Runaway Love
 逃げるように、小説コーナーに戻り、あたしは息を吐いた。

 ――……何でいるのよ……。

 早鐘のように打つ心臓を押さえながら、来た方をチラリと振り返る。
 けれど、岡くんが追いかけてくる事は無く――その事実で、また、胸が痛んだ。
 視線を落としながら歩くと、不意にスマホが振動を始める。

 ――時間だ。

 急に現実に引き戻され、あたしは、首を振ると、最初に別れたところまで歩き出す。
 ――確か、こっちの方だったはず……。
 初めてのところなので、キョロキョロとしながら向かうと、ざわつきが大きくなり、思わず眉を寄せた。
 主に若い女性の声に、ため息を吐く。
 ……まったく……図書館で騒がないでよ。
 あきれ半分で歩くと――向かう先に、原因が立っていた。

 ――……しまった。

 野口くんを、一人で放っておくと、こうなるのか。

 自動ドアの辺りで、スマホを眺めながらあたしを待っているだろう彼は、まるで、雑誌の撮影のように、絵になっている。

 遠巻きに、自習室に向かう女子高生の集団が、チラチラとざわつきながら、彼に視線を向けていた。
 
 ――ヤバイ!モデル⁉
 ――超キレイな顔してない⁉
 ――写真撮りたい!

 聞こえてくる声は、本人に届いているのかわからないが、急がないと。

 だが、その前に、あたしに気づいた野口くんは、視線が合うと、ニコリと微笑む。
 それだけでも、周囲はため息をついてしまう。

「茉奈さん、何か借ります?」

 あたしの元にやってくると、そう尋ねてきた。
「……え、ええ」
 うなづいて、手に持っていた三冊を見せると、野口くんはタイトルをのぞき込む。
「あ、返ってきてたんですね、コレ。この前、オレが見た時、貸し出し中だったんですよ」
 そう言って、その中の一つを指さした。
「そうなの?じゃあ、あたしが借りるから、一緒に読んじゃう?」
「良いんですか?」
 あたしがうなづくと、野口くんは、うれしそうに微笑む。
 珍しく、外で騒がれても安定しているようで、胸を撫で下ろした。
 それは、ここが図書館という、彼のホームだという事も関係しているのだろうか。

 ――それが、他の場所でも同じようになれたら……あたしの役目も、終わる。


 ――……野口くんは、本当に、真面目で優しいコなんだから――真っ当な幸せを掴んでもらいたい。


 ――……あたしには――きっと、無理な事だろうから。


 朝、夢に見た記憶に、また、胸が痛む。
 ――あれは、確かに、自分が言われた事だ。

 ”つまらない女”。

 自分でも、そう思う。

 ――そして、未だに、そんな言葉に縛られている自分が、嫌になるけれど――たぶん、一生、解放される事は無いんだろう。


 図書館を後にして、そのまま、本屋へはしごだ。
 ショッピングモールの近くに、大型書店があるので、そこに向かう。
 野口くんが、毎月買っている小説雑誌が発売との事だった。
「……改めて思うけど……すごいわね、駆くん」
「――え?」
 ハンドルを握りながら、キョトンと返す彼に、あたしは苦笑いだ。
「図書館で十冊でしょ。その上、雑誌もなんて……」
「そうですか?――まあ、習性というか……昔からこんななんで、慣れですかね」
 赤信号で停まると、野口くんはあたしを見やって、口元を上げた。
「ウチ、きょうだいが多いんで、いつも騒がしくて。でも、オレ、そういうの苦手で――ずっと、隙を見ては隅に避難して、本読んでたんですよ」
「――……そ、そうなの」
「でも、次第にそれが普通になってきて。――学校でも、一人で、ずっと図書館から借りて本読み漁ってましたから」
 あたしは、その状況に共感を覚えてしまった。
「――……あ、あたしも、同じ。……友達もいなかったから……学校の図書館に通い詰めてたわ」
 すると、信号が青に変わり、野口くんは車を発進させた。
 土曜日のせいか、車の流れが少し悪く、時折、停まってしまう。
「……もっと、早く、茉奈さんと話したら良かったです」
「え」
「――……こんなに、通じるものがあるなんて、思ってもみなかったですから」
「――……そう、ね」
 返事がぎこちなくなってしまったのは、ギアに置いていた手が、あたしの手に触れたから。
 それだけで、心臓に悪いのに、野口くんは優しく微笑むのだ。
「……かっ……駆くん!前、見ようね、前!」
 思わず、挙動不審になってしまいそうになり、取り繕うように、そう言うと、彼は笑ってうなづいた。
「――わかってます。……あんまり、可愛い反応しないでください」
「かっ……⁉」
「もうすぐ着きますから」
 あたしの反応を楽しんでいる野口くんを、少しだけ恨めしくなってしまった。
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