Runaway Love
「ひとまず、三日間、様子を見ますので」
担当の先生にそう言われ、あたしはうなづくと、付き添いとして呼ばれた診察室を後にした。
奈津美は、点滴が終わり次第、四人部屋に移るそうだ。
処置室に荷物を持って行くと、奈津美は、まだ眠っている。
これまで、つわりで、まともに眠れていないようだったから、良かったのかもしれない。
あたしは、そばのイスに座ると、クマのできた奈津美の顔を、じっと見つめる。
今まで、見た事も無いような、やつれた顔。
けれど――今まで見てきた、どの、作り上げたキレイな顔よりも、キレイに見えた。
「茉奈さん」
すると、ベッドの周りを囲んでいたカーテンが少しだけ開けられ、岡くんが、申し訳無さそうに、顔をのぞかせた。
「……どうかした」
「……オレも、ここで待ってても良いですか」
あたしは、一瞬、眉を寄せるが、考えてみたら、ここは産婦人科。
ほぼ女性という中に、一人待たせるのは忍びない。
「……どうぞ」
そう言って、あたしは、隣にあった丸イスを出す。
岡くんは、頭を下げ、腰を下ろした。
「……奈津美、どんなですか」
「――三日間、入院して様子見るって」
「そう……ですか……」
彼は、眠っている奈津美をチラリと見やると、あたしに視線を移す。
「――……さっきは、すみませんでした」
「え?」
何の事を言っているのか、わからず、聞き返す。
「……偉そうな事、言いました」
あたしは、行きの車の中での会話を思い出し、首を振る。
「いいわよ、本当の事だし。――……実際、子供どころか、結婚すらしてないもの」
自虐も、いいところ。
――けれど、岡くんは、眉を寄せてあたしを見た。
「……そういう事、言わないでください」
そして、そっと、あたしの手に触れると、身体はビクリと反応してしまう。
それに気づいたのか、彼は、すぐに手を離した。
「――……すみません……」
お互い、気まずくなり、視線をそらす。
目の前の奈津美は、一人、静かに寝息を立てている。
あたしは、無言のままの岡くんをチラリと視界に入れた。
いつもの、明るい雰囲気は、どこにも無くて――。
――それが、何だかさみしくて……離された手が、名残惜しくて――。
けれど、そんな想いを振り切るように、あたしは言った。
「――……あのさ……あたし、彼氏、できたから」
「え」
顔を勢いよく上げる彼を見ず、続けた。
――……視線が交わったら――きっと、言葉が出なくなる。
「……野口くんと、正式に付き合う事になったから」
その瞬間、あたしの手は再び、岡くんに握られた。
――今度は、逃げられないような、強い力で。
「……離してよ……」
「――……どうして、ですか。……偽装じゃなかったんですか」
静かな部屋の中。声を抑え――まるで、怒鳴り出すのを耐えているような口調で、彼は言う。
あたしは、無意識にうつむいて続けた。
「……偽装じゃなくて……本当の彼氏になりたいって、言われたの」
「茉奈さんは、どうなんですか」
「え?」
その問いに、顔を上げる。
瞬間、岡くんと目が合ってしまい、硬直した。
――……ああ、ダメだ。
――……逃げなきゃ……何を言い出すか、わからなくなる……。
けれど、彼はそんなあたしに、畳み掛けるように続けた。
「茉奈さんは――野口さんの事を、好きになったんですか」
瞬間、心臓が跳ね上がった。
それは、質問のせいなのか――彼の視線のせいなのか、わからない。
――……あたしは……。
野口くんといると、気持ちは楽だ。
愛おしいと思う時だってある。
――キスだって、できるし、それ以上だって……もう、覚悟はしなきゃいけないって、わかってる。
それを、恋愛感情と呼ぶのかは、わかりたくはないけれど。
あたしは、岡くんに言い聞かせるように――自分に言い聞かせるように続けた。
「――……好き、よ。……野口くんといると、楽なの。お互いに、自然でいられるの」
すると、彼は、あたしの頬を両手でつかみ、自分へと向けた。
腫れはもう、すっかり引いていて、痛む事は無いのに――胸が締め付けられて、痛い。
「――……それ、本当に、恋愛感情ですか……?」
視線が合ってしまうと、あたしは動揺を隠せない。
いつだって――強がりを見透かされているようで……嫌になる。
あたしは、キツく目を閉じて言い切った。
「……そっ……そうよっ……」
――岡くんの表情を見たくない。
見たら……後悔したくなりそうで。
意思が揺らぎそうで――怖い。
無言のままの時間が徐々に重く感じ、あたしは、そっと目を開ける。
すると、彼は、ゆっくりと手を離し、立ち上がった。
「お、岡、くん……」
「――……車の中で待ってます」
それだけ言って、部屋を出て行った。
担当の先生にそう言われ、あたしはうなづくと、付き添いとして呼ばれた診察室を後にした。
奈津美は、点滴が終わり次第、四人部屋に移るそうだ。
処置室に荷物を持って行くと、奈津美は、まだ眠っている。
これまで、つわりで、まともに眠れていないようだったから、良かったのかもしれない。
あたしは、そばのイスに座ると、クマのできた奈津美の顔を、じっと見つめる。
今まで、見た事も無いような、やつれた顔。
けれど――今まで見てきた、どの、作り上げたキレイな顔よりも、キレイに見えた。
「茉奈さん」
すると、ベッドの周りを囲んでいたカーテンが少しだけ開けられ、岡くんが、申し訳無さそうに、顔をのぞかせた。
「……どうかした」
「……オレも、ここで待ってても良いですか」
あたしは、一瞬、眉を寄せるが、考えてみたら、ここは産婦人科。
ほぼ女性という中に、一人待たせるのは忍びない。
「……どうぞ」
そう言って、あたしは、隣にあった丸イスを出す。
岡くんは、頭を下げ、腰を下ろした。
「……奈津美、どんなですか」
「――三日間、入院して様子見るって」
「そう……ですか……」
彼は、眠っている奈津美をチラリと見やると、あたしに視線を移す。
「――……さっきは、すみませんでした」
「え?」
何の事を言っているのか、わからず、聞き返す。
「……偉そうな事、言いました」
あたしは、行きの車の中での会話を思い出し、首を振る。
「いいわよ、本当の事だし。――……実際、子供どころか、結婚すらしてないもの」
自虐も、いいところ。
――けれど、岡くんは、眉を寄せてあたしを見た。
「……そういう事、言わないでください」
そして、そっと、あたしの手に触れると、身体はビクリと反応してしまう。
それに気づいたのか、彼は、すぐに手を離した。
「――……すみません……」
お互い、気まずくなり、視線をそらす。
目の前の奈津美は、一人、静かに寝息を立てている。
あたしは、無言のままの岡くんをチラリと視界に入れた。
いつもの、明るい雰囲気は、どこにも無くて――。
――それが、何だかさみしくて……離された手が、名残惜しくて――。
けれど、そんな想いを振り切るように、あたしは言った。
「――……あのさ……あたし、彼氏、できたから」
「え」
顔を勢いよく上げる彼を見ず、続けた。
――……視線が交わったら――きっと、言葉が出なくなる。
「……野口くんと、正式に付き合う事になったから」
その瞬間、あたしの手は再び、岡くんに握られた。
――今度は、逃げられないような、強い力で。
「……離してよ……」
「――……どうして、ですか。……偽装じゃなかったんですか」
静かな部屋の中。声を抑え――まるで、怒鳴り出すのを耐えているような口調で、彼は言う。
あたしは、無意識にうつむいて続けた。
「……偽装じゃなくて……本当の彼氏になりたいって、言われたの」
「茉奈さんは、どうなんですか」
「え?」
その問いに、顔を上げる。
瞬間、岡くんと目が合ってしまい、硬直した。
――……ああ、ダメだ。
――……逃げなきゃ……何を言い出すか、わからなくなる……。
けれど、彼はそんなあたしに、畳み掛けるように続けた。
「茉奈さんは――野口さんの事を、好きになったんですか」
瞬間、心臓が跳ね上がった。
それは、質問のせいなのか――彼の視線のせいなのか、わからない。
――……あたしは……。
野口くんといると、気持ちは楽だ。
愛おしいと思う時だってある。
――キスだって、できるし、それ以上だって……もう、覚悟はしなきゃいけないって、わかってる。
それを、恋愛感情と呼ぶのかは、わかりたくはないけれど。
あたしは、岡くんに言い聞かせるように――自分に言い聞かせるように続けた。
「――……好き、よ。……野口くんといると、楽なの。お互いに、自然でいられるの」
すると、彼は、あたしの頬を両手でつかみ、自分へと向けた。
腫れはもう、すっかり引いていて、痛む事は無いのに――胸が締め付けられて、痛い。
「――……それ、本当に、恋愛感情ですか……?」
視線が合ってしまうと、あたしは動揺を隠せない。
いつだって――強がりを見透かされているようで……嫌になる。
あたしは、キツく目を閉じて言い切った。
「……そっ……そうよっ……」
――岡くんの表情を見たくない。
見たら……後悔したくなりそうで。
意思が揺らぎそうで――怖い。
無言のままの時間が徐々に重く感じ、あたしは、そっと目を開ける。
すると、彼は、ゆっくりと手を離し、立ち上がった。
「お、岡、くん……」
「――……車の中で待ってます」
それだけ言って、部屋を出て行った。