?」

 なんて自意識過剰な質問だろう。これでは、言いたいことの半分も伝わらないんじゃないか。言葉にしてみて、聞き方が悪いと気づいたけれど、秋也は一向に気にする様子はない。

「早坂さんを見てたから、危ないなって思って、ホームを移動したかって聞いてる?」
「そう、そうです」

 それが言いたかったのだ。誤解されずに済んだみたいと、奈江はホッとする。

「見てたよ。早坂さんってさ、電車をわざと遅らせて乗ってるよね。あの日も、何かあるのかなって、ちょっと気になって見てたんだ。こんなこと言ったら、気持ち悪いって思われそうで黙ってたんだけどね」
「じゃあ、前々から見てたんですか……」

 きっと、向かいのホームから見ていると、不自然な行動を取っているのがよくわかるのだろう。

「まあ、そうだね。初めて早坂さんに気づいたのは、今年の春ぐらいかな」

 ちょうど、向井が奈江に積極的に話しかけてくるようになった頃だ。
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