Runaway Love
 月末も近くなり、今週は残業が既に予定されている。

「毎月の事とはいえ……ハードですねぇ……」

 ブラインドは既に下ろされ、外の様子はうかがえないが、経理部(ウチ)が一番最後なのは、わかりきっている。
 外山さんは、ボヤきながらも書類を片付けていた。
「まあ、あきらめてくれ。ここに配属されたモンの宿命だ」
「大野代理、大げさですよ」
 そう、彼女に言われると、苦笑いを浮かべながら、大野さんは勢いよく立ち上がった。
「よし、今日はもう、申請時間も過ぎてるし、終わりにするぞ。各自、チェックは怠るなよ。ヤバいモンあったら、早目に報告」
「はい」
「わかりました!」
「――ハイ」
 全員が返事をすると、立ち上がる。
「外山さん、タクシーは?」
「あ、もう、彼氏来てるみたいなんで」
 スマホを確認しながら、外山さんは、はにかむ。
 どうやら、”ラブラブ”なのは、自分のようだ。
「――でも、外山さんよ。彼氏って、そんなに自由利く仕事なんか?」
 大野さんが、部屋の鍵をかけると、不思議そうに尋ねる。
 確かに、この時間の送迎とはいえ、平日勤務の会社員に、そこまでの余裕は無いのでは。
 すると、彼女は笑って返した。
「まあ、自由、ではありますね。――アーティストなんで」
「は?」
 思わぬ返しに、全員が目を丸くする。
 外山さんは、そんな反応に慣れているのか、あっさりと説明した。
「あ、音楽関係ではなくて、芸術方面です。今、個展に向けての作品描いてるんで、あたしの帰りの時間が逆に目安みたいで」
「そ、そういうもの?」
「ハイ。彼、作品に没頭すると、時間どころか、日付も気にしないんで。アラームかけて、強制終了です。身体壊したら、元も子もないでしょう?」
 あたしは、思わず、野口くんに視線を向けてしまう。
 どこかで聞いた話だ。
 そう思うと、目が合い、お互いに苦笑い。
 自分でも、耳が痛いようだ。
「じゃあ、外山さんが、彼のサポート役って訳か」
 大野さんが、納得いったように言うと、外山さんは笑ってうなづいた。
「――まあ、そうですね。あたしには、芸術関係わからないんで。リアルとのパイプ役みたいなカンジです」
 エレベーターが到着し、全員で乗り込む。
 今日は、どこの部署とも遭遇しなかった事に、無意識に安心してしまった。
 数十秒で到着すると、全員でロッカールーム方向に向かう。
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
「お疲れ様でした」
 先に裏のドアを開けて、大野さんは片手を上げて出て行った。
 野口くんは、軽く頭を下げると、あたしに視線を移して外を指さす。
 待っている、という事だろう。
 うなづいてそれを見送ると、あたしと外山さんは、それぞれのロッカールームに入り、帰り支度をする。
 今日も、貼り紙は無かった。

 ――……やっぱり、社長の方で、何かやったのかもしれない。

 ほんの少しの罪悪感と、感謝で、あたしの胸はいっぱいになった。


 それから、野口くんにアパートまで送ってもらい、あたしは部屋に入ると、倒れるようにラグに横になった。
「……外山さんじゃないけど……ハードだわ……」
 あたしは、よろよろと起き上がると、どうにか夕食を温めて、半ば無理矢理に食べた。
 気力で片付けを終え、お風呂の準備。
 この前のように、本に夢中になって二度手間は避けたいので、今日は読めない。
 ――でも、何だか、ようやく以前のようになってきた感じだ。
 月末の忙しさも、月初の忙しさも、あたしにとっては日常の一部だ。
 そして、それが続く事だけを願っていた。

 ――ささやかで、平穏な日々。

 それが、贅沢な願いだなんて、思ってもみなかった。
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