Runaway Love
 それから、どうやって帰って来たのか。
 けれど、もう部屋に入っているのだから、足が勝手に動いたのだろう。
 無意識でも手は鍵をかけ、その音で、ようやく意識が戻ってくる。
 その瞬間、あたしは、上がり框に座り込んだ。
 買い物バッグも、床に投げっぱなし。
 放心状態のように、視線の先の自分の靴を見つめる。

 ――……どうして、あの人は……。

 そう思うと、自然に浮かんできた涙を、勢い良く手でこすった。

 あんなヤツのせいで、泣いてたまるか。

 ――……きっと、あたしのせいで会社での評判が落ちたとか、狙っていた奈津美が結婚して子供ができたとか、先輩にとって、負の要因が重なったせいだろうとは思う。

 けれど……

 ――何で、昔のように、あたしがアンタを好きだと思っているのよ。



 ――”つまんねぇ女だな”。

 そう言った先輩は、それでもあたしを逃がしてはくれなかった。

 ――まあ、期待外れでも、仕方ないか。奈津美ちゃんみたいなコが妹なら、姉のハードル上がっちゃうもんね。
 ――でも、せっかくだし、レベル上げてあげようか?

 あたしは、うつむくと、唇を噛みしめ暴言に耐えようとするが、頬に触れた手の感触に思わず顔を上げる。
 すると、至近距離に、先輩のニヤついた顔。
 そして、その目を見た瞬間、脳内にアラームが響き渡る。

 ――ダメ。逃げなきゃ。

 あたしは、何とか彼から離れようと動くが、そうはさせないとばかりに、両腕が掴まれた。
 その強さに、顔をゆがめる。

 ――経験したら、気が変わるかもね。

 そう言った先輩は、背けようとしたあたしの顔を自分へと向け、唇を重ねた。
 押し付けられた壁の、固い感触よりも、その触れた感触に衝撃を受ける。
 ぼう然としているあたしを、先輩は満足そうに見下ろした。

 ――何、もっと欲しいの?

 言うが遅い、再び口づけられ、今度は口内をまさぐられる。
 浮かんできた涙は――悔しさと、情けなさ。
 そして、怒り。
 あたしは、力任せに先輩を押しのけた。

 ――あたし、こんな事するつもりなんて……!!

 すると、彼は、はあ、と、わざとらしく、大きくため息を吐いた。

 ――何だよ、ホント、つまんねぇ女。時間の無駄だったわ。

 その言葉に、足が震える。
 けれど、どうにか動かし、そのまま、その場から走り出したあたしを、彼は追いかけても来ない。
 必死で口を手でこするけれど、初めて経験するそれに、衝撃は収まらない。

 ――……確かに、好意はあった。
 けれど、それは、作られた先輩であって、今のあの男ではない。

 ――それなのに。



 あたしは、瞬間、キツく目を閉じ、首を思い切り振る。

 ――……思い出したくもない事を思い出してしまった。

 あたしの処女は、岡くんが奪ったけれど――初めてのキスは、先輩だった。
 奈津美の事で、完全に嫌がらせのようなキス。
 それを奪われた瞬間、あたしの中の幻想は砕け散った。


 ――もう、絶対に、恋愛なんかしない。

 ――あたしは、一人で生きていく。


 その時、あたしは決めたんだ。
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