Runaway Love
 エレベーターを降りると、外山さんは、今日は珍しくタクシーだ。
 さっき、自分で呼んでいた。
「ちょっと、彼、作品に集中させないといけない時期に入ったんで」
「そうなの。――気をつけてね」
「ハイ!お疲れ様でした!」
 彼女は、笑顔でそう言うと、正門前に停まっていたタクシーに乗り込む。
 それを見送ると、あたしは、隣に立っていた野口くんを見上げた。
「――帰ろう、野口くん」
「……ハイ」
 少しだけ暗い雰囲気の彼に、眉を寄せる。
「……どうか、した?」
「――……いえ、別に……」
 最近、あまり聞かなかったネガティブな口調に、不安を覚える。
「大丈夫?疲れたかしら?あ、何なら、あたし、歩いて帰るから――」
「茉奈さん」
「え?」
 野口くんは、ギュっと、あたしの左手を握る。
「――……か、駆、くん?」
 すると、彼は、うつむきながら、ポツリと言った。

「――……これから、家、行っても良い、ですか……」

「――……え?」

 目を丸くしたあたしを見て、野口くんは、急いで手を振り払うように離した。
「す、すみません、急にっ……」
「え、駆くん、どうしたの?」
「気にしないでくださいっ……」
「ねえ、気になるでしょ」
 けれど、彼はそのまま、駐車場へ向かう。
 あたしは、置いて行かれないように、駆け足でついて行く。
 いつもなら開けてくれる車のドアは、自分で開けた。
「――駆くん!」
「すみません、本当に、気にしないでください」
「気になるに決まってるでしょ!一応、彼女よ!」
 反射的に口にした言葉に、野口くんは、固まった。

「――……やっぱり……一応、なんですよね」

「……え……」

 そして、自嘲気味に笑い、あたしを見やる。

「――……来週から、離れるのに……何で平気な顔できるんですか?」

「……っ……」

 返す言葉に迷っていると、野口くんは続けた。
 ――あたしから、視線を外して。

「この三年、茉奈さんと会社で会わなかった時なんて、無かったんですよ?それだけでも、こんなに不安なのに――」

「駆くん……」

「――……わかってるんです。……茉奈さんの気持ちは……オレとは違うって……」

「ち、違うわ。あたしは……」

 どんどん、視線を下げる彼に、あたしは何て声をかけたらいいんだろう。
 彼の症状を、甘く見ていた自分を後悔する。
 コミュ障だからこそ――人の感情に、敏感になりすぎるんだ。

「――……すみません。……出しますね」

「え、あ」

 何も言えず、車は発進する。
 外の暗さと、眼鏡のレンズの反射で、野口くんの表情が確認できない。
 何を言って良いのか――正解なのか、わからず、あたしは視線を下げる。
 アパートに着くまで、二人、無言のままだ。

 ――……でも、絶対に、野口くんを、このままにしたらいけない。

 あたしは、口元を引き締める。
 一気に襲ってくる緊張感に、身体が震えそうになり、無意識に両手で抱え込んだ。
 そして、アパートの門が見えたあたりで、あたしは、息を吐き、口を開く。
「――……駆くん。――アパートの裏に……来客用の駐車場があるの。……そこに停めて」
「……え?……ハ、ハイ……」
 戸惑いながらも、野口くんはうなづき、建物の裏手にウィンカーを出す。

「一泊くらいなら大丈夫って、大家さんから言われてるから」

「――……え」
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