Runaway Love
 瞬間、スマホが振動し、あたしは慌ててバッグから出す。
 そう言えば、図書館でバイブ設定にしたままだった。
 設定を通常に戻すと、そのまま画面を確認。

 ――元気か?

 たった一言。早川のメッセージが、妙に安心できた。

 あたしは、そのまま画面を見つめる。
 ――アイツは、もう、大口契約を三件も取っている。
 大阪に行っても、早川の行動は筒抜けで、週中にはウワサは一瞬で広まり、そして、すぐに、大阪出向がペナルティではなく、予定されているものだとの認識に変わったのだ。

 あたしだって、負けていられない。

 月曜日から、新しい場所なのだ。
 辞めるかどうかは、そこでの仕事を全うしてからだ。

 でなければ、早川に合わせる顔が無い。

 気合いを入れ直し、あたしは立ち上がる。

 ――恋愛だけに振り回されるのは、嫌なのだから。


 少しだけ痛むお腹をさすりながらも、何とか、滞っていた家事を終える。
 一息つくと、もう夕方。
 買い出しは、明日にしよう。
 そして、ベッドに横になると、借りてきた本を一冊手に取った。

 ――あたしが、あたしでいられる時間は、誰にも邪魔されたくはない。

 それは、きっと、野口くんも一緒だろう。

 スマホをマナーモードにすると、あたしは、ページをめくったのだった。


 気がつけば、既に辺りは薄暗くなっていた。
 あたしは、読んでいた本にしおりを挟むと、ゆっくりと起き上がる。
 少しだけ左腕の傷が痛み、顔をしかめるが、すぐに持ち直した。
 そして、その痛みで早川を思い出し、スマホを手に取る。
 時間は、既に、七時半。
 その間、メッセージは来ていない。
 あたしは、音の設定を戻すと、早川のものを開く。
 先日の写真を眺め、無意識に口元が上がった。

 ――アンタは、ちゃんと、やってるの。

 それだけ送ってみる。
 すると、すぐに返信。

 ――お前こそ、大丈夫か。

 その言葉に、苦笑いが浮かぶ。

 ――大丈夫よ。
 ――アンタも、張り切りすぎないでよ。

 それだけ送る。
 そして、少し遅い夕飯を作ろうと立ち上がると、着信だ。
 あたしは、画面を見て、思わず眉を寄せる。

「――……ちょっと……アンタ、何のための、メッセージよ」

『何か、文字打つのがまどろっこしくなってよ。――それに、声も聞きたかったしな』

 恋人に言うようなセリフに、思わず心臓が反応してしまう。

「……で?」

 気持ち、冷たい口調になってしまったが、仕方ない。
 あんまり過剰反応すると、アイツはつけあがる。
 そんな事を思うと、耳元で、クスリ、と、かすかに笑い声。

「――……何よ」

『いや、相変わらずで、安心した。どうだ、傷の具合は』

 あたしは、チラリと左腕を見やる。

「――だいぶ良くなったわ。もう、痛み止めも必要ない。傷も、かなり薄くなってるわ」

 そう返すと、大きく息を吐く音が聞こえた。

『――そうか……。良かった……』

 心底安心したような声に、胸が締め付けられた。

「――だから、アンタも気にしないで。……三か月、頑張りなさいよ」

『おう。……ちゃんと、デカい”土産”持って帰るからな』

 それが契約の意味とは、暗黙の了解だ。
 あたしは、クスリ、と、笑みが浮かぶ。
 こういう会話は、コイツとしかできない。

「じゃあね」

『――ああ。……じゃあな』

 名残惜しそうに聞こえてしまう声は、気づかないふりをして、あたしは通話を終えた。

 それから、軽く夕飯を済ませると、来週の準備。
 バスの時刻表をスマホで確認し、時間を考える。
 南工場は、その名の通り、会社から国道沿いを南下したところにある、少し小さめの工場。
 けれど、ウチの主力商品十種類を、すべてそこで作っているので、一番重要度は高いのだ。
 ひとまず、お盆まで。
 前任者の方は、引き継ぎに二日ほど来てくれるようだが、元々、短時間勤務なので、できる限り、確認する事をまとめておかないと。

 ――……後は、ウワサがどう転ぶかだ。

 あたしは、メモを取るためのノートを準備し、質問項目を書いた付箋を貼っていった。
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