Runaway Love
 翌日、寝不足のまま、部屋を出る。
 ドアに鍵をかけ振り返ると、日ごとに強くなる日差しに、目が痛くなってきた。
 階段の上から周囲を見回すが、早川も岡くんも姿を現す事はなく、あたしは大きく息を吐く。
 昨日の今日で、顔を合わせるのも気まずいから、ありがたい。
 ようやく歩き出すと、昨日の靴擦れは少し良くなったようで、ピリピリとはするけれど、我慢できない程ではない。
 今日は、あきらめて、昔もらった靴を出した。
 ヒールがいつもより少し高い、あたしにしては少々派手なデザイン。
 黒ではあるが、後ろの方にキラキラしたビーズのようなものがついている。

 ――くれたのは、奈津美だ。

 あたしの就職祝い、と言って、自分のアルバイト代で買ったらしい。
 その時、うれしいという思いの中に、少しだけ――奈津美を避けているあたし自身の後悔があった。
 だから、一回も、履かなかったのに。
 歩き出せば、少しだけ貼ったばんそうこうが引っかかる気がしたけれど、それ以外はとても快適に歩ける。
 ――もしかして、相当良いものだったんだろうか。
 ……早川は、気づくだろうか。
 そう思ったところで、首を振った。

 あたしは、昨日、アイツを振ったんだ。
 何事も無いような顔をしてくるはずが――。

「おう、靴擦れはどうなった」

 後ろから声をかけられ――あたしは、その場で硬直してしまった。
 振り返れば、いつものように、お高いスーツに身をまとった早川が、平然と歩いてくる。
 あたしは、思い切り顔を背け、歩き出した。
 けれど、あっという間に追いつかれてしまう。

 ――気まずくても、社会人の義務。

 そう、心の中で繰り返し唱えながら、あたしは早川をチラリと見上げた。

「――……お、おは……よう……」

 ぎこちなさが最大限の挨拶にも、早川は、笑って答える。

「何固まってんだよ。らしくねぇな」

 ――アンタのせいでしょうが!

 そう叫びたかったけれど、あたしは視線をそらして、口を閉じた。

 ――……一体、どういうつもりなんだろう。
 もしかして――ただの遊びだったんだろうか。

「あー……と、昨日は、悪かったな」

「え」

 思わぬ謝罪に、あたしは早川を見上げてしまう。
 目が合うと、気まずそうに苦笑いされた。

「いくら本気(マジ)とはいえ、急すぎたよな。……でも、あきらめるとは言ってねぇぞ?」

「――え」

 あたしの思考が読めるのか。
 すると、早川は、あたしの頭を軽くたたいた。

「お前が恋愛したくねぇって言う理由は、たぶん、俺には理解できねぇんだろう。――けどな、それ、弾く理由にはならねぇからな」

「ど、どういう意味よ」

 早川は、あたしを見下ろし、ニヤリと口元を上げる。

「覚悟しとけ。絶対、俺と恋愛したい、って思わせてやるから」

「――……は……??」


 ――今度こそ、思考回路は一旦停止したのだった。


 その日も、早川は普段と変わりない態度を貫いていて、周囲には何も違和感を持たれなかった。
 今日は、いつも通りの定時帰り。
 終業間際にも、イレギュラーは無く、誰もが淡々と帰り支度を始めた。
 外山さんは、少しだけウキウキしながら、バッグの中身を片付けている。
「じゃあ、お先に失礼します!」
「ああ、お疲れさん」
 部長を筆頭に、全員で挨拶を返すと、外山さんは駆け足気味に部屋を出て行った。
「ありゃあ、デートだな」
 それを見送った部長が、訳知り顔で言い出す。
 その言葉に過剰反応しそうになったけれど、表面上は冷静を、どうにか保った。
「いいなあ、若いって」
 大野さんが、そう言いながら立ち上がった野口くんを見やった。
「オレには、関係ありませんよ」
「似たか寄ったかの年だろう。寂しい反応するなよな」
「お疲れ様でした」
 野口くんは、完全にスルーを決め込み、頭を下げると部屋を出て行く。
 ――あたしも、からまれないうちに、出よう。
 そう思って、同じように挨拶をしてドアを開け――硬直した。
< 19 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop