Runaway Love
 五階までなら、どうにかイケると思ったが――甘かった。
 大して動かないアラサー女の体力では、三階あたりで息が切れてくる。
 ――……体力づくりも兼ねて、どこか護身術学べるところ、探そうかしら……。
 思わず、そんな事を考えてしまうくらい、思考はあちこち、さまよっている。
 踊り場で少し息を整え、もうひと踏ん張り。
 どうにか五階までたどり着き、部屋へ入る。
「おはようございます、杉崎主任」
「お、おはよう……外山さん……」
 若干の息切れをしながらも、あたしは、既に仕事を始めている外山さんに挨拶をし、そして、もう、電話をかけながら作業を始めている大野さんに、頭を下げた。
 野口くんとは、目が合うと、お互いに軽く会釈するだけだ。
 もう、仕事を始めている彼の邪魔はしたくない。
 それは、向こうもわかっているはずだ。
 あたしは、パソコンを立ち上げるが、視界に入ってきた髪が邪魔に思え、貴重品バッグから髪ゴムを取り出すと、雑に後ろで結んだ。
 もう始業時間。スタイルを気にしている場合ではない。
 そして、バッグを引き出しに入れ、未処理のボックスを見やると、中締めに向けての請求書やら伝票やらが入っていた。
「おう、杉崎。さっさと、そっち終わらせてくれ。こっちの仕事も頼まないといけなくなったもんでな」
 大野さんに、そう声をかけられ、あたしはうなづいて書類を手に取った。
 かなりの量だが、よく見れば、あちらこちらの工場からのものが、相手先ごとに一括して組まれていた。
「――あれ、伝票まとまってる」
「ああ、部長が全工場に通達して、中央工場に伝票データ送信させてから、まとめてこっちに送るようにしたらしい。かなり楽だろ」
「そうですね」
 あたしは、うなづくと得意先の名称を確認してから、伝票のチェックと打ち込みを行う。
 ――今までバラバラに来ていたから、だいぶ楽は楽だ。
 一時間もせずに終了し、あたしは大野さんに声をかける。
「大野さん、終わりました」
「ああ、じゃあ、ちょっとこっち来てくれ」
 手招きされたので、あたしは自分のイスを持ってきて、大野さんの隣に座ると、不意に視線を感じ、顔を上げる。
 すると、こちらを見ていた野口くんと目が合ったが、すぐに逸らされた。 

 ――”オレ、結構、束縛強いかもしれません”。

 昨日の言葉がよみがえる。
 まさか、大野さんに――嫉妬、って訳じゃ……。
「おい、杉崎、大丈夫か?」
 黙り込んだあたしに気がつき、大野さんがのぞき込む。
「あ、いえ、すみません」
 あたしは慌てて、メモ帳を取り出して、ボールペンを握った。

 その後、大野さんの仕事について回り、ようやく終わったのは十二時半だ。
「悪かったな。ちょっと振り回した」
「――いえ、大丈夫です」
 確かに、各部署を回って、スケジュールと予算の確認したり、過去の資料とにらめっこしたり、かと思えば、銀行へ行って小切手やら何やらの手配や、先々の出金スケジュールの確認。
 経理部なのに、あちこち出回っているのは何でだ。
 少々疲れを感じながらも、ついて回る。
 いずれ、これもあたし一人でこなさないといけないのかもしれない。
 そう思うと、疲れたなんて、言っていられないのだ。
 あたしは、気合いを入れ直す。
 プライベートで何があろうが、仕事は仕事。

 ――決して、引きずってはいけないんだ。
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