Runaway Love
部長をチラリと見れば、苦笑いで返される。
どうやら、これまでも、こういう事はあったようだ。
「ホラ、育児や介護とかだったら、働き方を少し変えて様子を見たりできるし。スキルアップだったら、ウチの研修制度を利用してもらえば、辞めなくて済むんだよ」
社長は、そう言うと、住吉さんに視線を向ける。
すると、すぐに、目の前のテーブルにパンフレットが置かれた。
ウチの会社の福利厚生が詳しく書いてあるようだ。
表紙の写真には、いろんな部署の人たちが写っていて、みんな、笑顔だ。
「……あ、あの、これは……」
「杉崎さんの理由に沿ったものがあれば、利用してもらって構わないんだよ」
あたしは、だんだん罪悪感に押しつぶされそうになる。
――こんな風に引き留められるとは、思っていなかった。
「ウチの社員、平均年齢、高いでしょ。若いコが根付いてくれないっていうのも、理由の一つでさ。――だから、何か不都合があれば、会社としてもサポートするから。簡単に、辞めるという選択をしてもらいたくないんだよね」
「――……申し訳、ありません……」
「……どうやら、そういう理由じゃないのかな?」
あたしは、視線を下げたまま、口を開く。
ここまで言ってくれる人に、何も言わない訳にはいかない。
のぞき込むように見てくる社長の顔を見ず、あたしは言った。
「――……あたしの……個人的な理由で……取引先にまで、不本意なウワサが流れて――……これ以上は、会社のイメージが悪くなると思いました……」
「それは――」
社長の言葉にかぶせるように、続ける。
「それに、立て続けに騒ぎを起こしています。――このまま、会社に居続ける訳にはいかないので……」
「杉崎さん」
あたしは、唇を噛む。
こんな理由で、正直、申し訳無いとは思うけれど。
すると、右肩に手が置かれた。
チラリと見上げれば、社長があたしの前にヒザをついている。
「し、社長!」
あたしは、慌てて顔を上げる。
会社のトップが、そんな簡単に――。
そう思うが、住吉さんも、部長も止める様子は無い。
「――そうか、うん。ありがとうね。――でも、気にしなくて良いんだよ。取引先の営業さん達だって、バカじゃない。ウワサ話なんて、半分も本気にしていないだろうし、すぐに消えるよ。騒ぎだって、キミは、むしろ被害者でしょ」
「で、でも……」
「社内の嫌がらせなら、こちらで対応するよ」
「え」
不意打ちの言葉に、あたしは固まる。
目の前には、にこやかで――でも、どこか食えない社長の顔だ。
「会社が大きければ、いろんな人間が集まるし、いろんな事が起きるのは当然だよ。その時、社長が何にも知りませんでした、じゃ、カッコつかないでしょ?」
「――……え」
放心状態のあたしに、社長は立ち上がると笑ってみせた。
「それでも、申し訳無いって思うなら、ちょっと、ここから離れるっていうのはどうだい?」
「え?」
社長は、住吉さんを見やる。
すると、今度は彼が口を開いた。
「南工場の経理担当が、もう定年退職なんですが――次が、まだ決まらないんです」
「――……え」
「求人を出していますが、未だ応募が無くてですね。しかしながら、本人は、もう、娘さんのところに同居する予定で、何か月も前から進めていたらしく、継続雇用は考えていない、との事でした」
「……杉崎くんに、そこに行けと……?」
あたしよりも先に、部長が驚いたように続けた。
それは、どうやら、初耳だったようだ。
「こ、困りますよ!ただでさえ、私が中央工場に出向して、経理部はカツカツなのに、この上、杉崎くんまでとなると……」
慌て出す部長に、社長は笑って首を振った。
「大丈夫でしょ。キミ達、優秀だもの」
「そ、そういう問題では……」
「それに、ウチの工場の経理関係は、どっちみち、本社に最終的な処理が来るようになってるでしょ」
「それはそうですが……」
「他は、納品のチェックとか、書類整理とか――まあ、雑務も多いし、総合的な事務も兼ねているようなものだけど、こっちに比べたら、時間に余裕はあると思うんだよね」
あたしは、話が唐突過ぎて、あっけにとられるばかりだ。
社長の話を、住吉さんが引き継ぐ。
「それで、杉崎さんには、本社の作業をリモートワークで兼務していただこうかと考えております」
「え」
「空いた時間を使って、猶予のある請求書処理など、あえて、本社にいなくてもできるような仕事をしていただければと」
「そ、それなら、まあ――……」
「部長!」
納得しそうな部長を、あたしは、慌てて止める。
リモートなんて、スマホですら、まともに使いこなせないあたしに、できるとは思えないんですけど!
「いや、私の作業も、半分それだから。数回やったら、杉崎くんも慣れると思うよ」
「――……で、でも」
駄々をこねているようで恥ずかしくなるけれど、こればかりは、本当に自信が無いのだ。
すると、やり取りを見ていた社長が、口を開いた。
「杉崎さん、社長命令ね。――ひとまず、二週間。お盆休みに入るまで、そうやってみて。それでも意思が変わらなければ、辞表を受け取りますよ」
あたしは、社長の有無を言わさない口調に、ついに白旗を上げた。
どうやら、これまでも、こういう事はあったようだ。
「ホラ、育児や介護とかだったら、働き方を少し変えて様子を見たりできるし。スキルアップだったら、ウチの研修制度を利用してもらえば、辞めなくて済むんだよ」
社長は、そう言うと、住吉さんに視線を向ける。
すると、すぐに、目の前のテーブルにパンフレットが置かれた。
ウチの会社の福利厚生が詳しく書いてあるようだ。
表紙の写真には、いろんな部署の人たちが写っていて、みんな、笑顔だ。
「……あ、あの、これは……」
「杉崎さんの理由に沿ったものがあれば、利用してもらって構わないんだよ」
あたしは、だんだん罪悪感に押しつぶされそうになる。
――こんな風に引き留められるとは、思っていなかった。
「ウチの社員、平均年齢、高いでしょ。若いコが根付いてくれないっていうのも、理由の一つでさ。――だから、何か不都合があれば、会社としてもサポートするから。簡単に、辞めるという選択をしてもらいたくないんだよね」
「――……申し訳、ありません……」
「……どうやら、そういう理由じゃないのかな?」
あたしは、視線を下げたまま、口を開く。
ここまで言ってくれる人に、何も言わない訳にはいかない。
のぞき込むように見てくる社長の顔を見ず、あたしは言った。
「――……あたしの……個人的な理由で……取引先にまで、不本意なウワサが流れて――……これ以上は、会社のイメージが悪くなると思いました……」
「それは――」
社長の言葉にかぶせるように、続ける。
「それに、立て続けに騒ぎを起こしています。――このまま、会社に居続ける訳にはいかないので……」
「杉崎さん」
あたしは、唇を噛む。
こんな理由で、正直、申し訳無いとは思うけれど。
すると、右肩に手が置かれた。
チラリと見上げれば、社長があたしの前にヒザをついている。
「し、社長!」
あたしは、慌てて顔を上げる。
会社のトップが、そんな簡単に――。
そう思うが、住吉さんも、部長も止める様子は無い。
「――そうか、うん。ありがとうね。――でも、気にしなくて良いんだよ。取引先の営業さん達だって、バカじゃない。ウワサ話なんて、半分も本気にしていないだろうし、すぐに消えるよ。騒ぎだって、キミは、むしろ被害者でしょ」
「で、でも……」
「社内の嫌がらせなら、こちらで対応するよ」
「え」
不意打ちの言葉に、あたしは固まる。
目の前には、にこやかで――でも、どこか食えない社長の顔だ。
「会社が大きければ、いろんな人間が集まるし、いろんな事が起きるのは当然だよ。その時、社長が何にも知りませんでした、じゃ、カッコつかないでしょ?」
「――……え」
放心状態のあたしに、社長は立ち上がると笑ってみせた。
「それでも、申し訳無いって思うなら、ちょっと、ここから離れるっていうのはどうだい?」
「え?」
社長は、住吉さんを見やる。
すると、今度は彼が口を開いた。
「南工場の経理担当が、もう定年退職なんですが――次が、まだ決まらないんです」
「――……え」
「求人を出していますが、未だ応募が無くてですね。しかしながら、本人は、もう、娘さんのところに同居する予定で、何か月も前から進めていたらしく、継続雇用は考えていない、との事でした」
「……杉崎くんに、そこに行けと……?」
あたしよりも先に、部長が驚いたように続けた。
それは、どうやら、初耳だったようだ。
「こ、困りますよ!ただでさえ、私が中央工場に出向して、経理部はカツカツなのに、この上、杉崎くんまでとなると……」
慌て出す部長に、社長は笑って首を振った。
「大丈夫でしょ。キミ達、優秀だもの」
「そ、そういう問題では……」
「それに、ウチの工場の経理関係は、どっちみち、本社に最終的な処理が来るようになってるでしょ」
「それはそうですが……」
「他は、納品のチェックとか、書類整理とか――まあ、雑務も多いし、総合的な事務も兼ねているようなものだけど、こっちに比べたら、時間に余裕はあると思うんだよね」
あたしは、話が唐突過ぎて、あっけにとられるばかりだ。
社長の話を、住吉さんが引き継ぐ。
「それで、杉崎さんには、本社の作業をリモートワークで兼務していただこうかと考えております」
「え」
「空いた時間を使って、猶予のある請求書処理など、あえて、本社にいなくてもできるような仕事をしていただければと」
「そ、それなら、まあ――……」
「部長!」
納得しそうな部長を、あたしは、慌てて止める。
リモートなんて、スマホですら、まともに使いこなせないあたしに、できるとは思えないんですけど!
「いや、私の作業も、半分それだから。数回やったら、杉崎くんも慣れると思うよ」
「――……で、でも」
駄々をこねているようで恥ずかしくなるけれど、こればかりは、本当に自信が無いのだ。
すると、やり取りを見ていた社長が、口を開いた。
「杉崎さん、社長命令ね。――ひとまず、二週間。お盆休みに入るまで、そうやってみて。それでも意思が変わらなければ、辞表を受け取りますよ」
あたしは、社長の有無を言わさない口調に、ついに白旗を上げた。